シンシン SING SINGのレビュー・感想・評価
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THIN THING
評価の高さと題材が気になって、遅ればせながら観てきたが…自分には合わなかった。
最も受け付けなかったのが、台詞廻し。
自分の文化に対する理解が乏しいせいか、それとも訳が上手くないのか、全然頭に入ってこない。
本当に黒人はこんな回りくどい会話をしているのか。
まぁ自分がズレた期待をしていた面は多分にある。
“若者が”のところを“囚人が”に変えた大人の青春もので、その立場ならではの葛藤や成長が描かれると思っていた。
いや、そういう内容ではあったのかもしれないのだけど、なんか芯が外れてるような。
ポスターで「難しい」とされている喜劇に対するアプローチにも興味があったのだが、これはゼロ。
本編は元より、劇中劇に喜劇の要素をほぼ感じない。
流れで見れば面白いのかと思えば、本番のシーンは丸ごとカット。
終盤に本物と思しき映像が少し流れるが、これだけ見せられて何を受け取ればいいやら。
Gとアイの仮釈放を巡る顛末は皮肉ではあるし、マイク•マイクの死はリアルな無常感がある。
しかし映画としては地味過ぎて終始眠かった。
冤罪だというGは別として、他の囚人が罪と向き合う様子が感じられないのもモヤモヤする。
罪を犯した者が楽しんじゃいけないとは思わないが、そこと向き合わない“更生”なんてあるのだろうか。
ラストの解放感のある画変わりはよかった。
To act or not to act…… Act, anyway. 当たり前のことだけどとても大切な何かを教えてくれる珠玉の名作
とてもいい映画を見ました。この作品には人気のイケメン俳優もゴージャスな美人女優も出てきません(内容からして当然と言えば当然なのですが)。監督は無名でもともとドキュメンタリー畑の人のようですが、劇映画ではこれといった実績がありませんでした。物語はドキュメンタリー•タッチで淡々と進み、劇的な出来事は起こりません。地味で静かな作品で、声高に何か主張したりしませんし、感動を煽ったりもしません。主人公の抱える問題は結局、解決せず、問題解決のカタルシスを味わうこともできません。でも、主人公や仲間たちの心の交流や友情から湧きたつ滋味のようなものが、まるで晩ご飯の後に飲んだ一杯のお茶のように、五臓六腑に染み渡り、温かな気持ちにさせてくれます。
物語の舞台は米ニューヨーク州ハドソン川の川べりにあるシンシン刑務所。敷地内に鉄道が走っており、列車がちょっと哀愁のある警笛を鳴らして行き交っています。外から撮った刑務所はくすんでいて半世紀ほど歴史が止まっているように見えます。外からのシーンはほんのわずかでほとんどは刑務所の内側でのシーンとなります。本作はそこでRTAという更生プログラムに沿って演劇の活動をしている収監者たちを描いています。RTAは芸術を通じての更生を企図したプログラムで、収監者たちが創造的な表現を通じて力を得て家に帰ったときにきちんと生活できるようになることを目的にしていますが、かなりの成果をあげているようで、プログラム修了者のうち、刑務所に逆戻りする者は3%以下とのことです(全米の再犯率は約60%、数字はパンフレットより)。
ということで、物語の中心にあるのは演劇の稽古ということになるのですが、本作では厳しい稽古、様々な困難を乗り越え、上演したら大成功、めでたし、めでたしのようなサクセス•ストーリーのほうには行きません。それよりも、過去に取り返しがつかないような経験をし、悔いたり、心に傷を負ったりしている収監者たちが稽古や所内の日常の中で互いに交流しながら、心を開いてゆく、傷を癒やしてゆくことを中心に描かれてゆきます。そこでのメンバーそれぞれの気遣いや親切心、優しさが胸を打ちます。彼らは一時は絶望の中にいたのかもしれませんが、やはり希望は人との関わり合いの中から生まれてくるーーそんな当たり前かもしれないけど、人生の中でとても大切なことを教えてくれたのが、人々の尊敬を集めるカリスマ経営者でもなく、ロールモデルといわれるスーパー•アスリートでもなく、あの人たちだったということは忘れずに心に留めておきたいと思います。エンドロールにはちょっとした仕掛けがあるのですが、スクリーンに向かって感謝の気持ちを伝えたいような気分になりました。
この映画が私の生涯のお気に入り映画のリストに入るかどうかは分かりませんが、有力な候補に躍り出たのは確かです。しばらくしたら、再鑑賞したいと思っています。
実話版「ショーシャンクの空に」。演劇の力、本人役でも多数出演。そして、映画の内容以前に衝撃的だったこと。
人間は産まれながらに
人は才能に溢れてる。
ゴドーを待ちながら
刑務所内の演劇プログラム「RTA(Rehabilitation Through the Arts)」に参加する囚人たちの実話を基にしたフィクションであり、
元囚人たちが自ら演じることで、
リアリティと情感を生み出している。
劇中で繰り返される「脱獄」というセリフは、
単なる物理的な逃亡だけではなく、
演劇を通じて心の自由や自己再生を果たすメタファーとして響く。
この「脱獄」は、
フランス映画『アプローズ、アプローズ 囚人たちの大舞台』
で描かれた、囚人たちの演劇を通じて脱獄した実際に起きた事件、
サミュエル・ベケットもコメントしていた記憶にも新しい実際の事件への、
メンションとも言えるだろう。
本作の核となるのは、
演劇プログラムが囚人たちに与える小さな変革の力だ。
RTAの実際のデータによれば、
参加者の再犯率は一般的な囚人の60%からわずか5%に低下するという(データソースは劇中では明示されないが、効果の大きさは印象的だ)。
この驚異的な数字は、
演劇が単なる娯楽を超え、
自己理解や他者への共感を育むプロセスとして、
機能していることを示唆する。
多くの国で義務教育の必修科目に演劇が取り入れられているのも、
こうした共感力や合意形成のスキルを養うためだ。
体育や音楽の先生同様、
演劇の先生が校門に立っているのだ・・・・
日本ではまだ馴染みが薄いこの教育アプローチを、
本作は力強く肯定する。
映画の最大の魅力は、元囚人たちの生々しくも繊細な演技にある。
彼らは台詞や立ち位置を覚えるのに苦労し、
ぎこちないリハーサルの場面は観客にリアルな人間臭さを感じさせる。
しかし、
プログラムの外での彼らの姿「言葉」や「立ち位置」を模索しながら互いに支え合う様子は、
演劇が彼らの内面に変化をもたらす過程を鮮やかに映し出す。
こうした瞬間を捉えるカメラワークも秀逸だ。
複数の人物が同時に話し、
ありえないセリフの被り、
誰が次の言葉を発するかわからない混沌とした対話を、
カメラは追いかける。
特に、登場人物の【傷】と地面や床を意図的にフレームに収める構図は、
彼らの「立ち位置」が物理的・精神的に揺れ動く様を象徴しており、
視覚的、触覚的な語り口として効果的だ。
演出面では、後半の展開が特に際立つ。
プロフェッショナルな脚本と演出の巧妙さが光り、
観客の感情を一気に高揚させる。
元囚人たちの不器用だが真摯な演技と、
プロの手による物語の洗練された仕上げが融合することで、
映画は単なる実話の再現を超え、
普遍的な人間ドラマへと昇華されている。
まとめ
演劇が持つ癒やしと解放の力を描きながら、
刑務所という閉鎖的な空間で、
人間の尊厳を取り戻す姿を提示する。
元囚人たちのリアルな存在感と、
カメラが見つめる彼らの「足元」が、
観客に深い余韻を残すだろう。
演劇とは何か、失望、挫折、再生とは何か、
シンパシー、エンパシー、
その答えを模索するすべての人に、
この映画は静かだが、力強い一撃を与えるだろう。
心にしみるね。
シンシンって刑務所の名前なんだね。更生プログラムで劇をする。そこに、ややこしい悪が入ってくる。
主人公は、無実で入っていて、脚本が書ける。
なんだかんだトラブルけど、話し合いや共通があれば
友情ができるんだ。ラストは良かったよ。
あんな2人が相棒になるんだ。
いい映画だったよ、
誰もが葛藤しながら生きている
塀の中と塀の外、・・・
「空気が違う」と出所した誰がが言っていた。
罪を犯して収監された、社会とは隔絶された刑務所の中で行われる更生プログラム。
演劇というのは意外だったけれど、これが自己の内面と向き合うのにものすごく効果的なのだと観るうちに分かってきました。
演じるってすごいな。別の誰かになることで、逆に自分が何者なのかを思い知る。
まして、自暴自棄になってもおかしくないこの特殊な環境の中で。
「みんな、人間に戻るためにここにいるんだ」と一人が言っていた。
下手すると、元の獣に戻ってしまう自分への恐れとも向き合い、いろんな思いと闘っているんだな・・・
主人公は冤罪なの?だったら酷すぎる。
ショーシャンクやんか!
Gは、あの優しい人柄は、やっぱり特別なものだった。でもその彼でさえも心を押しつぶされそうになって、仲間に救われる。
ラストシーン、迎えに来てくれた彼と抱き合うシーンは涙無くして見れない。
そして、Gとマイクマイクと演出家の役の3人以外は全て元収監者ということに驚いた。
知らずに見て良かった。みんなすごい。
こういう映画見ると、アメリカの懐の深さを感じます。
観て良かった。
生きているからこそ
まず初めに、ワタシは大きな勘違いをしていて、作品名から韓国の動物園を舞台にしたパンダの物語だとばっかり思い込んでいて、全くのノーチェックだったことに最近気が付いて観に行ったのでした(トホホ)。
そうしたら、重たいテーマでしたね。生まれた時には同じスタートラインに立っていると思ったら違っていた、そんなCMも流れていますが、生まれた地域や境遇においては自然と法を犯さずには生きられない場合もある。
その後の人生においても何らかの理由で踏み外さなければならない場合もある。
けれど塀の中の彼らは「人生が二度あれば」などとは考えず、今いる場所でできる精一杯のことをしようと取り組んでいる(中には、ここが一番良いとか、ここしか居場所がないと考える者もいましたが)。
どこにいたって、どんな人だって、一所懸命取り組む、仲間と協調する、それは素晴らしいことだと再認識させられました。
その反面、それでも厳しい現実は待ち受けていて、なかなか世の中は変わってはくれない、そんな無力感も見せられた気がします。
出所する【G】を出迎えた【I】、抱き合い涙する二人にはシャバに出られて打ち震える喜びと、これから突き付けられる現実の情け容赦ない刃に恐れおののき震える、その両方が垣間見えたような気がしました。
あらすじ8割、大体の囚人が本人役2割
あからさまにあざとい感じにしていないのは好感持てるが、意識の移り変わりの説得力が今ひとつ。
ただこちらが無知ゆえに『リア王』とか『ハムレット』とか笑うべきところに反応鈍くなってしまうのは、何とかしたい。
演劇体験は心理療法である。
やっぱり演劇と心理(心理療法)ってつながっているなぁと再確認しました。
じんわりと心に響く映画でした。
演劇舞台はアメリカニューヨーク州の最重警備刑務所シンシン。主人公のディヴァインGは、無実の罪で25年もの期間で収監されています。そんな彼の心の支えは、更生プログラムの1つである演劇グループに所属して、日々仲間たちと演劇に取り組むことでした。ある日、シンシンいち恐れられている元ギャングのマクリンがやってきて、自分もやってみたいと言い出し・・・
映画の中のいくつかのシーンを通して、演技の心理と、演技(演劇)の持つ心理的効果を3つ挙げてみたいと思います。
①感情を解き放つ-カタルシス
マクリンは、エジプトの王様の役になるのですが、最初セリフに集中しすぎて、表情がいまいち冴えません。その時、ディヴァインGは、「きみはこの刑務所いちの王様だよな。そんな気分で演じてみたらどうかな?」と助言するのです。すると、マクリンは急に目の色を変えて「おれはこの刑務所の王様だ!おれがここを支配している!」とアドリブで言い出し、まさにエジプトの王様のように振舞うのです。表情が生き生きとして、気分も良さそうです。
実は、彼は以前からいつも疑心暗鬼になり、素直な感情を押し殺して生きてきたのでした。そんな彼が、演劇に出会い、自由に自己表現することの喜びを知ったのでした。
1つ目の心理は、感情を解き放つ、カタルシス(浄化)です。これは、演技という枠組みの中で抑えていた感情を自由に出すことで、気持ちのわだかまりを洗い流し、すっきりすることです。ただ感情を爆発させるのは社会で受け入れられませんが、演技というルールのなかでは逆に好まれるというわけです。ちょうど、暴力は受け入れられませんが、格闘技というルールのなかでは逆に好まれるのと似ています。
このカタルシスは、その演技を見る観客も味わうことができます。それは、観客が演技する演者に共感することで、カタルシスを追体験できるからです。
なお、その演劇グループに外部から来ている演出家のブレントは、「怒りの演技は簡単だ。難しいのは傷つく演技だ」と説明していました。この理由は、怒りがストレートな単一感情(一次感情)であるのに対して、傷つく感情は悲しみや怒りなどの基本感情と、恥や悔しさなどの社会的感情が織り交ざり見え隠れする複合感情(二次感情)だからです。ちょうど、その後に仮釈放委員会で却下を伝えられた時のディヴァインGの表情(この映画のなかでは演技ではなく真の表情)が当てはまります。
ちなみに、このような感情に焦点を当てて気づきや受容を促す心理療法は、エモーション・フォーカスト・セラピーと呼ばれ、この映画の演劇グループのウォーミングアップのシーンでたびたび行われていました。
②自分を俯瞰する―メタ認知
ディヴァインGは、マクリンに「おれたちは演技することで、人生に向き合えるんだ。おまえだってそうだ」「脱獄した気分にもなれる」「芝居でシャバの世界を味わえるんだ。頭の中で出所できる」と演劇の魅力を語ります。海賊、剣闘士、エジプトの王様などの演技を通して、心の自由を得ることができ、人間として生きている日々の喜びを実感できるということです。これは、演出家のブレントの「プロセスを信じろ」というセリフにも通じます。演劇の更生プログラムは、舞台に立ってうまい演技するという結果ではなく、そこに至るプロセス自体が彼らを救済するということです。
また、マクリンは、演技中に他のメンバーが後ろを通ったことで演技に集中できなくなり怒り出します。けんかになりそうになると、あるメンバーが、「昔おれは、怒りにつぶされてた。ある時、食堂でけんかが起こり、あるやつの喉が切られて血が噴き出てたんだ。だけど、それでも近くにいたおれは平静を装って動かなかった(助けようとしなかった)」と語り出します。そして、「おれたちはもう一度人間になるためにここにいる」と涙ながらに言うのです。
2つ目の心理は、自分を俯瞰する、メタ認知です。これは、演技というプロセスを通して、なりきる喜びを味わいつつ、日々自分の気持ちや行動を見つめ直すことです。これは、感情のセルフコントロールも促し、人間性を回復させます。人間らしく生きるには、自分の弱さや自分のありのままの感情を俯瞰して気づき、虚勢を張ったり無関心を装ったりせずに受け入れることが必要だからです。そして、欲望や怒りに身を任せない生き方を選ぶことです。これは、アルコール依存症への心理療法にも通じます。
演出家のブレントは、ウォーミングアップで「きみたちにとって最もパーフェクトな場所はどこ? パーフェクトな瞬間はいつ?」「誰かといっしょかな?」「どんな音が聞こえる?」「温度を感じる?」「私を連れて行ってくれるかな」と質問します。すると、それぞれのメンバーが語り出すのですが、あるメンバーは「自分が、(刑務所のそばを流れる)ハドソン川が見える椅子に座ると、向こう岸の山の上に母がいて、降りてきるんだ。そして、おれをずっと見てるんだ」と言います。もちろん彼が想像する母親なのですが、まさに母の視点を通して、自分を俯瞰している心のあり方が見て取れます。
ちなみに、このように俯瞰を意識して気づきや受容を促す心理療法は、マインドフルネスと呼ばれます。
③助け合おうとする―仲間意識
マクリンは、もともと一匹狼で、最初はディヴァインGたちに怒りをむき出しにして、何度も食ってかかっていました。ディヴァインGがマクリンを助けようと思い仮釈放委員会へのレポートを作っても、マクリンは断ろうとします。しかし、毎回メンバーたちが輪になって気づいた自分の弱さやありのままの感情を語り合い、いっしょに演技の練習をしていくうちに、マクリンは少しずつ心を開いていきます。やがて、彼は「みんなといっしょにいれば、また自分を信じられるかもしれない」としみじみ言うのです。
そんななか、ディヴァインG自身の仮釈放の申請が却下となるなどいろいろ不遇なことが重なり、ディヴァインGはその絶望から演劇の練習中に「何も進歩していない。何が喜劇だよ。とんだお笑い草だ」と暴言を吐き、逃げ出します。すると、数日してマクリンがディヴァインGのところにやってきて、「今度はおれがおまえの力になりたいんだ。おまえがそうしてくれたように」と言い、手を差し伸べるのです。救う側と救われる側という立場がお互いに入れ替わりながら、彼らはより人間らしくなっていくのでした。
3つ目の心理は、助け合おうとする、仲間意識です。これは、演技の練習など共通の目的に向かっていっしょに何かをするという相互作用から、お互いに気にかけるようになることです。ここから分かることは、「最初から好きだから助け合う」のではないということです。逆です。「助け合うから好きになる」のです。そして「好きになったからさらに助け合う」のです。これが、友情の心理です。そしてこれは、アルコール依存症などの自助グループにも通じます。
こんなかんじで、映画ではごく自然に、リアルに、演劇の持つ心理療法的な力が現れているシーンが流れていました。
私は今大学で心理学を教えているのですが、演劇的なメソッドを授業に取り入れています。教室の中で、集団精神療法のような、相互作用が生まれ、学生さんひとりひとりのメタ認知の向上や、カタルシスの効果がでていると体感しています。
演劇教育が日本で今よりももっと普及するといいな、と「SING SING」を観ながら、強く感じました。
海外の刑務所は日本より自由度が高めなのか
エンドクレジットでは登場人物の多くは“as Himself"の表記で出演していて、どうやって撮影したのか気になったのでパンフレットを読んだら、かつて収監されていた方々だった。そりゃさすがに現役の人は出せないか。
同じく収監者の演劇をモデルとした『アプローズ、アプローズ!』も面白かったけれど、今作は本人出演だからか、ところどころドキュメンタリーのように進んでいく。ステージを境に外の世界に触れ、それぞれの希望や葛藤などが交錯し、彼らの言葉が時にズンとくる。
パンフレットによると主要なシーンは18日間で撮影されたそうだから、リアルな雰囲気にも納得。
ステージのシーンもあるかと思って期待していたけど、そこはあまり重要ではなかったようで、そこまでの過程を観るものだった。
今年ベスト級!
アートとというプロセスが如何に人間性の回復に寄与するか。
実際にRTA"(Rehabilitation Through the Arts)演劇・ダンス・音楽・文芸・視覚芸術などのワークショップを通年開催する更生プログラム"を修了者は全米の再犯率60%に対し、3%となっているようで、また、本作の出演者の多くが実際のRTA修了者で構成されているということもあり、非常にリアリティある話となっていた。
さらに映画が描いているのはRTAに限った話ではなく、アートというプロセスそのもの(映画をつくること、さらに映画を観るということ)まで、本作は讃えてくれるような暖かさがある。観賞中何度も目頭が熱くなった。
また、劇中のRTA演劇の演出家ブレントが行ったワークショップで「あなたの人生で最高だった瞬間を思い浮かべて〜(中略)」から、それぞれが自分の人生のことを語り、「さぁあなたはもう役者だ。」というシーンがとても印象に残っている。まさにアートというプロセスが人間性を取り戻すという瞬間である。とても活力が湧いて来るセリフだ。
「怒る演技のは簡単。」、「傷付く演技は難しい。」、このセリフは他人に弱みを見せられないという刑務所内での鉄則のようにもみえるが、ディヴァインGを通して上手く他人に助けを戻られない、1人で頑張りすぎてしまう全ての人に当てはまることだと思った。
プロセス
Sue
アカデミー賞ノミネート作品組なので無条件で鑑賞。
囚人が監獄の中で行う舞台演劇とは?というところも面白そうでした。
ドキュメンタリーみたいなタッチで進み、演劇をするためのワークショップの様子を眺めているようでした。
更生プログラムのための演劇という、日本では中々観ることのない風習でしたし、厳しい面が強く描かれがちなムショ映画なのに開放感があったのが良かったです。
演技を通しての友情や信頼、演技があるからこそ生まれる乖離、演技をやっていたからこそ気づいた大切なものなどなど、演技と収監生活がここまでリンクするとはという驚きが確かにありましたし、演技力が裏目に出てしまうシーンもあったりと感情は大変でした。
主にGとアイの2人がメインで衝突したり、マイクマイクが賑やかしてくれたり、メンバーがそれぞれの境遇を語って和気藹々としたりするので安心して観れるな〜と思っていたところに後半では急展開が入ったりと、ここが監獄だっていう事を時折思い出させるシーンがある作りはリアルで良かったです。
ただ全体的には会話劇メインという事もあり、演劇でステージに立っている時は場面の移り変わりがあるんですが、どうしても素でやっている時の画面に華やかさは無く物足りなさを感じてしまいました。
カメラワークにうんたら言えるほど偉くはないんですが、アップで映しているシーンが多く、どうしてもノイズになってしまいました。
舞台ならではの臨場感もどうしても盛られ具合が過ぎてしまい、演劇よりもしっかり映画になっていたなと思いちょっと残念でした。
出演者のほとんどが囚人だったというのも素晴らしく、その雰囲気を知っているからこそ醸し出せる雰囲気がありましたし、ぶつかり合いもスリルがあったりと見応えがありました。
ラストシーンはちゃんとそこに繋がってくるのねというラストで、みずみずしいまでの空が美しかったです。
役者陣の振り分けかたがここでも活きてくるなんて、配置がうますぎるわ〜となりました。
日本では中々刑務所の様子が公開されることは無いので、日本の刑務所でもどんな更生プログラムが組まれているのかなという興味が出てきました。
なんにせよアカデミー賞ノミネートは納得な1本でした。
鑑賞日 4/17
鑑賞時間 18:35〜20:25
座席 B-11
独居房は狭いアパート程度に個性的にカスタマイズ
とても興味深い映画。
アメリカ・ニューヨーク州のシンシン刑務所が舞台。シンシン刑務所は、ローゼンバーグ事件のローゼンバーグ夫妻が電気椅子で死刑になるまで収監されていた刑務所。
主要な出演者は、主役など4人を除いて全てシンシン刑務所の元収監者が本人役で出演しているみたいです。
特に、準主役とも言えるクラレンス・マクリン(本人役)は良い演技でした。
とても興味深かったのは、凶悪犯が収監されている刑務所なのに、独居房が狭い安アパート程度に、個性的にカスタマイズされていたこと。
壁に絵が貼ってあったり、本棚があったり、ペンや色鉛筆が沢山あったり。
日本の刑務所のこれまでイメージとかなり違うと思いました。
しかし、調べてみたら、日本の刑務所もかなり様変わりしているようで、独居房にも各々液晶テレビがあるらしい。びっくりです。
網走番外地の時代ではないのですね。
【実在の最も重い警備で有名なNYシンシン刑務所を舞台にした演劇による更生プログラムを受ける"as himself"元収監者出演多数映画。今作はそこにこそ、この映画の価値があると思った作品である。】
ー ”今週のシネコンの収益はコナン君に任せた!”と思いながら、久しぶりに名古屋のミニシアターの殿堂へ。
映画好きの人達が集う映画館であり、上映中の映画のフライヤーも刈谷日劇同様にババーンと置いてある太っ腹の映画館である。で、今作も含めた上映中の映画や他の映画館ではお目に掛かれないフライヤーを多数ゲットしてから、予約してあった席へ。-
■実在の最も重い警備で有名なNYシンシン刑務所を舞台にした演劇を通して、ムッチャ怖い顔の収監者たちが人間関係を育みながら変容する過程を追ったヒューマンドラマ。
無実の罪(本人曰く。ここら辺はキチンと描かれない。)でシンシン刑務所に収監されたディバインG(コールマン・ドミンゴ)。だが、彼は更生プログラムRTAの演劇活動が、自由を感じる唯一の場である。
そこに、白人の収監者を脅しているディバイン・アイ(クラレンス・マクリン:"as himself"第一号)が志願してくる。ディバインGは共にプログラムを仕切っているマイク・マイクと彼の演技を見て参加を認めるのである。
最初は”仕切ってんじゃねーよ!”などとディバインGに突っかかるマクリンだが、演技を練習するプロセスで、彼の態度は徐々に変化していくのである。
◆感想<Caution!内容に触れています!>
・冒頭から、ムッチャ強面の”俳優”多数出演で、”どっから集めて来たんだろ?コールマン・ドミンゴくらいしか知らないぞ?”と思って観ていたらエンドロールでビックリ。多数の"as himself"俳優で”マジっすか!”である。
・演劇活動の題目は、シェイクスピアなどの重いモノが多かったのだが”喜劇をやろう!”と言う事になり、タイムトラベルも入れたゴチャマゼ演劇をやる事になるのだが、その演劇については余り映されない。が、エンドロールで本物の劇の映像が出てくるのだが、結構受けていたなあ。
・RTA参加者たちが、自分の人生で一番輝いていた時を話すシーンは、彼らの絆を感じたシーンである。小遣いで買ったかき氷の味、芝刈り、妻にプロポーズした時。だが、そんな時は彼らの人生には戻って来ないのである。
・ディバインGは、親切にもクラレンス・マクリンの仮釈放の面接のノウハウを纏めて渡して上げるのだが、ある日盟友と言っても良いマイク・マイクが小さな収監室で脳動脈瘤破裂で突然死して、且つ彼の仮釈放の嘆願も通らずに、彼は劇の練習中に”こんなことをやって何になるんだ!”と暴言を吐き、その場を去ってしまうのである。
驚きつつ、その後姿を見るRTA参加者たち。
だが、刑務所の庭で独り座っているディバインGの所に歩み寄るクラレンス・マクリンが言った言葉が沁みる。”皆で話し合ったんだが、お前を赦すよ。”
<そして、クラレンス・マクリンは一足先に仮出所をし、漸く刑務所を出たディバインGを出迎え”自由は良いな。”と言いながら強く抱き合うのである。
今作は、実在の最も重い警備で有名なNYシンシン刑務所を舞台にした演劇による更生プログラムRTAを受ける"as himself"元収監者出演多数映画であり、そこにこそこの映画の価値があると思った作品である。>
■一応記すが、私の臨席のオバサンは序盤からガックシと頭を下にして熟睡してました。私は優しいので、そのままにしておきました・・。
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