「史実に基づいたヒューマンドラマ」雪風 YUKIKAZE シベハスさんの映画レビュー(感想・評価)
史実に基づいたヒューマンドラマ
なかなか厳しいレビューが続くが私は大いに楽しめた。まず、脚本家が良く事実を調べ上げたと思う。残念なのは雪風艦長が寺内ではなく寺澤と言う仮名になっていたこと。これは架空の家族構成を考慮しての事と思う。しかし伊藤長官、大和の有賀艦長などは実名で出ていたことを思うと複雑。映画の初めに寺澤中佐と立ち話をしていた東なる人物は恐らく駆逐艦雪風と共に天一号作戦に参加した駆逐艦花月の艦長東日出夫中佐へのオマージュであったろう。私の父はこの駆逐艦花月に乗務していた士官で、戦後、よく東さんや通信士だったMさんらが我が家を訪れ、小学生だった私に戦争の話を聞かせてくれた。特に天一号作戦前夜からの出来事は子供ながらに感動したものだ。映画にもそのシーンが描かれていたが、私の記憶成りに少し捕捉したい。多少記憶違いもあるかもしれないがご容赦願いたい。大本営の立てた作戦は、大和を沖縄に突入させて座礁させ、砲台となり撃ちまくる。というもの。これを受けて大和艦上で行われていた軍議は荒れに荒れたそうだ。特に雪風の寺内艦長と花月の東艦長は猛反発。軍からの指令を受けてきた伊藤長官は現場と大本営との板挟みに。その時に東京(日吉?)から急遽やってきた指令が伊藤長官を説得。伊藤長官の「死ねと言う事か?」と言うセリフはこの時に出たものだそう。それを聞いて東艦長はではやってやろうと覚悟を決めたそうだ。出撃前夜、大和艦上では盛大に別れの盃が催されたそうだが、その間に伊藤長官から、花月の東艦長に「大和に給油せよ」と命令があったそう。作戦では片道分の燃料を積むとなっていたが、これでほぼ往復分を追加給油したのだそう。更に出撃直前に大和から、戦闘に当たって足手惑いになるので、新兵並びに体力のない兵士を花月に移乗させるという連絡があったそう。映画ではこれも再現されていた。いよいよ出撃、先陣は雪風がとり、機雷や敵潜水艦の警戒に当たり、しんがりは駆逐艦花月があたった。豊後水道を抜け南下を始めると間もなく、大和のマストに信号旗が。「貴艦は反転し帰港せよ」。花月の艦橋はパニックになったそう。東艦長は通信士のMさんに対し「至急大和に打電。これは命令か?」。Mさんが通信室に戻ると、すでに大和から一通の電信が。暗号化されずに届いていた文面には「この戦争が終わったら若い諸君は故国の復興にいそしむべし 大和艦長 有賀」とあったそう。東艦長がこれを艦内に伝えると、大和から移乗してきた水兵たちは皆号泣し、甲板で大和の船影が見えなくなるまで帽子を振っていたそうだ。映画の最後、雪風の乗員たちが笑顔で手を振る姿は、幼少の私が聞いた、花月に残された大和乗員の涙の帽振れにかぶり、涙を禁じえなかった。東さんは、お話の後、いつも「戦争は絶対にしちゃならん」とおっしゃっていた。また晩年病に伏していた父は「毎晩兵隊たちが俺をのぞき込んでいる」と言っていた。戦争で亡くなった兵士たちへの贖罪の気持ちがそうさせたのだろう。この映画は、私が戦争当事者たちから聞いた話を、映像化して見せてくれたようでとてもありがたい。戦闘シーンはあっさりとしていたが、この映画はそれを楽しむものではなく、あくまでも戦時下のヒューマンドラマとしてとらえる映画だろう。寺内艦長、東艦長、そして父へのよい供養ができたと思っている。製作者並びに出演者の皆様には感謝しかない。
コメントありがとうございます!お父様、秋月型に乗られていたのですね。
秋月型も対空戦闘能力で米軍からも一目置かれていたと読んだことがありますが、中のレーダー類は米海軍に歯が立たなかったのですね。貴重なお話だと思いました。
フォローありがとうございます
私の方からもフォローさせて頂きました
私、2015年から本格的に映画レビュー投稿生活を始め、キネマ旬報、kinenote、yahoo検索などに映画レビューを投稿しています。現在の目標は2回目のキネマ旬報採用です。本日、映画.comIDに登録しました。
よろしくお願いします。
ひな様、共感とコメントありがとうございます。雪風レビューがないようなので、こちらに書かせていただきます。この映画に携われた方がお近くにいらしたのですね。素晴らしいお仕事をされたとに感謝いたします。「男たちの大和」などは、壮大な戦争エンターテインメントとして作られていましたが、この「雪風」は事実に基づいた真摯なストーリー作りをされておいででした。結果、やや地味で人によっては物足りなさを感じたかもしれません。しかし戦場には時にハートウォーミングな出来事があったことも事実です。映画の中にあった敵の漂流者(確か英国軍だったと思います)を見過ごしたシーンは、敵側の残した手記により事実と知ることができます。「漂流していたら敵艦船が近づいてきた。いよいよかと覚悟をしたら、その艦船(雪風)は我々の前を素通りした。驚いて見上げると艦橋にいた士官たちが我々に敬礼をして見送っていた。思わず我々も敬礼を返し、彼らの海軍魂に感激し涙した」。これだけで戦争を美化するつもりは毛頭ありませんが、戦場(特に海戦)では実はこのようなことも時にはあったようです(もちろん逆も)。この映画では戦闘シーンは(予算の関係もあったのでしょうが)マイルドに描かれていましたが、ヒューマンドラマとして楽しめる良作と感じます。
シベハスさま、初めまして。
『雪風』のレビューはアップしていませんが、共感とフォローさせていただきました🙂
友人が夏休みに同窓会に出席した時に、卒業生OBに『雪風』のプロデューサーがいて、映画の裏話や苦労話を聞かせていただいたと話してくれました。
私の両親は戦争を知らない世代で、祖父母は子どもの頃の体験を殆ど話さず早くに他界したため、家族から戦争の話を聞く機会がありませんでした。
戦争をテーマにした映画のレビューはエネルギーを消耗するので、終戦記念日に『ひまわり』『火垂るの墓』、先週は『宝島』と3本書いて、バッテリー切れしてしまいました。
靖国神社の遊就館には何度か訪れたことがあるので、レビューで触れたところ、「行ってみます」「行ったことがあります」とコメントいただきました🫡
はじめまして みかずきです
おっしゃる通り、本作は戦闘シーンに期待する作品ではなく、
生きることを視点にして戦争の悲劇を捉えた人間ドラマだと思います。
見応えのある作品でした。
評価点に躊躇せず多くの方、特に若者に見てほしい作品です。
評価点に関係なく観たいと思った作品を素直に観るべきべきです。
百聞は一見に如かずですので。
コメントありがとうございます。
大本営が捻り出した作戦の稚拙さには驚くばかりです。
少しでも多くの若い命を戦後のために残そうとした長官の言葉に本物の武士道を感じました。
共感をありがとうございます。
>戦闘シーンはあっさりとしていたが、この映画はそれを楽しむものではなく、あくまでも戦時下のヒューマンドラマとしてとらえる映画だろう。
同感です!
シベハスさん(シベリアン・ハスキーさん?)のレビュー、貴重なお話で、何度も読み返してしまいました。
寺内艦長を、寺澤という架空の人物にしたのは、やはり生きて帰ってこない設定があったからでしょうが、たとえ寺澤艦長であっても、生きて家族の元に帰して欲しかったです。「生き延びること」を目的に掲げてがんばった親分なんだから。
大本営の命令に対して、海軍の上層部がNOを突き付けたこと、戦艦大和の伊藤整一第二艦隊司令長官、戦艦大和艦長有賀幸作が、従う振りをして可能な限り若い人材を温存したことはフィクションではなかったのですね。
伊藤長官は、いくら反発しても決定は覆らないし、自分が更迭されたら後任がどんなやり方をするか分からない、それなら自分がコントロールできる方がいい、という判断で「分かった」と答えたのかもしれませんね。命は何より大切であること、そして戦争が終わった後の日本を背負う人材を守らなくては、というどこの国でもまず考えることを、日本の軍隊でも考えていた人たちがいたことに、少しほっとしました。
艦上で手を振る帽子を振る場面は、評判悪い、というかぼろくそに言われていますが、自分たちが精一杯やったことをどうか引き継いで、いい世の中を作ってという後世への願い、この映画の核になったものが表れていたと思うので、確かにベタですが私にはシンプルに心に響きました。
偶然なのでしょうが、「この戦争が終わったら若い諸君は故国の復興にいそしむべし」として命を守られた水兵が感極まって自然発生的に手を振り帽子を振った気持ちに、立場は違えど通じるものがあると思います。
私の母は、戦時中は東京住み、学童疎開経験者です。
でもって、打ち上げ花火がどーんと上がるたびに、「空襲はこんな感じだった」と必ず言っていました。夏になるとそれを思い出します。
長々と、失礼しました。
あの帽子振りのシーンは評判が悪いようですが、シベハスさんのお父様と同じ体験をした方、お身内から聞いた方にとっては、どうしても入れたかったんでしょうね。
伊藤長官が覚悟を決めた場面は、吉田満さんの「戦艦大和の最期」でも読みましたが、今作でも中井貴一さんの演技と相まって胸を打たれました。
とても興味深いレビューでした。コメントもありがとうございました。私も、艦長は実名にして、事実の通り無事に帰還させて欲しかったです。家族とのやりとりが創作になるからって、仮名にする必要はないのにと思います。
コメントありがとうございました。
私は父が歳をとってからの子どもで、父も戦争を知っている世代でした。しかし、戦争についての話は一度もしてくれたことがありません。
故に、私は父の戦時中の暮らしを全く知りません。それどころか、父に限らず、今まで、身近な人に戦争体験を聞いたことがありませんでした。
ところが、先日の16日、ある集まりの休憩時間に、前日8月15日正午のサイレンの話が出て、いきなり、「追いかけられて怖かった」という言葉を発した人がいました。どうも、4、5歳頃に機銃掃射で飛行機に追いかけられた経験があるということでした。
大変失礼な話ですが、まだ戦争を体験した人って周りにいるんだ、と深く感動(?)してしまいました。
戦争の話を直接聞ける機会はまだある。その事に気づいたことは私にとって、とても大きなことでした。
次にその人に会う時には、ぜひ話を聞いてみたいと思っています。
こんばんは。
コメント失礼しますm(__)m
おつろくさんの所から来ました。
シベハスさんのコメントに出会い、私も大変貴重なお話しを聞かせて頂きました。
レビューも心を寄せて、噛み締めながら拝読しました。
やはり実体験は重みがありますね。
本作、私の期待していた作風ではなかったのですが、シベハスさんのレビューによって見方が変わりました。
血の通った言葉のひとつひとつが胸に刺さりました。
ありがとうございます。
共感ありがとうございます!
親父さんが花月に乗務していらしたのですね。レビューで貴重なお話を拝見できて感無量です。戦後にGHQから植え付けられた自虐史観から脱却して、シベハスさんのレビューのような史実を語り継ぎたいと考えます。








