「山田裕貴は素晴らしい」木の上の軍隊 キッチンたわしさんの映画レビュー(感想・評価)
山田裕貴は素晴らしい
山田さんに伝えたい、映画関係のエックスに書き込むこともしたことない、ネタバレとか関係なく、映画の感想を伝えたい、オールナイトニッポンリスナーでもあり御本人に伝わる可能性があるかも知れないと思い、「山田裕貴のオールナイトニッポン」にメールすることにした。
これはその時のメールを手直して、多くの人にも私の感想を聞いてもらいたくなり、初めて映画レビューに書き込むものです。
敬称を略させていただきます。
山田裕貴 あなたは素晴らしい。
山田裕貴
山田裕貴
2025年8月11日
映画を観て、この名前が頭の中をぐるぐると、しかし穏やかに、回っている。
あなたの演技の数々とともに。
失礼ながら、あなたは若僧です。若僧に見えてしまうのです。ゴジラ-1.0でも小僧と呼ばれてました。実年齢34歳なのに。178cmと高身長なのに頭が小さい。今回は特に友人役の津波竜斗さんとのからみで、余計にその不思議な等身バランスが際立っていました。
そしてやはり切れ長の目が、画面だと不思議と大きく映り、美しい顔が若く幼い印象を与えていました。この事がこの映画では重要だと思うのです。
実は、「木の上の軍隊」を観る2日前に「国宝」を観ました。期待したとおり、吉沢亮さん始め横浜流星さん他の出演者も熱演で、メインキャストに本当に悪い人は居なく、なにもかも作り込まれ、映画エンターテイメントとして素晴らしいと思いました。そしてこの映画のポイントも「吉沢亮の美しい顔」なのです。
沖縄の伊江島の純粋な青年セイジュンが若僧として出てくる冒頭。若僧でした。
与那嶺の妹が目の前で死んでしまうシーンの叫び(ここでもう私は泣いてしまった)。逃げ回り、そして何とか生き続けられる場所「カジュマルの木の上」で、自分から出てきた虫だから自給自足とあっけらかんとウジを食べるセイジュン(虫嫌いなのによく食べたよ!)のおおらかさが表された後、食料なく痩せこけてゆく様が描かれた。減量したとはラジオで聞いていましたが本当に頰がこけていました。
闇の中にただ大きな白目が浮かぶ。殺し合いの中、生きるために存在する人間。
その闇の中のセイジュンの表情をなぜか私は「仏さまだ。」と思いました。
この映画にオーマイゴッドは勿論、神様仏様も南無阿弥陀仏も出てこない。それはおそらく宗教を感じさせない意図した演出だと思います。
しかし私は「仏様」を感じた。
狂気と神や仏は、常人を超えたところにあり紙一重なのではないでしょうか。
恐れさえ感じていた長官を救うために敵軍の缶詰を黙って日本軍の缶詰に入れ替え、食べさせ、「生きましょう。」と声をかけるセイジュン。この声のかけ方が優しく、心に伝わる。
また違った意味で、私の中の「仏」度が上がってゆく。
山田裕貴の顔は綺麗なのである。若々しく、凛々しい。そこにセイジュンのやさしさ、慈しみが表現された時、日本人の顔だからこそキリストではなく神でもなく仏さまの顔が出現したのだ。
「国宝」は凄いと思った。でも泣かなかった。「木の上の軍隊」セイジュンの嘆きに魂が揺さぶられ、何度も泣いた。「どうしてこの島で戦争するんですか?!」と長官に問い詰めるシーン、戦争が終わったと知り「このまま帰れるか!」と対面やプライドを気にする長官に対して純粋に「帰りたーいー!」と泣きわめくシーン、幻覚の中「俺もいつしょに(死者の国へ)連れていてくれ!」と嘆願するシーン、そしてラストのセイジュンの笑顔。映画としては必要なテロップと松下洸平さんのナレーションが続くけど、セイジュンの笑顔からすぐの主題歌「ニヌファブシ」でもっと泣きたかった。
ハブに噛まれた後のシーンを話したい。
幻覚の中の母、ご馳走いっぱい作るねと話しかける。もしかしたら母親はセイジュンをこの時連れていきたかったのかもしれない。そこへ与那嶺が庭先に現れる。セイジュンは母親が作った料理をひとつつまみ、庭先に降り、その料理を与那嶺の口の中に放り込む。既に黄泉の国にいる母親のあの家からセイジュンを呼び出し、逆に自分は黄泉の国の食べ物、ヨモツヘグイを食べる。それまで何度もセイジュンの周りに現れたのは、まだ与那嶺の魂がセイジュンを助けるために現世にただよっていたのではないか。妹を連れ、次のシーンではセイジュンの家(黄泉の国)に上がり、セイジュンを見下ろしている。このとき与那国はセイジュンの代わりに死んだのではないか。
山田裕貴の死者との対話に気がついてゆく演技が切ない。「俺も連れて行ってくれ!」見ているこちらも感情が爆発する。涙があふれる。
もう話してくれない死者の代わりに、現実でセイジュンの毒を切り出し生命を救った長官が現れる。
長官が毒を切り出すことをナイフをワンカットみせるだけの演出も良かった。
セイジュンの話を続ける。
うつろなままガジュマルの樹の下までやってくる。この時セイジュンは死者でも生者でもなかったのではないか。
そして歩きだす。海へ。
その顔に意思はない。自我がない。
仏陀は菩提樹の下で解脱する。
セイジュンは、ガジュマルの木の下である意味解脱し、無我になったのではないか。
意識なく歩く顔は神々しささえあった。海にたどり着く手前、陽の光が後光のようであった。
つまりは、人ではないのだ。
戦争、木の上の生活、それは普通の人間を人間でなくしてしまうのだ。
セイジュンが海に出た時、次に何をするのか不安でしかたなかった。
戦争をやめることを決意した長官が、海にたたずむセイジュンに駆け寄る。自分で下した決定「戦争をやめる」ことがうれしくて笑みがこぼれる。
「そろそろ帰ろう」
海にたたずむセイジュンによびかける。
最初はまるで気づかないような、そしてゆっくりと、顔を長官に向ける。
仏の顔。
それが、やがて、
笑みに変わる。
この時、セイジュンはやっと、あたたかい人間として戻ってこれたのだ。
オールナイトニッポンにゲスト出演された長官役の堤真一さんが言っていた「この映画は山田君のものだから。」というのはまさしくそうだと思った。
「国宝」は人が人を超えた存在になる映画。
「木の上の軍隊」は人を超えた存在が人にもどる映画。
そんなふうに思いました。
観ているときに、同じ戦争映画の「戦場のメリークリスマス」を思い出し、回想シーンもあるデビッド・ボウイもたひたび思い出した。
感情をださないデビッド・ボウイが坂本龍一へのキスという形で表す感情表現と
自分の思いを、しかも純粋な思いを、泣き叫んで、解脱する山田裕貴。
優劣はつけられない
思い出したというだけです。
オールナイトニッポン繋がりで、水曜日の乃木坂46のパーソナリティ久保史緒里さんの映画「ネムルバカ」でも最後の久保さんの絶叫連呼で号泣した。私は泣き叫ぶ演技に弱いのかもしれない。
山田さん以外のことも話したい。
音響効果のこと。
飛行機は、飛行場建設シーンと、遠景の空爆シーンに登場し、アメリカ軍艦はセイジュンがアメリカ軍が上陸するするとき逃げ回るワンカットだけ映る港に出てきただけだけども、空爆、艦砲射撃、戦車も画面には映らないけど、映画には出てきていて、上陸戦が続いているんだとわかるのは素晴らしい音響効果があってです。
劇場によっては上陸戦の感じ方はかなり違いがでるのではないでしようか。
今の劇場は音響が素晴らしい。私が子供のときゴジラを観にゆくと、終わって劇場を出た時には耳が遠くなってました。
昔の映画を、画面は4Kリマスター、音響効果も設計し直せば、今の劇場で物凄く面白く感じるのだろうなと思う。
その最たるものが、深作欣二監督の魔界転生です。
観たい!
何度か作られていて観ていますが、千葉真一さんと沢田研二さんをこえる柳生十兵衛と天草四郎はいまだいません。
山田さん、柳生十兵衛、やりませんか?
今すぐでなく、千葉さんと同じ40歳すぎになったあたりに
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