かくかくしかじかのレビュー・感想・評価
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自分の恩師について思いを巡らせてくれる作品
原作が好きだったので観に行きました。
原作のコミカルさを残しつつ、映画らしく感動的な作品に仕上げており、とても満足感を感じる映画でした。
先生みたいに自分を導いてくれた人はいたかな、と自分の過去をぼんやりと考えながら見ていました。昔は気づけなかったけど今になって大切だと思えること、誰にでもありますよね。そういう存在は貴重だったなと思うし、自分もそうなりたいなと思わされました。
あとは、とにかく「描け」と言う言葉。スポ根が毛嫌いされる現代だからこそ映える言葉なのかもしれませんね。
最後に。永野芽郁さん、10代から30代まで演じ分けて、時に可愛らしくコミカルで時にシリアスで美しく、改めてとても魅力的な俳優さんだなと思いました。20代の彼女の作品が少なくなりそうでとても残念ですが、また表舞台に戻ってきてくれるのを心待ちにしたいと思います。
良くも悪くも無い
はっきりいって微妙な作品でした。
東村アキコ原作の自伝の作品である「かくかくしかじか」
私も1度友人に借り読んだことがありますが、ハッキリ言ってそちらの方が良かった。という点が上げられます。
まず、先生の日高健三のキャラクターの深堀が少なかった印象です。
作中通してずっと描けと怒鳴るだけのキャラクターになってしまっていて、何か違うという印象でした。
次に主人公の怠惰さを表現しすぎという点です。
原作でそう描かれていた記憶はありますが、それ以上にキャラクターの魅力が描かれていたと記憶しています。
私自身、何年も前に読んだので曖昧ではありますが、やはり映画だけを見るとキャラクターの印象が違うと思ってしまいます。
いえ、ここまではいいんです。
ストーリー展開もまぁどちらかと言えば王道物。
まぁ楽しめた方ではありました。
少し酷いと思ったのが、締めくくり。
もう少しどうにかならなかったのかと鑑賞中に思ってしまいました。
広げるだけ広げた広敷を綺麗に畳まず、雑に丸めたような違和感がありました。
ですがまぁ、それは原作を読んでいるから違和感を持つのかもしれない、映画単品だけで楽しむのであれば中々面白い作品ではありました。
大泉さんの演技も上手く心理描写を表現出来ていたと個人的に思いましたので、やはりもう少し深堀が欲しかったなと思ったので良くも悪くも星3.5です。
王道感動ストーリー
他の映画を見ていて、この作品の宣伝が流れたのですが、その宣伝でどういう映画なのかすぐわかる。
友人に誘われて観に行きました。
素直に泣ける。感動。
実話だという下地がありながら、漫画的、そして映画的なエッセンスも加えられるのですが「宣伝みるだけで『あぁ、きっとこの先生は死んで、泣ける作品』だろうな」と判った上で、その予想通りのストーリー展開で泣けるのだから、原作、映画スタッフ、そしてキャストのチームワークが良いのだと思います。
個人的には、やはり大泉洋の演技。厳しさ、頑固さ、変人さだけでは引かれてしまうところに、笑いのエッセンスとチャーミングさ、何より絵と生徒への愛が表現されていたので、とても魅力のある日髙先生でしたね。純粋で不器用というのも魅力ですね。
永野芽郁 今回の騒動一切関係無しに正直何故かあまり魅力を感じたことがなく・・・・彼女の作品を初めて見ました。いや、素晴しかった。誘ってくれた友人曰く「芽郁ちゃんは泣き顔(泣き方)が凄い綺麗なんだよね」という評価が成る程と。ストンと自然に林明子に見えました。
個人的に日髙先生が何故にこういうキャラになっていったのかというバックボーンが描かれていなかったことに物足りなさはあったのですが、敢えてそういう要素を描かず現在進行系の姿のみを追うことで「絵に対しての純度」が描き出されてもいるのかなとも・・・・
この作品を見ていて「ルックバック」がよぎりました。
夢中になれるものとの出会い、かけがえの無い人との出会いと別れ。
今、AIで簡単に絵を”生成”することが出来るけれど、絵にしても、漫画にしても、人が情熱や積み重ねた人生や人間性を絞り出したり、全力でぶつかって出来上がる作品の熱量には敵わないなと思える作品でした。
良い作品。でも、良い作品なのに、主演女優のスキャンダルとフジテレビの制作というのが足を引っ張っているイメージがあり、残念です。
如何なる役柄でも成果を出す大泉洋
一万時間の法則
「描け描け、とにかく描け!」と大泉洋扮する日高は永野芽郁扮する林明子に言い続ける
描くことだけではない、自分が何者かになるためには一万時間そのことに向き合えば何らかの結果を得ることができる、私もそう思います
一万時間、1日5時間なら2000日
5年と半年毎日5時間です
しかしそれはあくまでも始まりに過ぎずその先ももっともっと続けることに意味があるのでしょうね
それだけの熱意が日高からは滲み出ている
とにかく真っ直ぐに絵が好きなのだろう
その気持ちを生徒へストレートにぶつけていく
そんなやりとりをコミカルに映し出されてはいるけど世が世ならかなり問題が多いのかも
でも習う側が良ければ今でもアリだと私は思うのですよ
私だって今からでもまだ何者かになりたいという望みを捨てたくはない、と相変わらず夢ばかりを見てしまう日々なのだった
最後に是非とも日高先生の作品を見てみたいものです
見るのは得意なので
最近見た映画では一番の涙量
予想超えてきた。泣けたーー( ; ; )
やっと観れました。
これは良い映画!おすすめします。
永野芽郁ちゃんで、ちょうど良い!というか、やっぱり彼女は上手いし、めちゃキュート。
例えばこの役を橋本環奈とか長澤まさみだったら、きっと鼻についてたと思う。
永野芽郁ちゃんだからこその、コメディ感と、やっぱり流石のベテラン大泉洋との掛け合いが絶妙で、素晴らしい。何度も笑って声出そうになって。
竹刀を振り回す破天荒な美術講師が、いろんなことがもうめちゃくちゃやな、と思いながら見てるうちに、なんか好きになってた(笑) 熱くて、まっすぐで、誰よりも純粋な人なんだな!と。
そして、最後に・・・あぁ、涙止まらなかった。
人って、本当に出逢いで運命変わる。
でもそれって、きっと会うべくして逢ってるんだろうな。
芸術は魂の叫び。小手先では誤魔化せない、心の鏡。
描け描けーー!とにかく描けーーー!
何も考えんと描くんやーーー!とにかく描けーー!
鬼に見えた先生の顔が、年月を経ると懐かしく、むしょうに会いたくなる。そんな濃密な青春の日々。
それにしても最後に先生が描いてた浜辺の絵、素敵過ぎた。
良い映画観たなぁと、温かい涙流して、久しぶりに嬉しい気持ちで映画館を後にしました。
まだの方は、ぜひに。
あのマンガは!
原作ファンです。
永野芽郁が読んでるマンガが、松苗あけみせんせーだ!(純情クレイジーフルーツ?)とか、あのカバーは吉野朔実せんせーだって判るくらいには同世代なので、あの時代のスパルタな指導にもあまり拒否感はありません。
面白かったです。主演二人が醸しだす空気感が最高でした。大泉洋はもちろん、永野芽郁もコメディとシリアスを自由に行き来していて素晴らしかったです。
そのコメディ演出なのですが、ちょっとやり過ぎかなぁとは思いました。監督が『地獄の花園』を撮った人なので覚悟はしてたんですけどね。おそらく監督はああいうコミカルな演出や「PVですか?」って感じの演出が好き(もしくはそれを求められていた?)なんでしょう。
この二人ならば過度な演出をしなくても面白み、可笑しさを滲ませてくれたと思うので、もっと役者を信じてシリアス寄りの演出で見てみたかったです。
正確なセリフは忘れましたが、モノローグで、亡くなったせんせーに「ひどい生徒だったね」と語りかける永野芽郁の声のトーンにやられました。心を掴まれますよね。
ボロ泣き
主人公・林明子と、絵の恩師・日高先生の絆と失敗や後悔、葛藤など。その関係性が物語の軸となります。
厳しく恐い先生だけど、心の根底は真っ直ぐで純朴で優しい人だと思った。そして強い。
世話になった方への不義理や、楽しさに流されて何もせず過ごしてしまう学生時代など、自分の過去とも重ねて胸が痛かった。
映画終盤は特に大泉洋さんのお芝居に引き込まれ、ボロ泣きでした。
作品とは直接関係無い雑音で、映画を観ない
という話を聞くと本当に残念です。
みっちゃん。あの教室にもし居合わせていたとして、リンゴとバナナを目の前で食べ出したら、腹よじれて食べてる弁当吹き出していたと思う。
かくかくしかじか
原作無視?
テレビドラマ等で原作の尊重が騒がれていた時期を含んで企画・製作されたであろう東村アキコの自伝的映画。
ご本人及び個人プロダクションが製作の中核に加わるなど、これ以上ない体制で作られており、原作無視など存在しない世界です。
だからでしょうか、方言のイントネーション含め宮崎の空気感が存分に詰め込まれており、この作品への意気込み、拘りが半端ない。
風景等で時代考証?的に気になる部分もなくはない(大淀川を渡る電車の世代や宮崎に帰る際の航空会社など)ですが、それは瑣末な話ですね。
映画としてこの作品の一番の魅力は、なんと言ってももどかしくも温かい人間関係の描写。
普通ならそこで縁が切れそうな展開や言葉の応酬があっても、次のシーンでは師弟関係が維持されているあたり、人間関係は良い意味でもままならないものだというリアリティを感じました。
これは絆とか縁とか言うよりも、それでも相手を思う意思みたいなものなのかもしれません。
中だるみもなく、ラストまでのペース配分も本当に良かったです。
映画を通し、宮崎という土地とそこに暮らす人達がいたからこそ、この絵画教室も東村アキコという漫画家も成り立ったのだなと思いました。
特に父・健一が健一すぎて…。説明なく常に甘いものを食べてるあたり、細かいなあと思いました。
昔、NHKが金沢制作で彼女が自身の半生を語るインタビュー番組を流していたのを見たことがありますが、これを見ると宮崎制作のほうが明らかに相応しい、見てみたかったなと改めて思った次第です。
観るつもりなかったのに…素敵な作品
あざとい
可能であれば週に1度は映画館に足を運びたいと思っている。
だが、今日は本当に困って究極の消去法で本作を選択。
あの騒動がなければタイミングが合えばくらいには思っていたが、
完全に選択肢からは消えてしまっていた。
端的に言えば、ヒロインが彼女云々に関係なく何度も吐息が漏れた。
きっと最終的にはこういう流れで泣かせようとするんだろうなと読めているので、
そこに持って行くまでにいかに師弟の絆が構築されていったかが重要なのに
それが全く感じられなかった。
底意地の悪い見方をすれば、恩師を利用して泣かせようとしたともとれる。
それは余りに穿った考えすぎるだろうか。
そうだとすれば、かのヒロインにぴったりのキャスティングだったと言えるかもしれない。
もしかしたら原作は違うのかもしれないが、読む気にすらなれない。
それにしても、斉藤由貴の扱いって一体・・・。
撮られたのはかなり前なのだろうが、
ヒロインの未来を暗示しているようにみえたのはわたしだけか?
真っ直ぐな先生
面白い!
数々のデッサン画がアンカー(錨)のように効いている
実話が持つ説得力を、
端的にビジュアルの力で観客に直接訴えかける技術の高さが際立っていた。
単なる実話の再現に留まらず、
その核となるリアリティを巧みに「調律」することで、
感情の過剰な揺れ動きさえも不思議と安定させていた。
本作におけるその「調律」の基準点として機能していたのは、
かなりの数の【デッサン画】だ。
それはまるで、
クラシックコンサートにおいてコンサートマスターが、
演奏前に出す、基準音、「ラ」の音、440ヘルツ前後のプワ~って音、
すなわち全ての楽器が調和するための絶対的な基準音のように、
作品全体の「クオリティのライン」を決定づけているかのようだった。
映画の中で繰り返し登場する、
あの息をのむ、といっても過言でないデッサン画の数々が、
物語の真実味を担保するアンカー(錨)として、
機能していたのではないだろうか。
先生の「かけかけかけ」という叫びにも似た呪文、
あるいはパワハラ指導シーン、
コミカルな場面など、
演出のトーンが、
過剰になりかねない要素が、
このデッサンという基準点によって見事に調和していた。
映画全体が、
そのリアリティラインに沿って丁寧に調律されていたからこそ、
観客は感情の波に乗りながらも、
決して物語の核心から逸れることなく、
没入できる構造になっている。
そして、この「調律」の巧みさは、
端的な視覚的要素として衣装やロケーションにも如実に表れている。
物語の後半、
それまでカラフルな暖色系だった主人公のジャージが、
鮮やかな青へと変化していく様は、
単なる衣装替え以上の意味を持っていた。
それは、先生の純粋な心に呼応する主人公、
広がる青い空とが見事にシンクロするかのようで、
観客個々の日常に仕事に勉強に部活に、
それぞれの心に静かに、
確実に響く効果を生み出している。
もちろん、
セリフに頼らずとも感情を伝える主人公の「黒眼芝居」の技術の高さは、もはや語るまでもないだろう。
【蛇足】
あのデッサン画のような美術装飾品は、
通常の映画の現場だと、
美術部または装飾部が準備する。
しかし、
美術デザイナーはその技術があっても、
セット図面、ロケセットデザイン、予算作成などが、
優先される。
装飾部は撮影前の飾り込み、
撮影後の撤収、プロップ、小道具の準備で、
手が回らない。
あのクオリティの素描となると、
かなりの技術を持った専門家に、
発注する事になるケースが多いが、
シーン毎のニュアンス、
完成段階を伝えるのが難しい・・・
何より、あの物量!
それこそ、「かけかけかけ」「期限期限期限」等々、
専門チーム結成&管理が必要な質と量だ。
衣装も昨今の下北界隈でさえ、
あのようなジャージは揃わないだろう、
という風に、
本作は現場の裏側でも、
様々な人が、スタッフが、
関係者が、かなりの熱量を持って動いているのが伝わってくる、
濃密さがダイレクトに観客に伝導する仕組みの作品だ。
映画に罪はない。
とにかく続けること。その難しさを痛いくらい感じる。
全340件中、21~40件目を表示
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