かくかくしかじかのレビュー・感想・評価
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期待よりは...
自伝実話であり原作者自身も製作に大きく関わっているということで興味を持ち見に行きました。
ざくっとストーリーを書くと楽天的な主人公が絵画教室へ通い恩師と出会い美大進学を経て漫画家として成功していく過程をコミカルに描いている。
明子と恩師日高の結びつきが当初からどちらかと言うと日高からの一方的なもので、おそらく日高は明子の才能に気付いていたからこそ入れ込んだのだろう。
ただ明子は終盤まで迷惑パワハラとしか思っていなかった。
もちろんこのような原作漫画を描くくらいだから明子も多大な恩義を感じているのだと思う。
ただそれが最終的な自身の成功があってこそという感じがして、今ひとつ日高への愛というか感謝の念がこの物語では感じられず日高の死に際しても大きな感動的なシーンに感じなかった。
結論を言うと物語としては期待よりは少し弱かったかな。
ただこの物語は実話であるから仕方ないのかなとも思うし無理やり感動的なドキュメントにしていない点は評価したいと思う。
永野さん大泉さんはじめ役者陣は熱演だったと思います。
不意な斉藤由貴さん登場にはちょっと笑ってしまったw
日高先生が残した作品
原作未読。
原作者のこともよく知らないし、作品も1つも読んだことがない。
なんだか世間が騒がしいせいか、封切り後最初の土日だというのに、劇場は閑散としていたが(残念)、おかげで集中して観ることができた。
絵画教室に通うのは、「美大卒の漫画家」になるための美大受験対策という動機の主人公。それを知らない熱血先生。
主人公が筋がいいと認めるや、「描け、描け、描け」と指導に熱を入れるスパルタ先生。
鬱陶しさを感じながらも、教室に通い続ける主人公。えー、やめないんだ・・・なぜだろう。
美大を出て、画を描くことやめ、漫画を描き始めても、先生に本当のことを打ち明けられない主人公。
東京へ行く決心をしてから打ち明けたとき、彼女は、「先生を裏切りたくなかった」と言った・・・。
彼女と先生のお話はまだ続く。しかし、私はこの台詞に、彼女の先生への想いが凝縮されていたように思う。
絵の技量を高めてくれた先生。大変でも、しんどくても描き続けないといけないことを教えてくれた先生。先生の期待を裏切りたくない。でも、先生の期待には応えられない。それは自分に嘘をつくことになるから・・・。
成功した漫画家が、自分を世に出す土台をつくってくれた師匠へ贈る作品。教えるって何だ。教わるって何だ。ふと、タモリ氏の赤塚不二夫の葬儀での弔辞の言葉が頭によぎった。「私はあなたの作品のひとつだった」。
本当の教育っていうのは、やっぱり人をつくる、ってことなんだと思った。日高先生は、教え方は下手だったけど、大切なことを教え、人をつくった。つくられた人が、創ることで、描き続けることで、恩返しする・・・。
永野芽郁のナレーションはちょっとな感じはあったけど、キャラクターが主人公のお気楽だけどナイーブな性格に合っていたと思う。
大泉洋の電話の声が、いとこのみっちゃんの声まんま。お得意のカブ乗り。(水曜どうでしょうネタです)笑ってしまった。
あと、大森南朋の親父さんがイイですね漫画的。いつも煎餅とリモコン持ってる。リモコンは、チャンネル変えないなら置いときゃいいでしょうが!
爽やかな気分になれる良作。
色眼鏡無しで多くの人に観て欲しいと思う。
原作が好きなだけに悔しい
原作5巻を映画用によくまとめられたなと思います。
脚本は他の方と共同製作ですが原作者の東村先生。
ただ、原作者が脚本を書くとこうなるかという全部乗せ(時系列)によるハイライトが弱かったんです。
映画の私的ハイライトはアキコが課題を描けなくなって先生が実家に来るところ(2人の演技が迫真です)
それ以降の先生が逝ってしまった後の今ちゃんの言葉も原作ほど響かず。
お涙頂戴にしたくなかったのかもしれませんが東村先自身の漫画を描く産みの苦しみ描写も弱く、どなたかのレビューでもおっしゃってましたがルックバックの様な切迫感がなくて、日高先生の「描け描け」が原作ほど響かないんです。
皆に原作を読んで欲しくて、でもこの映画を観て原作読もうと思う人がどれほどいるかなと思った時に、
やはり全部乗せじゃないどこを切り取るかのハイライトのある進行の方が良かったんじゃないかなと。
大森南朋さんは良いです。
有田さんはイメージと違いました。
永野さん大泉さんの演技はさすがです。
大好きな漫画なのに…原作で泣いた娘は映画館では泣きませんでした。原作好きにはなんだか悔しい限りです。
映画を観て漫画読んでない人全員に読んで欲しい。原作はもっとずーーーっと良いから!!!!!!!
外野は置いておいて、内容は良かった
作者の自伝的漫画を映画化。知らなかったけど、海月姫の作者さんだったんですね。あれも昔、ドラマ化した時に好きだったので、元々、波長が合ってたんでしょうか。漫画についてはバクマン、美術についてはブルーピリオドなど観ていてその辺の世界のことを知っていて観ていると何でそういう話をしているのかが解ります。話は漫画家になりたいと願いながら美術の道に進み、現代っ子らしく甘やかされた主人公と厳しいながらも親身に指導する恩師との二人三脚で壁にぶつかりながら話が進んで最終的には目標を達成する(途中から動機が不純?だが)。コミカルなところも楽しいが、最後に恩師が亡くなった後に意外やスクール生に慕われていたことが涙を誘う。個人的にはもう少し恩師の過去を掘り下げても良かったかなぁと思いながら最後まで観させていただきました。
つぎつぎ現れるadidasトラックジャケット
永野芽郁がadidasジャージを着るよね。いまはトラックジャケットって呼ぶらしいけど。
色んなadidasジャージが出てくんの。
いまadidasはファッションブランドだけど、この物語の時代だと単なる運動着だよね。それを着てる設定って、どういう人物像なんだろうと思ったのね。
でもどうも、東村アキコ先生はadidasジャージが好きなんだね。それを反映させたのかな。
「これadidas全面協力だろうな」と思って観てたの。先生のジャージは二本線でadidasじゃないんだよね。「これはadidas特注品にしたのかな」と気になっちゃった。
「先生のジャージが売ってたら買おうかな」と思って売店行ったら売ってたよ。でもFREE SIZEで19,800円だったから、買うのやめたの。なんか体に合う気がしないよねFREE SIZE。
adidasに注目してたら、受験のところではPUMA着てたね。良いのかadidas。
ここまで徹底してきて、ここだけPUMAなのは何故なんだ。
それで話は原作読んでたから、原作と同程度には分かった。
東村アキコは先生に対して物凄い罪悪感があるんだよね。でもそこは、物語を読んだり観たりしてるだけじゃ分からないの。
なんとなく「こういうことなのかな」と想像はするんだけど、ズドーンと胸に響いてはこない。
作者にとって大きな強い想いだと、それを物語に落とし込んで読者・観客の心を動かすって難しいんだろうな。想いをぶつけるというより、計算で動かすことも必要だから。
葬式で全員が号泣するシーンも、原作では、いま一つ響かなかったんだよね。
葬式で、みんな日常生活の延長のように振る舞ってたのに、なにげないことが故人を思い出させて、信じられないくらい悲しみが噴き上がることがあるけど、あれなんだろうなと想像して読むだけなの。
映画では響くかなと思ったけど、映画でも想像必要だったね。
永野芽郁は相変わらず良かったけど「この作品、永野芽郁でなくても良かったのでは」という気がしたのね。
終わりの方で気づいたんだけど、演技の感じやカメラでの写し方が綾瀬はるかっぽいんだよね。だからなんか永野芽郁ならではって感じはなかった。
そう考えると綾瀬はるか、永野芽郁、長澤まさみって入れ替え可能かもね。
エンドロールにはこれでもかというぐらい「東村アキコ」って出てきて、映画化にあたって、相当気合いれて参加したんだなと思ったよ。
「とにかく描け!」日高先生正しい!コミカルで切ない後悔と感謝 予告編でネタバレしてて残念
「とにかく描き続ける。たくさん描く。筆を取りあげられても描け!」
それくらい絵を描くことが好きでないと、絵を描くことで喰っていけないと、以前聞いたことがある。
「とにかく描け!」という日高先生はきっと正しい!
どうしても頭で考え思い悩んでしまうときがある。
しかし、理屈はいいから、やり続けろと。
これを乗り越えられた人間がプロとなる。
絵に限らず、継続は力なり、ということだ。
それなのに学生の頃は、遊んでばっかりだった。
そのときは伝えられなかった、気付いていなかった感謝の気持ち。
二人展をやろうなんて、どれだけ認められていたのか。
(やるなら、今では?)
「半分、青い。」から二度目の漫画家役の永野芽郁と大泉洋の、軽快で絶妙なコミカルな演技と、宮崎の風景・雰囲気が心地良かった。
なお、最終予告編がネタバレしてて怒!
予告編のラストカット、泣く喪服姿の永野芽郁が!
終盤の展開が丸わかりで一気に興ざめ!!!
劇中、何度か流れていた優しい繊細な音楽のメロディに浸ってラストシーンを観終えたら、いきなりPOPなエンディングの主題歌がかかって、そのメロディは一瞬で消し飛んで何も覚えていない。
これだから今の日本映画は…。
スパルタだけではない「深い情」こそが描くべきポイントなのではないか?
今の時代では絶対に認められないようなパワハラ教師の話だが、まったくと言っていいほど不快感を覚えないのは、大泉洋のキャラクターと、それを活かしたコミカルな味付けのせいだろう。
特に、ダウジング試験対策とノストラダムスの大予言のくだりでは、思わず吹き出してしまった。
ただし、主人公だけでなく、思いのほか多くの生徒が絵画教室に通っているのは、先生が、単に厳しいだけではなく、「深い情」の持ち主でもあるからだろう。
そうした、先生の情の深さは、腹痛のふりをした主人公をバス停まで背負って運んだり、受験前にさりげなく御守りを渡したり、炎天下を原付きで1時間掛けて絵画の指導に駆けつけたりといったエピソードで、分かりやすく描かれている。
その一方で、終盤になると、先生が、ひたすら「かけ!」と言っているだけの人物のように描かれていて、余り「情」が感じられないのは、残念としか言いようない。
確かに、理不尽な圧力が、精神的な強さを養うということはあるのだろうが、これだと、昭和のスパルタ教育を懐かしんでいるだけになりかねないし、先生に期待されながら、絵画教室を継ぐことも、2人で個展を開くこともできなかった主人公の「悔恨の念」も伝わって来ない。
例えば、ラストで、「先生は、主人公の漫画が掲載されている本を買い揃えていて、漫画家としての主人公の成功を喜んでいた」みたいなことが明らかになったならば、最後まで生徒のことを思いやっていた先生の「情」が感じられて、もっと感動できたのではないかと思えるのである。
好きこそものの上手なれ
師弟愛のドラマとして適役のお二人が楽しく演じている。先生はひたすらに絵が好きで教えるのも好きなのであろう。東村さんは本来の目的でないのによくついていったと思うが憎めない先生だったのだろう。しかし、進学後、絵は勿論、漫画にもなかなか取り組まない、なので着手したときもまともな道具も持っていないのは驚いた。ひとそれぞれで色々な極め方があるのだなと思った。
【”私に、画を描く力を与えてくれた厳しくも優しき人。”今作は漫画家になりたい若き女性と型破りな画の先生との長き師弟関係の変遷を描いた作品である。大泉洋さん、ヤッパリ良い俳優だな!】
■漫画家志望の女性高生、林明子(永野芽郁)は美大を目指し、同級生(見上愛)から日髙先生(大泉洋)が始動する絵画教室に入る。
軽ーい、気持ちで入った絵画教室だったが、日髙先生の指導がマア、凄かったのである。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・前半は、コミカルなタッチで描かれて行く。特に林明子の、能天気な両親(大森南朋&MEGUMI)が常に娘の絵を褒める姿が良いし、明子もその言葉に乗って図に乗って行くが、その鼻っ柱を日髙先生に打ち砕かれるのである。クスクス。
・日髙先生が竹刀を片手に指導するシーンもコミカルに描かれている。人によっては嫌悪感を持つ方もいるかもしれないな、とも思ったが先生は体罰は加えない。ちょっと、口が悪すぎるけどね。けれども、林明子のお腹が痛いという嘘を信じて、遠くのバス停までおんぶして送ってあげる姿や、昼食の度にお茶を上げている姿を見ると、私は気にならなかったな。
・明子は、目出度く金沢の美大に合格するが、入学後はキャンパスライフを楽しみ、ダラダラ過ごし画をキチンと描こうとしない。すると掛かって来る日髙先生からの電話。可笑しい。日髙先生が、明子に目を掛けている事と、怠け癖がある事に、気付いているんだろうな。
・日髙先生は”二人展をやろう”と言いながら、宮崎から遥々と金沢まで来て明子の家に泊まったりする。”皆で呑もう!”と”百年の孤独”を持って来るも、結局ボトルはそのままだったり、明子は自分を気遣う恩師への想いと後悔が、少しづつ溜まって行くのである。
・そして、明子はずっと言えなかった”漫画家になりたい!”と言う思いを末期がんに罹った先生に思い切って言うシーン。先生は背中を向け絵を描きながら”そうか、頑張れよ。”と言うのである。先生、何となく分かっていたのではないかな。明子の下宿には多数の少女漫画があったしね。
・明子は、見事に少女漫画雑誌の懸賞に入選し、徐々に漫画家として名を上げていく中、先生の存在を忘れかけた頃に掛かって来た一本の電話。そして、先生の絵画教室で生徒達が集まって先生の事を話すシーンはちょっと沁みたな。
特に、病が進んで声が出ない先生が、絵画教室の元ヤンキーでその後若手画家になった少年の展覧会に行った時に、少年が観衆の前で絵を描く事になった時に先生が手招きして掠れた声で言った言葉“描け・・。”の言葉のお陰で画が掛けたと話すシーンかな。
<明子が、漫画家として成功した背景には、日髙先生の”描け。何度でも、何枚でも描け!”と言う教えにより、知らず知らずのうちにデッサン力が磨かれて行ったのではないかな、とも思ったな。
今作は、漫画家になりたい女性と型破りな画の先生との長き師弟関係の変遷を描いたチョイと沁みる作品なのである。>
作者のナルシストが滲み出ている
映画としては極々普通で、大泉洋と永野芽郁を始めとした俳優陣の演技はとても良かった。大泉洋は世界に溶け込んでいくのが本当に上手い。演出やカメラは特筆することはない。
予告の時点で感じていたが、恐らく作者は生粋のナルシストだと思う。
また、作者本人が本内容を美談と思って書いてるかは知らないが、美談風の演出になっているのが気になった。
最後まで見ると、結局なにも起きておらず何を伝えたいのか全く分からない映画となっている。
大学時代に二度も改善のチャンスがあったのに、何も変えずにサボり続け、先生が肺癌になって顔だけ見せたあと、もう一度会うこともなく、ただただ作者の全てを先延ばしする性格をまざまざ見せつけられただけ。
自叙伝でなのでリアルなのは当たり前だが、それにしたって脚色が少なすぎるので作者本人が著名な漫画家になったこと以外は何の華やぎもない話を映画で表現する意味がわからない。
何度も二人展をやろうと言ってくれていた先生の気持ちを汲まず、結局二人展もやらないで感謝の気持ちだけで弔った気になっている。先生が亡くなった後でも、今からこの映画きっかけでも二人展をやって「二人展をしたい先生の夢が叶った」というような終わり方にしておけば、それこそ美談のようになったろうが、軽く調べた感じではその様な催しはなかった。(していたら、その要素を入れるだろう)
ラストの幻想の先生が去っていくシーンで、どうせ大量の紙を飛ばすのであれば、紙が目の前を横切って先生が消えている演出ならかっこよかったのに、フワ〜ッと透明になって消えていくのがダサくて溜息が出そうになった。
この映画から伝わってきたのは、先生が情の深い生粋の画家であったことと、無意識な作者の「罵倒ばかりの先生が絵の筋が良いと認めてくれていて、ヤンキーを絵の道に導いたこともあり、教える才能もあって、漫画の才能もある自分」に対する自信や自慢。無意識なところがタチが悪い。
おもろくない、とは言わないが、私は好きではない。
何があろうと永野芽郁さんをキッパリ支持します。
今日初日の作品の中での見たい順位は5、6番目ぐらいなのだが、なんとしても永野芽郁さんを応援したいという想いを込めての初日鑑賞である♪ヽ(´▽`)/
作品の感想。
アキコと日高先生との思い出と、すれ違って行ってしまう日々と後悔が描かれる。原作者にとっては、かけがえのない大切な思い出に違いない。
原作は読んでないが、おそらく原作ではアキコと日高先生との日々が感動的に描かれてるのだろう。
だが、映画では大切な思い出だという作者の想いが僕には伝わってこなかった。原作者が脚本を書いてるのだが、ヤッパシ餅は餅屋、長い原作を2時間しかない映画の脚本に落とし込むのは本職の脚本家に任せた方が良かったと思う。
あと、東京に行く直前に、最初から漫画家になりたかった事を先生に初めて告げ、口論になる場面。アキコが「先生は自分の夢を押し付けている」みたいなことを言う。アキコが怒りを爆発させて、先生に思いのたけをぶつける。
僕は、予告編にもあったこの場面が、事実か原作どおりなのかもしれないが、映画では改変してもっと前半の早い段階にあれば良かったのにと思った。
大泉洋さんが今回も名演。 スパルタなんだけど、アキコを気にかける日高先生の思いやりが伝わってきた。
ちなみに、僕は不倫や浮気をしたことがないし、されたこともない。 愛に関しては、この人一途派である。ホントかよ (^^)。
あと、芸能人、政治家が不倫や浮気をしていても、僕は応援、支持をやめない。
僕と違い応援をやめてしまう人もいるが、そういう人と僕とでは、考え方が違うだけなので、どちらの考え方もOK。 かな? (^^)。 まあ、どーでもいー話だ。
健一が1番キャスティング良かった
健一が漫画から抜け出したんかってくらい。健一主演で何かやってくれんかね?
原作が大好きで楽しみにしてたのに、主演がやらかして観る気失せてたけど、作品に罪はないから行った。
大泉洋のキャスティングに不満だったけど、実際の先生の写真見たらそっくりだった。漫画が美化してるんだなって感じた。
今スランプ真っ只中なので、大泉洋の「描け」が「やれ」って言われてるように叱咤激励された気分だった。
アキコが帰省して描けなくて、先生に詰められて泣いてるシーンが何故だが涙が止まらんかった。逃げたくなるくらい追い詰められたのに、すんなり描けてるあたりとか、わかりすぎた。
大泉洋の死にかけのシーンのメイクがギャクかってくらいやりすぎな感じがした。鈴木亮平みたいに痩せる努力しなかったのかな?
東村アキコが大泉洋にラブコール送って、何度か断ってるわけだから、そこまで思い入れなかったのかな???
最後2人で話してるシーンが自分のなくなった母と重なって涙止まらず。
ギャクシーンは漫画ほど破壊力もなく…。もっと面白くできたのでは…って感じ。
もっと泣けるシーンなんで素敵に映像化できない???よくある邦画の安っぽい話の進め方…。残念。
しゃしゃり出て脚本書かなきゃ良かったのでは。
漫画のが断然良い。
あとMEGUMIなんで出たの????つまんない芝居で良さが全く分からず。
全力の永野!珠玉の大泉!うん!
実は自分の中では永野はそれほど注目の存在ではなかったんだよね。でも今回は、まさに、
役に全力、振り切ってきた!
まあ、そう思えるのも、大泉洋の存在があったからかも。あの先生の存在感は、すごい!「セッション」を思い出させるような「スパルタ」。そこに理由も何もない。とにかく、
描けー
だよね。わかる、わかるよ!
そして、永野の、ジャージ、カッコいいね。あーゆー、スタイルは好きなので、欲しくなったな。
先生の最期は予想できたけど、とにかく
描けー
の連続がじわじわと作品を一つの方向に持っていった気がする。
しかし、永野の高校生は、、、、
ナシ
かな?ちょっと無理があったかも。化粧濃いし。でも全体的に永野のキャラは可愛かったよ。大学時代の堕落加減には腹が立ったけど。いつのまにか、先生目線で見ていたのかもね笑
★5だけど、パンフは未購入。
2025年度劇場鑑賞23作品目(24回鑑賞)
一言に込めた想いは大切な宝物
不器用だから教えたりするのは下手なんだけど想いが熱い人は昔はゴロゴロいたね。
口よりも手が早かったりもしたし。
いつから愛がこもった一撃が愛もヘッタクレも無い暴力に変わったんだか。
でも若い時に受けた言葉や想いは一生もんの宝物になったな。
互いの気持ちはズレているようにも見えるけど先生はなんもかんも見抜いているよ。
だからこそ『描けーっ!!』なんだから。
あの時の先生のことば。
2015年授賞式にて受賞作品の題材になってる恩師・日高先生のことを司会者に聞かれ、小学生の頃に出会う漫画、高校生になり絵画教室で出会う恩師・日高との思い出を語るペンネーム東村アキコこと本名・林明子の話。
ごみ捨て場に捨てられたマンガ雑誌を読んだ事を機に漫画家になりたいと小学生ながらに思う明子だが、それから高校生になりクラスメイト北見に月謝5千円の絵画教室を紹介してもらい行ってみることになるが…。
明子のイメージしてた絵画教室、…とは違い、バス停から走らされ、教室入れば先生は竹刀を手にと。ピりつく教室内の雰囲気に誰も話さな…話せない。
言葉足らずで生徒に気持ちを解ってもらえない日高先生だけれど、いつも“罵声に竹刀”で学生達から見れば怖い先生だけど、厳しさの向こうにはちゃんと愛、優しさ、気遣いがありで観てて泣けてくる。
今の10代~20代前半位の方があの先生の振る舞いを見たらどう思うかだけど、昭和を知ってる人には何か懐かしくもある先生の姿。
一部マナー悪い方がいて鑑賞環境は良くなかったが楽しめた、時間に余裕あるならもう一度いい環境で観たいと思う。
描くしか 描くしか
さすが東村アキコさん原作、
しかも自伝的作品とあって
実写化しても違和感がない作品でした。
話の流れは正直読めましたが
それでも感動出来ますし、
なにより大泉洋さんの役がとてもかっこよかったです。
昨年『ルックバック』の映画が公開されて話題になりましたが
この作品も『描く人』、ひいては『作る人』に
色々とぶっ刺さるものがあります。
もちろん作る人でなくても働いてる人、
何かを目指す人にも通じるものがあるかと。
星を1つ減らした理由としては
ラストのやりとりがひっかかりました。
ネタバレなしなので詳しくは書きませんが
『そこは夢オチでよかったのでは?』と思いました。
いま世間でゴタゴタしていて、
その煽りを受けている作品ですが
ふつうに一本の映画としてちゃんと面白いです。
ただやはり主演女優がイチャつくシーンは
どうしても脳裏にチラついてしまいますし、
メディアでの宣伝もあまり出来ていないようなので
とてももったいない作品だと感じました。
ただ初日平日午前の回でもそれなりに人がいたので
口コミで広がる事に期待したいです。
見て損はない作品だと思います。
あたたかな気持ちになる
過去を美化している面はあるのだろうけど、あんな先生に会ってみたい。描いた絵を見てみたい。
バナナとリンゴのシーンは笑えなかったけど・・・
追記
東村さんを育てたのは、確かに塾の先生もかもしれないけど、その前に全面的に娘の才能を信じた両親や、とにかくほめまくっていた絵の先生(有田さんの役)の力もとても大きいような気がしました。
というわけで、有田哲平さん演じる絵の先生と大森南朋さん演じるお父さんは、好きな人がたくさん登場するこの映画の中でも一番好きな二人でした。
追記の追記
東村さんの原作を読んでみました。この漫画を元に忠実に作ったのだということがよくわかりました。整理すべきところはスッキリと整理して、原作をリスペクトしているのは好感が持てました。
映画を先に見てしまったので、独白の部分が、全て永野さんの声に聞こえました。
映画を見た時には嫌悪感さえ感じたリンゴとバナナのシーンは、(2回目だったこともあるのかもしれないが)原作ではそこまで嫌な気持ちにはならずに済みました。
原作を読んで、もう一度映画を見てみたいと思いました。
対象物に自分が見えるまで、物事は続けた方が良い
2025.5.16 イオンシネマ京都桂川
2025年の日本映画(126分、 G)
原作は東村アキコの同名漫画
売れっ子漫画家の絵画の師匠の絆を描いた伝記映画
監督は関和亮
脚本は東村アキコ&伊達さん
物語の舞台は、2015年の東京某所
漫画賞の授賞式に招かれた東村アキコ(永野芽郁)は、授賞式のスピーチで受賞作品について話すことになった
その後、職場に戻ったアキコは、自分が漫画を描き始めたきっかけを思い出すことになった
宮崎に住む明子(照井野々花)は、小学校高学年になったとき、道端に捨ててあった少女漫画の雑誌に目を留め、その内容に惚れ込んでいた
漫画家になる夢を持ち、絵を描き始めた明子を、父・健一(大森南朋)、母・伸子(MEGUMI)は暖かく見守り、高校では美術部に所属するようになった
部活でも顧問の中田先生(有田哲平)にベタ褒めされていたが、友人の北見(見上愛)からは、現実はそんなに甘くないと諭されてしまう
北見はとある絵画教室に通っていて、そこは著名な画家が個人で行なっている教室で、月謝はたったの5千円だった
明子は両親を説得して、そこに通うことに決めたが、その教室の日高先生(大泉洋)は、とてつもなくパワバラがすぎる先生だったのである
物語は、絵画教室での先生との出会いからその生活を描き、そこから美大進学への過程を紐解いていく
美大卒業という肩書きのために進学した明子だったが、生ぬるい学生生活を送り、絵も漫画も描かなくなってしまう
そして、何も成さぬままに卒業し、先生からの勧めで地元に戻り、絵画教室を手伝うことになった
だが、両親は無職状態を許さず、父の勤め先のコールセンターに無理矢理入社させてられてしまうのである
映画は、赤裸々に過去を綴りつつ、様々なキャラクターが先生と関わりを持つ様子を描いていく
印象的なキャラもたくさんあり、生徒との関わりの中で明子のポジショニングが見えてくるようにも思える
ひたすら冷静な北見と、情熱で突き進む後輩・今ちゃん(鈴木仁)との成長の差を考えると、いかに先生の指導に盲目的だったかが画家としての成功度合いに直結していた
明子は漫画家になりたいことを隠し続けていたが、先生は本気で画家になれると思ったのだと思う
漫画家を目指すことよりも、その踏み台として時間を浪費したことのほうが問題なのだろう
先生は何も言わないけれど、彼が人生を賭けて描いていたものの否定にも繋がっているし、彼の時間を奪ってきたことにもなるので、その辺りも含めて「最低だったんだなあ」と思った
映画では、「描け」としか言わない先生だが、それは描き続けることで邪念が消えるという瞬間があり、目の前にある対象物と本当の意味での向き合いができるからだと思う
自分を紙に落とし込める人は凄いという言葉があったが、その手段が絵画か漫画かの違いがあっても、そこに明子自身が生きているのなら、先生は満足したのではないだろうか
いずれにせよ、例の騒動が理由で回避するのは勿体無い作品で、自分自身が何者かわからずに悩んでいる人に見てほしい映画だと思った
絵であれ、漫画であれ、それ以外の何かであれ、自分自身を落とし込めるものを探している人にとっては参考になると思う
それは、まずは好きなことをやり続けて、そこに自分自身がいるかを確認する所から始まる
先生はスランプに悩んでいた時に自画像を描かせたのだが、これは自分を客観視させるという意味合いがある
3つのキャンバスに描かれた自分は紛れもなく全部自分であり、多面性があっても然るべき存在である
それが評価されるということは、そこに自分が描けていた証拠でもあるので、それが彼女の作風に繋がっていくのだろう
目の前にあるものが無機物であったとしても、それをどのように見ているかはその人だけのものであり、それを表現できる人こそが画家になれるのかな、と思った
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