シンシン SING SINGのレビュー・感想・評価
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表情が素晴らしい
米ニューヨークで最も厳重なセキュリティが施された
シンシン刑務所で行われている収監者更生プログラムの舞台演劇を題材に、
無実の罪で収監された男‘ディヴァインG’と収監者たち、
そして、途中参加の刑務所で一番の悪人として恐れられている男、
通称ディヴァイン・アイこと‘クラレンス・マクリン’との友情を描いた実話の映画化。
粛々と感動しました。
個々のバックボーンは深追いせずでしたが、
このような刑務所と更生プログラムがあることを知りえましたし、
また演劇に関わることが彼らにとって、とても大切なものであることが伝わってきました。
そして、演じている収監者の表情がとても魅力的。
俳優のコールマン・ドミンゴ(ディヴァインG)や、
ショーン・サン・ホセ(マイク・マイク)はもちろんなのですが、
本人役のディヴァイン・アイも良いのですが⋯
わたしは、個人的にこれまた本人役のショーン・“ディノ”・ジョンソンに惹かれました!
稽古中に後ろを歩かれて、イライラして喧嘩になったところを止めたシーン。
あの話は本当なのかなぁ⋯。涙が本物みたいだったから。
みんな涙がポロッと流れるのが自然で、とてもキレイでした。
「劇中劇」を超え、「劇中劇中劇」という新しいジャンルを確立した作品
NY、<シンシン刑務所>。無実の罪で収監された男ディヴァインGは、刑務所内の収監者更生プログラムである<舞台演劇>グループに所属し、仲間たちと日々演劇に取り組むことで僅かながらに生きる希望を見出していた。そんなある日、刑務所いちの悪党として恐れられている男クラレンス・マクリン、通称“ディヴァイン・アイ“が演劇グループに参加することになる。そして次に控える新たな演目に向けての準備が始まるが――(公式サイトより)。
演劇グループに所属する一義的な意味は、自由が制限され、娯楽が少ない刑務所の中で自由に楽しめるから。しかし本質は二義的な、「何者かを演じることで、自分に返ってくるから」であろう。掛け声にもなっている「RTA」とはRehabilitation Through the Artsの略称。これはどこまでに行っても更生プログラムである。
一方で、過去の罪を、自らではどうしようもなかった出自を、そこから連綿と続く現在の自分を乗り越えるのはなかなか難しい。娑婆に居るわたしたちにだって難しいのに、まわりが自分と似た犯罪者だらけの刑務所であれば、どこか赦される感覚を覚えることや却って居心地が良くなることもあるだろう。全体の出演者の85%が元収監者という本作は、いわばそういう虚無的な堕落を乗り越えた人たちによる、自分次第で何者にでもなれるのだという、静かな賛歌である。
その意味でこの映画は、いわゆる「劇中劇」を超え、「劇中劇中劇」というか、「ハーフドキュメンタリー」というか、何かしら新しいジャンルを確立したと言える。さらに、アカデミー賞にまでノミネートされたことで、「何者にでもなれる」がより強化された。さぞかし本人たちも驚いたであろう。
デジタル撮影が主流の現代において、16ミリフィルムで撮影した意図は、合間に挿入される刑務所での本当の記録映像との地続きを表現するためだろうか、デジタルに比べピクセルがでかい分、色が濃く、鮮やかに映える。
チームに仲間ができる流れが素晴らしい
刑務所で行われている演劇による更生プログラムを扱った映画と聞くと、不思議とフランス映画をイメージしてしまった。フランス映画をリメイクしたんじゃないかと疑ったくらい。でも、何より驚いたのが本当に元収監者たちが多数出演していたこと。この更生プログラムに参加していた人はほぼリアルな収監者じゃないか。そりゃ知らない俳優だらけだよな。
実際にあった出来事をベースにしているから、それほどドラマティックな事件が起こるわけではない。一からプログラムを作っていく姿を描くのではなく、何回か上映した状態の彼らと新たに参加した収監者を描く手法。でも、皆で何かを作り上げようとするだけでちょっと感動してしまう。一応のトラブルは待ち受けている。最初は壁を作って嫌な奴全開だったディヴァイン・アイが、プログラムの仲間になっていく過程もすごく好きな流れだ。途中から、ラストの感動はもう約束されたようなものだった。
ディヴァインGは無実の罪で収監されているから別の感情になるが、他の収監者たちは基本的に何かしらの罪を背負っている。そんな彼らにどこまで感情移入できるのかが大きなポイントに思える。だから彼らの罪名は基本的にわからないまま。変に知ってしまうとその罪の重さで観ている側に先入観が生まれることを懸念してのものだろう。正しい判断だと思う。
何かしらの罪を犯したとしても人間であることに変わりはない。シャバに戻った人間が訪問し、現在の気持ちを吐露するシーンはそれを象徴するいいシーンだった。つーか、アメリカの刑務所自由すぎないか!?人間的に生活できるよう配慮されている気がする。日本との違いを感じた(日本の刑務所は知らないが)。
出演していた人たちは基本的にいい人に思えたが、他の収監者たちの中には減刑を審査する人に対して平気で嘘をつく人も多いかもしれない。だからこその「今も演技しているのですか」という質問なのだろう。あの発言に対して自分ならどう答えるのか考えてしまった。アンガーマネジメントのいい事例なんじゃないか。自分の成熟さを問われる嫌な質問だ。単純に感動させるだけではない、奥深さを感じる映画だった。
ドキュメンタリーを観ているような・・・
元受刑者だった出演者たちの面構えが、存在感が素晴らしい
ドラマティックな展開があるわけではない。原則として俳優たちが大見得を切ったりもしない。一見、「治療共同体(TC)の車座対話」を淡々と追ったドキュメンタリー作品のようにもみえる。劇映画らしからぬ静かな作品だ。
刑務所の収監者たちが演劇を上演するというコンセプトは、過去にタヴィアーニ兄弟の『塀の中のジュリアス・シーザー』などの作品にもあった。しかし、本作では舞台本番に向けてドラマが収斂していくというより、むしろそのリハーサル過程における人間関係の微妙な変化をじっくり見つめることの方に主眼が置かれている。
言葉にしづらい感情をカタチにする作業を地道に重ねていく行程において、「自分」という殻の奥底に閉じ込めていた心の声に向き合い、ひいては周囲の他者の声にも耳を傾ける——この「RTA(芸術更生プログラム)」への参加経験を有する元受刑者が本作に大勢出演していることもあって、この映画自体が、一種の「ドラマセラピー」ともいえそうな演劇の有効性を証明するものとなっている。
見方を変えると「アマチュア演劇が上演に漕ぎつけるまでの過程を追う」という設定だから、「演劇本来の魅力」や「戯曲の台詞」をしみじみ噛みしめることができるようなシーンはほぼない、とも言える。
それでも、コワモテの収監者がRTAへの参加希望理由を問われ、獄中でたまたま手にした本の一節「人間、生まれてくるとき泣くのはな、この阿呆どもの舞台に引き出されたのが悲しいからだ」(※小田島雄志訳『リア王』より)に激しく共感したから、と答えるシーンなどは、演劇ファンなら大きくうなずくところだろう。
このコワモテの男を演じるのが、元受刑者のクラレンス・“ディヴァイン・アイ”・マクリン本人だ。彼の面構えががイイ。前歯の欠けた口元が実にいい。映画後半ではにかむような表情をのぞかせると人間味があふれ出す。
彼以外に本作に起用された元受刑者たちも一人ひとり、佇まいそのものが存在感を放っている。ちなみに映画前半で、彼らが刑務所内の舞台オーディションを受けるユーモアたっぷりのシーンがあるが、これは本作における実際のキャスティング・オーディション時の映像を使っているのだとか。
そんな彼らに対し、主役のコールマン・ドミンゴらプロの俳優陣も抑え気味の演技で応え、あたかもフレデリック・ワイズマン作品のような日常感を保つことに貢献している。それだけに、コールマン・ドミンゴの仮釈放審査委員会のシーンをはじめ、幾つかの箇所で見られる「典型的な劇映画」的演出には少々違和感を覚えた。また、仮釈放の希望を閉ざされたうえに大切な仲間も喪った彼が周囲に八つ当たりしてしまうあたりの描写も、演技臭が強く出過ぎており、全体の雰囲気を破ってしまって惜しい。
良作ではありますが
エンドロールまで見てね
囚人と刑務所なのでケンカや血みどろもありかなと思ったら全然なく…人は亡くなるけどね、そうゆう亡くなり方かと思うと世間を凝縮した世界にも思う。自由はないし、愛する人にも会えないけど。
エンドロールも良かったので最後まで観て下さいね。
凄く凄い映画かも
アメリカの刑務所内には、こんな更生プログラムがあるなんて驚く。
「塀」の中で続く自分自身との闘い
自己管理
ニューヨーク州の最銃警備刑務所シンシン刑務所の演劇による更生プログラムRehabilitation Through the Artsに参加する囚人たちの話。
無実の罪で収監されRTAを立ち上げつつ本を書きながら演者も務めるディバイン・Gと、新たな劇に臨む際に入って来たヤサグレ男のディバイン・アイを軸にみせて行く。
あらすじ紹介にはGが無罪の罪と記されているけれど、けっこう話しが進んでからサラッと突然証拠がどうのというし、事件のあらましが示されるわけではないからから少々解り難い。
アイもどの程度の立場のギャングだったか解らないし。
とはいえ、そんな登場人物たちが、マウンティングを捨て心を開き対等に接するだけでなく、フォローし合う仲になって行く様はとても良かったし、明確に説くわけではないけれど、囚人だってという本質や人間らしさみたいなものがみえて面白かった。
受け手の自分が疑り深いために単純に受け入れにくく……
元囚人が本人役で出演していて、エンタメ性は抑えめに、再現ドキュメンタリーに近い手法で作られたドラマ。
セリフにしていない、感情の爆発を噛み締めて耐えながら、じわじわと蝕まれて、ついに演劇仲間に当たり散らしてしまう主人公の姿が可愛そうでならなかった。
同情し、思わず応援したくなりました。
このまま受け入れたら、★4以上をつけたいところだけれども…
実話ベースらしいので、「無実だが司法の怠慢と面子による捏造での冤罪での収監だと主張する主人公」側視点で物語が進むわけで。
だからか、いろいろ偏りの存在への疑念も抱き。
作中に出てきた再審請求に対応する「刑期短縮審査官」なる連中の物言いが、日本時代劇における悪人そのものだし。
粗野な黒人犯罪者たちは周りの環境や、白人から受けた差別・レッテル張り被害から過ちを犯しただけで、本当は悪い奴じゃない(実はいい奴だ)という主張を強く感じました。
人間は善悪の二面性だけで形作られるわけではないし、受け取る側の印象で発言内容の意味合いがそのままなのかわからないなどあり、このまま受け入れていいのだろうか?と不安になったし。
もし本当だとこのまま受容するならば、アメリカって国の司法の現場は、質の悪い連中がのさばっていてひどいもんだなとも不安になりました。
そういった諸々の、(日本人だから)アメリカの現地を知らない身での、どっちとも判断つかなさが、深く共感することを阻んでしまいました。
これが、完全に「創作」のエンタメなら、かなり良質な作品として受け入れられたと思います。
刑務所が劇場に変わり、劇場が人生に変わる
刑務所内での物語と聞くと、派手な活劇やショッキングな事件があると思いきや、ドラマティックな演出は逆に極力抑え、淡々としたドキュメンタリーのような描写に徹した作品です。
演目選定、配役割り振り、衣装選びなど演劇を作り上げる過程を丁寧に描くことで、演劇グループの結束と友情が育まれていきますが、舞台発表自体を詳しく描くことはしていません。
静かな感動はあります。ただ全体として見るとやや淡白すぎるかなという印象を個人的には持ってしまいました。
主人公ディヴァインGはリーダーシップもあり、他の受刑者への気配りや貢献も積極的に行う人格者。そんな彼でも、親友の不慮の死や減刑嘆願申請(実は冤罪)が通らない絶望感から限界を感じ、自暴自棄になってしまいます。このあたりの葛藤や持って行き場のない苛立ちをコールマン・ドミンゴが絶妙に演じています。ラストの清々しさも含めドミンゴの演技は見る価値が充分にあります。
本人役で元囚人の方が出てて面白い
期待ハズレ!
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