「マンガ「アオイホノオ」的な?」かくかくしかじか ちえべさんの映画レビュー(感想・評価)
マンガ「アオイホノオ」的な?
原作マンガは未読です。だから、予告編を見て、1人のマンガ家のデビューまでの自伝的なモノかなと思っていました。
ちょっとなめて見始めました。
自分の中では、主人公は明子(永野芽郁)から日高健三(大泉洋)に代わり、日高の物語として観ていました。
もともと明子だけというより明子と日高の物語という感じなので、あまり影響はないと思います。
それでも、日高健三は、言葉の足りない情熱家で、平成・令和の世ではNGなタイプのようです。
「描けーっ!」の連呼に、言葉の単純さよりも深みを感じたのは、自分もそのタイプだからでしょうか。ついつい「とにかくやってみて」と勧めたり話したりすることが多いので、よく「言葉が足りない」「説明して」とか言われています。まさに日高健三です。
日高健三は29才の時から絵を始めたことを伝えます。美大にも行っていないことも伝えます。それこそちゃんとした「教育」は受けていないのです。油絵画家につき何枚も何枚もデッサンしていた、日高にとってはそのことが基礎でありコンプレックスであり、そして宝なのだと思います。
ちゃんと「教育」が受けられるのなら受けさせてやりたい、そんな日高の気持ちは言葉足らずな優しさとして、罵声だったり竹刀だったりと表現してしまうのだと。
「理屈じゃない、考えるな」
なにかの映画で、そんなセリフがありました。「かくかくしかじか」の中でも「考えるな、描け」と日高は繰り返し言っています。
それを乱暴なアドバイスというのは厳しいと思います。
「かくかくしかじか」の中盤、明子が絵画教室で日高の手伝いをします。日高の「描けー!」の後に生徒に寄り添うように細かいアドバイスをします。それが理想ですよね。暴言ではなく細かい説明や支持・アドバイス。
そして、東京に出ていった明子に、日高は「最近の生徒は、俺のやり方ではうまくならん」と宮崎に戻ってくるようお願いをします、日高なりの言葉で。
それは、情熱だけでは伝わらない時代になったのだな、と思えました。
言語化・見える化しないとわからない、例えば、話しが前後しますが、明子が絵画教室に入りたての頃に、日高は明子のデッサンを見て「いいか、一度しかやらんぞ」とデッサンを始めます。これは暗に「見て覚えろ」ということだと思うのですが、通じないですよね、明子には通じたようですが。
そんな意味でも、テレビドラマ「不適切にもほどがある」ではないですが、昭和の世界なんだろうなぁと思いました。
なにかイチャモンをつけるとしたら、明子が初めて絵画教室に行った時に見せた変なアクション(竹刀をよけたり、日高に明子がひっぱられる)シーンはいらないと思いました。
もう一つ、ラストの海岸での明子と日高の会話も、その前のシーンで明子や日高のそれぞれの想いは想像がつくので、あえて言語化・見える化をしなくてもよかったのではないかなと思いました。
それでも、星は5つで大丈夫だと思います。
漫画的な描写はどうしても入れたくなるんですかね〜避けるシーンはマトリックスしてしまう様に。最後の海岸でのシーンも良かった感で、ちょっと観客向けにレベルを下げた様でいい気持ちはしませんでした。
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