1980 僕たちの光州事件のレビュー・感想・評価
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ドラマとドキュメント両方ならどちらかはっきりさせるべき!
光州事件を題材にした韓国映画は多くあるが、この作品もその一つ。
今回の作品はドラマとドキュメントの融合。ただ、この作品に関しては
どちらかに絞った方が良かったかもしれない。最初にフィクションですと
わざわざスクリーンに出しているのだから。ドラマに絞ったほうがこの作品を
公開して良かったと思えるのでは。中途半端な作品に思えた。もちろん韓国映画の中にも
いい作品はある。ただ、ここ最近の韓国映画は曖昧、中途半端な作品が多い気がしてならない。日本マーケットの顔色を伺ったり、日本俳優にヘルプを求めるのではなく、韓国らしい映画作品を制作してほしい。
1980年5月に軍事政権下の韓国で起きた民主化運動とそれに対する弾...
1980年5月に軍事政権下の韓国で起きた民主化運動とそれに対する弾圧が行われた「光州事件」を題材に、韓国現代史の闇を市井の人々の視点からとらえたドラマ。ささやかな幸せを夢見た家族が権力に翻弄されながらも力強く生き抜いていく姿を、ユーモアを交えながら切々と描きだす。
1980年5月17日。チョルスの祖父は念願だった中国料理店をオープンさせる。父親はなぜか家にいないが、チョルスの大好きな幼なじみヨンヒや優しい町の人々から祝福され、家族は幸せに包まれていた。輝かしい未来を夢見る彼らだったが、後に「光州事件」と呼ばれる歴史的悲劇が起きたことで、平和だった家族の日常は一変してしまう。
「公共の敵」シリーズのカン・シニルがチョルスの祖父、「プンサンケ」のキム・ギュリがチョルスの母を演じ、「マラソン」のペク・ソンヒョン、「真犯人」のハン・スヨンが共演。「王の運命 歴史を変えた八日間」などの美術監督を務めたカン・スンヨンが監督・脚本を手がけた。
1980 僕たちの光州事件
2024/韓国
配給:クロックワークス
光州事件は悲惨な話でした。さてこの映画は?
映画全編に渡って時々挿入される当時の写真・動画の方がこの事件や、前後の政治状況ををよく写して緊迫感がある。肝心の映画だが「再現フィルム」以下の出来てガッカリ。まあ評価出来るのは立てこもった反乱勢力も武装していたのをちゃんと描いている。非武装の反乱勢力を一方的に虐殺する「ウリナラファンタジー」映画もある中で事実を描いている。鎮圧軍の描写もそれなりにされている。残念ながら相変わらずの韓流ご都合主義の脚本にはウンザリさせられたが。
光州事件を語るとき鎮圧軍側の証言が少ないことが気になる。勿論かの国のことだから「証言」等すればたちまち事後立法で悲惨な目に遭うから沈黙を余儀なくされているのだろうが、鎮圧軍側の兵士も還暦を過ぎている現在、ウリナラ御都合史観でなく、ちゃんとした史的検証に足るルポタージュ、映像化を国家の手でしてほしい。そういうルポタージュ、映像作品が既に有ればこの場で教えて欲しい。まぁ御都合史観の教育を受けている韓国人に言っても、ないものねだりだが、歴史の都合良い改竄はそろそろ止めて頂きたい。光州事件の映画としては皮肉にも1980年代後半に早くも作られた、「五月 夢の国」が、本作同様低予算だったが今でも1番出来が良いと思う。
低評価が気になってましたが見ておいてよかった
韓国の近代の歴史を描いた作品は多く、本作の宣伝でも使われていた「ソウルの春」や、まさに同じ光州事件を描く「タクシー運転手」などを筆頭に名作は数知れず。
本作はそれらに比べれば、韓流スターが数多く出ているわけでもなく、話のスケールも小さいものです。おそらく予算規模も比べ物にならないほど少ないでしょう。
とはいえ市井の住民の視点から捉えた「光州事件」として、主要登場人物を二組の家族に絞ることで、権力の暴走が国民の生活にどれほど深刻な影響を与えるかをより具体的に描き切っています。
その点において本作は他の作品に引けを取るものではなく、心に刻んでおくべき作品の一つとして捉えています。
市井の一家の悲劇
雑な映画。
光州事件に巻き込まれる町中華家族を描く。ところどころに当時のニュースや記録映像がインサートされるけど、雑なストーリーよりもはるかに緊迫感があり、むしろドキュメンタリーだけの方が良かった気になった。フィクションならもっと事態が緊迫しエスカレートする様に描けたはずがあまりにステレオタイプな登場人物しか出てこない。
韓国映画にはガツンとした物を期待してしまうけど空振り。
光州事件を描いてもいい映画になるとは限らない
光州事件を題材にした映画となると、やはり「タクシー運転手」を思い浮かべてしまう。それくらいにいい映画だった。だから、同じ題材を扱った映画となると、どうしても比べてしまって評価基準が厳しくなる。
そうだとしてもちょっとひどかった。舞台として映し出されるのは、中華料理店(といってもほぼジャージャー麺屋だけど)周辺だけ。街中や国全体の状況は、ドキュメンタリーのような過去の映像や画像に頼るだけ。あのお店の家族に起こる悲劇がメインになるのは仕方ないとは思うが、あまりにも唐突だし説明不足感が拭えない。ものすごい悲劇なのにこれでは気持ちがついていかないよ。少しは泣いてしまうかもと事前にしていた心の準備が全くの無駄になってしまった。
軍人や学生、活動家の描き方もステレオタイプでちょっと嫌な感じ。そもそも隣人に軍人家族を設定するあたりも気に入らない。話の展開でもいろいろと気になることが多い。ピエロの格好していた長男のことを誰も気づかないのか?とか。まだ結婚していない女性なのに、なぜ夫になる予定の家族が喪主になって葬式するんだ?彼女の両親はどうした?とか。なぜ隣人の夫(軍人)は家族をもっと安全な場所に移動させないのか?とか。あの子どもたちのくだりも個人的には余計だった気がする。最後の方はやはり悲劇的な結末が待っているのだが、その描き方もかなり雑だった。
とても悲劇的な事件を題材にしても必ずしもいい映画になるとは限らないということだ。
チョルスとヨンヒは光州のロミオとジュリエットか
『1980僕たちの光州事件』ーーこの邦題にはずっと違和感がありました。日本語は一人称の種類が豊富ですが、「僕」というのはどちらかというとナイーブめの男(の子)が使うイメージがあります。その一人称複数所有格(?)の「僕たちの」の後に、なぜ、あの韓国史における大きなタブーのひとつ、権力による民主化運動の弾圧という忌まわしい出来事をもってくるのかと疑問符がとびました。言葉の組み合わせとして「僕たちの青春」とか「僕たちの未来」とか「僕たちの新婚生活」とかだったら、それなりにおさまりがよいと思うのですが、よりによって「僕たちの光州事件」とは? 日本の新作に「僕たちの地下鉄サリン事件」というタイトルをつけたら、けっこう違和感があると思うのですが(ちなみに原題は”1980”)。
ということで、本篇を見てまいりました。邦題の件は納得はしておりませんが、ははーん、ここから来たのかというのは分かりました。物語の中心には中華料理店の一家がいるのですが、そこに店主の孫であるチョルスという小学生の男の子がいます。この子の視点を重視して「僕」、そして隣の家には美容院を営む母と暮らすヨンヒという、チョルスの幼なじみで同級生の女の子がいるので、「僕たちの」となったのではないかと思います(複数形になったのは家族まで含めてのことかもしれませんけど)。なお、チョルス一家の中華料理店とヨンヒ一家の美容院は長屋みたいな構造になっているらしく、ふたつの家族は文字通り、ひとつ屋根の下で暮らしています。
物語は、歴史を示す数枚の白黒写真を見せた後、光州の街に新規開店した中華料理店のシーンから始まります。ここ、後半とのコントラストをくっきりとさせるために、たぶん狙ってそうしているのだと思いますが、少し古めのホームドラマ風、または下町人情モノ風のつくりになっていて、ちょっと郷愁を誘います。この監督、日本の山田洋次監督のファンなのでは、とちらっと思いました。
やがて、運命ともいうべき歴史の大きなうねりは仲のよかったふたつの家族をも飲み込んでゆきます。チョルス、ヨンヒ、それぞれの父親の立ち位置が両家をモンタギュー家とキャプレット家のようにしてしまいます。チョルスもヨンヒも、それぞれの家族のメンバーも、この流れには抗っても抗いきれませんでした。
昨年、この光州事件に先立つ、いわゆる粛軍クーデターを扱った『ソウルの春』を見て感銘を受けました。映画のデキ、完成度としては『ソウルの春』のほうがはるかに上だと思いますが、個人的にはこっちのほうが好きかな。ただし、邦題に納得がいかないので星半分減点です。
《追記》
邦題の件、上記に記した違和感はあくまでも鑑賞前のものなので、本篇を見た上での納得感のなさはまた別種だと気づきました。本作は光州事件を真正面から描いたものではなく、それに巻き込まれた市井の人々を描いています。よって、邦題に光州事件をまるごと入れてしまうのはちょっと違うかなという感じです。代替案としては『1980光州家族』『1980光州 ある家族の肖像』『1980光州 引き裂かれた記念写真』あたりかな。
日本では現代史の映画が無い。
韓国では 最近だけでも 全斗煥、金大中など 現代政治史の映画が有るが
わが国ではない。 角栄とか やってほしい。
光州事件を 現地 広州の 中華調理店を経営する一家の目線で 描いた。
巻き込まれ、 対立し。
日本の戦後と 韓国の戦後の 歩み方の違いを 感じた。
予告がピーク
チャジャン麺専門店?
「ユーモア」ってあったかな?
作品紹介に「時にユーモアを交えて」と記載されていたけど、自分には「えっ?どこが?」って感じだった。
光州事件に関する作品は観て来たので、本作品にも興味を持ったけれど、少し残念。
「ごく普通の家族」を中心にストーリーが展開されるが、この家の長男がポイント。姿を隠している長男の存在により、もはや「普通の家族」ではない。
ラストのシーンにも疑問。
何故、あの夜にチャジャン麺を配達したのか?
無謀な行動だとは思わなかったのか?
作品の感想ではないが、俳優2人のヘアスタイルが変わった野は何故?
チョルスの叔父さん(あの家年次男)が軍の拷問から解放されて帰宅した時、髪がスッキリしてた。
それに、チョルスの幼馴染のヨンスが途中からボブになってた。美容師の母親がカットした?
韓国現代史上最大のトラウマ
韓国現代史上最大のトラウマを正面から、それも光州に根付いた一家という内部の視線で描く。
「タクシー運転手」との最大の違いはそこで、光州市民の視点で見えることもあり見えないこともあり、市民の立場も軍(兵士)の立場もあることを前提に、それを痛みすら感じるようなミニマルな視点に徹底して描くこと。それが本作の意義なんだと思う。
舞台劇の翻案なのかと思うほどに舞台も登場人物もミニマルだったがどうもそういうわけではなさそう…
訳の分からないまま巻き込まれ、望まぬ対立を強いられざるを得なかった国民の視点は、チョルスとヨンヒの二人の子供たちが担っているあたり、なかなか上手い作り。
そして随所に挿入される当時の映像フッテージと客観的なコメントも相まって全斗煥への激しい怒りが今も生々しく伝わってくる。その辺りは「ソウルの春」も観て知っていただきたいところ…
出演者陣もそれほど著名ではないものの、確かな演技を見せてくれる。ただ、ハッピーエンドとはいかないので、そこはご理解の上で是非ご覧いただきたい…
時代の嵐が吹きすさぶ街(by白竜)
1980年5月に韓国で起きた光州事件を市井の人から描いた作品といえば、実在の人物をモデルにした『タクシー運転手〜約束は海を越えて〜』があるが、本作は中華料理店を経営する架空の一家が主人公。軍事政権に抗議する者を「アカ」として弾圧する戒厳軍は、その矛先を一家にも向ける。そして、実はその一家の隣に住んでいる3人家族が…というのがポイント。
ここでいう「アカ」とはソ連ならぬ北朝鮮シンパを指すが、実際にデモを行い銃を手に取ったのは民主主義を掲げた学生や市民達だった。にもかかわらず、韓国では未だにアカによる陰謀説を信じている者も少なくないという。これも一種のフェイクニュースがもたらした悲劇といえる。
どこをどう切り取っても空虚しかないこの事件ゆえに、登場人物達が辿る運命も救いがなく、観ていて鬱屈する。韓国映画を評する度に添えてきた文言「観る者をダウナーな気分にさせる映画を作らせたら右に出る国無し」は、本作でも発動していた。その一方で、過去の汚点を“なかった事”にせず真正面から描ける映画製作の度量の広さも改めて垣間見た。
ただ、やっぱりそれでも繰り返し観たいとは思わない。観直したくなるならエンタメ要素を残していた『タクシー運転手』の方だし、ついでに言えば白竜の「光州City」を聴きたくなる。
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