「匿名性、代表性、記号性に欠ける演出」木の上の軍隊 あんちゃんさんの映画レビュー(感想・評価)
匿名性、代表性、記号性に欠ける演出
やはり舞台とはかなり異なった印象の作品となってしまった。
二つの主題を挙げることができる。一つ目は「軍隊」について。本作はあくまで「木の上の軍隊」。木の上の男たちでも、木の上の兵隊たちでもない。上官と新兵の二人だけだがそれは軍隊組織なのである。組織である以上目的がある。それは敵を殺すこと。生きのびることだという人もいるが、生き残ることは再び敵を殺せるようになること。国を守る、家族を守ることだという人もいるが、それも再び、国を富ませて敵を殺すことに繋がる。
戦争はもちろん悪であるが、戦争をするのは軍隊である。原案の井上ひさし氏が、この実話に着目して戯曲化しようとしたのは、軍隊を最小単位まで解体してその本質を浮かび上がらせるためだった。軍隊の存在的悪とその存在的矛盾について。舞台では上官と新兵の会話劇としてそこが徹底的に掘り下げられる。
二つ目のテーマは沖縄。沖縄戦の悲惨さとその不条理についてはあえてここで語るまでもないが、要は、人の土地で外から来た者同士が戦い自分たちは巻き込まれ土地も家も親兄弟も奪われるという構造。映画でも安慶名セイジュンがはっきりとそこは表明している。
繰り返しになるが、この2つの主題を徹底的に掘り下げてみせたのがこまつ座の「木の上の軍隊」だったのである。シンプルな舞台装置、最低限の出演者によって、メッセージは色濃く、そして明確に届けられる。
この映画では、必要以上にドラマ性を持ち込むことによって、残念ながらメッセージが薄れてしまったと思う。だから、ゴミ置き場でヌード雑誌を拾うのが嫌だったとか、虫をたべるのが嫌だったとか、戦闘シーンに迫力がない、とか枝葉末節のところに目がいってしまう。そしてメッセージがなんだか分からなかったとか、何があっても生き抜くのが大事だと思いました、といった感想まで出てくるのである。
私は堤真一と山田裕貴という役者は好きでも嫌いでもない。インタビューを読む限りよくこの芝居を理解して頑張って演じているなとは思う。でもここまで顔をよく知られTV等でも活躍しているいわば現代的な役者による演技は、80年前に木の上で怯えながら過ごしていた名もなき顔も知らない兵士の姿とはなにか違っているようにしか思えない。それは匿名性とか代表性といったところなんだろうけれど。
コメントありがとうございました。
木の上の「軍隊」の意味を、分かりやすく紐解いていただいたレビュー、とても腑に落ちました。
私も、舞台の松下洸平と山西惇のイメージの方が、やっぱり訴えるものが伝わってくるような気がします。
共感&コメントありがとうございます。
堤さんは、ローレライとSPのイメージが強過ぎなのかもしれません。
トムハンクスと言えば、今作序盤に犠牲シーンを連打してくるのはプライベートライアン演出ですよね。
特に堤さんに腑に落ちないモノを感じます。結構似た様な役の経験もありそうなベテラン。山田くんはこの役で大分参ってしまってる感じが好感、どっかの挨拶では泣いていた・・。


