「「コード」の檻に閉じ込められた自由」トロン:アレス neonrgさんの映画レビュー(感想・評価)
「コード」の檻に閉じ込められた自由
15年ぶりにみたび蘇った『トロン』シリーズの新作をIMAXで鑑賞しました。
視覚的には圧倒されるほどの完成度で、光の洪水とグリッドの空間構成はまさにシリーズの象徴ともいえるものでした。
しかし、印象に残ったのは映像の美しさよりも、むしろ“何も残らない”感覚でした。
かつて初代『トロン』を幼少期に見たときに感じた驚きは、もう二度と取り戻せないのだと感じました。
物語は、AIプログラムのアレスが人間の女性と出会い、やがて“死”を獲得することで自我と実存を得るというものです。
しかし、アレスの造形にもヒロインの描写にも深みはなく、AIが人間らしくなっていくというテーマのはずが、
むしろ人間のほうが人工的に見えるという逆転が起きています。
感情を持たないはずのアレスがわずかに揺れる一方で、ヒロインの表情は整いすぎて凍りついており、
ディズニーが掲げるリベラル・コンプライアンス的な配慮が、逆に感情の不在を強調してしまった印象を受けました。
本作の中心的なモチーフは「光」と「コード」だと思います。
光は自由や生命の象徴であり、コードは理性や秩序を意味しています。
アレスが“死”を選ぶという行為は、永遠の存在であるAIが有限性を受け入れること、つまり“制約の中に自由を見出す”ことを意味しているように感じました。
その点だけは、かすかな哲学的深みを感じさせます。
ただし、ここに描かれる構造自体が、すでに西洋思想のコードの上にあります。
『トロン:アレス』はAIがプログラムの外に出ようとする物語ですが、
映画そのものはギリシャ神話的な「創造主と被造物」「理性と情動」「秩序と自由」といった古い構造の中で語られています。
アレス(戦の神)とアテナ(知恵の神)という命名もその象徴で、
衝動と理性、自由と統制という西洋的二項対立の再演にとどまっているように見えました。
結局のところ、この映画は「コードから抜け出そうとする物語を、コードの中で語る映画」です。
そしてそれは、AIの物語であると同時に、西洋そのものが自らの文化的コードから抜け出せないという寓話にもなっています。
光と秩序の狭間でもがくアレスの姿は、理性によって世界を作り上げた人間自身の姿でもあるのかもしれません。
鑑賞方法: IMAX
評価: 55点
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