「「結果」と「目的」が逆転してしまったような語り口には違和感を覚えざるを得ない」雪風 YUKIKAZE tomatoさんの映画レビュー(感想・評価)
「結果」と「目的」が逆転してしまったような語り口には違和感を覚えざるを得ない
主要な海戦のほとんどに参加しながら、ほぼ無傷で生き残った「幸運艦」を描くに当たって、製作者が考えたテーマは、「生きて帰り、多くの命を救う」ということだったのだろう。そのことは、度々描かれる、「雪風」の乗員が海上に漂う僚艦の乗員を救助するシーンや、艦長と先任伍長が、戦争の行く末や未来の日本について語り合うシーンによって、分かりやすく理解できるようになっている。
しかし、それは、あくまでも結果論であって、「雪風」は、決して、人の命を救うために戦闘に参加していた訳ではないし、ましてや、生き残るために戦場で逃げ回っていた訳でもない。
そのことは、艦長が、マリアナ沖海戦で、人命救助よりも敵潜水艦の撃破を優先したことや、レイテ沖海戦で、単艦で敵艦隊に突撃するという判断を下した場面によって、劇中でも明確に描かれているのである。
にも関わらず、「生き残った」という結果を、あたかも「生き残るため」という目的のように位置付けている映画全体のトーンには、いくらヒューマニズムを前面に押し出したかったとは言え、やはり、違和感を覚えざるを得なかった。
実際には、自艦の安全を確保するために、助けたくても助けられなかった命も多かったはずで、そうした状況での苦悩や葛藤を描いた方が、戦争の悲惨さや非情さが伝わってきたのではないかと思えてならない。
それから、終盤で、戦艦「大和」の沖縄水上特攻作戦が決定されるまでの過程が比較的詳しく描かれるのだが、成功が見込めないため、多くの指揮官が反対する中で、「雪風」艦長が、片道ではなく、帰りの燃料も搭載することを条件に作戦を容認したり、中井貴一演じる司令長官が、戦果よりも「死ぬこと」に意義を見い出し、作戦を受け入れたかのように描かれていることにも疑問を感じざるを得なかった。
実際には、そういうこともあったのかもしれないが、少なくとも、この映画の中では、「武士道」の解釈の誤りを説く艦長の義父の台詞や、「特攻」が常軌を逸した作戦であることを看破する艦長自身の台詞と辻褄が合っておらず、言ってることとやっていることが食い違っているように思えてしまうのである。
ここでは、「大和」に活躍の場を与えたいという海軍の面子や、「一億玉砕」という空気のためだけに、無益な作戦を遂行した軍の非合理性や非人道性こそが糾弾されなければならないのに、それどころか、一歩間違えば、「特攻」を賛美しているかのように受け取られかねない危険性すら感じてしまう。
あるいは、特攻作戦が決定される経緯を中途半端に描くくらいなら、いっそのこと、軍令部や連合艦隊司令部でのやり取りは削除して、最前線における「雪風」の活躍だけに焦点を絞っても良かったのではないかとも思われる。
見どころであるはずの海戦のシーンにしても、「雪風」が生き残れた大きな要因と考えられる艦長の巧みな操艦が、台詞による説明だけでビジュアルとして描かれなかったり、クライマックスの「大和」の爆発が、瞳に映った映像として処理されていて、その様子がよく分からなかったりと、何かと物足りなさを感じざるを得なかった。
下士官兵の最上級者で、大ベテランであるはずの先任伍長が、やけに若かったり(「亡国のイージス」の時もそうだった!)、不発弾が撃ち込まれたのに、甲板や隔壁に穴が空いておらず、しかも、浸水した区画内の水の底に不発弾が沈んでいたり、空襲の後にノコノコと1機だけでやって来た敵の機銃掃射で先任伍長が戦死したり、「雪風」が復員船としての最後の航海を終える直前に艦長が息を引き取ったりと、作為的で不自然に思われるところも多かった。
エンディングで、主題歌と共に流される、現在の海上自衛隊の様子や、「雪風」の乗員達がカメラ(映画の観客)に向かってエールを送るシーンにしても、確かに、祖国のために自らの命を犠牲にした英霊達に感謝することや、歴史の連続性を認識することは大切ではあるものの、それまでに描かれてきたこととの整合性が感じられず、取って付けたような唐突感を覚えざるを得ない。
これでは、かえって、映画のメッセージが散漫になってしまったとしか思えないので、まさに、「蛇足」としか言いようがないだろう。
私はまだ観ていないのですが、なるほどそうなんですね
題材的にはマイナーなものだと思うので興行成績を意識して多方面に受け入れてもらう、批判をかわすという意図が生まれてしまったのかもしれませんね
ただ戦争は様々な矛盾が渦巻くものだと思っているので、それが表れているのかもしれませんね
観るのがちょっと楽しみになりました
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