「一瞬で焦土に化しあまたの人間を殺戮した原爆の恐怖を見よ」長崎 閃光の影で かなさんの映画レビュー(感想・評価)
一瞬で焦土に化しあまたの人間を殺戮した原爆の恐怖を見よ
今年は広島、長崎に原爆投下され80年。今も苦しむ人たちがいるという事実。映画「オッペンハイマー」を見たとき、実験で甚大な被害を与えることを目にしながら生活している人間に向かってこの爆弾を落としたことにずっと怒りを感じていました。だからこの長崎の惨劇を見て、悔しさと虚しさを感じ、忘れてはいけない、この状況を後世に伝えていくことが必要だと映画の力を示していた作品でした。
【映画感想文】
作り手たちの原子爆弾投下に対する強い怒りと憤りが強烈に伝わってきた。冒頭の当たり前のような日常生活や笑いあっていた家族が、原爆投下の一瞬で下敷きなったり、黒焦げになったり、街が焦土になってしまう、この非道さ理不尽さ。原爆は天変地異の災害ではなくまさしく人為的殺戮だ。
日本赤十字の看護学校に通う女学生三人が空襲による休校を機に帰郷し、家族と再会し楽しい時間を過ごしていた。そこに原爆投下だ、轟音と異常な光をともなって。そのとき、一人は祖母の家に行くため爆心地から離れていた、一人は父とミサに行っていた、もう一人は日本赤十字長崎支部で働いていた。
三人は生き残り、日本赤十字長崎支部で被爆者の看護にあたる。次々に運ばれてくる死傷者。被災者のうめき声、血、火傷、爛れた皮膚、足を切断する手術、傷口から蛆虫がわいてくるなまなましい描写の連続。彼女たちはそれを直視し看護する。原爆関連の映画は多数あるが、看護者の視点で見せる映画は初めての経験だった。必死に治療しても、看護しても被災者は次々に亡くなっていく。この無力感と虚無感がにじみでている。
彼女たちは看護者であるが被災者でもある。一人が実家を見に行ったとき、そこはすべて焼け野原になっていて、自分の家の側で家族が黒焦げになった姿を目にする。他の二人も家族の状況がわからないなかで被災者の看護をする。人が死んでいく姿を見なくてはならない過酷さと、自分のことは二の次にするに彼女たちの精神力、責任感に心を揺さぶられる。
原爆で焦土と化した街をCG化し緻密に描写する映像には目を覆いたくなる。たった一発の爆弾で街が、多数の人が死んだ。それだけではないこの悪魔の爆弾。被災者であまり傷を負っていない人が死んでいったのは、ほとんどが放射能における原爆病が引き起こしたものだ。この悪魔の爆弾は、何年も、何十年も、次の世代においても死をもたらすのだ。
そして一番の悲劇は、被災者が一生この体験を忘れられないことだ。心に負った深い傷は永遠になくならい。それが悪魔の爆弾だからだ。