「これはこれで原作に真摯に向き合った結果ではあるまいか」8番出口 Elvis_Invulさんの映画レビュー(感想・評価)
これはこれで原作に真摯に向き合った結果ではあるまいか
車内での騒動に背を向けるようにして地下鉄を下りた派遣労働者の青年は、交際者の懐妊に戸惑いながら歩く中でいつしか不可解な空間に閉ざされてしまう。異変の有無を見極め、進路を選択し、正しい出口から出る。それ以外の選択肢を奪われた青年は無機質な地下道をひた走る……”8番出口”へ向かって。
ループする地下道を舞台とした、ホラー要素を含む3D間違い探しゲーム『8番出口』。多くのフォロワーを生みインディーズゲーム界でブームとなった原作だが、ハッキリ言って前評判でこの映画化企画が成功すると思っていたファンは少ないと思われる。
リミナルスペースの荒涼とした孤独感、無慈悲に裁定される成否がもたらす情動、そして”異変無し”が何であるか徐々に見失っていく焦燥……こうした体験はあくまでも原作のゲーム性に依拠するものであり、映画という媒体はそれを追体験させるには勝手が違い過ぎると誰もが想像していた。なにより、原作には本質的に「筋書き」が存在しない。あるのは異変だけであり、無体な言い方をすれば映画『8番出口』の初期客層はほぼ全員、「どこに異変があるか」のネタバレを周知している可能性すらあった。
それをきっと制作陣も承知の上であり、故にこそ本作の脚本が成立した。
本作は明らかにギミックの軸足を「”異変探し”の正否不明に対する不安」には置いていない。代わりに据えられたのは「回答者の迷いや躊躇いに関わらず正否は裁可される」ことの閉塞感である。
極端に視聴者に情動を強要する如き激しいBGMなど、既にレビュー内でも演出過剰への戸惑いの声は少なくない……が、筆者はこれは意図的と考える。
自覚を持てぬ子という課題を前にする主人公も、異変潜む地下道を目撃する視聴者も、本質的に選択肢は何も与えられていない。念押しされる”これで良いのか分からない”という不安は、一貫して揺るがず示され続ける”正誤”の前に存在を許されず押し流される。
そして遂に最後のシーンまで「結末の解放感」は描写されることはない。
本作が素直に筋書きを受け入れる限りはハッピーエンドでありながら解釈が紛糾しているのは、ひとえにこの閉塞感の押し付けに対する感情の置き所に苦しい故と筆者は考える。そしてそれは恐らく製作陣の思惑通りだ。
人は本質的に己の選択を確信できない。
そしてその迷いは外部に届くことはなく、第三者はただ只管に彼らの”正解”を示すだけだ。
映画『8番出口』はこの定義の上で作品を描き切った。
その敢闘を筆者は称えたい。
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