「凄く面白かった。が、観る人が何を求めるかで評価は変わりそう。」8番出口 ベーコン(有)さんの映画レビュー(感想・評価)
凄く面白かった。が、観る人が何を求めるかで評価は変わりそう。
一部、追記。
ゲームはいくつかの実況で観ていて、小説の方は読んでません。
個人的に言うと、めちゃくちゃ面白かった!
ゲームのプレイや実況のあるあるをしっかりと入れつつ、原作のイメージを損なわないストーリーの入れ方をしていて、映画なのに映画として以外の楽しみ方も同時に出来る良作だと思いました!
一部、演出で人によっては不快感を覚えるようなものもありますが
そもそもこの映画は怪異系ホラーであると言うことが前提なので、不快感や理不尽は切り離すのが難しいと思います。
(とは言え、この不快感で観るのがしんどくなる気持ちもわかります)
出来れば、ゲームをプレイするなり実況を観るなりして『8番出口』とはどんなものなのか。
とか
一応、ホラーなので不快感や理不尽とは無関係ではない。
等の考え方を持って観られる方が良いと思います。
その上で、
映画『8番出口』を楽しめるかどうかの境目って
映画に
『○+△=□』みたいな算数の授業的なものを求めてるか
『○○は何を指すか?』『作者の気持ちを述べよ』みたいな国語の授業的なものを求めてるか
だと思いました。
算数の方は
『計算式』=『答』
→
『ストーリー・流れ』=『結末』と言う決まった答えを映画側が提供してくれる。
国語の方は
『問題文』⇨『答』
→
『ストーリー・流れ・演出・伏線』⇨『結末』を
視聴者側が思考したり考察したりして
自分の中で答えを構築していく。
大体の映画は、作品に合わせてこの算数の授業的な部分と国語の授業的な部分のバランスを取っていると思いますが
『8番出口』に関しては国語の授業的な部分に極振りした作品なので
算数の授業的な映画を求めていると
全く楽しめないと思います。
賛否が別れる作品だとは思いますが
与えられたものをただ与えられるのではなく、
『これってどうなんだろ?』『他の人はどう解釈したのだろう?』と考えながら楽しむのも良いんじゃないでしょうか?
↓追記↓
【おじさんパートの必要性】と【少年の意志疎通】と【脱出(?)】についての自分なりの考察。
【おじさんパート】
①
ゲームにも出てくるおじさんのバックボーンを表現すると言うファンサービス的な要素だけではなく、
脱出に失敗した時にどうなるかを示している。
おじさんは偽の出口から脱出しようとして、『0からのやり直し』ではなく『失敗』となり結果として8番出口の一部となった。
なので、偽の出口から脱出等の特定の条件下ではやり直しが出来ずに8番出口に取り込まれてしまう。
➁
少年との接し方の対比。
【少年の意志疎通】にも繋がる話ですが
おじさんは少年の意思を無視して自分の意思を押し付けていた。(ドアノブの異変の所など)
逆にニノは、ドアノブの所で目線を少年と同じ高さに合わせる。等、少年に寄り添う姿勢を見せていた。
【少年の意志疎通】
おじさんパートやニノパートで一緒に行動していた最初の方は言葉が話せなかったが、ニノパートの途中から話せるようになった。
これは少年との関係性による変化ではないかと思われる。
まず、『8番出口』にとって少年がおじさんやニノと一緒に入られている状況がイレギュラーだったのではないか?と考えます。
(前提として)ニノと親子である。
その為、何かしらの影響が出た。
や
お守りとして持っていた貝殻が本当にお守りとして機能した。
等により、
本来、同時には存在出来ないはずの『迷い混んだ人』が同時に存在出来るというバグの様な状態になった。(おじさんと少年・ニノと少年の様に)
ただ、そのバグの際に少年には『話が出来ない』という制約がかかってしまった。
その制約は同行者との関係値で解除される。と考えると
おじさんの時は一切話が出来ず、
ニノの時は徐々に話が出来るようになり、その制限は二人の共通の異変(少年にとっての母親が出現したやつ)を境に全く無くなった。
【脱出(?)】
結末について私は
怪異からの脱出は、出来ていないと考えています。
『8番出口』は迷いがある人(煉獄を表していると言う話もあるので、その迷いに対して罪の意識がある事も追加されるかも)を迷い混ませる性質があるのではないだろうか?
そして、『8番出口』の中で迷いが晴れた時に脱出出来るのではないだろうか?
・おじさん→迷いを抱えたまま脱出しようとした為に偽の出口へ行き、取り込まれる。
・少年→恐らく脱出出来たのではないだろうか?
・ニノ→恐らく当初の悩み(妊娠報告をしてきた彼女に会うかどうか)は晴れ会う決断をする。
なので、8番出口から脱出が出来た。
………ように見えるが、脱出の条件は「8番出口から外に出ること」。
そう。外に出ること。
でもニノが進んだ先は、外ではなく地下鉄の改札。
外には出られていない。
かといって、偽の出口から出て取り込まれたようにも見えない。
私の解釈は
当初の迷いは晴れて『8番出口』から脱出出来るはずだったが
そこで新たな迷いが生じた。
それは、
「仮に子供を生む決断をしたとして、今の自分で支えられるのか、養えるのか?」
映画冒頭の会話から正社員ではなく派遣である事がわかる。
結果として、その迷いに『8番出口』が作用して
脱出ではなく
通勤に使っている電車内をステージとしたNEXT STAGEAへと進んでしまった。
という所で終わってしまった。
と受け取りました。
実際に続編が作られるかどうかは別として、
『8番出口』の後に『8番のりば』というゲームも出しています。
と、
作品内では最低限の情報しか与えない事で
視聴者に解釈を委ねる作りとなっているので
与えられたものをただ与えられるの映画として観てしまうと意味がわからない。面白くない。になってしまいますが
『これってどうなんだろ?』『他の人はどう解釈したのだろう?』と考察したり、他の人意見を聞いたりして、自分なりの解釈や物語を構築すると非常に面白い作品になると思います。
あくまでも、考察の範囲なので
絶対の答ではありませんが
『8番出口』は、迷い混んだ人間を特定の条件の元、迷い混んだ人間取り込んで『8番出口』の一部にする怪異だと考えます。
その上で
この映画をざっくりと4章で別けるとしましょう。
1章:迷う男
2章:歩く男
3章:少年
4章:脱出
1章から2章へ移る際、映像的にはシームレスですが
章のタイトル(その章の主人公)を出す事でシーンの切り替わりを表現しています。
なので、時系列はあくまでも
『おじさんが迷い混む』→『失敗して取り込まれる』→『ニノが迷い混む』の順になります。
そして、ここでややこしいのが少年の存在。
少年の存在を直接の時系列に入れてしまうと矛盾が発生します。
・『8番出口』にとって少年がイレギュラーだった。(ニノと親子であると言う可能性を前提とした時に、親子である為、何かしらの影響が出た。貝殻が本当にお守りとして機能した等)
・『8番出口』が時間や空間が歪んだ場所
の2パターンで考えて
本来は
『2章』→『空白(映画上では描かれていない時間)』→『1章』なのが
少年は
『2章のラスト』→『1章のラスト』と間を飛ばして移動したのではないかと考えられます。
時系列別に破綻してないよ
電車→8番出口に迷い込む→男の子と出会う(この間に少し前に戻っておじさんの人間時代と男の子が迷う男と出会う経緯)→再び迷う男視点でゲームを進める→津波の異変→あるかどうか分からない未来(をモチーフに迷う男の変化を示すメタファー)→男の子ラストシーン→時が経ち迷う男も8番出口へ→脱出→ループ(をモチーフに異変とは常に身の回りに潜んでいて8番出口とは人生である事のメタファー)
どこが破綻してんのか逆に知りたい
私は、時系列が破綻しているのではなく、
『8番出口』と言う怪異の中では空間や時間が歪んでいる。
何故か?
『8番出口』とはそういう怪異だからです。
と考えてます。
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