「ループし続ける思考」8番出口 えあさんの映画レビュー(感想・評価)
ループし続ける思考
最後。
主人公が「出口」に向かって歩いていくと、外ではなくホームにたどり着き、また最初の電車のシーンに戻るんだけど・・・。
これって、結局、外には出られず無限ループする(してる)ってことなんだろうか??
あと、それぞれに絡む「異変」の有無がイマイチしっくりこなかった。
(ちなみに、元になってるゲームについては全く知りません)
・・・↑というのが、観た後すぐの感想なんですが・・・。
その後、丸1日いろいろ思考をめぐらせてみるにつけ。
映画を観てまず感じたのは、
ホラー物ではよくある「出口を出た先もまた閉じた空間だった」という物理的恐怖感。
でも、考えようによっては、
出口に辿り着けないのは、主人公自身の精神状態や社会的な閉塞感を表しているんじゃないかってこと。
すなわち、「毎日が同じ日常の繰り返し」「抜け出せない現実」へのメタファーであり、心理的なループの象徴とも捉えられるわけで。
そう考えると、もしかしたら主人公はずっと電車の中にいて、
とりわけ「子供」のことに関する悩みと思考を、ずっと繰り返していただけなのかもしれないな、と。
でもって、観た直後からずっと気になっていたこととして。
泣く赤ん坊と母親に対し怒鳴り散らす男の客に、何も行動できなかったトップシーンとは異なり、
まったく同じように見えるラストシーンだけど、
よくよく見れば、涙を浮かべた後、気のせいかもしれないけど、微妙に「動く(何か行動する)」直前のようなカットで終わったような気がするってこと。
ひょっとしたら、それは、その怒鳴る男と泣く赤ん坊と母親の間に入るのかもしれないし、
言ってみれば、
一見、まったく同じように見えながら、結果、「新たな自分に生まれ変わる兆し」で終わるということを描いたラストシーンだったのかもしれない。
すなわち。
まったく変わり映えのしない毎日のようで、実は自分次第で人生はいくらでも変えられる・・・みたいな。
そういう深さもある映画だったのかもしれないという気がしてきました。
と、こうした視点で見ると、
『8番出口』は、単なる不条理ホラーではなく、むしろ内面的な成長譚や都市社会での自己再生の寓話のようにも思えてきました。
※ただし、もしそうだとしても、その世界観が、そこまで昇華して描けていたかどうかは微妙なところですが(;´・ω・)
(あと、超個人的な受け取り方として、
「おじさん」が、実は「変われなかった(変わらなかった)」「子供を助けられなかった(堕胎してしまった)」パターンの未来の自分の姿のようにも感じました)
↑
とまぁ。あくまで、すべて超個人的な感想として、今もまだ、頭の中、ずっと思考がループし続けてます(~_~;)
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