「新たなる創世記」28年後... かなり悪いオヤジさんの映画レビュー(感想・評価)
新たなる創世記
最近戦争映画に入れ揚げているアレックス・ガーランドが脚本を担当した本作は、冒頭からキリスト教の臭いがプンプンと漂っている。レイジ・ウィルスの発生から28年たったイギリス本土は、感染者の排除に成功したEUに見放された“隔離島”と化していて、生き残った人間たちは干潮の時だけ一本道ができる(まるでモン・サン・ミッシェルのような)離れ小島でコミュニティを形成し生活していた。
ある日、父親のジェイミー(アーロン・テイラ=ジョンソン)とともに息子スパイクは、干潮の時にできた道を辿って本島へと“狩り”に出かける。どうもコミュニティ内の通過儀礼的儀式になっているそのハント(いかに“感染者たち”を無慈悲に殺せるか)によって、大人の男として見なされるようなのだ。“スローロー”や“駿足”、“アルファ”と銘々された感染者たちを自家製弓矢で射殺するシークエンスは、いつもながらにグロテスクかつ残酷に撮られている。
監督のダニー・ボイルによると、シリーズオリジナルの『28日後』同様に、こういったシーンをわざわざiPhone15proを使って撮影したらしい。父と息子が狩りに出かけるシーンに使われたキプリング作詩“ブーツ”も、当初の予定ではシェイクスピアの戯曲『ヘンリー5世』に登場する“聖クリスピンの演説”を用いる予定だったとか。世界で起きている紛争に積極介入する英国の現況を、まさに“先祖返りの退行現象”としてとらえた演出であろう。
注目すべきはスパイクたち一行を襲う感染者たちがみなフルチンで素っ裸という点である。(腐女子に限らずとも)ついついアルファの股関でプランプランと揺れる巨根に目がいきがちだが、『28日後』ではまだちゃんと衣服を着用していた感染者たちが、なぜ“原始人”のような産まれたまんまの姿で描かれているのか、私たちはむしろそこに着眼するべきなのだ。
病におかされた母親アイラ(ジョディ・カマー)を本土に住むケルソン医師(レイフ・ファインズ)に診察してもらうため、再び本土へと向かうスパイク少年が、食料として持参した大量の林檎=知恵の実。アレックス・ガーランドとダニー・ボイルは、感染者たちを、いまだその実を食すことなく羞恥心さえ持ち合わせていない“エデンの住人”として演出したのではあるまいか。聖書の創世記に登場する“エデン”も、意外と本作におけるイギリス本土と同じ、魑魅魍魎が跋扈するまがまがしい土地だったのかもしれない。
当然キリスト教的文化はリセットされているわけで、そこで長く暮らしているケルソンは、火葬したご遺体から取り出したシャレコウベを塔のように積み上げながら、メメント・モリな聖地で、どこか東洋的な“祈り”を捧げていたのである。「西洋のキリスト教的信仰は行き詰まっている」と親日家俳優ジャン・レノがインタビューに答えていたが、ガーランドやボイルも又、アフターコロナのイギリスに対して同じような閉塞感を抱いていたのではないだろうか。
本作は3部作の第1部として製作されたらしいが、映画冒頭とラストに登場するする(英国のジャニー喜○川ことジミー・サヴィルがモデルといわれている)ジミーと、ケルソンからキリスト教とはまったく別の信仰を学んだスパイクとの間で生まれる“宗教的確執”がおそらく次作以降のテーマとなってくるはずだ。我々観客はそこで、キリストの再臨を目撃することになるのか、それとも、まったく新しい救世主の登場とあいなるのか。どちらにしても“新創世記”と呼ぶに相応しい内容になるのは間違いないだろう。
