長崎 閃光の影でのレビュー・感想・評価
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オール長崎
まずは真摯に、フラットに、色々な見方があることをしっかり描いており、そのために色々な立場の人々(主に看護師さんたち)を登場させていることを評価。看護師さんたちの手記集が原作というのがリアリティを裏付けているのだと理解できる。
主人公の菊池日菜子の役名が「すみ」ということで『この世界の片隅に』のすずさんの妹と同名なのがもう泣ける…
同作で終戦時に韓国の国旗が掲げられたのと同様に、朝鮮人への治療を医療現場ですら拒否していた描写があったが、それについては「日赤病院の医療関係者がそうした事実がある訳ではない」との説明がありモヤる。「あったんだろうな」と思ってただけに。
真摯な取り組みとは思うが、オール長崎的な座組みにはやり切れなかったところもあるのかな、と邪推。もっとインディペンデントならもっと配慮なく出来たのかな〜…
なぜ入れたのか?
良い映画で、俳優たちもそれぞれにいい演技をいていた。ただ、何でここにこんなシーンを入れる必要があるのか、とドン引きし、映画から気持ちが離れてしまうシーンがあった。助けを求める朝鮮人に、朝鮮人なんかにやる薬はないと足蹴にしたシーン。そして、日本が始めた戦争だからと言わせたシーン。朝鮮人は歴史的事実に基づいたものではないとエンドロールに小さく書かれていたが、ならばなぜ入れたのか。自虐史観もあわせ、政治的な意図がプンプンする。映画の価値を下げてしまった。
もう一つ、長崎の惨状をもっと俯瞰した映像がほしかった。近場だけでは非道さや非情さが伝わりにくかった。
まっすぐ正面から原爆の記憶に接続する
終戦から80年後の8月を迎えた。3日連続で戦争に関連した映画作品を観ている。「木の上の軍隊」「この世界の片隅で」そして本作。80年前の8月には、伊江島で二人の兵士が木の上に隠れ、呉で右手をなくしたすずさんが山越しに広島の原爆雲を眺め、そして長崎で学生を含む看護師たちが救難所で絶望的な救命活動を行なっていた。
塚本晋也は、戦争の映画を撮るということは「前の時代を生きた人たちの体験や、そこから生まれた表現と『接続する』という感覚である」と話している。時代を把握するために、そして戦争や軍隊について上滑りな空論でなくしっかりと理解するためには、やはり一人ひとりが経験した事実をリアルに、先入観なく、見聞きしていくしかないのだと思う。
その意味では、本作は余りにも真っ直ぐの剛速球を投げ込んできたなという印象である。塚本の「野火」、今村昌平の「黒い雨」、岡本喜八の「沖縄決戦」などを観てきた者はともかく、近年の甘々の特攻隊ロマンス映画ぐらいしか知らない者たちにとっては、傷口にたかるウジや、ノコギリで足を切り落とすシーンはきついかもしれない。また、朝鮮人を救護所から追い返したり、看護師たちに青酸カリを与えるが、自分は真っ先に米兵と交際する婦長の姿などトゲのある設定が随所にありこの悪意に戸惑う者もいるかもしれない。
でも、それもこれも含めて、これは当時の看護学生、看護師たちの手記に基づいた脚本であり徹底的にリアルであるといえよう。エンドクレジットによると救護に携わった看護師たちは500人にものぼるが代表して山下フジヱさんが最後に登場する。記憶を継承したいという作り手の強い意志を感じる。真っ直ぐに受け止めなくてはならない。
主役の3人の女優は初々しい。看護学生という設定が棒立ちの演技にも説得力を与えた。妙にスタイルが良すぎる(特にスミ役の菊池日菜子さん)のと発声の基本がないのに長崎弁でしゃべるのでセリフが聞き取りにくいところが難だがまあご愛嬌でしょう。
生きること、そして忘れないこと
■ 作品情報
監督・共同脚本は長崎出身の被爆3世である松本准平。共同脚本に保木本佳子。原案は日本赤十字社長崎県支部の手記『閃光の影で-原爆被爆者救護赤十字看護婦の手記-』。主演は菊池日菜子、小野花梨、川床明日香。主題歌は福山雅治プロデュース・ディレクションの「クスノキ -閃光の影で-」で、主演の3人が歌唱している。語りは長崎で被爆した美輪明宏が担当している。
■ ストーリー
1945年夏、太平洋戦争下の日本。看護学生の田中スミ、大野アツ子、岩永ミサヲは、空襲による休校のため故郷の長崎に帰郷し、家族や友人との平穏な日々を過ごしていた。しかし、1945年8月9日午前11時2分、長崎市に原子爆弾が投下され、その日常は一瞬にして崩壊する。街は廃墟と化し、三人は未熟な看護学生ながらも、目の前の被爆者たちの救護に奔走する。救うことのできない多くの命が失われていく悲惨な状況の中で、彼女たちは献身的な看護活動を続ける。それぞれが原爆と向き合い、苦しみを乗り越え、そこから再び前へと進む姿が描かれる。
■ 感想
三人の看護学生たちの切実な感情の揺れ動きが、心に響きます。まだ未熟な学生の彼女たちが、突然過酷な被爆現場に放り込まれ、目の前で次々と命が失われていく現実に直面します。自身の家族の安否すらわからない状況で、ただ目の前の被爆者に向き合うことを余儀なくされる姿は、観ている者の胸を強く締め付けます。
献身的な看護もむなしく、多くの命が失われる中で、「自分たちの看護に意味はあるのだろうか」と自問自答し、苦悩する姿は本当に切ないです。一瞬にして大切なものを奪った敵への憎しみをたぎらせる者、それでもこの惨状を生み出した敵を「許す」ことで前に進もうとする者、どうすることもできない自身の無力さに打ちひしがれる者。三者三様の感情が痛いほど伝わってきて、彼女たちの誰の気持ちにも深く共感します。
広島に比べて、長崎の原爆被害が取り上げられる機会が少ないと感じていたので、本作の存在意義は非常に大きいと思います。特に、主に三人の看護学生にスポットを当てることで、当時の少女たちが戦争をどのように捉え、経験したのかが鮮明に伝わってきます。もちろん、長崎の被爆の全体像を捉えるにはやや限定的で、生々しい描写が控えめな印象も受けますが、それがかえって、多感な少女たちの視点から戦争を描くという本作の誠実さを際立たせているように感じます。
原爆によって大切なものを奪われた少女たちが、その現実とどう向き合い、どう受け止めることで、そこから再び前に進んでいくのか。その過程が丹念に描かれており、「生きること、そして忘れないこと」が生かされた者の使命であるというメッセージが強く伝わってきます。本作は、まさにその使命を果たすために作られたのだと思います。
主演の菊池日菜子さんをはじめ、小野花梨さん、川床明日香さんの演技は本当にすばらしかったです。特に小野花梨さんの渾身の演技は、感情がダイレクトに伝わってきて、胸を強く打ちます。長崎ゆかりのキャストやスタッフを多く起用している点も、作品への強い思いが感じられ、感銘を受けます。ただ、残念だったのは、映画館の音響設備のせいか、あるいは長崎弁によるものか、不明瞭なセリフが多く、聞き取りにくい場面が多々あったことです。その点が、物語への没入感を削いでしまったのが惜しまれます。
長崎が語られるのって珍しい気がする。
原爆といえば、たしかに広島・長崎と名は連ねるモノの、映像作品をはじめ小説にしても長崎が扱われることって広島と比べてとても少ないように思っている。
かといって、長崎に詳しいわけではないので、映画に出てくる土地の位置関係とか距離感について「海がそんな近くにあるの?」とか救護施設となった小学校の位置って爆心地からどれくらいの距離にあるの?とか、建物の倒壊具合って、広島の原爆を扱った映画と比較すると軽微とは言わないけれど、そのくらいなの?とか。
あまりにも 自分が長崎原爆について知らなさすぎるのが分かり、情けなかった。
日本赤十字の当時の看護師たちの手記をまとめたものが基になっている映画で、看護師の視点からみる原爆投下後の状況は、今まで見ていた原爆を扱ったものと比べて印象が強かった。
医師は治療はするかもしれないけれど、看護師は治療も含めてすべてをしているのだから、本当に頭が下がる思いでいっぱいになる。
じわっと重いものを背負わされるような鑑賞後感
現実
戦後80年作品が多く上映される本年。
長崎に原爆が落とされて様子が一変した街での看護学生の献身を、きりしたんと赤十字活動の面をからめて描く。
戦争を美化しない看護婦、他方で軍人の娘として生まれた婦長は「敗戦」を受け入れきれない。立場としてそれぞれの思いが交錯する。
当作品のよい面は、包み隠しなく惨状を現していること。
患者にウジ虫がわいたり、赤痢が蔓延したり。死にゆく民にも手当てを施す一方、手遅れと判断されたら捨て置く。一見無惨に見えるが、救える生命と薬品の残量には限りがある。
ストーリーは暗鬱として進む。
違和感を覚えたのは、多数の患者が汚れに汚れている一方で、看護学生の白衣は汚れ一つない。当時は洗濯もままならない衛生状況で看護に当たらざるを得なかった、と描く方がよりリアルではなかったか。
登場する役者さんの9割方知らなかったが、小野花梨さん(と後で知った)の片足引きずりながらの献身的な看護姿が目に焼きついた。
閃光が奪えなかったもの
通常スクリーンで鑑賞。
原案(閃光の影で)は未読。
筆舌に尽くしがたい悲惨な状況下、悩み傷つきながらも目の前の命に懸命に向き合う少女たちの姿に胸が痛んだ。
看護の甲斐無く、患者が次々に命を落としていく。己の無力に打ちひしがれる暇無く新しい患者が運び込まれる…
地獄のような日々だっただろう。言葉も無い。
物語の中盤、スミ、アツ子、ミサヲが喧嘩をしてしまうシーンに、涙が溢れて仕方が無かった。原爆が、ひいては戦争が、彼女たちに齎したものは何かを端的に示していたからだ。
一瞬の閃光が奪ったのは、命だけではない。本来なら背負わずとも良かった十字架である。過酷であろうと受け入れるしか無かった現実はあまりにも残酷だ。しかしながら、閃光が奪えなかったものもある。それは、生き残った者として、今を、未来を生きていかねばならないと云う強い意志だと感じた。
トリプル主演を飾る菊池日菜子、小野花梨、川床明日香がそれぞれ、スミ、アツ子、ミサヲとして天使のような歌声を披露する主題歌「クスノキ‐閃光の影で‐」の歌詞にこうある。
「我が魂は 奪われはしない この身折られど この身焼かれども」。原爆(あるいは戦争)の惨状を乗り越え、生きて来た人々の姿を、爆風や黒い雨を浴びても尚逞しく葉を茂らせる被爆クスノキに託したこの歌詞が、実感を伴って胸に響いた。
日本人として、原爆のこともしかり、アジア・太平洋戦争について、決して忘れてはならないと思う。しかしまた、当事者としては、忘れねば生きていけない苦しみでもあろう。
その痛みは、想像することしか出来ないのが歯痒いが、私たちに出来ることは、知り、考え、このようなことは二度と繰り返すまいと云う想いで語り継ぐことではないだろうか。
[余談]
映画としては、語りたいことを詰め込み過ぎて散漫になっている印象。焦点を絞っていれば名作たりえたかもしれない。
形を残したまま炭になった母と妹を見た時に何を思うのか、私には想像もつかない。
不謹慎な言い方だが、(わざとそういう風にしたのだろうが)原爆の悲惨さがほぼ伝わらなかった。それでも、この映画を作ってくださった方々には感謝の気持ちしかない。
追記
京都新聞の記事に、長崎の被害についての当時の記事の紹介があった。
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長崎原爆は、投下3日後の12日に「長崎にも新型爆弾」と3行の小さな記事で伝えただけだった。
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他にも新型爆弾への対策として、「火の用心さえすれば火災は起こらない」「軍服でやけどは防げる」などの文字があり、予想の範囲内ではあるが、なかなかの内容だった。
さらに追記
今日は長崎に原爆が落されて80年目の日です。今日の平和祈念式典では、地元の小学生(城山小と山里小の子どもたち)による合唱曲として、この映画の「クスノキ」が歌われるそうです。福山雅治さんが被曝2世ということは初めて知りました。
原爆の被害状況を体感できる貴重な映画
【”原爆は地獄。けれども生き残った私達は、生き続けてあの出来事を忘れない事が大切。”私は、世界で唯一の被爆国である日本が、今作のような映画を制作、公開する意義は非情に大きいと思うのである。】
■太平洋戦争末期、1945年8月。
日本赤十字社の看護学校に通う田中スミ(菊池日菜子)は学友のアツコ(小野花梨)やミサヲ(川床明日香)と、大阪から故郷の長崎に帰省していた。
だが、9日に長崎に原爆が投下されスミたち3人は被爆者たちの救護活動に当たる事になる。物資が乏しい中、救護に当たるが彼女達の目の前で、原爆病にやられた多くの人たちは次々に亡くなって行く。そして、彼女達の家族も又、犠牲になっていたのである。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・最初に敢えて書くが今作のストーリー展開はやや粗い。それは被爆直後の長崎で救護活動に尽力した日本赤十字看護師の方々の手記が基になっている事で、様々なエピソードが断片的に描かれているからである。
だが、私は、原爆投下直後の長崎の街の姿や人々の姿を始め、多数のエキストラの方々の協力により制作された事や、世界で唯一の被爆国である日本が、且つての出来事を風化させないという今作のメッセージは重く伝わると思ったのである。
・スミ、アツコ、ミサヲは皆10代。
それが、あのような悲惨な出来事を目の当たりにして、被爆者の方々の救護に当たる姿を見ると良く頑張ったモノであると、素直に敬意を表する。
■今作での印象的なシーンは多数有るが、原爆の爆風により両目の視力を失った女性が、赤ん坊の男の子を産み落とし、その後息絶える姿である。
彼女の亡骸は、多数の亡骸と共に火にくべられる。
そこには、弟の死骸を背負ったビシッと敬礼をする小さな兄も並んでいるのである。個人的にこの男の子の姿は、沁みた。軍国主義が身体に叩き込まれながら、健気に生きる姿にである。
又、赤ん坊の男の子は施設に引き取られ、その施設を運営する女性(南果歩)により、スクスクと育っているのである。
”人間の命の伝承は、原爆なんかには負けないぞ!”と言うメッセージに感じたシーンである。
・今作の中では、助けを求めに来た朝鮮人の女性に看護師長が”朝鮮人にやる薬はない!”と蹴飛ばして追い返すシーンや、その看護師長が敗戦後に、米兵から貰ったチューインガムを持っている姿や、彼女が米兵と街に消えて行くシーンも描かれている。実際に在った事なのだろう。この映画ではこのようなシーンも、キチンと描いている所が、素晴らしいと思うのである。
■出来得れば・・。
今作をガザ地区に爆弾を落とし続ける国を統べる男や、ロシアを長年独裁的に統べる男や、中国のムーミンや、米国を統べる若き時にアンフェタミンを常用していた結果、気性が激しく攻撃的な性格のオレンジ色の顔をした男や、民が痩せているのにポッチャリ太ったトッチャンボーヤに正座して観させたいという衝動に駆られたモノである。何故ならばいづれも核を使う可能性がある国であるからである。(一部、保有疑惑国含む。)
<今作は、原爆が投下直後だけでなく長年に亘り無辜なる人々を苦しめる兵器である事を伝える作品なのである。
エンドロールで流れる広島、長崎での死者数の多さよりも更に被爆した事で長年苦しんでいる人はもっと多くいらっしゃるだろうという想いと、全世界に核弾頭が12,331個あるというテロップにも暗澹たる気持ちになるが、私は、世界で唯一の被爆国である日本が、今作のような映画を制作、公開する意義は非情に大きいと思うのである。>
…生きること
もっとリアルさがあれば
言葉では伝わらない恐ろしさ
大量殺人兵器
繰り返してはならないこと
地球を滅亡させるのに太陽の赤色巨星化は必要ない。たった今、持っている国々が撃ち合えばいい。その一つが落ちたらどうなったかを描いた後世に残さなければならない映画だ。
今一緒にいる家族が一瞬で真っ黒になる? 想像の域を超えている。でもそれは起こった。三人の少女を始めとする医療従事者達は訳の分からぬままその地獄で働くことになる。歌いながら教会に向かう一団は決してあのような「綺麗な」姿ではなかっただろう。そしてこの映画には当時あった闇も出てくる。エンドロールに大切な文章が流れているが。
焼き場で背中に弟を背負った少年が順番を待つ。世界的に有名な写真から作られたシーンだろう。
あの少年は「あきひろ」君という名前との噂がある。その名を受けたと思われる空広君の何と愛らしいことか。この子が成長して生活して無事一生を終えるまで悲劇を繰り返さないこと。二度とあの雲を立ち上らせないこと。人類は分かっているはずだ。
とにかくみてほしい、感じてほしい
原爆の惨状は、長崎や広島の人にとって、耳にタコができるほど、毎年毎年聞かされてきたことだと思う。
この映画もその話の1つではある。
皆、水を求めて死んでいく。
元気そうな人も血を吐いて死んでいく。
でもそんな中、物もない中で、そこに寄り添って助けてくれた人がいる。
その記録だ。
今、この時に、被爆80年に、そしてこの戦争が多い時に、ぜひみてほしい。
戦争の愚かさは、他の作品でも多く描かれている。
しかし、原爆の惨状は、広島・長崎でしか描かれないし、今後も増えてはいけない。
原爆が悲惨なのは、1度に大量の人を殺戮するということもあるが、たとえその場で助かっても、時間をおいて死が追いかけてくるということが、他にはない恐ろしさだと思う。
亡くなった弟を火葬する子供、被曝マリア像など、長崎では知らない人がいないほどの話だが、もっと多くの人にも知ってほしい。
この作品で少し特徴的なのは、カトリック信者の様子が書かれたことだろう。
長く長崎では信仰が深かった。
禁教の時にも「潜伏キリシタン」として引き継がれ、そしてこの原爆なのである。
原爆は浦上天主堂のすぐそばに落とされた。
そこにいた信者たちの様子が描かれた作品でもある。
一方で、人種差別の面も隠さずに描かれている。
朝鮮半島出身者も多く原爆に巻き込まれた事実も知られるべきだろう。
最後の但し書きのように、日赤だけが救護をしていたわけではないと聞いているが、被爆者にとって、心の拠り所になったと聞いている。
重いテーマではあるが、比較的淡々と描かれているので、重くなり過ぎないように思う。
画角が比較的均一で、画像の迫力にややかける部分もあるが、内容を重視して、そこは少し目をつぶってほしい。
できることならば、原爆の映像や原爆症についての知識はある程度持った上でみてほしい。
繰り返してはいけない過ち
平和活動として普及され、平和に繋がることを願います。
プレミア上映会に行きました。
まずは上映前挨拶に登壇された菊地日菜子さんの顔の小ささに驚きました。
シリアスな作品だからトークもふざけられないでしょうけれども、小野花梨さんのちゃんぽん店の話は笑いを誘ってホッとしました。
↓以下少しネタバレを含むかもしれません。
死体がたくさん転がっている描写や死体を運んで焼くシーンなどは痛ましいです。
スタジオセットで撮影し、背景をCGで合成するためなのか、寄りの画が多いです。
爆弾が爆発した「閃光」シーンは音や光で表現されましたが、建物が倒壊したり、血しぶきが飛ぶようなシーンはなかったです。
CGでも「ゴジラ」などは被害の甚大さが分かりますが、そういうのはなかった感じです。
冒頭に長崎市内を望む遠景がありましたが、それ以降、距離感を表すところがないのは、長崎の土地勘がない人は範囲が分からないかもしれないと思いました。
ただテーマや内容は被爆後の若い看護師の人間ドラマなので、そういうのは要らないのかもしれないです。
客席は高齢の人が多かったですが、若い方も多かったです。
「赤紙」「お国のため」という用語や設定はそれを説明するようなシーンはなく使われていましたが、若い学生さんは理解していたのか知りたいと思いました。
平和活動として普及され、平和に繋がることを願います。
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