ノスフェラトゥのレビュー・感想・評価
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えっ、そっち??
1922年の「吸血鬼ノスフェラトゥ」は観たことがないが、ヴェルナー・ヘルツォーク監督、アジャーニの「ノスフェラトゥ」(日本公開は'85)は観ているが、いわゆるド真ん中のものはあまり関心がなかった。漫画「怪物くん」のクラシックモンスターは茶化されるキャラクター設定が当時ガキだったオレにとっては、恐怖の対象にはなりえなかった。
吸血鬼もの、というと、オレらの世代だと、なんだろう。コッポラの「ドラキュラ Bram Stoker's Dracula」('92)、クルーズの「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」('94)、「フライトナイト」、変わり種で「スペース・バンパイア」('85)といったあたりが思い出深いが、その象徴は共通して、「エロス」。
ノスフェラトゥ、の意味とは一説によると「不浄な者」、「病を含む」などあるらしいが、まあ、そういうことは映画を観れば、おおよそのことはその解釈でよいが、不浄に性的な意味をもたらせば、ふしだら、みだら、といったことになるだろうし、オレはそういうジャンルだと思ってみている。「エロス」がなければ、ゾンビもの。
だが、そのジャンルよりも本作を上半期最大期待作とさせるのは、あの「VVITCH」で鮮烈デビューを飾ったロバート・エガース。しかし、そのデビュー作から、ちょっとずつ、明らかに作品の評価が下がってきているのだが、本人、オリジナルに憧れ、長年の思いを込めたらしい。
「ノスフェラトゥ」
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エガースの前作「ノースマン 導かれし復讐者」(’23)は土着嗜好にこだわりの映像に評価はするが、話が全然面白くなく、豪華俳優陣も紙芝居的演技。期待した分、落胆も大きかった。で本作。
序盤のデップの祈りが「VVITCH」の続編か!と思わず膝を打った。ちゃんとエロスを感じさせるオープニングに喜んだのもつかの間。
前リメイク版(オレの場合、ヘルツォーク版)と大筋は変わらないのだが、シンプルな話をもったいぶった映像とコテコテCGでまぶしていく手法にうんざり。
禍々しさや妖しさが足りない一方で影絵な演出もあって、ギャグかと思った。
衣装に至っては、本当にその良さが暗さのせいで台無し。ゴシックホラーって全編真っ黒だったり、無意味に照明を使わない手法がそうだ、と言わんばかりの撮影にイライラ。ほんと、アカデミー賞ノミネートって信じないほうがいい。
一方の演者の方も、残念。
デップには荷が重い。顔芸と屈伸振動運動と広いオデコしか印象にない。やればやるほど、「エクソシスト」('73)のパロディか、と。オレと同じ世代の観客は「ノスフェラトゥ」が「エクソシスト」をパクったんじゃねえか、と思ってしまうから、要注意。っても「エクソシスト」もクラシックで、まあ、どっちがパクろうが、どっちでもええがな、ということなんだけど。(「エクソシスト」の「悪魔」はまあ、パクってるし、自己犠牲もそうかな。)
でもこの役、難しいよね、ネズミの大将が、子分(と疫病)を連れて、ヤリに行く相手なのだから、それほどの女かとみればオデコしか目に入らなくなる。
ネズミがわんさかくるのに、デップとデフォーのそばにいる猫は、善の象徴なのかもしれないが、実際何の役にも立たない。
ホルトは素晴らしき「悩める男」(オレは勝手にクルーズの後継者と思っている)も画面が暗いこともあり、その良さが発揮できていないように見える。(どうせなら、ヘルツォーク版の如くレスタト誕生をやればよかったんじゃねえかとも思ったりして)。デフォーも今回は取り立てて言うことなし。
そして、個人的期待のエマ・コリン。「チャタレイ夫人の恋人」(’22)でドキドキいただき、「デッドプール&ウルヴァリン」で大物2人をクッた彼女。
「えっ、そっち?ブラムストーカー原作側の方じゃないの??(ストーカー原作よりだと、ムフフ)」とゲスいオレは、ショック&ガッカリ倍増。
で主役のスカルスガルド。旧「ノスフェラトゥ」のハゲ、ネズミ出っ歯にすると、ペニーワイズまんまになってしまうので、どうしてこの人にキャスティングしたんだろ?と思いながら、その姿がはっきり見えたとき、「えっ、そっち??」
エガースはあれかな、あっち側の人なのかな。別に構わないんだけど、ハゲひげマッチョだとそう見えてしまうのは、すまん。偏見だと思うが、そうすると、いわゆる男性目線の「エロス」は興味がない、控えめになっても仕方ないのかもしれないが。
その姿を「あえての」悪の象徴(病の象徴)とするのであれば、「忌み嫌っているか」、デップのように「自己犠牲」をもって、悪と向き合う(抱き合う)のか、どちらとも取れそうだが、たちが悪いのは、冒頭邪悪なものを招き入れ(あるいは無理やりに襲われた)、そのトラウマを抱えて生きてきた主人公が、「(夫への)愛は世界を救う」と言いながらも、結局そのトラウマの相手としか満足できない、という「低俗な」結末にもとれることだ。
これでは、「エロス」を描きようがない。
だが、もはやオレにはどうでもいい。
追記
本作、双子の子供が「VVITCH」に続いて出てくるんだけど、本作でも容赦ない。興味深いな、エガース。
タイトルなし(ネタバレ)
大好きなロバート・エガースが吸血鬼映画とゆうことで制作情報聞いた頃からオリジナル版も観たり、吸血鬼映画を未漁ったりして楽しみにしてたのですが
見終わったあとは、けっこう咀嚼が必要…とゆう感想でした。
期待通り、グロいし、ハードだし、ゴシックだし!なんだけど
1番受け取り方が難しく感じたのは、扱いが大きくなった(ほぼ主役!)エレンを性被害者として描き、オルロック伯爵を性加害者として、そして2人の間に絆があり、それは加害者からのグルーミングでもあるが
女性が抑圧され女性の性欲が不可視化されていた時代において開放でもあるように描かれているように見えるのだけど結局は出発が性被害なので、
どう受け取っていいのかと複雑な気持ちになってしまった。性被害者への誤解を深めかねない表現だとも、受けとれてしまうんでは…と日本の性加害への寛容さ(皮肉です)を考えるとなかなか複雑な気持ちに。
とはいえ、惚れ惚れする様な衣装や
オルロック伯爵の醜悪なビジュアル、エクソシストっぽい展開や、癇癪症として抑圧された女性の扱いと、デフォーの解決力の高さそうなフランツ医師がかっこいい!となりテンション上がりました。
それにしてもニコラス・ホルトの不憫な役へのハマり具合はもはや名人芸の域だと思ってる。
リリー・ローズもニコラス・ホルトもガイコツっぽい美形なので100億点のビジュアル。ロバート・エガースは役者を王道使いするのも好きなポイント。
次回作もロバート・エガースの作品が楽しみ!
悪夢的な映像美
ドラキュラ映画の元祖と言われるF・W・ムルナウの古典的ホラー「吸血鬼ノスフェラトゥ」を現代的なアプローチでリメイクした作品。
物語の大筋はほぼムルナウ版の「吸血鬼ノスフェラトゥ」と同じだが、細かな部分まで突っ込んで描かれいて、オリジナル版よりも深みのあるドラマに仕上がっているような気がした。
上映時間の違いもあるし、オリジナル版はサイレント映画なので単純に比較はできないが、現代風にアップデートされた”ノスフェラトゥ”という印象を持った。
例えば、エレンの苦悩はオリジナル版よりもじっくりと煮詰められており、それによってクライマックスの彼女の”選択”には説得力が伴ったように思う。
エレンを演じたリリー=ローズ・デップの熱演の賜物もあろう。特に、後半はもはや悪魔憑きと言わんばかりの怪演で周囲をカオスの渦に巻き込んでいく。正に体当たりの演技である。
ただ、シーンによっては間延び感が目立ち、若干テンポが悪いという印象も持った。じっくりと描くべき所と軽く流す所。そのバランスを図ればもっと観やすい映画になったかもしれない。
尚、本作の前にヴェルナー・ヘルツォークも「吸血鬼ノスフェラトゥ」をリメイクしている。そちらもオリジナル版を踏襲しているが、本作よりもコンパクトにまとめられている。ちなみに、ラストがムルナウ版と少し異なっており、ある意味で野心的な作品となっている。
製作、監督、脚本は「ウィッチ」、「ライトハウス」のロバート・エガース。氏にとって今回のリメイクは長年の夢だったらしく、オリジナル版には相当強い思い入れがあったのだろう。それは画面の端々から感じられた。
ムルナウ版はドイツ表現主義の傑作として名高いが、その最大の特徴は強烈な陰影演出にあると思う。本作にもそうした明暗のコントラストを利かせたビジュアルが各所で確認できる。
例えば、暗闇からエレンの白い顔が浮かび上がってくる映画冒頭のシーン、トーマスが森の中でオルロック伯爵が差し向けた馬車に遭遇するシーン等は、神秘的で悪夢的な映像美に引き込まれた。
また、終盤の不気味な影の演出などはオリジナル版をかなり意識していることがよく分かる。ノスフェラトゥと言えば、あの長い爪が印象的だが、そのシルエットがエレンに襲い掛かるスリリングな演出は白眉であった。
もう一つ、本作はプロダクションデザインの仕事ぶりも特筆すべきで、作品世界を見事に盛り立てている。オルロック伯爵の城はゴシックムード満点であるし、19世紀初頭の空気感を再現した町並みも、CGを駆使しているのだろうがクオリティが高い。
全体的に陰鬱なトーンで統一された画面が続くが、このあたりはエガース監督の映像感性だろう。寒色トーンはこれまでの作品から一貫しているように見える。メリハリに欠けるという印象もあるが、今回はそれも計算してるように思った。実際、クライマックスはそれまでの”暗”から見事に”明”に切り替わり、ドラマ的にもカタルシスを生んでいる。
キャスト陣では、オルロック伯爵役でビル・スカルスガルドが出演している。前半は顔のパーツのクローズアップや暗い影に覆われて表情がまったく見えない。中盤からようやくその全貌が露わになるのだが、そのビジュアルはかなりモンスター感が強く、彼が演じていることが分からないくらいである。オリジナル版の怪異性、ヘルツォーク版の人間臭さが後退しており、これも時代に合わせたアレンジだろうか。
また、エガース作品の常連ウィレム・デフォーがエレンを救うオカルト学者として登場してくる。少し軽妙な役作りが絶妙なアクセントとなっていて面白かった。
彼は、ムルナウのノスフェラトゥが本物の吸血鬼だったら…という架空の映画「シャドウ・オブ・ヴァンパイア」でオルロック伯爵に扮した怪優マックス・シュレックを演じていた。聞けば、本作も当初はデフォーがオルロック伯爵を演じるという話があったそうである。そんな裏話を知ると本作は更に楽しめるかもしれない。
ノスフェラトゥ
好みじゃないけど凄い
何か昔の時代(ザックリ…)とか、吸血鬼とか
ぶっちゃけ自分は全く魅力を感じない!めちゃ興味ない!
でもライトハウスとか前回のバイキングのやつとか
この監督の映画はいつも凄みがあって
見たことの無い絵とイカれたウィレム・デフォーが観れるので
興味ない題材だけど観てみた。
そして観てみると、やはりそんな自分が観ても
美術の作り込みや、監督の「これがたまらないんだよ!」という思いの伝わる印象的なシーンがいくつも記憶に残るので
本当に凄い作品だと思う。
リリー・ローズ・デップは、この役は彼女以外考えられないってほど素晴らしかったし
ノスフェラトゥもキモくて怖くて意味不明で良かった。
特に死に方の描写が面白くて好きだった。
ただ話の展開としては迷惑女が迷惑吸血鬼を呼んだせいで
みんな大迷惑すぎてドン引きだし展開には意外性がない。
ラストも責任取るべき人が責任とった感じで
そりゃそうだろって感じ。
全体的に隅々まで細かく描かれていて上手だけど
緩急がなくどこを見ていいのかわからない絵画みたいだった。
だけど監督の次回作も結局観に行っちゃうんだろうなぁ笑
映画の本質を見た、感じかな
ブラムストーカーのドラキュラを随分昔に読んだ。
そのあやふやな記憶をたどってみると、ホラーというより、上質なミステリーという印象が残っている。
男性は紳士で、女性は淑女。もちろんドラキュラも紳士である。時代を感じさせる冗長さも心地良い読み心地であったと思う。
これが映画となると、相当に力の入った、おどろおどろしい映像作品になっている。音楽も効果的で、存分に恐怖感を煽ってくれる。
映像の強みを存分に生かすためには、そうするしかなかったと思うし、それは間違いではない。
お決まりの女性の首筋にかみつくのではなく、心臓のある胸にかぶりつくというのも、斬新というか、サービスショットというか、エロさは全くないけど、おおっと思ってしまった。
話しの展開はやや、強引過ぎて、?と思うところもあるけど、それは2時間の尺しかないのだから、目をつむるべきであろう。読破するのに、12時間以上はかかるのではと思う、原作にはとうてい及ばない部分があるのは仕方がない。
でも、それを補って十分な映像と演出を楽しむことができたと思う。
満足です。
ただ、最後はあーいう結末だったかは記憶があやふやでちょっと気になる。原作を再読してみようと思う。さて、何時間かかるかな。
古典だし
リリー=ローズ・デップの顔芸が秀逸!
ロバート・エガース監督の前作
『ノースマン 導かれし復讐者』のビジュアルの質感が好きで
本作も楽しみにしていた。
それのみならず、吸血鬼🧛ネタが好みでもあるため
自分自身としては必見の映画だ。
エレン(リリー=ローズ・デップ)の夫、
トーマス(ニコラス・ホルト)が不動産の契約のため
オルロック伯爵(ビル・スカルスガルド)の城を訪れ
騙されて妻を手放す契約書にサインをし、その後、
城から脱出するためにあれこれするところまでが、
実にスリリングで面白い。
オルロックすなわちノスフェラトゥのビジュアルも
見えそうで見えないあたりもいい感じなのだ。
中盤以降は、ノスフェラトゥに操られるトーマスの雇い主
やエレンの顔芸がオンパレードでなかなかに疲れる(笑)
そして、劇伴がだいたい鳴りっぱなしなのも疲れるし、
たびたび驚かされるのも疲れてしまうという
ザ・ホラーなつくりなのだが、今では相当に新鮮味を欠く
演出に感じた。
ラストは吸血鬼らしい倒され方ではあるが、
エレンの一人勝ちというか、もはや救世主だ。
ウィレム・デフォーが良い役というのも、
違和感があってよかった(笑)
この人がいい人を演じた作品をほとんど見たことがない
ので、このキャスティングは新鮮だった。
めちゃめちゃ期待して観たけど、
期待通りなのはビジュアル。
あとはちょっと物足りなかった。
でもこうやって吸血鬼作品がつくられるのは嬉しい。
『アビゲイル』のような新鮮な作品に期待している。
最恐の契約シーン!!
シネクイントで視聴。
1922年版未視聴のニワカです。
ホラー味が強い今作。
とにかく映画全体で彩度を絞って、前編ほぼモノトーンな画面作りに。
特に映画見所は前半!
夫が伯爵の城へ向かうシーンから脱出までが恐ろしい。
宿でのジプシーの不遜な歓迎からの嘲笑で掴みはバッチリ。
そして、城に到着してからの、伯爵との会話(脅迫)シーンが白眉。
伯爵の顔を全然見せないまま、”契約書”にサインするまでが恐ろしい。
王道だけど、顔を隠したり低音の呼吸音でめちゃくちゃビビらされる。
あんな空間にいたらサインしちゃうよね🤮
正直後半は結構間延びしてるけど、
主役のリリー=ローズ・デップの体を張った演技は注目。
トランスからの白目を剥いて◯◯◯するシーンよ。
コッポラ版が好きなので、もっと叡智なシーンとか戦闘シーン盛り盛りを期待したが、まあテイストが全然違うよね。
デフォーがもっとバンバン銃とか撃ってもいいのにw
とはいえコレはコレで全然アリ!
ずっと鳴ってる
ホラーは苦手。ひとりぢゃ観れない。
でもこれはそんなあたしでも『絶対に映画館で観るべき映画』だと直感したから付き合ってもらって観賞。
結果、美し過ぎ……圧巻……
観終わってまもなく24時間が経とうというのにまだ考えがまとまらない。でもまとまる気がしない。だから雑でも書く。
息を呑むほどのゴシック・ホラーの建造美。
白と黒とくすんだ淡い藍色のコントラストが見事で。
トーマスが馬を無くして途方に暮れてる時に差し掛かった十字路のシーンの完璧さ。
あたしの理解では、これはトーマスとエレンの愛の物語。
愛する人を守るため、自己犠牲をも厭わない大きな愛。
オルロックは愛を知らないという。
エレンも伯爵に愛が分かるわけがないという。
それなら二人が結ばれたのはどうして??
愛ではなく執着??
愛してやまないウィーンミュージカルの『エリザベート』ではエリザベートがトート(=死)に愛されてしまった運命を辿る物語。『死神』にではなく『死』という概念に愛されてしまった(≒取り憑かれてしまった)悲しくも儚い物語。似て非なるものではあるけれど、今作『ノスフェラトゥ』でも観ていてそれを思い出した。
考えが纏まらないのは『愛』と『性』と『生』と『死』のベクトル。孤独を抱えた少女エレンが読んでしまったのは彼、ノスフェラトゥ。血を吸われているのか、息を止められているのか、何をされているのか見えないけれど、やたらと短く漏れる吐息が喘いでいるようにも聴こえて………やっぱりそーゆーことたったのかー!と納得。でも当時の交わりと今改めて伯爵がエレンと交わりたいと願う気持ちは当時のそれとは違う気がする。
うーん、まとまらなくて残念。
とにかくウィレム・デフォーが最上級の隠し味🌀
ゴシックホラー
温故知新ホラー
多くのホラー作品に影響を与え、ルーツとも言われている1922年製作のF・W・ムルナウ監督の「吸血鬼ノスフェラトゥ」を、自身の幼少期に多大な影響を受けたと公言している「ライトハウス」「ノースマン」のロバート・エガース監督がリメイクした。
ムルナウ作品のストーリー、設定、展開をほぼ踏襲しているため、ストーリーや設定の古さや不自然さを指摘する声が多くあまり評判が良くないが、個人的にはロバート・エガースらしい作品でかなり楽しめた。おそらく「ライトハウス」的なダークで変質的な世界観を受け付けない人には向かない作品で、好き嫌いが分かれる作品であろう。
不動産業のトーマス・ハッター(ニコラス・ホルト)は、自身の城を売却しようとしているオルロック伯爵(ビル・スカルスガルド)のもとへ出かける。トーマスの不在中、新妻であるエレン(リリー=ローズ・デップ)は夫の友人宅で過ごすが、ある時から、夢の中に現れる得体の知れない男の幻覚と恐怖感に悩まされるようになる。時を同じくして、トーマスやエレンが滞在する街にも、さまざまな災いが起こり始める。
ロバート・エガース監督はサイレント映画であった元作を最新の音響、オルロック伯爵の怪物的造形、ゴシックホラーにかかせない重厚な19世紀ヨーロッパの街、幻想的なVFXで現代にアップデートした。自身が敬愛する過去の名作を当時の技術や条件で表現できなかった部分を現在の技術で理想的な形にリメイクするスタイルは庵野秀明監督の創作の指向性に近い。
作品のキャッチコピーに”ゴシック・ロマンスホラー”とあるが、高圧的な男たちからの支配愛と安らぎを与えてくれる夫からの抱擁愛に揺れ動くエレンの動向が観どころとなっている。エレンを演じたジョニー・デップの娘、リリー=ローズ・デップの怪演が見事。
マニアックでダークな面と愛憎劇的なエンタメ面がうまく調和しており、ロバート・エガース監督の新境地と言える。
Nothing
ロバート・エガース監督作品は「ライトハウス」「ノースマン」の2本のみ鑑賞済みですが見事にどちらも相性が悪く、今作はリメイク的立場だし大丈夫だろうと思って観ましたがそう甘くはありませんでした。
ストーリーに起伏がないのでどうしても盛り上がりに欠けてしまい、その分美術で良さを見せようとしているとは思うんですが、ストーリーが飲み込めない分美術も頭に入ってこないというジレンマが発生してしまっているというなんともいえない状態になっていました。
ジャンプスケアの乱用はやはりキツかったです。
そういう飛び道具を使うような作品でないだろうなーと思っていたのにガンガン多用していきますし、それを面白がって使っているようにしか見えずで悪印象でした。
シンプルなテーマのはずなのに脚色しまくった結果2時間超えの上映時間になってしまったのも印象が悪かったです。
オリジナルを観ていないので比較するのもアレなんですが、かなり長い時間伸びているので、監督なりのエッセンスを詰め込んだ結果どえらい伸びたと考えるのが無難でしょうか。
それなのにラストシーンはとてつもなくあっさり…。んーこれはとても残念なやつでした。
装飾や衣装は美しかったんですが、割と画面が汚い(乗っ取り乗っ取られの影響で)のが邪魔していた気がしました。
こればっかりは好みです。
相性の悪い監督ってのは確実にいるんですが、どうにも観てきた作品全部合わないとなると困ったもんです。
次回作ではどうなるのか、乞うご期待。
鑑賞日 5/29
鑑賞時間 19:40〜21:55
伝奇映画のストロングスタイル
こんなにシンプルなゴシックホラーが最新映画が作られる、なんて絶対にないだろうと思う。
正直、シーンと相対する相手ごとに態度とセリフを変えるエレンというキャラクターは意味不明だ。化物に魅了され、夫を愛し、親友を困らせ、親友の夫に罵声を浴びせる様子は見ていて不愉快極まりない。
観ていて「この話はどっちに進むんだ?」と混乱してしまった。
オカルトがバンバン登場しているのにそれを受け入れず人々は混乱するばかりだし、エレンは言動がめちゃくちゃだし。しかも、満を持して登場した化物の専門家(ウィレム・デフォー)はほぼ役に立たない。
せめてノスフェラトゥが美形だとか同情できるバックボーンがあればあのラストに納得できると思うのだが、純粋なクリーチャーなのでそれも出来ない。古典ってこういうものだよ、と言われればそれまでなのだが。
ただ、とにかく映像は美しい。特に、トーマスが馬車に乗って進んだ先に古城があるシーンは、ポスターにして売ってほしいとすら思った。
映像は良かった
「吸血鬼ノスフェラトゥ(1922)」という映画がある事を知らず...吸血鬼映画と聞いて改めてブラム・ストーカーを読破してから映画のあらすじなど予備知識を入れず鑑賞しました。
正直原作を読んでから観ると、キャラクター名と設定の違いに大混乱です笑
元々1922年版は非公式に映画化したとwikiに書かれているので、それが理由で大きな改変を入れたのでしょうか。
正直、吸血鬼映画というよりエクソシストに近いなと...個人的に観たいと思っていた吸血鬼映画とは程遠かったです。
原作ファンかつ純粋な吸血鬼映画を観たい方は、ヴェルナー・ヘルツォーク監督によるリメイク版『ノスフェラトゥ(1978)』をオススメします。
キャラクター名も設定も小説寄りなので。
ただ、本作品は映像や衣装などの美術が綺麗だったのでそこは気に入っています。
1922年の映画も配信があれば観てみようかな。
ムルナウは未見、ヘルツォークはかつてVHDで観てるはずたが、と思っ...
リー=ローズ・デップの倒錯し複雑な演技が素晴らしい。ゴシック・ホラーの世界観が見事。デフォーもぴったり。
大変立派な古典主義的映画
「ウィッチ」、「ライトハウス」で独特の世界観を放つロバート・エガース監督が、あの「戦艦ポチョムキン」や「メトロポリス」に並ぶ1922年製作の古典サイレント映画「吸血鬼ノスフェラトゥ」を、1978年ヴェルナー・ヘルツォーク監督によるリメイク版に続いて再映画化するということでとても楽しみにしていた。
1922年版の「吸血鬼ノスフェラトゥ」はウィリアム・ストーカー原作の"吸血鬼ドラキュラ"の非公式な映像化作品であった。その後、原作者の妻に著作権侵害で起訴されネガの多くが破棄されたりと色々あったが、悪魔の呪いで不死身となったオルロック伯爵のごとく何度も蘇った映画である。
また、ドラキュラ伯爵は悪魔の呪いを受けた吸血鬼(ヴァンパイア)の中のとある1人を指す名称で、マントにつり目に牙というアイコニックなイメージが定着したのは1931年のトッド・ブラウニング監督による「魔人ドラキュラ」が、そのポスターアートと共に世界的に大ヒットしたことによるものと言われている。
「魔人ドラキュラ」の製作にあたり脚本家達が1922年版「吸血鬼ノスフェラトゥ」を研究していたというのが面白い点だ。
原作の公式な映像化である「魔人ドラキュラ」でさえ引用元にしてしまう1922年版"吸血鬼ノスフェラトゥ"こそがあらゆる吸血鬼もの、ドラキュラ系ホラー作品の聖典となっているということである。
本作「ノスフェラトゥ」は若きロバート・エガース監督による、まさにその聖典の研究・思いが込められた渾身の映像化と言って良い作品だ。
監督のインタビューでは、思い入れが強すぎたのと古典映画である"ノスフェラトゥ"を再び映画にするのはもっと先(新人監督の身である今ではない)と思っていたそう。
しかし、蓋を開けてみれば格調高い立派な古典主義的映画になっており、実際、美術や衣装・撮影でアカデミー賞ノミネートという評価もされており大したものだと思いました。
撮影もオルロック伯爵の住む城はルーマニアにあるコルヴィン城という実在する城であり、作中に出てくる狼やネズミも多くのシーンで本物というこだわり。1922年版よりも立派な城になっている。
エレン役は当初は「ウィッチ」に引き続きアニャ・テイラー=ジョイを予定していたが、Netflixドラマ「クイーンズ・ギャンビット」でバカ売れしてしまい色々ゴタゴタがあり降板。ジョニー・デップの娘であるリリー=ローズ・デップが抜擢。これがバッチリハマり役であり、鬱々とした雰囲気や悪魔に取り憑かれた雰囲気、そしてエロスと素晴らしい演技であった。
サイレント映画である「吸血鬼ノスフェラトゥ」には存在しない情報である"音"へのこだわり、オカルト映画としてのディテールに溢れた美しいホラー映画になっていた。
ストーカーの原作でドラキュラ伯爵の討伐を目指すヴァン・ヘルシング教授は本作「ノスフェラトゥ」ではフランツ教授と名前を変え、ウィリアム・デフォーが演じている。
(ちなみに原作のヴァン・ヘルシングはその後数々の派生作品でモンスターハンターとして名を馳せ、2004年のスティーブン・ソマーズ監督によるハリウッド映画「ヴァン・ヘルシング」でX-メンのウルヴァリンのイメージそのままにヒュー・ジャックマンがヴァン・ヘルシングとなり数々のモンスターを殴り殺していたのがピークであろう。)
美女の生き血を吸うといわれているオルロック伯爵(ドラキュラ伯爵)は本作ではより悪魔的な憑き物としての扱いをされていたのが興味深い。とくに「エクソシスト」からの引用や「悪魔と対峙するには、まずその存在を認めることだ。」という台詞がまさにそれ。
そしてオルロック伯爵自身も単なるモンスターではなく、悪魔に魂を売った貴族の1人であったということや、実は美女の生き血を吸っていたのではなく犯して殺していたなどのディテール、エレンもまた社会からの疎外感から悪魔的なものに魅了されていた等、ロバート・エガース監督により更なる深掘りをされている。
巨匠監督によるリメイク版のような風格で好きだ。ただ、監督自身の言う通り、彼が本当に巨匠監督になった時の熟練度MAX版"ノスフェラトゥ"も観たかったなと思ってしまった。
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