「中南米近代政治史を背景に、一人のピアニストの悲劇を描く。」ボサノヴァ 撃たれたピアニスト あんちゃんさんの映画レビュー(感想・評価)
中南米近代政治史を背景に、一人のピアニストの悲劇を描く。
テノーリオ・ジュリエールという音楽家の存在と彼を見舞った悲劇は全て事実である。
彼は、1976年にアルゼンチンへのツアー中、ブエノスアイレスで、アルゼンチン警察ないしは軍に拉致され拷問の上射殺された。ちょうどアルゼンチンではビデラ将軍が、ペロン派を放逐して軍事政権を打ち樹てた折であり、テノーリオの拉致はまさしくクーデターその日の早朝であったらしい。その行方は10年にわたって不明であったが、1986年になってアルゼンチンの元伍長クラウディオ・バジェホスがブラジルにやってきてサンパウロのTV局で、テノーリオを殺したことを告白したため明るみに出た。
テノーリオが優れたピアニストであったことは確かだが、この作品の作成意図はその音楽性を賛美することにはなく、むしろ彼が巻きこまれた悲劇と、突然彼を失った人々の悲しみ、故もなく人を攫い殺す権威主義的暴力の不道理を描くところにある。
この映画でフィクションであるのは、物語の語り手である作家と、彼がルポルタージュを書籍化しようとするところだけである。インタビューに登場する人物たちは全て実在しており、おそらくはインタビューも実際に行われてその内容も映画の通りであったのだろう。(インタビュー相手の安全のため一番改変されているかもしれないが)
登場人物はほんの一部しか知らないが、ジョアン・ジルベルトにしてもヴィニシウス・デ・モラリスにしてもソックリである。なぜ、アニメーションで、というところだが、おそらくはインタビュー相手を全て似顔絵で表現するというところから出発していて、さらに釣り合った表現をというところからあのスライドショー的な映像になったのであろう。
それともちろん、これは意図的なものだと思うが、映画の中では、最初はジャーナリストと編集者はボサノヴァ黎明期のブラジルのミュージックシーンを取材しようとしている。でもジャーナリストはテノーリオの謎について知ることによって作品の方向性を転換する。だから我々も、最初はボサノヴァや同じ頃に出発したヌーヴェルヴァーグの映画の清新さ、人間的な芸術性に触れているが、やがて非人間的体制による闇の深さにとらわれていく。
世界は変わる。それも信じられないような短い期間で。それはドミノ倒しのようにラテンアメリカが軍事体制になったこの映画の時代背景を見ていれば分かる。我々はまた、再び、同じ轍を踏もうとしているのかも知れない。ホワイトハウスの狂人が世界を振り回すこの数週間を経てつくづく思うのである。