「「武士道」で語ろうという気持ちは受け取った」雪風 YUKIKAZE sow_miyaさんの映画レビュー(感想・評価)
「武士道」で語ろうという気持ちは受け取った
(8月16日投稿、24日追記)
送り盆の墓参りの後、お墓のある松本市のイオンシネマで本作を鑑賞。
本編前の宣伝で、どうも自衛隊らしき映像が流れて、「石芝に陸上自衛隊の駐屯地がある松本市だからかなぁ」とぼんやり観ていたら、映像最後に「海上自衛隊」のロゴとシンボルマーク。「?」と思ったが、謎は本編を観たら解けた。
本作、これまで余り描かれてこなかった視点で、戦争を描こうとする心意気は感じられたし、史実をもとにしたフィクションと断っているだけのことはあって、玉木宏演じる早瀬幸平の故郷を描く場面でも、手紙を読む妹サチの背景に信州の民芸品(鳩車のあけび細工)が映り込んだり、芋の植え付けの際に草かきまでが持ち出されていたり(鉄の供出が匂わされていたのだろう)と、細かなところへの配慮も伝わってきた。
そして、作品全編で「武士道」を引き合いに出して、「死ぬ事と見つけたり」とは、「戦場でどうやって死ぬかではなくて、誰にも訪れる死を覚悟すれば、毎日の生が充実するって意味だよ」と語りたかったのだろうと受け取った。
その上で考えたことは、以下に内容にも触れながら書き残すことにする。
<内容に触れていますので、ご注意ください>
・これだけの映画を製作するには、それこそ海上自衛隊の全面協力が必要なことは間違いないだろうと思う。ただし、正直言って、鑑賞後に真っ先に思ってしまったのは、「これは、海上自衛隊のプロモーション映画?」ということだった。
艦長の娘が海自に入り、災害派遣で人命救助にあたるところまではなるほどと思ったが、江田島の幹部候補生学校と生徒たちの整列の空撮までいくと、さすがに「う〜ん」となる。
・断っておくが、私は自衛隊反対というつもりはもちろんないし、災害派遣等の姿を拝見するたびに、本当に頭が下がる思いでいる。そして、自衛隊入隊を自ら選択された方に、何か物申したい訳でもない。(どの業界も人不足が喫緊の課題なので、PRしたい意図もわかる)
・それなのに、本作の最後に「う〜ん」となってしまったのは、「国を守る」というのはどういうことなのかが、自分の中でここのところずっと「問い」になっていることと関係している。
それは、言い方を変えると、江田島の学校の描写を挿入することで、大日本帝国海軍と海上自衛隊がまるで連続しているかの様に誤読させる恐れを感じたからだ。
・本作の中で、戦艦大和に「一億総玉砕の先駆けとなれ」との命が下る場面がある。史実なのだから出てきて当然なのだが、一億総玉砕によって守られる「国」とは何かと言えば、「国体護持」すなわち「天皇主体の国家の維持」ということになる。
当時の方々がどれだけ本気だったのかは窺い知れないが「一億人全員が玉砕しても天皇制を残すぞ」という論理は、全く破綻している。国民全員がいなくなれば天皇制が継続できるわけがなく、日本の国土も維持できない。そんなことを、当時の高官たちがわからないはずはなく、もちろん国民も薄々わかっていただろう。それなのに、そのおかしなスローガンがまかり通ってしまった理由は何なのか。原因は軍部だけでなく、熱気によって戦争を選んだ国民にもある。
そこをしっかり見つめずに、「国民は軍に騙されていた」で終わりにしては、過ちは何度も繰り返されると思う。(余談になるが、「見つめること」が「反省」だと思うので、8月15日の石破茂の式辞は全く正しいと思うし、それをあえて騒ぎ立てること自体が異常な兆しだろう)
・国民主権国家において、「国」とは、そこに暮らす「一人一人」のことにほかならない。だからこそ、雪風の先任伍長の早瀬がこだわった「一人残らず引き上げろ」は「現代的に正しい」し、ミッドウェーで助けた兵士が、不発弾の処理で雪風を助ける流れも象徴的で、とても納得できる。(今の自衛隊の災害派遣はこれにあたると思う)
・だが、天皇主権の国家では、平たく言うと、一人残らず引き上げることは、天皇の臣民を助ける行為という意味で価値があるが、そうして逃げ遅れたら、皇国の持ち物である艦自体を損なってしまうというジレンマにもなるように、人も物も全て天皇のもの。だから、その威を借りて特攻みたいな非人道的な命令が通る訳だし、誤解を恐れずに言うと、特攻で散らされてしまった命が、直接今の平和な日本につながっている訳では決してない。
・今作に限らず、戦争モノの作品のレビューでは、「日本を守るために戦ってくれた方々のおかげで、今の日本がある」といった語りをされることがある。それにとても違和感を感じてしまう。
戦争を起こさず、外交によって資源確保の道を選択していたら。率先的に植民地を手放すことで、経済的に縮小し、逆に倫理的に大国にプレッシャーをかけていたら。戦争に入ったとしても、もっと早く敗戦の事実を受け入れていたら。
全部たらればだが、この戦争は決して自衛のために避けられなかった戦争ではないという前提を忘れてはいないだろうか。そして、特攻という狂信者が指示する行為を、悲壮感をまとわせながら「それしか選択肢はなかった」みたいな語りに乗っかってしまっていないだろうか。
・絶対に「おかげ」であってはいけないのだ。
「この戦争で命を落とされた全ての方々の『犠牲』の上に」今の日本があるのだ。そこを決して間違えてはいけないし、その違いは、今生きている私たちの「戦争への向きあい方の違い」として、とても大切な所だと思う。
・だから、艦上から乗組員がにこやかに手を振ってくる演出での「見てるぞ」は、どっちの意味なのかうまく飲み込めなかった。そして、艦長はどうして戦後まで生かしてもらえなかったのだろう。
・現在、海上自衛隊に入隊されている方々も、第一に考えていらっしゃるのは、いかに戦闘を未然に防ぐかだと思うし、現行の憲法のもとで、「国を守る」=「人を助ける」方法や手段は様々で、我々自身、今の自分の持ち場でできることがたくさんあると思う。
・そして、「国」の概念を、人種の別や、人の内心に踏み込んで小さく排除的に考えようとするのか。
逆に、よりオープンに多様なあり方を大切にした「国」を描いていくのか。
そうした議論は、「差別とは何か」にも密接に結びついている。
・戦争は、戦闘している場所に留まらず、その国の隅々まで行き渡る、あらゆる差別を凝縮した事象だ。
・どんな「国」を守っていくことが、犠牲に遭われた方々の願いに本当にそったものになるのか。引き続き自分に問い続けていきたい。
最近読んだあるグループの提示する文章に、「国は主権を有し・・・」という言葉を見つけました。国民ではなく「国」が主権を持つという考えを持つグループに、少なくない人が賛同しているという事実に恐ろしいものを感じました。
天使の軌跡さん、コメントありがとうございました。
引き出しにある武士道を見せて、艦長の義理の父に軍部の誤用を批判させて、全編通して「生きること。生かすこと」を描くという構成でしたね。だから映画的な良し悪しは別として、最後が「元気か。見てるぞ」なんだと思いました。
かばこさん、本当におっしゃる通りで、雪風のしたことは素晴らしかったし、自衛隊の方々のされていることも素晴らしいので感謝しかありません。それが、このような見せ方だと「海上自衛隊は、雪風の意志を継いでいます。是非あなたも海上自衛隊へ!」というテロップが透けてみえてしまうなぁと思ったのでした。それも、決して否定したい訳ではないのですが、国民主権の「今の普通」を大切にしたいですよね。
予告編の枠で自衛隊のCMが流れたのは確かに興ざめでした。
(でも、映画を見ていたら忘れてしまった)
私が学生だった頃、「自衛隊に最も期待されているのは災害派遣、人命救助」と教わりました。実質軍隊だが、戦時の装備は災害派遣で役にたつし、人命救助のシーンでもノウハウも含めて大変役立つと。
日航ジャンボ機の事故の際にも、現場に最初に入ったのは自衛隊。昨今の大災害時の活動でも悪環境で地道に仕事をしてくれている。
なので、人命救助にあたった駆逐艦、の話だから自衛隊も乗りやすかったかな、と思いました。
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