「「武士とは死ぬことと見つけたり」 あの戦争の生き証人」雪風 YUKIKAZE レントさんの映画レビュー(感想・評価)
「武士とは死ぬことと見つけたり」 あの戦争の生き証人
先の大戦において第日本帝国海軍19隻の陽炎型駆逐艦の中で唯一沈まなかった雪風の乗組員たちを描いた戦争ドラマ。
1941年12月8日、日本は万に一つも勝ち目のない対米戦争という無謀な航海へと船出してゆく。
なぜ勝ち目がないのか、国力が十倍以上の米国が相手だからというわけではない。何を持ってこの戦争の終わりとするのか、何を持ってこの戦争の勝利とするのかさえ決めずに無計画のまま始めてしまった戦争だからだ。それは海図を持たず羅針盤もなしに大海原に出る無謀な目的地のない航海に等しかった。
当然の如く次第に戦況は悪化の一途をたどり、もはや航路を見失い舵が効かなくなった日本はすべての国民を道連れにする一億総玉砕という狂気の海域へと突入していく。
そんな中で雪風の乗組員たちだけは己を見失わず自分たちの使命を全うし続けた。あの地獄のような戦争を雪風が生き残れたのはなぜだろうか。
敵の水雷艇の駆逐に始まり護衛や救助という、まさに海軍における万事屋とも呼ばれた駆逐艦は小回りを利かせるために軽量化により装甲が薄く撃沈されやすい。いわば消耗艦であり、先の大戦では雪風をのぞくすべての駆逐艦が沈められたことからもこの雪風が生き残れたのは奇跡とも呼べた。
しかしそれはただ幸運という言葉では説明がつかない。それには乗組員たちの高い志が大きく寄与していたとも思える。
本作は浮沈艦雪風にまつわる数々の史実を基に命がもっとも軽んじられた時代で命の大切さを問うた作品である。
「武士とは死ぬことと見つけたり」。江戸中期に書かれた「葉隠」のこの一節が長年にわたり曲解され、大義のために死ぬことが美化されてきた。そんな武士道精神への曲解が「生きて虜囚の辱めを受けず」などの戦陣訓を生み、多くの兵に玉砕を強いることとなり失われずに済んだ多くの命が犠牲となった。そして戦場の兵士だけに通用した戦陣訓の教えは変容しやがて一億総玉砕というスローガンの下で国全体をも覆いつくしてゆく。
戦況の悪化に伴い敗戦が確実視される中、あくまでも国体護持にこだわり、ただ敗戦を遅らせるためだけに十死零生の特攻作戦が繰り返され多くの若い命が散っていった。特攻作戦はけして戦況を変えることなどできはしないただの時間稼ぎに過ぎなかった。降伏を遅らせれば遅らせるほど尊い命が失われていった。
そんな愚かな作戦を指揮する軍中枢に対して竹野内豊演じる雪風艦長の寺澤は武士道精神の義(正義)に反する愚かな行為であると吐露する。
本来安全な軍の中枢にいてもおかしくなかった寺澤はあえて危険な最前線に出て戦う。彼は義に反するような主君である軍に仕えることを拒んでもよかった。しかしこの誤った愚かな戦争に反対して投獄されるよりも彼は最前線で指揮を執ることを選んだ。その理由は何だったのか。
それは戦場で失われる命を少しでも救おうとしたためであった。愚かな戦争は一度始めてしまえばもはやすぐには終わらない、ならば終わりが来るまでせめて自分は失われる命を少しでも減らそう。そう決意しての彼の行動であった。
そして「幸運艦」と呼ばれる雪風は彼にとってふさわしい船であった。それはどんなに巨大で頑丈な装甲に守られた軍艦にも引けを取らない、玉木演じる早瀬をはじめ乗組員たちの生きることへの執念がどんなに分厚い装甲よりも攻撃から守りぬいてくれる心強い志にあふれた船であった。
そんな雪風にも最大の試練が訪れる。大日本帝国海軍最後の作戦と銘打った天一合作戦、もはや無用の長物と言われた海軍の象徴であった戦艦大和に死に場所を与えるための、そしてそれに続く日本国民総玉砕へ向けての先駆となるための自殺作戦に雪風も同行する。それはゼロ戦による特攻同様生きて帰れぬ航海であった。大和の死出の旅に同行させられた雪風は今度こそ大和と共に三途の川を渡ることとなるのか。しかしそんな作戦とはもはや呼べない悲壮な作戦においても艦長の寺澤は乗組員たちを鼓舞する。いつもの雪風で行こうと。
彼らはいつも通り彼らの使命を果たした。護衛と救助。救える限り命を救い続ける。命を救うためには自分たちが決して沈んではならない。ただ命を捨てに行く戦争の中で命を拾い続けた乗組員たち。彼らの生きることへの執念が雪風をして浮沈艦ならしめたのであろう。
ただの幸運艦ではなく生きることへの執着心、己の使命を全うしようとした乗組員たちの強い意志がそうさせたのだろう。これこそが真の武士道精神である。
「武士とは死ぬことと見つけたり」とは、けして死を美化することではない。常に死を意識しながら限りある命において己の使命を全うせよという意味である。いつ死ぬかもしれない戦いのなかで後悔せぬ生き方をせよという、死を強いるのではなく限りある人生の中で己の人生を生きることの大切さを説いたものである。
しかし当時の日本軍ではそんな言葉が曲解され兵士たちに忠誠を誓わせ彼らの命を駒のように利用した。彼らの国を想う心を利用したのだ。沖縄も時間稼ぎのために捨て石とされ県民の25%が死に至った。
もはや狂気の沙汰に陥っていたともいえる陸軍は本土決戦を計画し、国民一丸となり米軍を向かい入れ一億層玉砕も辞さぬ考えであり、ただただ破滅の道へとひた走った。
本作はあの狂気に満ちた先の大戦を開戦から終戦までを生き抜いた生き証人駆逐艦雪風の物語を通して命が最も軽んじられた時代において命の尊さを描こうとした意欲的な作品であった。
終戦後、復員船となった雪風は多くの復員兵を運んだ。中にはあの水木しげる氏も含まれたという。そうして多くの命を祖国に送りとどけた寺澤はまるで己の使命をやり遂げたと安堵したかのように静かに息を引き取る。それはまさに死するときまで己の信念を貫いた武士道精神に則った生き様であった。そして雪風もまた使命を全うして退役する。
命が最も軽視される戦争、そんな戦争を一度始めてしまえば失われるはずのない尊い命が失われる。いま日本は戦後八十年を迎えいままた戦争ができる国へと突入しようとしている。かつての大戦で犠牲となった人々はけして日本を守るために命を投げ出したのではなく愚かな為政者たちによる犠牲者でしかない。それがまた繰り返されようとしている。命を重んじるならば何より戦争を起こさないことにすべてが向けられるべきである。戦争をしないことこそが命を重んじる武士道精神そのものなのである。
戦争を起こさないこと、それは武力による抑止でなされるのではない。武力を強化すれば相手も同じく強化するだろう、そんな抑止力による緊張の糸が切れた時に戦争は起きる。武力抑止ではなく外交努力により他国との交渉を続ける、先の戦争で最も軽視されたものであり、このせいであの無謀な戦争が起きたのだ。
常に外交努力を怠らず相手国との理解につとめる。それこそが戦争を起こさない唯一の道であり、これこそが戦わずして勝つということである。勝利とはたった一つの命でさえ無駄に失われないことを言うのである。
現在の日本は再びあの当時の戦前に戻りつつある。戦争を知らない子供たちやその孫たちが声高々に抑止論を展開する。中には核抑止まで叫ぶ人間が先の参院選で当選する始末だ。かつての戦争体験者が政治家の中からいなくなれば日本は危険だと田中角栄が述べていた通りになりつつある。
21世紀を迎え人類の歴史はまたも戦争で時代の幕が開かれた。9.11をはじめウクライナやパレスチナ。そして日本も台湾有事は日本有事などと勇ましいことを叫ぶ者がいる。
戦争の勝者とはもはや戦争に勝つことではない。戦争を始めず一人の犠牲者を出さないことをいうのだ。戦わずして勝つ。尊い命が無駄に失われることこそ武士道精神の正義に反することなのだ。
夏休みに合わせて公開されていることからファミリー層をターゲットにした作品。戦争映画としては戦闘シーンの迫力や高揚感、カタルシスを得られにくく、戦場における残酷な描写も抑えられていて、また狂気へと突き進んでいく当時の大日本帝国の姿があまり危機感をもって伝えられていないなどいろいろ物足りなさを感じる。
人間ドラマもあまり重厚なものではなくライトに描かれる。メッセージもセリフで分かりやすく伝えられる。
ファミリームービーとしての戦争映画だからこれでいいのだと思う。お子さん連れの戦争を知らない子供たちの子供やその孫たちが夏休みに戦争について考えるいいきっかけにはなる作品だと思う。
