シンシン SING SINGのレビュー・感想・評価
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極道めし 演劇部篇
シンシン刑務所は実際にニューヨーク州のハドソン川に面して建っている。
お漬け物やパンダの名前みたいだし、架空の施設だと思ったら、先住民ウォピンジャー族の部落の名前から取ったらしい。
指導する演出家のおじいさん、ブレント役のポール・レイシーはどこかで見たなぁと調べたら、映画サウンドオブメタルの聴覚障がい者施設のガンコ親父役だった。彼の両親は聴覚障害者で彼は本物のCODAの舞台俳優だったが、サウンドオブメタルで70歳を超えてブレイクした。ブレントが部員に今までで一番と思う思い出をそれぞれに語らせ、情操訓練を行う場面が、「極道めし」での生唾ゴックン話とリンクして、たまらなかった。
エンドロールのキャスト。
As himself のまぁなんて多いこと😱
準主役のクラレンス・“ディヴァイン・アイ”・マクリン。
いかにも悪そうで、いやだなぁ〜と思っていたら、やっぱり元部員だった。
主役のコールマン・ドミンゴの出てる映画は自分でも意外なほど多く観ていた。いい人そうな感じでほっとする。ボビー・オ〇ゴンよりずっといい人だと思うんだな。
我々日本人の都市生活者の多くは、シンシン刑務所の独房より狭いところに住んでる気がして、演劇の練習に使われるホールなんか、ホテルの披露宴会場みたいだった。高級外車も持ってないし。
なんだかなぁ😥
アメリカの刑務所に入って、お釜掘られずに生き延びるなんて無理だと思っていたけど(ショーシャンクの空にの影響)、演技の才能があれば、なんとかなる気がしてきたけど、やっぱりハードル高いわ。
外部の女優さんとの接触目当ての輩もそりゃいるわなぁ。永島敏行主演の「サード」のある場面も思い出した。
RTAでライオンキングはやらなかったのかなぁ?禁演演目だったのかなぁ?
静かに心に沁みる
実際の元囚人が演じてるというところに興味を惹かれて鑑賞。主演の二人くらいは俳優かと思ったらまさかのDivine Iは本人だった。(divine xが二人いるのがしばらく理解できず、人物の見分けは最初難しかった。。)
そしてフィクションならきっと彼が最後やらかして上演が危うくなるとかとか、仮釈放目前に詐欺の被害者と揉めてパーになるみたいな感じかなと冒頭思ったが、見事に演劇、RTA rehabilitation through the artsによって感情を制御し牙を抜かれていった。最初、所内で詐欺働くやつなんて入れなきゃいいのに、って思ったがそんな彼をも改心させるアーツの持つ力は強大だった。。実際はもう少し紆余曲折あったとは思うけど。事実は小説ほど都合良いアップダウンはない。
日本社会で例えばスポーツに打ち込む子どもが非行に走りにくい(と思われる)ように、何かに本気で向き合うことはとても意味があるし、それが自分の内面と向き合う演劇という世界だからこそ人の心を溶かしていったんだろうなとは思わせる。「プロセス」と呼ばれる、心を開く練習は私にも辛そうでやりたくない。
「ここではニガー(黒人蔑称の?)じゃなくて相棒と呼ぶ」というところ、元はbeloved?直訳すると愛されし者!?和訳工夫したなあと感心したが、だとしても収容所で大罪犯したヤンチャな人たちがそんな優しい言葉で互いを呼ぶのか?というのはびっくり。根がやはりクリスチャン文化の国だと愛は身近なのか。。?divine (神聖) だし?
マイクマイクと夜語るくだりだけ長いな、と一瞬飽きたら直後まさかの展開で飽きた自分を恥じてしまった。。一瞬一瞬を大切にしなければなのね。。
演じることで自由になれる
SING SING🟰シンシン刑務所
主人公ディヴァインGを演じたコールマン・ドミンゴが、第97回アカデミー主演男優賞としてノミネートされていたので、とても気になった作品
ニューヨークで最も厳重なセキュリティとされたシンシン刑務所で、収監者更生プログラムとして舞台演劇が行われていたことを題材に、無実の罪で収監された男と収監者たちとの友情を描いた実話とのこと
刑務所の中で自分とは違うものを演じることで、気持ちのうえで自由になれ幸せを見出す
すさんだココロも洗われ仲間との友情さえ芽生えていく
これが実話とは素晴らしいし、本人たちが演じてることがすごい
もう少し抑揚があって感動的であったなら、アカデミー賞作品賞でノミネートされてもいいんではないでしょうか
よかった
THIN THING
評価の高さと題材が気になって、遅ればせながら観てきたが…自分には合わなかった。
最も受け付けなかったのが、台詞廻し。
自分の文化に対する理解が乏しいせいか、それとも訳が上手くないのか、全然頭に入ってこない。
本当に黒人はこんな回りくどい会話をしているのか。
まぁ自分がズレた期待をしていた面は多分にある。
“若者が”のところを“囚人が”に変えた大人の青春もので、その立場ならではの葛藤や成長が描かれると思っていた。
いや、そういう内容ではあったのかもしれないのだけど、なんか芯が外れてるような。
ポスターで「難しい」とされている喜劇に対するアプローチにも興味があったのだが、これはゼロ。
本編は元より、劇中劇に喜劇の要素をほぼ感じない。
流れで見れば面白いのかと思えば、本番のシーンは丸ごとカット。
終盤に本物と思しき映像が少し流れるが、これだけ見せられて何を受け取ればいいやら。
Gとアイの仮釈放を巡る顛末は皮肉ではあるし、マイク•マイクの死はリアルな無常感がある。
しかし映画としては地味過ぎて終始眠かった。
冤罪だというGは別として、他の囚人が罪と向き合う様子が感じられないのもモヤモヤする。
罪を犯した者が楽しんじゃいけないとは思わないが、そこと向き合わない“更生”なんてあるのだろうか。
ラストの解放感のある画変わりはよかった。
To act or not to act…… Act, anyway. 当たり前のことだけどとても大切な何かを教えてくれる珠玉の名作
とてもいい映画を見ました。この作品には人気のイケメン俳優もゴージャスな美人女優も出てきません(内容からして当然と言えば当然なのですが)。監督は無名でもともとドキュメンタリー畑の人のようですが、劇映画ではこれといった実績がありませんでした。物語はドキュメンタリー•タッチで淡々と進み、劇的な出来事は起こりません。地味で静かな作品で、声高に何か主張したりしませんし、感動を煽ったりもしません。主人公の抱える問題は結局、解決せず、問題解決のカタルシスを味わうこともできません。でも、主人公や仲間たちの心の交流や友情から湧きたつ滋味のようなものが、まるで晩ご飯の後に飲んだ一杯のお茶のように、五臓六腑に染み渡り、温かな気持ちにさせてくれます。
物語の舞台は米ニューヨーク州ハドソン川の川べりにあるシンシン刑務所。敷地内に鉄道が走っており、列車がちょっと哀愁のある警笛を鳴らして行き交っています。外から撮った刑務所はくすんでいて半世紀ほど歴史が止まっているように見えます。外からのシーンはほんのわずかでほとんどは刑務所の内側でのシーンとなります。本作はそこでRTAという更生プログラムに沿って演劇の活動をしている収監者たちを描いています。RTAは芸術を通じての更生を企図したプログラムで、収監者たちが創造的な表現を通じて力を得て家に帰ったときにきちんと生活できるようになることを目的にしていますが、かなりの成果をあげているようで、プログラム修了者のうち、刑務所に逆戻りする者は3%以下とのことです(全米の再犯率は約60%、数字はパンフレットより)。
ということで、物語の中心にあるのは演劇の稽古ということになるのですが、本作では厳しい稽古、様々な困難を乗り越え、上演したら大成功、めでたし、めでたしのようなサクセス•ストーリーのほうには行きません。それよりも、過去に取り返しがつかないような経験をし、悔いたり、心に傷を負ったりしている収監者たちが稽古や所内の日常の中で互いに交流しながら、心を開いてゆく、傷を癒やしてゆくことを中心に描かれてゆきます。そこでのメンバーそれぞれの気遣いや親切心、優しさが胸を打ちます。彼らは一時は絶望の中にいたのかもしれませんが、やはり希望は人との関わり合いの中から生まれてくるーーそんな当たり前かもしれないけど、人生の中でとても大切なことを教えてくれたのが、人々の尊敬を集めるカリスマ経営者でもなく、ロールモデルといわれるスーパー•アスリートでもなく、あの人たちだったということは忘れずに心に留めておきたいと思います。エンドロールにはちょっとした仕掛けがあるのですが、スクリーンに向かって感謝の気持ちを伝えたいような気分になりました。
この映画が私の生涯のお気に入り映画のリストに入るかどうかは分かりませんが、有力な候補に躍り出たのは確かです。しばらくしたら、再鑑賞したいと思っています。
実話版「ショーシャンクの空に」。演劇の力、本人役でも多数出演。そして、映画の内容以前に衝撃的だったこと。
人間は産まれながらに
人は才能に溢れてる。
ゴドーを待ちながら
刑務所内の演劇プログラム「RTA(Rehabilitation Through the Arts)」に参加する囚人たちの実話を基にしたフィクションであり、
元囚人たちが自ら演じることで、
リアリティと情感を生み出している。
劇中で繰り返される「脱獄」というセリフは、
単なる物理的な逃亡だけではなく、
演劇を通じて心の自由や自己再生を果たすメタファーとして響く。
この「脱獄」は、
フランス映画『アプローズ、アプローズ 囚人たちの大舞台』
で描かれた、囚人たちの演劇を通じて脱獄した実際に起きた事件、
サミュエル・ベケットもコメントしていた記憶にも新しい実際の事件への、
メンションとも言えるだろう。
本作の核となるのは、
演劇プログラムが囚人たちに与える小さな変革の力だ。
RTAの実際のデータによれば、
参加者の再犯率は一般的な囚人の60%からわずか5%に低下するという(データソースは劇中では明示されないが、効果の大きさは印象的だ)。
この驚異的な数字は、
演劇が単なる娯楽を超え、
自己理解や他者への共感を育むプロセスとして、
機能していることを示唆する。
多くの国で義務教育の必修科目に演劇が取り入れられているのも、
こうした共感力や合意形成のスキルを養うためだ。
体育や音楽の先生同様、
演劇の先生が校門に立っているのだ・・・・
日本ではまだ馴染みが薄いこの教育アプローチを、
本作は力強く肯定する。
映画の最大の魅力は、元囚人たちの生々しくも繊細な演技にある。
彼らは台詞や立ち位置を覚えるのに苦労し、
ぎこちないリハーサルの場面は観客にリアルな人間臭さを感じさせる。
しかし、
プログラムの外での彼らの姿「言葉」や「立ち位置」を模索しながら互いに支え合う様子は、
演劇が彼らの内面に変化をもたらす過程を鮮やかに映し出す。
こうした瞬間を捉えるカメラワークも秀逸だ。
複数の人物が同時に話し、
ありえないセリフの被り、
誰が次の言葉を発するかわからない混沌とした対話を、
カメラは追いかける。
特に、登場人物の【傷】と地面や床を意図的にフレームに収める構図は、
彼らの「立ち位置」が物理的・精神的に揺れ動く様を象徴しており、
視覚的、触覚的な語り口として効果的だ。
演出面では、後半の展開が特に際立つ。
プロフェッショナルな脚本と演出の巧妙さが光り、
観客の感情を一気に高揚させる。
元囚人たちの不器用だが真摯な演技と、
プロの手による物語の洗練された仕上げが融合することで、
映画は単なる実話の再現を超え、
普遍的な人間ドラマへと昇華されている。
まとめ
演劇が持つ癒やしと解放の力を描きながら、
刑務所という閉鎖的な空間で、
人間の尊厳を取り戻す姿を提示する。
元囚人たちのリアルな存在感と、
カメラが見つめる彼らの「足元」が、
観客に深い余韻を残すだろう。
演劇とは何か、失望、挫折、再生とは何か、
シンパシー、エンパシー、
その答えを模索するすべての人に、
この映画は静かだが、力強い一撃を与えるだろう。
心にしみるね。
シンシンって刑務所の名前なんだね。更生プログラムで劇をする。そこに、ややこしい悪が入ってくる。
主人公は、無実で入っていて、脚本が書ける。
なんだかんだトラブルけど、話し合いや共通があれば
友情ができるんだ。ラストは良かったよ。
あんな2人が相棒になるんだ。
いい映画だったよ、
誰もが葛藤しながら生きている
塀の中と塀の外、・・・
「空気が違う」と出所した誰がが言っていた。
罪を犯して収監された、社会とは隔絶された刑務所の中で行われる更生プログラム。
演劇というのは意外だったけれど、これが自己の内面と向き合うのにものすごく効果的なのだと観るうちに分かってきました。
演じるってすごいな。別の誰かになることで、逆に自分が何者なのかを思い知る。
まして、自暴自棄になってもおかしくないこの特殊な環境の中で。
「みんな、人間に戻るためにここにいるんだ」と一人が言っていた。
下手すると、元の獣に戻ってしまう自分への恐れとも向き合い、いろんな思いと闘っているんだな・・・
主人公は冤罪なの?だったら酷すぎる。
ショーシャンクやんか!
Gは、あの優しい人柄は、やっぱり特別なものだった。でもその彼でさえも心を押しつぶされそうになって、仲間に救われる。
ラストシーン、迎えに来てくれた彼と抱き合うシーンは涙無くして見れない。
そして、Gとマイクマイクと演出家の役の3人以外は全て元収監者ということに驚いた。
知らずに見て良かった。みんなすごい。
こういう映画見ると、アメリカの懐の深さを感じます。
観て良かった。
生きているからこそ
まず初めに、ワタシは大きな勘違いをしていて、作品名から韓国の動物園を舞台にしたパンダの物語だとばっかり思い込んでいて、全くのノーチェックだったことに最近気が付いて観に行ったのでした(トホホ)。
そうしたら、重たいテーマでしたね。生まれた時には同じスタートラインに立っていると思ったら違っていた、そんなCMも流れていますが、生まれた地域や境遇においては自然と法を犯さずには生きられない場合もある。
その後の人生においても何らかの理由で踏み外さなければならない場合もある。
けれど塀の中の彼らは「人生が二度あれば」などとは考えず、今いる場所でできる精一杯のことをしようと取り組んでいる(中には、ここが一番良いとか、ここしか居場所がないと考える者もいましたが)。
どこにいたって、どんな人だって、一所懸命取り組む、仲間と協調する、それは素晴らしいことだと再認識させられました。
その反面、それでも厳しい現実は待ち受けていて、なかなか世の中は変わってはくれない、そんな無力感も見せられた気がします。
出所する【G】を出迎えた【I】、抱き合い涙する二人にはシャバに出られて打ち震える喜びと、これから突き付けられる現実の情け容赦ない刃に恐れおののき震える、その両方が垣間見えたような気がしました。
あらすじ8割、大体の囚人が本人役2割
あからさまにあざとい感じにしていないのは好感持てるが、意識の移り変わりの説得力が今ひとつ。
ただこちらが無知ゆえに『リア王』とか『ハムレット』とか笑うべきところに反応鈍くなってしまうのは、何とかしたい。
演劇体験は心理療法である。
やっぱり演劇と心理(心理療法)ってつながっているなぁと再確認しました。
じんわりと心に響く映画でした。
演劇舞台はアメリカニューヨーク州の最重警備刑務所シンシン。主人公のディヴァインGは、無実の罪で25年もの期間で収監されています。そんな彼の心の支えは、更生プログラムの1つである演劇グループに所属して、日々仲間たちと演劇に取り組むことでした。ある日、シンシンいち恐れられている元ギャングのマクリンがやってきて、自分もやってみたいと言い出し・・・
映画の中のいくつかのシーンを通して、演技の心理と、演技(演劇)の持つ心理的効果を3つ挙げてみたいと思います。
①感情を解き放つ-カタルシス
マクリンは、エジプトの王様の役になるのですが、最初セリフに集中しすぎて、表情がいまいち冴えません。その時、ディヴァインGは、「きみはこの刑務所いちの王様だよな。そんな気分で演じてみたらどうかな?」と助言するのです。すると、マクリンは急に目の色を変えて「おれはこの刑務所の王様だ!おれがここを支配している!」とアドリブで言い出し、まさにエジプトの王様のように振舞うのです。表情が生き生きとして、気分も良さそうです。
実は、彼は以前からいつも疑心暗鬼になり、素直な感情を押し殺して生きてきたのでした。そんな彼が、演劇に出会い、自由に自己表現することの喜びを知ったのでした。
1つ目の心理は、感情を解き放つ、カタルシス(浄化)です。これは、演技という枠組みの中で抑えていた感情を自由に出すことで、気持ちのわだかまりを洗い流し、すっきりすることです。ただ感情を爆発させるのは社会で受け入れられませんが、演技というルールのなかでは逆に好まれるというわけです。ちょうど、暴力は受け入れられませんが、格闘技というルールのなかでは逆に好まれるのと似ています。
このカタルシスは、その演技を見る観客も味わうことができます。それは、観客が演技する演者に共感することで、カタルシスを追体験できるからです。
なお、その演劇グループに外部から来ている演出家のブレントは、「怒りの演技は簡単だ。難しいのは傷つく演技だ」と説明していました。この理由は、怒りがストレートな単一感情(一次感情)であるのに対して、傷つく感情は悲しみや怒りなどの基本感情と、恥や悔しさなどの社会的感情が織り交ざり見え隠れする複合感情(二次感情)だからです。ちょうど、その後に仮釈放委員会で却下を伝えられた時のディヴァインGの表情(この映画のなかでは演技ではなく真の表情)が当てはまります。
ちなみに、このような感情に焦点を当てて気づきや受容を促す心理療法は、エモーション・フォーカスト・セラピーと呼ばれ、この映画の演劇グループのウォーミングアップのシーンでたびたび行われていました。
②自分を俯瞰する―メタ認知
ディヴァインGは、マクリンに「おれたちは演技することで、人生に向き合えるんだ。おまえだってそうだ」「脱獄した気分にもなれる」「芝居でシャバの世界を味わえるんだ。頭の中で出所できる」と演劇の魅力を語ります。海賊、剣闘士、エジプトの王様などの演技を通して、心の自由を得ることができ、人間として生きている日々の喜びを実感できるということです。これは、演出家のブレントの「プロセスを信じろ」というセリフにも通じます。演劇の更生プログラムは、舞台に立ってうまい演技するという結果ではなく、そこに至るプロセス自体が彼らを救済するということです。
また、マクリンは、演技中に他のメンバーが後ろを通ったことで演技に集中できなくなり怒り出します。けんかになりそうになると、あるメンバーが、「昔おれは、怒りにつぶされてた。ある時、食堂でけんかが起こり、あるやつの喉が切られて血が噴き出てたんだ。だけど、それでも近くにいたおれは平静を装って動かなかった(助けようとしなかった)」と語り出します。そして、「おれたちはもう一度人間になるためにここにいる」と涙ながらに言うのです。
2つ目の心理は、自分を俯瞰する、メタ認知です。これは、演技というプロセスを通して、なりきる喜びを味わいつつ、日々自分の気持ちや行動を見つめ直すことです。これは、感情のセルフコントロールも促し、人間性を回復させます。人間らしく生きるには、自分の弱さや自分のありのままの感情を俯瞰して気づき、虚勢を張ったり無関心を装ったりせずに受け入れることが必要だからです。そして、欲望や怒りに身を任せない生き方を選ぶことです。これは、アルコール依存症への心理療法にも通じます。
演出家のブレントは、ウォーミングアップで「きみたちにとって最もパーフェクトな場所はどこ? パーフェクトな瞬間はいつ?」「誰かといっしょかな?」「どんな音が聞こえる?」「温度を感じる?」「私を連れて行ってくれるかな」と質問します。すると、それぞれのメンバーが語り出すのですが、あるメンバーは「自分が、(刑務所のそばを流れる)ハドソン川が見える椅子に座ると、向こう岸の山の上に母がいて、降りてきるんだ。そして、おれをずっと見てるんだ」と言います。もちろん彼が想像する母親なのですが、まさに母の視点を通して、自分を俯瞰している心のあり方が見て取れます。
ちなみに、このように俯瞰を意識して気づきや受容を促す心理療法は、マインドフルネスと呼ばれます。
③助け合おうとする―仲間意識
マクリンは、もともと一匹狼で、最初はディヴァインGたちに怒りをむき出しにして、何度も食ってかかっていました。ディヴァインGがマクリンを助けようと思い仮釈放委員会へのレポートを作っても、マクリンは断ろうとします。しかし、毎回メンバーたちが輪になって気づいた自分の弱さやありのままの感情を語り合い、いっしょに演技の練習をしていくうちに、マクリンは少しずつ心を開いていきます。やがて、彼は「みんなといっしょにいれば、また自分を信じられるかもしれない」としみじみ言うのです。
そんななか、ディヴァインG自身の仮釈放の申請が却下となるなどいろいろ不遇なことが重なり、ディヴァインGはその絶望から演劇の練習中に「何も進歩していない。何が喜劇だよ。とんだお笑い草だ」と暴言を吐き、逃げ出します。すると、数日してマクリンがディヴァインGのところにやってきて、「今度はおれがおまえの力になりたいんだ。おまえがそうしてくれたように」と言い、手を差し伸べるのです。救う側と救われる側という立場がお互いに入れ替わりながら、彼らはより人間らしくなっていくのでした。
3つ目の心理は、助け合おうとする、仲間意識です。これは、演技の練習など共通の目的に向かっていっしょに何かをするという相互作用から、お互いに気にかけるようになることです。ここから分かることは、「最初から好きだから助け合う」のではないということです。逆です。「助け合うから好きになる」のです。そして「好きになったからさらに助け合う」のです。これが、友情の心理です。そしてこれは、アルコール依存症などの自助グループにも通じます。
こんなかんじで、映画ではごく自然に、リアルに、演劇の持つ心理療法的な力が現れているシーンが流れていました。
私は今大学で心理学を教えているのですが、演劇的なメソッドを授業に取り入れています。教室の中で、集団精神療法のような、相互作用が生まれ、学生さんひとりひとりのメタ認知の向上や、カタルシスの効果がでていると体感しています。
演劇教育が日本で今よりももっと普及するといいな、と「SING SING」を観ながら、強く感じました。
海外の刑務所は日本より自由度が高めなのか
エンドクレジットでは登場人物の多くは“as Himself"の表記で出演していて、どうやって撮影したのか気になったのでパンフレットを読んだら、かつて収監されていた方々だった。そりゃさすがに現役の人は出せないか。
同じく収監者の演劇をモデルとした『アプローズ、アプローズ!』も面白かったけれど、今作は本人出演だからか、ところどころドキュメンタリーのように進んでいく。ステージを境に外の世界に触れ、それぞれの希望や葛藤などが交錯し、彼らの言葉が時にズンとくる。
パンフレットによると主要なシーンは18日間で撮影されたそうだから、リアルな雰囲気にも納得。
ステージのシーンもあるかと思って期待していたけど、そこはあまり重要ではなかったようで、そこまでの過程を観るものだった。
全135件中、41~60件目を表示














