「あれじゃ、世の中のお母さんが救われない」8番出口 グレシャムの法則さんの映画レビュー(感想・評価)
あれじゃ、世の中のお母さんが救われない
不条理の無限ループが最後まで不条理なままで、鑑賞しているこちらまで人ごととは思えない居心地の悪さが残る。
そんな展開を期待していたのですが、なんだか拍子抜け。
結局、
①迷い込んでしまった以上、ルールは守らないと「歩く男」のようになってしまう。
②相手が子どもであろうとも、ちゃんと信頼したうえでコミュニケーションを取らないと大事なものを見落としてしまう。
③二宮さん演じる「迷う男」はなんだかんだあっても、実直に人として正しい選択と判断をしたからこそ脱出できた。
ということで、ハッと思わせられる気づきのようなものは無かったように思います。
【気になること】
①乳幼児とそのお母さんについて
こどもの鳴き声に文句を言う男や見て見ぬフリをする周囲の大人たちに関して批判的に描いたように見えますが、この映画のような描き方だと、かえって子育て中のご両親やこれからお子さんを授かるかも知れない若い方々に不安や世の中への失望感を与える効果のほうが強くないでしょうか。
あの状況を救うのはひとりの男(ラストの迷う男)の勇気ではなく、何かのきっかけで表面化する周りの人たち(世の中)の善意。
という描き方をして欲しかったです。
②無表情なこどもについて
大した背景説明もなく、不必要に無表情、無口にして、人形系ホラー映画のように設定したのはなぜ?
迷う男の、どちらかというと〝浅い〟内面を描くために、母親やこどもの描き方がぞんざいというか雑というか、丁寧さが感じられず、不快とまではいかないけれど隔靴掻痒的な違和感が残りました。
大事なのは赤ちゃんではなく見て見ぬふりという話だからではないでしょうか?
そう考えるも無口な子供も繋がります。
子供は上手に異変を見つけられるけど上手く伝えられない。
それに気がついて、男の子が足を止めたのを見て見ぬふりをせず異変だと気が付けるかということが強烈なメタファーになっているのでしょう。
あの作品で異変とは通路で起こる不可解な出来事以外にも、目の前の困難に向き合わない姿勢という意味もあるのではないでしょうか?
おじさんは向き合えず、子供を引っ張ったのであの結末になった。
逆に迷う男は向き合えたので脱出が出来た。
最後の列車のシーンしかり赤ちゃんのシーンは大事なのはそこに迷う男が今まで向き合えなかった(異変)という事であって、世の善意を描く事を前提に話は進んでない気がしました。
(主題をそれにすれば?という話だと異変が何なのかがブレてしまうのでこれが最善かと)
こんにちは〜。
共感コメントありがとうございます。
好みは分かれそうな映画ですよね。
ちょうどグレシャムさんの共感を押したところが池袋でした。
今日は歌舞伎町タワーに行って来ました。
帰りは新大久保駅まで歩いて、現在千代田線です。
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