木の上の軍隊のレビュー・感想・評価
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井上ひさし氏が生涯をかけて伝えたかった「戦争の記憶」
本作の原案を手がけた井上ひさしさんは、日本を代表する劇作家。
『木の上の軍隊』は、彼の「戦後三部作(戦争三部作)」のひとつとして位置づけられる作品です。
『父と暮せば(広島)』『母と暮せば(長崎)』に続き、沖縄を舞台にした本作は、わずか2行の構想メモだけを遺してこの世を去った井上氏の“遺志”を、娘であるこまつ座社長・井上麻矢さんが継いで完成させた、親子の情熱が宿る舞台作品です。
そして終戦80年を迎える今年。
この実話をもとにした日本兵の物語が、映画としてスクリーンに蘇るという事実は、非常に大きな意味を持っています。
井上さんは生前、広島市で行われた講演会にて、「同年代の子どもが広島、長崎で地獄を見たとき、私は夏祭りの練習をしていた。ものすごい負い目があり、いつか広島を書きたいと願っていた」「今でも広島、長崎を聖地と考えている」と話しています。
彼の知られている創作モットーは、
「難しいことを易しく、
易しいことを深く、
深いことを愉快に、
愉快なことを真面目に書くこと」
だからこそ、彼の作品(遺志として受け継がれた作品も含めて)にはユーモアと人間味があります。
どんな極限の状況でも、“人として生きる”ための小さな楽しみを忘れない──。
そのやさしさがあるからこそ、観客の私たちは、最後まで希望を持って向き合うことができるのです。
決して、戦争という重いテーマを軽んじているわけではありません。むしろ、軽やかだからこそ、その言葉はストレートに、私たちの心に届いてくるのです。あなたもきっと、最短距離で届く言葉の切実さに胸が締め付けられるはず🧐
木の上で奇跡的に生き延びたふたりの背後には、数えきれないほどの“失われた命”がある。
そのことを、観る私たちは決して忘れてはいけない。
前編ほぼ2人きりで物語を牽引した、主演の堤真一さんと山田裕貴さんには、心からの拍手を送りたい👏 ガレッジセールの川田さんは…あまりに現地に馴染みすぎて、発見できませんでした😅エンドロール曲Anlyの「ニヌファブシ」沁みます。
※ 「ニヌファブシ」は、沖縄の言葉で“北極星”の意。
生きることは、食べること。
生きることは、希望を持つこと。
生きることは…
最後に僭越なら、ご提案
『火垂るの墓』と並び、
この映画も毎年、終戦日前の金曜ロードショーで放送したらいかがでしょうか?──🤫
ほんの少しでも多くの人に、この作品が届きますように。
心から応援しています。
今多くの人に見てほしい映画
正直この作品は、戦争映画が苦手と言う人の、苦手な理由となるシーンが多くある。
でも見てほしい。
80年前に実際に起こったことから、少しでも多くのことを学ぶことが、今の私たちに出来ることだと思うから。
過去沖縄戦を題材にした作品は数多くあれど、沖縄出身・在住の監督が脚本も書き、沖縄のプロダクションが中心となって作られた作品というのはそこまで多くはない。
そして大手の制作会社の戦争映画は、興行収入などを意識すると仕方のないことだけれど、少しエンタメ要素が強くなり、派手さや大袈裟な演出が見え隠れするなと、個人的には感じる。
けれど、この作品はそれが無い。だからこそ感じるものがとても多い。日本で唯一地上戦の歴史があるウチナーンチュの方々が描く沖縄戦だからこそ、生きることへの想いや、戦争が何を奪うかを、私たちの目線で描いてくれている。
そして、演じた山田裕貴さんと堤真一さんが本当に素晴らしすぎた!
後半はほぼ2人の会話劇だったけれど、一瞬も見逃せなかった。
政治に関心がなく、どこか現代の若者たちと似ている、山田くん演じる新兵の安慶名。そんな彼と対極にいる、典型的な「日本軍人」の堤さん演じる山下。
そんな年齢も育ちも考え方も違う2人の距離感の変化や、考え方の変化によって、戦争という環境がいかに人の価値観を破壊し、狂わせるかを描いていた。
特に蛆虫を食べることまでした山田くんの本気度には脱帽。完全に役に憑依していた。
このふたりのモデルとなった方の壮絶な体験が、こうして映像作品となって世に残ることは、戦争経験者が減っていく今、本当に意義のあることだと思う。
戦後80年の今、多くの人が見るべき作品。是非。
低予算ながら予想外におもしろかったです 戦争の恐ろしさから隠れ忍び...
戦争の無い時代が続いていることの幸せということ
原作未読。事実に基づいた話ということで、思い出したのが横井庄一さんと小野田寛郎さんの2人です。横井さんは1972年にグァム島で、小野田さんは1974年にフィリピンで発見されました。
横井さんや小野田さんやこの作品のモデルになった人たち以外にも、戦争終結を知らずに何年も遠い戦地で過ごした軍人さんがいたかもしれませんし、中にはそのまま命尽きた方がいらっしゃるかもしれません。←鑑賞しながらそんなことを考えてしまいました。
堤真一さんと山田裕貴さんの2人芝居ですが、2人とも芸達者で良かったです。
生きて帰ることが厳しい状況下で、耐えぬいた2人には感動でした。
既に亡くなった大正末生まれの私の親父が、生前に「終戦は浜松飛行場だった」と言ったことを思いだしました…
誠実さと教材性に収まりすぎた反戦映画の限界
まず最初に感じたのはその誠実さ。沖縄戦という苛烈な歴史を題材に、国家から見捨てられた兵士たちの孤独と滑稽さを描こうとする真摯な姿勢は、現代においても強い意味を持つ。堤真一と山田裕貴という二人の俳優が、ほぼ木の上だけという極端に限定された舞台で二年間の潜伏生活を演じ切る。その姿勢自体は評価されるべきものだし、日本映画がこうした「反戦の記憶」を掘り起こし続けることには確かな意義がある。
しかし同時に、この映画が「教材的」に収まりすぎていることに物足りなさを覚える。舞台劇をベースにした構成であるがゆえに、映画的な臨場感や映像ならではのダイナミズムが希薄。観客が画面に釘付けになるような緊張感や、二年間という極限状況がもたらす狂気や絶望の実感は、ほとんど伝わってこない。むしろ穏やかに、ある種の寓話のように時間が流れていく。その抑制を美点と取るか、迫力不足と取るかは評価の分かれ目となる。
作品が抱える最大の課題は「戦争をどう記憶させるか」という方法論ではないと考える。沖縄戦の悲惨さは、今や証言映像やドキュメンタリーを通じて多くの人が知るところとなった。本作が狙うべきは、その上で「戦争が人間の内面をどう変質させるか」を突き詰めることだったはず。しかし、兵士二人の心理描写は穏当で、対立や葛藤が十分に深化しない。観客に痛烈な問いを突きつけるどころか、「戦争はいけない」という当たり前の結論に安全に着地してしまっている。
もちろん、この「平和教材」としての安定感は学校や上映会向けには適している。だが、映画は本来それ以上の表現力を発揮できるはずだ。観客の心を揺さぶり、怒りや涙、あるいは不快感すら呼び起こしてこそ「体験」として記憶に残る。『木の上の軍隊』は真摯で良質な作品であるにもかかわらず、その一歩を踏み出せなかった。
結局、本作は「良作」には違いないが、反戦映画としての衝撃や映画的快楽を求める観客には物足りなく映る可能性が高い。日本映画が戦争を描くとき、どうしても「教材」としての役割に縛られる傾向がある。本作はその典型であり、誠実さと引き換えに、映画という表現媒体の力強さを十分に発揮できなかったように感じた。
タイトルなし
2人だけの軍隊
感想を書こうにも、上手く言葉にできない、言語化ができなく時間が経ってしまった。
言語化したとして、たいそうなこと言えないのでご了承の程(>_<)
堤真一、山田裕貴どちらも演技が半端ない…。
米軍がうろつく中、たった2人、木の上で隠れ援軍も無く食糧も少なくなり追い込まれる様が本当にえぐい。
太平洋戦争のころの日本人の気持ちを同感することは出来ない。
少し違うかもしれないが、コロナ禍の外出してはいけない、ほかの市から来た人は避ける、他の地域のナンバーをつけた車を必要以上に非難するなど、
日本が全体的に強迫概念のようなものを持っていたコロナ禍を経験したので、
戦争とは違うと思うが、ある意味日本国民全体が同じような気持ちになってたことを知ってる。
なので、後の世代がコロナ禍のあの異常な空気感や行動を理解できないと同じように、
今の私が戦争中の軍国主義、お国のために〜、と言う気持ちを理解できない。
想像できるし、自分もこうなっていたと思うけどね。
山田裕貴の沖縄の青年の感じ好き…。
自分の生まれ故郷が戦地になるなんて、きついなぁ。
戦後も数年間つらい思いをしたが、結果2人が生き残って良かった。
何を言いたいかまとまらないけど、おもしろかったです。
25.7.29 映画館
木の上だけの話だと物足りなかった。
何かさめる
沖縄地上戦の「伊江島」で2年間生き延びた2人の軍人を描く
場所は伏せますが…(本文に続く)
事実を基にしたフィクション
❶相性:中。
★事実を基にしたフィクション。
➋時代:1944~1947年。
❸舞台:沖縄県伊江島(いえじま)。
★沖縄本島の北西9kmに位置する面積23平方キロ(硫黄島と同等)の農漁村。昭和15年国勢調査による人口は6,800人(2025年は3,800人)。
★1943年、伊江島の土地を飛行場建設用地として強制接収、「東洋一」とよばれる計6本の滑走路建設に着手したが、1945年に大本営の破壊命令により自壊された。米軍の主要な攻撃目標となっていて1945年の「伊江島の戦い」で、一般住民約1,500人を含む4,700人余が犠牲となった。住民は沖縄戦における集団自決に追い込まれた。生き残った島民は米軍に収容され、北部の収容所や阿嘉島に移送された(出典:Wikipedia)。
❹主な登場人物
①山下一雄(堤真一Shinichi Tsutsumi、60歳):宮崎から派兵された厳格な少尉。敗戦を知らず、安慶名と二人で2年間、ガジュマルの木の上に身を潜めて生き延びる。
②安慶名セイジュン〔あげな・せいじゅん〕(山田裕貴Yuki Yamada、34歳):沖縄出身の新兵。故郷と家族への想いを胸に生き抜こうとする。敗戦を知らず、山下と二人で2年間、ガジュマルの木の上に身を潜めて生き延びる。
③与那嶺幸一〔よなみね・こういち〕(津波竜斗Ryuto Tsuha、30歳):セイジュンの幼馴染で友人の新兵。
④長田〔ながた〕(玉代勢圭司Keiji Tamayose):沖縄出身の兵士。
⑤松尾中尉(尚玄Shogen):沖縄出身で、沖縄本島から派兵された中尉。
⑥池田中尉(岸本尚泰Masayoshi Kishimoto):島での飛行場建設を進める中尉。
⑦安慶名郁子〔あげな・いくこ〕(城間やよいYayoi Shiroma):セイジュンの母。
⑧農道の農民男(川田 広樹(ガレッジセール)Hiroki Kawata):
⑨宮城(山西 惇Atsushi Yamanishi):アメリカ軍の捕虜となったことのある沖縄出身の島民。
❺考察
①冒頭に「事実に基づく物語」と出るが、複数のネット情報を調べた結果、正しくは「事実を基にしたフィクション」と言うべきである。
ⓐ映画では、経験豊富な将校と新兵の構図になっているが、実際は共に1944年に召集された兵卒。
ⓑ二人は2年間ガジュマルの木の上に身を潜めて生き延びたことになっているが、実話では木の上にいたのは6日間だったそうである。(出典:【映画 木の上の軍隊 ネタバレ徹底解説】YOSHIKIのMOVIE SELECTION’S 2025.07.27)
②島で孤立した日本兵が、敗戦を知らずに潜伏していた例は幾つもある。その期間は数か月から数十年に及ぶ。
有名な例では、
ⓐグアム島のジャングルに28年間潜んでいた横井庄一氏(1915-1997)、軍曹。
ⓑフィリピン・ルバング島の山中で30年間過ごした小野田寛郎氏(1922-2014)、少尉。
③彼らは途中で敗戦を知ったが、何かの理由で投降できなかったものと見られている。その理由は、投降の機会を逃したことに対する悔恨の念があったためと考えられている。国への忠誠を誓い、「命令には絶服従」し、「逃げ隠れや降伏は恥」の価値観を叩きこまれた結果と思われる。
④本作の上官・山下一雄と部下・安慶名セイジュンは、外部からの情報が完全に遮断された極限状況下に置かれ、恐怖と飢えに耐えながら、ひたすら援軍を待ち続けるのだが、二人の価値観は大きく異なる。
ⓐ山下の場合は、厳格な軍国教育を受けていて、上記の横井氏や小野田氏に共通する。山下は、終盤で敗戦を知ったが、それを安慶名に隠した。
ⓑ沖縄出身の新兵、安慶名の場合は、軍国教育が染みついておらず、自由な発想が残っていたと思われる。国よりも家族や故郷の方が大切だったのだ。
⑤これとは逆に、欧米では、降伏は恥ではなく、映画『大脱走(1963米)』で、ビッグXが、「捕虜の最大の使命は脱走して敵を攪乱することだ」と言っていたように、捕虜になっても戦うチャンスはあるとされている。
⑥当初は山下の指示通りに動いていた安慶名が、共同生活を続けるうちに、次第に自主性を発揮していく過程が興味深い。
⑦アメリカ映画『太平洋の地獄(1968)』は、登場人物がたった二人だけの異色作。太平洋戦争末期に、南太平洋の孤島にアメリカ兵・少佐(リー・マーヴィン)と日本兵・大尉(三船敏郎)とが漂着する。言葉が通じない二人は敵同士で対立するが、やがて生き延びるために力を合わせていく。戦いの虚しさを知った二人は正装し、敬礼し合って別れていくという物語で、本作と共通点がある。
❻まとめ
①本作からは戦争の無益さと生きることの尊さが伝わる。
②戦争を美化していないので好感が持てる
③かって、このようなことがあったという事実を知ることは、戦争というマイナスの歴史を風化させず、平和への願いを繋ぐことになる。
④舞台となった伊江島は、現在、島の面積の35%が米軍基地となっていて、戦争の傷跡が色濃く残っているそうである。
⑤戦後80年を迎える節目の年に、沖縄出身の監督が全編沖縄ロケで、本作を発信したことは、大変意義があると思う。
⑥惜しむらくは、映画としての描き方が平面的で、インパクトが弱かったこと。戦争の実態はもっと悲惨で残酷だと思う。
❼参考:舞台劇『木の上の軍隊』&こまつ座(出典:Wikipedia)
①『木の上の軍隊』:井上ひさし原案、蓬莱竜太作、栗山民也演出、藤原竜也主演で、こまつ座&ホリプロ公演として2013年4月に東京・Bunkamuraシアターコクーンにて初演された。沖縄県の伊江島を舞台に、終戦を知らぬまま2年間ガジュマルの木の上で生活した2人の日本兵の物語を実話をもとに描いた三人芝居。【登場人物(初演)】新兵:藤原竜也、上官:山西惇、語る女:片平なぎさ。
②こまつ座:1983年結成。井上ひさし作の戯曲のみを上演する演劇制作集団。代表は井上ひさしだったが、井上がガン告知された2009年から三女の井上(石川)麻矢が代表を務めている。立ち上げ時の座長は当時の妻であった好子であり、1987年から2001年までは長女の井上都が代表を務めた。
そろそろ、帰ろう
本島最後の防衛線である沖縄の島に米兵が上陸…。圧倒的な戦力差の前に逃げ込んだ木の上にて極限状態となる2人の様子を描いた作品。
序盤から胸が締め付けられる展開。軍人民間人関係なく容赦なく吹き飛ばされていくシーンは目を覆いたくなる程。大艦隊が見えた時の絶望感よ…。
そして始まる木の上での日々。ただでさえいつ敵が来るかわからない緊張感の中、渇きと飢えも2人を襲い…正気じゃいられませんよね。
山下少尉も、心のどこかじゃわかっていたんじゃないかな…。当時を知らないワタクシ達からすればセイジュンに寄り添いたくなるが、負けた方の家族…確かにこの意味を考えると、少尉もただ盲目的に日本の勝利を信じていたわけではないのだろうな。。
ここの描写は胸が張り裂けそうになった。
その後も、大切な人や家族に対する想いがこれでもかとぶつけられてくるが、ちょっと同じ様な場面が続いて、映画としては体感3時間を越えるような冗長さも少しあったかも…。
思いの外、コミカルなシーンも挟んできたのは良かったけど。
終戦を知ったときはどんな気持ちになったのだろう…我々には計り知れませんね。それでも希望のあるラストだったと信じたいです。
そして…前まではこういった戦争映画に感動できていたが、最近ではなんだか観てて本当に怖くなってしまいますね。
各地で争いは終わらないし、ここ日本も治安の悪化の一途を辿り…取り返しのつかないことになる前に、なんとかなって欲しいものですね。
考えさせられる
戦争が終わった事を知らずに米軍の攻撃から逃れるために木の上で2年も過ごす2人。
毎年、この時期に戦争映画が上映されますが、当時の人達に思いを馳せて気持ちが落ち込んでしまう…のは予想した上で、大好きな沖縄が舞台なのと好きな俳優さんなので鑑賞しました。
予想通り、というかそれ以上に2人に感情移入してしまい、国のためにという洗脳と家族を思う気持ちの板挟みに心が痛みました。
今なお、そんな気持ちで誰かが戦っているんですよね。現代の日本人に自国のために命をかけて戦うなんて可能なのか??そんな事を考えさせられました。
そして米軍がゴミとして捨てていった物資が何と豊かなこと!2人の命を繋いでくれてありがたいけど、食糧も軍事力も差がありすぎましたね。
世界平和を願わずにいられません。
「命こそ宝(ぬちどぅたから)」
沖縄本島、美ら海水族館がある辺りから西側に伊江島がある。島の中心に城山(タッチュー)という高い岩の山があるのみで(ここからの見晴らしが最高!)、あとは穏やかな平地が続く小さな島
1945年4月16日、米軍は沖縄本島攻略の足掛かりにするため、伊江島に侵攻
物語の冒頭は伊江島を沖縄を護るための飛行場造成に駆り出される、島民たちと日本将兵たちの心理的衝突が描かれる。安慶名セイジュン(山田裕貴)と、与那嶺幸一(津波竜斗)は、身近に迫る米軍の恐ろしさも知らず、キツイ労役の合間にぼやきつつも、青年らしいささやかな楽しみを見つけて、日々を生きている
山下少尉(堤真一)は戦闘に陥ったら島民を逃す方法を上官に相談するも、上官は島民を捨て石としか捉えていないことに絶句するが、上官自身も捨て石になる覚悟をしていることに気づく
冒頭30分以上(もしかしたら40分?)、過酷な労役〜突然の米軍侵攻〜民間人も巻き込む悲惨な戦闘シーン〜二人がガジュマルの木の上に逃げ込むまでを描き、初めて「木の上の軍隊」というタイトル出ます
戦闘シーンが短いというレビューもありましたが、私としてはきちんと描いているなと思いました。壕に逃げようとする民間人を、ここは日本軍のいる所だからと素気なく断る兵隊、民間人も軍人も構わず撃たれる戦闘。今冬に人気コミック「ペリリュー〜楽園のゲルニカ〜」の映画が公開されるそうですが、それに連なるであろう戦闘の泥臭さ、命のはかなさが描かれていました
子どもの頃、戦時中を描くドラマ等を見ていると、母が「こんなにきれいな軍服など見なかった、みんな泥まみれで垢がこびりついた、ボロボロの服着てた」とよくケチをつけてましたが、この映画ではそばに寄ると臭ってきそうなクタクタな服をセイジュンや幸一が着ていて、雰囲気がよく出ていた。島民の女の子も沖縄の衣服を適度に緩く着ていて、髪形や、沖縄の家も寄せていて、昔ののどかな沖縄の生活をよく表していたように思う
木の上に2年間近く潜んでいた…という流れについては、何故もっと早くに降りてこなかったのか?という疑問はスッキリしたりはしない。横井庄一軍曹、小野田寛郎少尉らも何と30年近くジャンクルに潜んでいた訳で、本人の手記やドキュメンタリーを読んで、本人達の心持ちがわかるのかと言われたら、現代の史実を知っている者には理解できない
圧倒的な米軍の侵攻の中、二人が必死に生き抜こうとしたこと
(※島民1,500人、軍人2,000人が死亡)
日本軍が救援に来たら、反攻に転じると信じたこと
たった二人の間にも、上官と、島民の軍隊の下働きという上下があったこと
史実では二人の年齢が逆だったことを、映画鑑賞前の新聞記事で知っていた
(具体的な年齢は少尉が28歳、島民が36歳)
この年齢差だったら、また物語は異なったことだろうとも思える
土地の恵みや水の在処、危険な生物(ハブの見分け方)等、セイジュンの島民ならではの知識が二人を生かしたのだろう
二人が隠れたガジュマルは、「ニーバンガズィマール(命を救った神木)」と呼ばれ、後に台風で倒れたりしたけれど、土を入れ替えて、まだ力強く生きている
「命こそ宝(ぬちどぅたから)」
沖縄の命の輝きが映画ラストにきらめいていた
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