「演劇体験は心理療法である。」シンシン SING SING 臨床心理士 杉野珠理さんの映画レビュー(感想・評価)
演劇体験は心理療法である。
やっぱり演劇と心理(心理療法)ってつながっているなぁと再確認しました。
じんわりと心に響く映画でした。
演劇舞台はアメリカニューヨーク州の最重警備刑務所シンシン。主人公のディヴァインGは、無実の罪で25年もの期間で収監されています。そんな彼の心の支えは、更生プログラムの1つである演劇グループに所属して、日々仲間たちと演劇に取り組むことでした。ある日、シンシンいち恐れられている元ギャングのマクリンがやってきて、自分もやってみたいと言い出し・・・
映画の中のいくつかのシーンを通して、演技の心理と、演技(演劇)の持つ心理的効果を3つ挙げてみたいと思います。
①感情を解き放つ-カタルシス
マクリンは、エジプトの王様の役になるのですが、最初セリフに集中しすぎて、表情がいまいち冴えません。その時、ディヴァインGは、「きみはこの刑務所いちの王様だよな。そんな気分で演じてみたらどうかな?」と助言するのです。すると、マクリンは急に目の色を変えて「おれはこの刑務所の王様だ!おれがここを支配している!」とアドリブで言い出し、まさにエジプトの王様のように振舞うのです。表情が生き生きとして、気分も良さそうです。
実は、彼は以前からいつも疑心暗鬼になり、素直な感情を押し殺して生きてきたのでした。そんな彼が、演劇に出会い、自由に自己表現することの喜びを知ったのでした。
1つ目の心理は、感情を解き放つ、カタルシス(浄化)です。これは、演技という枠組みの中で抑えていた感情を自由に出すことで、気持ちのわだかまりを洗い流し、すっきりすることです。ただ感情を爆発させるのは社会で受け入れられませんが、演技というルールのなかでは逆に好まれるというわけです。ちょうど、暴力は受け入れられませんが、格闘技というルールのなかでは逆に好まれるのと似ています。
このカタルシスは、その演技を見る観客も味わうことができます。それは、観客が演技する演者に共感することで、カタルシスを追体験できるからです。
なお、その演劇グループに外部から来ている演出家のブレントは、「怒りの演技は簡単だ。難しいのは傷つく演技だ」と説明していました。この理由は、怒りがストレートな単一感情(一次感情)であるのに対して、傷つく感情は悲しみや怒りなどの基本感情と、恥や悔しさなどの社会的感情が織り交ざり見え隠れする複合感情(二次感情)だからです。ちょうど、その後に仮釈放委員会で却下を伝えられた時のディヴァインGの表情(この映画のなかでは演技ではなく真の表情)が当てはまります。
ちなみに、このような感情に焦点を当てて気づきや受容を促す心理療法は、エモーション・フォーカスト・セラピーと呼ばれ、この映画の演劇グループのウォーミングアップのシーンでたびたび行われていました。
②自分を俯瞰する―メタ認知
ディヴァインGは、マクリンに「おれたちは演技することで、人生に向き合えるんだ。おまえだってそうだ」「脱獄した気分にもなれる」「芝居でシャバの世界を味わえるんだ。頭の中で出所できる」と演劇の魅力を語ります。海賊、剣闘士、エジプトの王様などの演技を通して、心の自由を得ることができ、人間として生きている日々の喜びを実感できるということです。これは、演出家のブレントの「プロセスを信じろ」というセリフにも通じます。演劇の更生プログラムは、舞台に立ってうまい演技するという結果ではなく、そこに至るプロセス自体が彼らを救済するということです。
また、マクリンは、演技中に他のメンバーが後ろを通ったことで演技に集中できなくなり怒り出します。けんかになりそうになると、あるメンバーが、「昔おれは、怒りにつぶされてた。ある時、食堂でけんかが起こり、あるやつの喉が切られて血が噴き出てたんだ。だけど、それでも近くにいたおれは平静を装って動かなかった(助けようとしなかった)」と語り出します。そして、「おれたちはもう一度人間になるためにここにいる」と涙ながらに言うのです。
2つ目の心理は、自分を俯瞰する、メタ認知です。これは、演技というプロセスを通して、なりきる喜びを味わいつつ、日々自分の気持ちや行動を見つめ直すことです。これは、感情のセルフコントロールも促し、人間性を回復させます。人間らしく生きるには、自分の弱さや自分のありのままの感情を俯瞰して気づき、虚勢を張ったり無関心を装ったりせずに受け入れることが必要だからです。そして、欲望や怒りに身を任せない生き方を選ぶことです。これは、アルコール依存症への心理療法にも通じます。
演出家のブレントは、ウォーミングアップで「きみたちにとって最もパーフェクトな場所はどこ? パーフェクトな瞬間はいつ?」「誰かといっしょかな?」「どんな音が聞こえる?」「温度を感じる?」「私を連れて行ってくれるかな」と質問します。すると、それぞれのメンバーが語り出すのですが、あるメンバーは「自分が、(刑務所のそばを流れる)ハドソン川が見える椅子に座ると、向こう岸の山の上に母がいて、降りてきるんだ。そして、おれをずっと見てるんだ」と言います。もちろん彼が想像する母親なのですが、まさに母の視点を通して、自分を俯瞰している心のあり方が見て取れます。
ちなみに、このように俯瞰を意識して気づきや受容を促す心理療法は、マインドフルネスと呼ばれます。
③助け合おうとする―仲間意識
マクリンは、もともと一匹狼で、最初はディヴァインGたちに怒りをむき出しにして、何度も食ってかかっていました。ディヴァインGがマクリンを助けようと思い仮釈放委員会へのレポートを作っても、マクリンは断ろうとします。しかし、毎回メンバーたちが輪になって気づいた自分の弱さやありのままの感情を語り合い、いっしょに演技の練習をしていくうちに、マクリンは少しずつ心を開いていきます。やがて、彼は「みんなといっしょにいれば、また自分を信じられるかもしれない」としみじみ言うのです。
そんななか、ディヴァインG自身の仮釈放の申請が却下となるなどいろいろ不遇なことが重なり、ディヴァインGはその絶望から演劇の練習中に「何も進歩していない。何が喜劇だよ。とんだお笑い草だ」と暴言を吐き、逃げ出します。すると、数日してマクリンがディヴァインGのところにやってきて、「今度はおれがおまえの力になりたいんだ。おまえがそうしてくれたように」と言い、手を差し伸べるのです。救う側と救われる側という立場がお互いに入れ替わりながら、彼らはより人間らしくなっていくのでした。
3つ目の心理は、助け合おうとする、仲間意識です。これは、演技の練習など共通の目的に向かっていっしょに何かをするという相互作用から、お互いに気にかけるようになることです。ここから分かることは、「最初から好きだから助け合う」のではないということです。逆です。「助け合うから好きになる」のです。そして「好きになったからさらに助け合う」のです。これが、友情の心理です。そしてこれは、アルコール依存症などの自助グループにも通じます。
こんなかんじで、映画ではごく自然に、リアルに、演劇の持つ心理療法的な力が現れているシーンが流れていました。
私は今大学で心理学を教えているのですが、演劇的なメソッドを授業に取り入れています。教室の中で、集団精神療法のような、相互作用が生まれ、学生さんひとりひとりのメタ認知の向上や、カタルシスの効果がでていると体感しています。
演劇教育が日本で今よりももっと普及するといいな、と「SING SING」を観ながら、強く感じました。