「ウェルメイド、これこそが本作の醍醐味」8番出口 いたりきたりさんの映画レビュー(感想・評価)
ウェルメイド、これこそが本作の醍醐味
ひょっとするとコレは、ぐるっと一周回って一場の「悪」夢だったのかも…。そんなことを考えたのは、終盤近くに地下通路で主人公とすれ違う通行人たちの服装がことごとく「黒」で、非現実的な印象を受けたからだ。
たしかに悪夢のようなこの物語の非現実さは、ベケットやイヨネスコの不条理劇を一瞬思わせる。あるいは星新一や筒井康隆のショートショートと言いかえてもよいか。本作は、原作のゲーム設定を巧く活かしながら、現代人の深層心理に切り込んでみせた……かのようにみえる。
しかし終盤、大方の観客をナットクさせる「前向きな落としどころ」へともっていくところに、本作のキモがよく顕れていると感じた。そこには、時流を読むことに長けた監督のアイデアマンとしての有能さが窺える。端的にいって本作は、世界の映画の潮流を読み取り、観客を飽きさせない素材としてあの手この手で使いこなすことにすべてを賭けた映画だといえるのではないか。
ウェルメイド——これが本作の醍醐味である。原作のシンプルなゲームを95分という上映時間に仕立て直す。そのために映画の「トレンド」や「見せ方」を巧みに織り交ぜ、とにかく観客の集中力を切らさない。その徹底ぶりになにより感心させられる。
たとえば……物語のモチーフに「子を持つことへの不安と逡巡」「現代社会における孤立感」などを持ってきて、それを今風のアートなホラーテイストで描いてみせる。アイデアマンの面目躍如だ。
個々の見せ方に目をやると、繰り返しのパターンやワンシーンワンカットもどき(?)は、ヒッチコック以来の古典的伝統にしっかり則っている。また「記憶の底から召喚されてくる女性」の描写は、タルコフスキーの『惑星ソラリス』をはじめとして枚挙にいとまがない。
すでに散々言及されているキューブリックについては、原作時からあるらしい『シャイニング』の影響はさておき、「妙に清潔感あふれる白タイル貼りの壁」など、まさにキューブリックの匂いプンプン。そして「人体パーツが変容したクリーチャー」は、さながらクローネンバーグの世界だ。
そのほか「俯瞰で映し出される波打ち際」はシャマラン監督『オールド』を、ラストショットはトム・クルーズ主演の『アウトロー』を、それぞれ思い出させる——といったぐあい。そうそう、近年のアメリカ映画に定番(?)のゲロッパ描写もしっかり本作にある(笑)。
要所要所で計算高く手札を切りながら、最後は落ち着くべきところに着地してみせる。それでいて案外あざとさを感じさせない。むしろ「観客自身が考察する」愉しみすら与えてくれる。どうやら監督の本領はこのあたりにありそうだ。その限りにおいて、少し前に観た『DROP/ドロップ』と同程度には楽しめたし、吉田大八監督の『敵』もこのくらい振り切ってみせたらもっと良かったのでは、などと思ったりもした(引き合いに出してスミマセン)。
さてここで、個人的に気になったり、イヤだと感じたところも挙げておきたい。
まず、この映画には、ふだん東京の電車内などで目にする「イヤな感じ」があふれかえっている。これが案外シンドイ。
赤ん坊連れの女性に怒鳴り散らすクズ男は論外としても、スマホ・イヤホンで動画、ゲーム、音楽に没入する人々。歩行中わざとぶつかってくる通行人。そして、おじさん。そのおじさん目線で想像(創造)された女子高生。どこまでいっても、おじさん…(苦笑)。
こういう他者の視線、他人の存在を意識しない人間集団、生身のコミュニケーションが成立しにくい公共空間を、わざわざ映画の中でまで見せられるのはちょっとね、と。
次に、電車の中でクラシックの「ボレロ」はあまり聴かないだろう、という素朴なギモン。クラシック音楽は、他ジャンルに比べてダイナミックレンジが極端に広いため、公の場においてイヤホンで聴くのにはあまり適さない。音量を自動調整するノーマライズ機能があるから大丈夫かというと、演奏全体が平板になってクラシック本来の面白味が喪われてしまう。「耳のあるヒト」ならそれを避けるだろう。無論、映画のラストショットまでたどり着けば、見事に「ボレロ」が映像にシンクロして得心がいくのだが。
それから後半、主人公が津波で生き別れになった子どもの行方を探る素振りも見せず、真っ直ぐ8番出口へ歩を進めるのは、どうもナットクいかない。あれが未来の我が子だと悟ったのだとしても。それじゃまるで子どもを置き去りにした「おじさん」と同じではないか?
そのほか、前半早々に主人公が酸素吸入器を投げ棄ててしまうが大丈夫か(中盤まで見ると、どうやら精神力で喘息を克服したらしいと一応ナットクはするのだが)とか、主人公が広告を一つひとつ確認するセリフの中で「高額(こうがく)アルバイト」は字数多くて言いづらくないか(「バイト」「えろバイト」「高額バイト」と短縮した方が語呂が良い)とか。まぁ、いずれも大したことではないが。
なお、「ニノの元カノが小松菜奈のような若いコというのは、年齢的に無理がある」といった感想をいくつか目にしたが、その点について個人的には違和感を覚えなかった。本作における二宮和也(実年齢42歳)のくたびれた「童顔」は、その優柔不断さも併せて小松菜奈(同29歳)と元カップルという設定に見合っていたように思う。それに、世の中には「紀州のドン・ファン」みたいなカップルだっているんだからさ(アレは動機が違うか)。
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