8番出口のレビュー・感想・評価
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相手は小松菜奈さんで間違いないですか?
日本ではトップクラスのヒットプロデューサーである川村元気氏と、これまた才能あふれる脚本家平瀬謙太朗氏が仕掛けた「ヒット」間違いなしの企画からの映画。初日から長蛇の列のがあったとの報告と受け、実際公開3日間で興収9.5億円を突破、2025年公開の実写映画で1位を獲得。
原作ゲームはやったことはなく、本作の「説明がしっかりされている」らしいノベライズも手にすることなく、「ヒット」しているということだけだと、全く興味のないタイプの作品だが、割とうるさ型の有名評論家、youtuberが絶賛している。
ゲームの世界観とそこに迷い込んだ男の人生の「選択と決意、父になる」の物語らしく、ノベライズもはっきり言語化しているらしい。
8番出口
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主人公二宮はオープニングで、スマホで戦争か災害のニュースをザザっとスワイプし、ちゃんと読んでるのか、ふりをしているのか、よくある車両入り口に陣取る。
直接経験したことはないが、サラリーマン退勤時のラッシュアワーの地下鉄に、乳児を抱いた母親が乗っており、赤子がギャンギャン泣く。それをうるさいから何とかしろと母親にキレまくるサラリーマン。あるかもしれない、あった話も聞くこのシチュエーション。残念?ながらこのシチュエーションにオレ自身はあまりリアルを感じない。
想定通り何か行動を起こせるはずもなく、というか、起こす必要がない二宮は電車を降り、その後別れた彼女から「電話」がかかる。二宮は、(過去のことは分からないが、)電話の画面に見える(超美人の)小松菜奈と別れており、明らかにうだつが上がらない二宮にどうしようかと相談するのである。そうして彼は「8番出口」の世界に迷い込む流れ。
8番出口の異変については、彼の小松菜奈からの相談をどう受け止めるか、の選択および決意と全く関係のない異変ばかり。ゲームのことは知らないで話を進めるが、そこに登場するオジサンの一幕は全く二宮の脱出劇には関係がない。とこの辺はゲームファンへのサービスなのだろうということで納得はしている。
だが、彼が脱出し、「病院へすぐ行く」と言って乗った電車は、物語最初と同じ電車、シチュエーションなのである。そこで彼は、オレたち観客の方を見据え、その騒ぎの方へ顔を向けて閉幕する。「騒ぎの方へ顔を向けて」なので、二宮がその騒ぎに対して「父親になるには良しとする行動」に出た、という解釈が強いようだが、果たしてそんな行動は存在するだろうか。
この映画は、初めから二宮の妄想で、不快とされる「赤子のギャン泣き」と「他人の止まない咳」を浴びせて、やかましい音響とともに、こちらの神経を触って観客を試す。赤子と喘息といった当人にはどうしようもないことを、観客のオレたちにはことごとく不快に感じさせる確信犯。これはなかなかに上手いと思った。
また本当に小松菜奈(のような女性)に子供ができたのなら、こんな話にはならないだろ、という突っ込みも作り手側には十分承知の上だと思う。
となると、そもそも子供ができたというのが、妄想。あるいは、相手は「小松菜奈」であるはずがない。
そして同じ電車(シチュエーション)に戻った、ということは、彼は映画のはじめから勝手に妄想し、結局答えを出せずにループしている。つまり騒ぎのほうを向いたが、そのまま電車を降りた、というほうが正しく観える。初めから何も起こっていないということ。(消えたカバン、収まった咳、「ボレロ」で挟む)
つまり、登場人物はすべて主人公の持っている顔、一面。電車でキレる男ですら、主人公の顔と思ってもいいかもしれない。
今回の「不快」の演出および演技が確信犯であること。クリアしたかに見えてそうではない、という解釈も可能である点。ヒットメイカーだけど、浅い、と言われてきた川村氏の一撃。それがこの違和感、異変探しのゲームと「合っている」と思わせた点がとても素晴らしい。観客を試す、といった実験もそれなりに成果があったようだ。
そして、「意を決した」とも「また逃げた」「そもそも現実に向き合っていない」ともとれる、二宮氏の風貌(と役作り)が素晴らしい。
だけど、オレ個人はすっごい長い90分だったので、この評価。
追記
このポスター、実は二宮氏の鼻先口先のほんの少しだけ8の字から出ているんだよね。ちょっとだけ、ループから抜けている、すこしだけ「前に出る」ということなんだろうけど。
オジさんGJ!
いや、オジさんが素晴らしい。聴くところ、演じたのはベテランの舞台俳優さんみたい。私が言うことじゃないけど、よくぞご出演いただきました。不気味で鉄壁の演技力、ありがとうございます。
ゲームの映画化と云うことで、非常に限られた世界観ではあるものの、その再現度が素晴らしい。そもそも、元のゲームが素晴らしかった。実写にしか見えない映像感覚で(オジさんは流石にCG感は拭えない)続編の8番乗り場のリアリズムも、もはや異常。開発者さんはその手の専門家なんでしょうか。
映画化のテーマとしては「心の迷いが生んだ時空の歪み」→「迷いから決断する勇気」ということでしょうか。「満員電車で泣く子供」「キレた他人から怒鳴られる」「それを助ける勇気が無かった」「彼女から身ごもったとの電話」「迷ってる。どうしようか決められない(泣」、そして主人公は地下に迷う。この流れ、設定付けからゲームの舞台に突入するまで、淀みなく素晴らしい。
そして進むか戻るか、このシンプルで純粋にプレイヤーの判断力が試されるゲーム性、そして決断する力は「勇気」、見知らぬ人でも助ける「勇気」、ゲーム性と主人公の設定を重ね合わせた、「ゲームの映画化」としては予測を超えて「甘さ」「脳天気さ」もない渋くて好印象だと感じました。
細かいことを云えば、「観に来た人はみんなゲームをプレイ済みでしょう?」という感じが拭いされない。プレイヤーが間違い探しに入るのが早すぎる気がする。「異変の有無」と云われて、指さし確認で間違いを探すのは、ゲームプレイの再現に入るのがちょっと早い気がした。そして迷いだしたら、まずスマホを取り出すと思う。地下で何も判らなくとも、チラ見ぐらいするのが現代人。
また、オジさんに設定付けされたのには驚いた。成る程、元はオジさんもプレイヤーで闇堕ちしたという設定ですか。元のゲームでは8番じゃない出口から出ると単なるリスタートだけど、NPCに墜とされるのは映画ならではの面白いアイデア。あの女性が歩いてくるバージョンも遊んで見たいな。自分が一通りプレイしてからも、映画化を記念してでしょうか。いくつか異変が増えていたので、女性の方もお願いします。
あと、(説明はなかったけど、ミスリードではないと思いますが)自分の未来の子供の出現も面白い。異空間での現象なら有りかと思う。ただ、最後にあの子とはぐれて、なにか思ったりしなかったのでしょうか。何か一言あるべきだったでしょうか。それとも自分の未来の子供と判ったから、もう振り返る必要はなかったのか。
結論的に自分の迷いと迷宮のサスペンスを重ねた良作だと思います。「見つけてほしいから迷子になった」「道に迷う→心の迷い」「結論を出す勇気が出せず、自分から道に迷っている」等々、迷いに関する哲学めいたものがあるような気がして実に有意義だったかと。
あと、付け加えるなら、如何に映画の中の話といえど、あんなに可愛い彼女がいるんだから、二宮さんには頑張って欲しいものです。
(追記)
付け加えで、映画版固有の異変で興味深いものが幾つか。
「電話をかけてきた自分の彼女(同じ地下道にいた)」
「通路のど真ん中で待ち構えている少年の母親」
「開いた扉の向こうで見て見ぬふりをする自分自身」
これら自分自身や自分の味方のようで、「異変」という自分の「敵」なんですよね。自分の大切なものやトラウマが自分を惑わし襲ってくる自分自身にしか通用しない罠。
似たようなエピソードが他の映画にもあったのを思い出しました。うろ覚えですが、攻殻機動隊シリーズ劇場版「イノセンス」で、手榴弾に殺されかけたトグサが「自分の妻と娘の姿が脳裏に浮かんだ」というと、バドー「気を付けな、そいつらは死神だ」という――ちょっと理屈が掴みかねますが。その他、グインサーガという小説では主人公グインのトラウマとなる人物が自分を責め立てる、自分の心を鏡映しにした罠。
小説にして映画化もされている「1984」では、これは具体的な調査の上での拷問でしょう。どうやって調べたのか自分だけが苦手なネズミで根を上げさせたり。
「鬼滅の刃」などでも最終的には自分のトラウマと対峙することはよくありますが、故意に仕掛けられる場合もあれば、見るもの触れるもの全て自分のトラウマを連想し恐怖する場合も有り、前述3つの異変を説明するとしたら、そういうことかもしれません。よくある言い回し、「自分との戦い」と言ってしまうと、ちょっとチープになっちゃうんですけどね。
体験
劇場で映画を観ることは、アトラクション等と同じ一種の体験型エンターテイメントであるという感覚を、この作品は分かりやすく伝えてくれる。メッセージやら伏線やら何なやら、そうしたものは物語の核として必須アイテムだが、そればかりに気を取られていては、恐らく”映画を楽しむ”という状態にまで心が持っていけない。この作品は、登場人物を名前から何まで結構ぼかして写し続けることで、観客がドラマに配るリソースを強制的にカットし、謎の通路とそこで起きる超常現象に翻弄される人々と出来るだけ同じリアクションを観客が取れるように、空間を組み立て続けた。あの通路と似た閉塞感を持つ、映画館でやるからこそ輝く演出方針だ。
最高の評価を付ける理由はただ一つ。私は、映画館で映画を観たあとの、まだ映画の世界に居るのではないかという感覚がどうしようもなく心地よく感じて好きなのだが、この作品を観たあと、今までに無いような強さと重さと深さで以て、私はその感覚に飲み込まれたのだ。閉ざされた空間で巻き起こる超常現象から逃れ、現実に帰っていく。主人公と同じ状況だからこそ起きた、鑑賞後も残留する没入感の飽和。あれを超える体験は、断言するが、この作品以外では絶対に味わえないだろう。
単純なゲームをうまく映画化したのには感心
周りを見ると人がごった返していて(年配の方がいたのにはびっくり)注目度は高いと思わされた。
最初、映画化を聞いた時には成立するのかと思ったが、迷い込む前後で話を膨らませて脱出したい目的を持たせ、帰りたいと思わせるのはうまいと思った。
肝心のお話だが、劇中のニノと異変を探していくのかなと思い、一緒になってじっくり看板やら見るも異変の殆どはこことは別の事象。異変がないと話が単調になってしまうので、 様々な異変のバリエーションで見せていったのとか、いつも歩いているおじさん、子供に焦点を当てて話を膨らませていた(おじさんが女子高生を化け物でカウントしていたのには笑ったw)。
ゲームをうまく映画化してるなぁと思ったものの、つまらなくはないが実写化するとこんな感じかな程度で可も不可もない感じ。エンディング、迷い込む前にループしますかw
明るいホラー
映画館で見なくてもいいかなぁー
ゲームじゃなくて 実際なったらそうなるよねって作品
世にも奇妙な物語に近い感じはします
実際に巻き込まれたら
何なんだよぉおぉ ふざけんじゃねぇぞ バカやろぉおぉぉ ってなりますよ
その点で歩くオジサンは 居た価値があったと思ってます
奇形ネズミは うえぇぇってなりました
洪水は ほっときゃ出口までいけんじゃねとか達観してたら
ニノがあの状況で子供助けたのは ビックリした
まるで舞台劇だね。
SAWとかよくある状況の作品だね。
何度も何度も繰り返す。それぞれも事情があるんだろう。
小松菜奈さんあまり出番なかったのが悔やまれます。
川村元気さんが監督なんだ。ニノも脚本に絡んでるだね。
招待券があったので観ました。
新感覚でした。
求めていた内容ではなかったが見所はあった
最初のBGMで「あれ、これデ●モンの映画だっけ?」と思ったのは私だけじゃないはず…冗談はさておき…。
原作ゲームの内容は既に知っていて、「アレをどうやって映画化するんだ?」と興味が湧いたので見に行きました。
原作ゲームは見慣れた地下鉄通路で行われる怪奇アドベンチャーで、妙にリアリティのある地下鉄通路の景色とそこで起きる異変の不気味さやシュールさが印象的で奇妙な面白さを感じる作品でした。
だから映画になる場合も不思議でシュールな異変の数々を割と軽いノリで淡々と進んでいき、最後に「やったー出れたー!」くらいの感じになるんかなー?って思っていたのですが、この予想は大きく外れました。
以下個人的に悪かった点と良かった点を挙げさせていただきます。
【■悪かった点】
・主人公の抱えてる問題やホラー要素が強調されすぎてて8番出口の魅力が薄れてる。これ8番出口でやる必要ある?
・要所である生理的不快要素(嘔吐や不快爆音)。
・主人公の葛藤とか家族とか赤ちゃんのこととかどうでもよくて「異変」をもっと出してほしかった。
・主人公の喘息設定。正直咳混んでる場面を長々見せられてもうるさいし不快…かとおもえば後半全くそういう様子がなくなる。
【■良かった点】
・個人的には人間の内面描写にテーマを置いたことは否定派ですが、それを加味した上で見返すと上記の悪かった点に上げた要素も意味があり、主人公たちの抱える問題と異変がリンクしている点はうまいなと感じました。
・おじさんの掘り下げ。原作ゲームでは一切が謎の存在であるおじさんでしたが、映画での味付けは嫌いじゃなかったす!
・異変を見せる際のカメラワークが良く(特に前半)てゲームを知ってるとニヤリとできる場面が多かったてす。
・原作にない異変ポイントがありワクワクしました。
・異変の中でスマホや置いていった荷物がどういう扱いになるかなどちょっとした気になるポイントを見れてよかったです。
・俳優さんたちの演技はいずれも迫真で素晴らしいです。
個人的な総評としては「8番出口としても人間ドラマとしてもホラーとしても中途半端な作品」といった感じでした。
映画にする以上何かしら惹きつけるテーマを決めて作らねばならないのは承知ですが、私が求めていた8番出口はコレジャナイ。もっとシュールな作品なのかと思いきや中身は終始シリアスで息苦しく前提条件から合っていなかったんだと思います。
ただ、異変と人間の内面を織り交ぜた脚本は挑戦的でよくできており、雰囲気や俳優さんの演技などは申し分ないので作品としてはそこまで悪くないと思います。
私のようにゲーム版のイメージを強く抱いている人よりも完全初見の人のほうが楽しめるかもしれません。
最後に一つ書きますが、最終的に主人公は8番出口のルールを一つできていないんですよね…その意味ははたして?
自分なりにラストシーンを考えてみました
歯医者、エッシャー、司法書士、おじさん、・・・異変に気付いてハイもう一度。ちょっと飽きてしまいました。
現実の問題から目を背けてスマホばかり見ていると、心の迷宮に迷いこみ、問題を解決する行動を起こさない限り、困難な事が繰り返し襲って来ますよ。自分は、そう解釈して見ていましたがどうなんでしょう。
主人公・二宮君の心の迷宮にしては、歩くおじさんがやたら登場、自分のパートまであるのに対して、元カノの存在は気薄で、ほとんど描かれません。この事に凄く違和感を感じました。
奇形ネズミや洪水は二宮君のトラウマなのでしょうか。あの程度の異変を克服して戻ってはいけません。
自分だったらラストは、駅員役の桜井君(別に大野君でもいいけど)が登場、「大丈夫ですか?出口は、こっちです」引き返せ引き返せの看板の下、駅員さんの方に笑って近づいていく二宮君の後姿で終わります。
予備知識ゼロで鑑賞、ストーリー展開に映画としての魅力を感じる事が出来ず★★とします。
明るい明るい不条理劇
◉哀しげなワン・シチュエーション
達者な役者がほぼ一人で芝居を演じているのだから、そこから何かを感じ取れるはずと言う割切りとか、まだまだ物語にはこの先のドラマがあるのだと言う強烈な想像力とかが要求されていたのかも…と思ったのは、映画が終わってからのこと。
やはり強烈な肩透かしには違いなく、寸劇が続いただけだった…ような気もします。ポスターに恐るべき映像が現れるとか、脱出先の酷く悪い未来が垣間見えるとか、気持ち悪くもいつの間にか現実世界の苦悩が解決してるとか、別の展開を強く差し込んでくれないと足りないように感じました。
◉さぁ、不条理の海に身を預けて
ところが、通路と言う単なる手段だけを延々と見せられる、実に不思議な展開であるのに、目が離せなくなっていたのは、紛れもない事実。微妙な差異が面白かった訳ではないです。
そうではなく、車内で赤ん坊を抱いた母親が怒鳴られる事件があったが、男はいつも通り、会社に向かっていただけではないか? 何がいけない、何が男に起きたのか。何でこの運命を享受しないといけない?
きっと私らは(勝手に複数にしますが)不条理から目を離せなくなったのだと思います。みんな、薄々感じていながら直視出来なかった、自分の人生や、すぐ身の回りの世界の理不尽を噛み締めたくて、この不条理劇を観続けたのだと思えてきました。当たり前に存在して、私らを簡単に絡め取る不条理を、現実を取りあえず忘れて見ていたかった。
「ありきたりの日常」がもっとも怖い
通勤や移動でよく東京メトロを使うので、映画のタイミングでメトロが開催したツアーの本の宣伝や、実際にただの地下鉄の出口に黄色い映画のタイトルが入ったショッパーを持ったひとたちがたむろしているのが気になっていた。今回ヒットしてから鑑賞したが、実際休日の映画館はカップルや親子連れが多く、ホラー映画などを見ない客層も取り込んでるんだろうな、と実感した。
映画そのものはそんなに複雑ではなく、自分は知らなかった有名なゲームを映画にした、というのがどうやら見どころのよう。原作はプロデューサーで小説家の川村元気とあって、視点というか、この映画のポイントとなるようなミニマムなキャラクターと、人物設定がなかなか良いな、と思った。小説と違って背景説明がなく、そのまま「8番出口」に連れてこられたような錯覚を観客にもってもらう演出は、なかなか作り手としてはしんどかったように思うので、その点はなるべくドラマのテンションを保つ工夫(音や明かり)も欠かせず、よくできていたと思う。
映画そのもののテーマは、たぶん「日常がもっとも怖い」ということなんではないかと感じた。赤ちゃん連れの母親を怒鳴るサラリーマンというのは非日常的だが、見て見ぬふりをするひとたちはそのまま「日常」で、恋人から妊娠を告げられる主人公は非日常的だが、電話に出づらいところで声をひそめたり、とまどったりするのは「日常」だ。
そんななんでもないところの「日常」の恐怖の象徴が、この「8番出口」の殺風景な地下道なのだと思う。そして、出られないというのは、おそらく「永遠に繰り返される日常」の比喩で、そこから出るためには、ささいな違和感や異変に見て見ぬふりをせず、同じことを繰り返すのではなく、「引き返してもう一度そこを通る」必要がある。恋人との象徴的なシーンは、人生を繰り返しにしないため、無感動な日常から「生きる」ために必要なつながりを示している。
歩く男と少年が、いっしょにいるのに意思疎通が出来ていなかったように、異変に気が付かなければ、無理やりいっしょにいる人間を道連れにし、永遠に出口から出られずにとらわれてしまう。この対比として主人公と少年は、言葉を交わして意思疎通ができるようになり、地下鉄で見て見ぬふりをしていた自分を客観視できるようになったことで、出口を見つけられるのだ。
その意味では短い映画ながらシンプルで筋が通っていて、ホラー映画にありがちな理不尽な死では終わらず安心して見れる作品である。
意見は分かれるかも?
これ、ホラー寄りの作品だから、意味を求めすぎないほうがいいと思う。
原作はゲームでありプレイはしたことないが、たまたま映画を紹介していたTV番組でゲームを芸能人がプレイしていたので、ルールは理解して映画に臨んだ。
難解な迷路に閉じ込められた主人公(ニノ)がルールをつかむまでの過程を長めにとっている。それでもテンポが悪いこともなく、別の人視点(歩くおじさん)に移っても、その視点が戻ってきても、流れがスムーズだった。
そういえば!歩くおじさん、子供を置いて「偽の出口」に行ってしまったので、自動的に歩くだけの人になってしまったのだろう。。。
それでも、1時間半ほどの映画なのに長く感じたのはなんだろう?決してつまらなかったわけではないのにね。人の感覚というものは不思議だ。
内容が非常にチープ過ぎで残念だった。
赤ちゃんが泣くシーンから始まり泣くシーンで終わる、非常にチープな映画であった。「8番出口」という面白いゲームを、主人公が父親としての自覚を持ち始める映画にしてしまった(印象を与えた)ことが非常に残念であった。辛口で大変申し訳ないが、良い映画ではなかった。
抜け出せない怖さ
よく作り込まれた物語。
元となるゲームにある緊迫感を煽る心理戦の様相をしっかり映像として持って来れておりよく出来ている。
またオープニングの電車内での行為や無作為の動画検索を物語内に折り込ませてる点はよく練られてて感心させられた。
ただゾッとするほどのホラーではなく、ジワジワと締め付けられ抜け出せない絶望感を味わわせてくれる。
ゲームしたことあるならぜひ!
誘われて視聴
出口のない迷路が、人生のメタファーとなっている。
短いゲームを、2時間どう広げるのか気になっていたが、副次的要素を付け足してうまく飽きさせないような構成になってて,素直に面白かった。
ただ、序盤の間延び間は少し気になったかな
後、迷いをひょうげんするためだから仕方ないのかもだけど、女性が どうする?ばかり言う主体性のない人間にうつってしまってたのも気になった。
あれでは、前向きな話し合いにはならないような...
現代社会のメタファーとして
原作のゲームファンからの評判はどうなのか分からないが、映画は予想外の良作だった。
冒頭から現代社会の、というより東京という街の閉塞感と醜さをこれでもかと見せつける長回しがまずは秀逸。ラスト近く、ついにループから無事抜け出した主人公が振り返った目線の先に、地下鉄に出口に向かう人の群れをとらえたショットは見事。男女とも一様にスーツ姿の大群の、自らの墓に向かって黙々と歩くゾンビのような後ろ姿は、ループに永久に囚われた「おじさん」と変わるところがなく、先ほどまでのループ世界が何を象徴していたのかを明確に語り切っている。派遣社員の主人公のキャラも、今の二ノ宮だからこその見事な説得力があった。
映画として、とても良くできている。
面白いと思えたけどな。
面白かったのだけど、つまらないというレビューもあり、もしかしたらゲームを知らない人からしたら反対の感情を持つかもしれない。
印象に残ったのは冒頭の駅の階段。一度登りきったと思ったら、また同じ階段が出てきて錯覚した。
異変に気付いたのに、戻るのが遅いなとは思った。暗闇でのネズミは本当にそうで、CGを使いたかったのかな?
観客を驚かせようとする演出が多いので、嫌な人は嫌かもしれない。
あのゲームが映画に。
人気ゲーム「8番出口」が映画化。主人公にストーリーがついてきた。
正直なところ、時間の引き伸ばし感のあるストーリーをつけるくらいなら、原作通りストーリー皆無の方が良かった。
途中から薬も水も飲まなくなったけど、喘息である意味あった?
流石にその違和感は見逃さないでしょ。
お母さんがおっさんに怒鳴られるところを注意できなかったから、自分って父親になれるかな?という思考になる?ましてや満員電車で距離あるところやったのに。
みたいなリアルにしたが故に、ちょっとした違和感が気になってしまった。
もっともっと理不尽とシュールを欲していたんだよ。急に何故か迷い込んでしまった的な。
ただPOV視点から始まるところや、暗転からのホラー演出、津波はとても好みだった。映像は色んな見せ方をしてくれて面白かったです。
好みではない
わかりやすさはピカイチ。
誰が観ても絶対にわからせるという強い意志を感じる。
映画の途中から先の展開が薄ら予測でき
ほぼ、その通りに進んだ。
個人的にはここまで簡単でわかりやすくなると苦手である。
観ている側の余地がない感覚とでも言うか、
押し付けられている感覚がとても苦手だ。
人生における迷いと選択がテーマであろう。
女性との会話で出る
「正しい道かどうかは重要ではない」
というセリフがコアになるのではないか。
つまり、選択そのものの重要性を説いているのだろう。
それらを表現するために、子どもという要素が必要であり
歩くおじさんも主人公との対比として登場している。
「やっと息子に会える日だっていうのに」的なセリフ
制限された関係性の暗示、生まれる事の暗示かもしれない。
進む過程でも、自己中心的にすすみ、子どもの違和感にも気がつかない様、
それによって、子どもそのものに向き合わない、大切にするという行為に酔っている男(夫)のシンボルとなっている。
そして安易な出口(答え)に進む際の
「俺は悪くない」というセリフと共に、子どもを置いて行く。
子どもと向き合わず、選択を他責にする者は、
前に進むことができない(8番出口から出れない)
一方、対比として描かれるのが主人公である。
話を聞き、子どもを一人の人間として対応する様、
困惑しながらも親になるということを自分で選択し、向き合うことの表現として写されているのだろう。
だからこそそれによって、子どもが人として確立していき会話するようになる。
そして、水によって流されることから子どもを救う事により
主人公の喘息を引き継ぎ「主人公の子供」として確定し、出口へ向かって行く。
続けて、選択と向き合った主人公も前に進む(8番出口から出る)
このような感じだろうか。
久々に眠たくなった映画だった。
しかしながら、面白いと評価する人がいるのも理解はできる。
わかりやすいし、だからこそ面白さを見つけやすい。
演技が上手いと話題になっているなんて風の噂を聞いたが、
何が該当しているのか、どのシーンなのか全くわからなかった…
個人的総評としては、わざわざ観なくていい でした。
全366件中、1~20件目を表示
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