マリア・モンテッソーリ 愛と創造のメソッドのレビュー・感想・評価
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フランス語の原題は「新しい女性」
19世紀の末から20世紀の初頭にかけて、ローマの若き女性医師マリア・モンティソーリが、障害を持つ子どもたちの教育に携わるうち、女性として自立する道を歩み始める物語。
まず出てきたのはパリで大人気のクルチザンヌ(高級娼婦)リリ・ダレンジ。障害のある娘ティナが、自分の存在を脅かすことを恐れて、ローマに連れてきて、アンナに託そうとする。最初は、ティナを見ようともしなかったリリだったが、マリアの指導により娘の能力が引き出されてゆくのに気づき、ティナに愛情を感じるようになる。特に、自分で弾くピアノの音楽が、子どもたちに響いてゆくところに心躍らせるところがとても良かった。リリに扮するレイラ・ベクティはマグレブ系のフランス人で、美しく好演!
続いて、今度は、リリがマリアに、自分の教育メソッドに自信を持って、経済的に自立するよう強く促す。社交界も巻き込んで。しかし、マリアにも秘密があった。仕事の上でもパートナーである医師で研究者であるジョゼッペとの間に認知されていない息子マリオがいた。最愛の息子マリオは田舎で乳母に託し、自分は障害児教育に身を捧げる、この矛盾!しかも、ジョゼッペからは、結婚することを迫られているのに、女性として自立することが難しい時代背景の中で、それを拒む!あのカトリックの強い、女性の自立が、戦後になってもなかなか進まなかったイタリアならではの情景か。
美しくて賢く、教育界ではよく知られたマリアだけでなく(演じたのは、若い頃「息子の部屋」に出ていたジャスミン・トリンカ)、フランス語を話し、褐色の肌と黒い髪を持ち、どこかエキゾチックで魅力的なリリが出てきて、この二人が刺激しあいながら、障害児の教育と女性の自立を進めてゆくところが、とても良かった。ドキュメンタリー以外では初めて脚本と映画に挑んだフランス人の女性監督レア・トドロフに感嘆!
よくわかった
札幌狸小路のシアターキノで観ました。
単に知性を開発する教育法だと思ってきたけど、知的障害者教育が発端だったこと、母性が中心にあることを初めて知りました。
でも、この映画館はいいわ。
自分の子を手放さざるを得なかった女性たちの物語 偉大なる母の愛のメソッドとは
子を持つ親ならだれもが知るであろうモンテッソーリ教育の生みの親であるマリア・モンテッソーリ。これは彼女が自分のメソッドを確立させた30歳前後の時期に的を絞り、架空のキャラクター、リリとの交流を通して彼女をけして美化しすぎることなく等身大の女性として描いた物語。
イタリア人のマリアとフランス人のリリ。ともに女性にとって生きづらい時代、国も立場も大きく異なる二人を結びつけたのが子供という存在だった。
リリはフランスの社交界で名の知れた高級娼婦だった。しかし母の死をきっかけに彼女のもとに財産が転がり込む。それは彼女がかつて捨てた自分の娘ティナだった。彼女の結婚を壊し、自分を高級娼婦の道へと歩ませた障害を持って生まれた娘ティナ。
彼女は障害児が娘であるというスキャンダルを恐れて、自分に言い寄る王子を頼りにイタリアへと渡る。娘の存在を疎ましく思うリリは障害児の研究施設に預けるために訪れた場所でマリアと出会う。
露骨に自分の娘を毛嫌いするリリの姿に眉をひそめるマリアだが一概に彼女を非難できない自分がいた。
彼女も実の子を手放し乳母に育ててもらっている事情があった。愛するジョゼッぺとの間にできた婚外子のマリオ。自分の野心を達成するには結婚だけは避けたかった。当時女性にとって結婚は自分の夢を捨てることを意味する。女性が家庭に入ることは夫の所有物に成り下がることでありそこに人間としての自由はなかった。
婚外子の子供を認知するには当時の人たちには醜聞でありそれは認められず、泣く泣く彼女は乳母に自分の子を預けるのだった。子供たちの教育の研究のために皮肉にも子育てをあきらめざるを得なかったマリア。
一方、対照的にリリは婚姻関係においてティナを生んだが、ティナが障害児ということで無理やり離婚させられる。この社会で女性一人生き抜くには自分で金を稼がざるを得なかった。だから彼女は娘を捨てて高級娼婦になったのであり、いわば当時の社会の風潮が彼女にそうさせたともいえた。
娘が可愛くもあり疫病神にも思えるリリ。彼女は自分は罪を背負ったのだという。健康な子を産むという女性としての義務を果たさなかったから罪を背負ったのだと。
もし当時の社会がたとえ障害児であろうともリリに対して良い子を生んでくれたねと優しく言ってくれたなら、そして障害児を理由に離婚させられることなどなかったなら、リリはここまで娘を疫病神と思っただろうか。
障害児を生んだ自分のせいなどと罪悪感を感じさせるような社会でなければ彼女は娘をそんなふうに思わなかったのではないか。彼女と娘との間に壁を築かせたのは当時の社会の風潮のせいだと言えないだろうか。
障害児の研究をしていたマリアにはその当時の社会の風潮がいやというほど理解できただけに一概にリリを責めることはできなかった。リリは当時の社会風潮に縛られる典型的女性像として描かれている。そしてマリアはそんな彼女たちの姿や自分が学問研究を極めるためにこの社会で強いられてきた苦難を思い女性解放が子供たちの権利を守るために何より重要だと考えるようになる。
障害児への偏見が子供と社会との間に壁を作らせる。しかしたとえ障害児であろうとも彼らに応じた環境作りさえしてあげれば彼らは自分の能力を発揮させることができる。
障害者への無知により築かれていた世間の壁を取り払うのがマリアの目指すところでもあった。
そして偏見により築かれる壁は障害児だけではなく当時の女性への差別も同様だった。当時は体型的に劣る女性は男よりも劣るという理論がまことしやかに信じられていて脳の質量が男より小さい女性は頭脳が劣るとまで言われていた。そんな理論に彼女は同じく実証主義を用いて女性の体における脳の割合は男よりも大きいと反証したという。
無知から生まれる偏見は障害児に対しても女性に対しても同じだった。だからその偏見の根底となる誤った知識を改善する必要があった。それを彼女は覆してゆく。
彼女はフェミニストとして女性の地位向上のために労働条件の改善も訴えたが、彼女の女性への解放運動は子供教育に向けられると教育段階での女性解放運動にシフトしていく。子供の教育において男女分け隔てなくすることがいずれ女性の解放にもつながるとして。彼女の子供教育はフェミニストとしての彼女の活動と深く結びついていた。
そしてそののち、二度の大戦を経験して世界平和を訴えていくことになる。子供の教育に適した環境づくりのためには母親の存在が不可欠であり、そのための女性解放、そして教育環境づくりの土台となる平和な社会が大前提。子供のための女性の社会的地位向上そして世界平和を目指す必要があった。
そして彼女は子供の教育が世界平和をもたらすと信じていた。子供を適した環境で育てることはもとから持つ人の優しさを培うことができ、戦争を起こすような人間には育たないというのが彼女の持論だった。平和な世界を目指すことが子供教育の環境づくりのためになり、その環境づくりが戦争を起こさない人間を育てる土壌になる。女性の解放が男女分け隔てない子供の教育の環境づくりに必要だし、その環境づくりが女性解放にもつながる。そして世界平和にもつながる。これが彼女が目指した愛のメソッドだった。子供の教育、女性の解放、世界平和、この三つが彼女の中では同じ一本の線でつながっていた。
彼女のこの壮大な目的を達成するにはいくら聡明で優秀な彼女でも子育てとの両立は不可能だった。ようやく父に認知してもらえた我が子を彼女は泣く泣く手放す。しかしそれは我が子にとって必ず役に立つ日が来ると信じての苦渋の決断だつた。
リリはマリアのお陰で娘との壁が取り払われ距離を縮めることができた。これは障害者と世間との距離を縮めたマリアの功績を描いている。
そんなマリアが無償で働かされてることを知ったリリは彼女に仕事を斡旋する。この社会で女性が自由を勝ち取るためには稼がないといけないと。
そうしてマリアの道も開けることとなる。男に従属するかあるいは結婚を拒否して研究を続けても自分の功績として認められない彼女に道が開けた瞬間だった。
自分で経済的に自立することこそ当時の女性が自由を獲得する唯一の方法。二人の女性が協力し合い、女性の道を切り開いていく瞬間が描かれている。
しかしマリアは職を得るその代償として愛するジョゼッぺを失う。彼も当時の家父長制の社会には逆らえなかったのだ。
大きなショックを受けたマリアだが、そんな彼女に救いの手が差し伸べられる。今までマリアの生き方を否定してきた父がマリオを認知してくれたのだ。
そして彼女は人生最大の決断をする。何としても自分のメソッドを完成させると。自分の研究成果を確立させるためにようやく手元に戻ったマリオを手放すのだ。
彼女は言う。私の息子、お前は私の命、すべてがあなたのためになると信じている。あなたが将来幸せになれるために私はあなたと離れる。私は十字架を背負う。子どもの権利を勝ち取るために闘うと。
15歳になったマリオは活動する母の姿を通して学び、その後の人生を彼女と共に歩んだという。
お札にその肖像が描かれるほど偉人とされるマリア・モンテッソーリ。彼女は二度の大戦にわたる時代を生きた人物であり、語りつくせないほどの波乱万丈な人生を送った人物。
イタリアのファシズム政権下で国民の識字率向上に寄与する彼女の教育メソッドが注目され、ひと時ムッソリーニからも重宝された彼女だが、平和活動に傾倒する彼女は次第に毛嫌いされたという。それは当時のムッソリーニをして「面倒な奴だ」と言わしめたほど。そして彼女の学校は当時のナチスドイツやイタリアではすべてが閉校に追い込まれたという。独裁者たちにここまで嫌われる彼女の平和への取り組みが本物だとうかがわせる。
その後もインドに移り住むが、イタリア人ということでイギリス側のインドから敵国人扱いされ息子マリオが収容所に入れられたりと波乱万丈な人生を送り続けた。そんな彼女だけに平和への思いはひとしおだっただろう。
本作はそんな彼女の波乱万丈な人生のひときわ転換期ともいえる「子供の家」開設までに至る時代を描いた。彼女を等身大の女性として感じることができるとてもよくできた作品。
あまり注目されてないのが残念なくらい素晴らしい作品なので多くの人に鑑賞してもらいたい。
ちなみに監督の娘さんが障害を持って生まれたことから本作が生まれたこと、実際の障害ある子供たちの見事な演技など、描かれた人物、製作に携わった人々、すべてがこのモンテッソーリメソッドを体現してるかのようだった。
タイトルなし(ネタバレ)
20世紀初頭、パリの歌姫リリ・ダレンジ(レイラ・ベクティ)には、発達障がいの娘ティナ(ラファエル・ソンヌヴィル=キャビー)がいた。
シングルマザーでもある彼女は、ティナの存在を隠そうと、イタリア・ローマに障がい児教育施設に預けようと試みた。
施設長は男性医師のジュゼッペ・モンテソーナ(ラファエレ・エスポジト)であったが、教育全般を受け持っているのは女性医師マリア・モンテッソーリ(ジャスミン・トリンカ)だった。
マリアの教育を通じて、ティナの本質を知るリリであったが、実はマリアにもジュゼッペとの間にひとり息子がおり、その子もまた障がい児なのだった・・・
といった物語。
20世紀初頭、障がい児教育に新たな道を開いた女性の物語で、ポスターデザインや予告編からその教育方法についての映画かと思っていた。
しかし、原題「La nouvelle femme(新しい女性)」のとおり、隷属からの解放を描いた映画であった。
当時の教育方法は、教育を受ける側を隷属させることからはじまり、特に障がい児教育はその側面が強かった。
それをマリアは、隷属させるのではなく、愛情を持って接するという方針に変えるわけだ。
本作では、教育を受ける障がい児たちと男性たちに隷属を強いられる女性を同じレベルで描いている。
前半やや演出はもたついた感があるも、以上のような当時の女性の立場、障がい者の立場などがわかってくると俄然ドラマ的にも面白くなってきて、マリアとリリという障がい児を抱えるシングルマザーとして描いたあたりに深みが出てきます。
ただし、映画の性格上仕方がないのかもしれないが、終盤はやや説教臭い台詞が多く、そのあたりがドラマ性を殺いでいるかもしれません。
また、実際の障がい児が多数出演しているのも興味深いです。
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