陪審員2番のレビュー・感想・評価
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ゾクっとするエンディング
こんなことあるのか。
いや、ありえるか。
すごいなこれを考えたイーストウッドさん。
法廷ものは難しくて苦手なのだが、本作品は飽きずに観ることができた。
裁判、陪審員制度、課外学習のようにみんなで出掛けて現場を見るなど、知らないことがいろいろあって興味深かった。
土砂降りの中の故意ではない不運な事故。
主人公がぶつかったのが本当に鹿で、他の誰かが女性を撥ねたとか。
なんてことはないか。
アル中から立ち直った主人公。
奥さんにもらったセカンドチャンス。
なんとか無駄にしないで…と願わずにいられない。
それと痴話喧嘩もほどほどに、だね。
ラストのシーンまで完璧だった。
裁判制度の違い
長文でごめんなさい。
静岡のラジオ番組wasabiで24/12/31に紹介されて、早速鑑賞しました。この1年、裁判傍聴に毎月通っています。陪審員2のタイトルを聴いて、すぐに興味が湧いた次第でした。
米国では開かれた裁判として、陪審員が参加して評決を下す事は正しいかもしれません。本編のように思惑が、検察・陪審員に含まれることによって、正しくない可能性が有り得るとの示唆しています。死因となる物証も無くても、黒判決になるものか。検視官の力量不足がそもそもの原因。
日本では陪審員になった事はありませんが裁判傍聴で流れは理解しています。状況証拠、自白証拠を検察・弁護側と集めて、公開の場で審議する。グレーは、白判決も有るかも知れませんが、日本の裁判制度で良かったと思った次第です。
最後に、劇場公開されなかったのでしょうか。一定の人気があるクリストファー・イーストウッドさんの作品が鑑賞できなかった事は非常に残念です。何かの忖度か。
一人のブレない男
クリント・イーストウッド。御年94歳。
100歳を超えても生涯現役を宣言していたが、本作で引退の噂が…。
最後になるかもしれない作品なのに、アメリカではノープロモーション小規模限定公開の後、配信。日本ではU-NEXTの独占配信のみ。
イーストウッド作品であるにも拘わらず劇場公開が見送られた事は、後々映画界の大いなる過ちとして語られるかもしれない。
だって本作は、『運び屋』『リチャード・ジュエル』以来、近年出色の出来。確かに『ミスティック・リバー』『ミリオンダラー・ベイビー』『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』『チェンジリング』『グラン・トリノ』『アメリカン・スナイパー』『ハドソン川の奇跡』…外れナシの傑作揃いの頃と比べると精彩に欠けるかもしれないが、今一つだった『15時17分、パリ行き』『クライ・マッチョ』などよりずっと。これならキネ旬でベストテンに選出されても異論ナシ。
本作が劇場公開されていたら、イーストウッド崇拝のキネ旬では間違いなく洋画今年の1位になっていただろうに(キネ旬ベストテンでは配信映画は選考外)。残念だったね、キネ旬。
まあ、そんなひねくれ意見はさておき、映画界の生き神様が“最後の作品”で描きたかった事は…
イーストウッド初の本格法廷サスペンス。
有罪がほぼ確実視される殺人事件。その裁判の行方。
評決を託された陪審員たち。イーストウッド版『十二人の怒れる男』と言っていい白熱議論。
正統派と思いきや、一捻り。
もし、真犯人が“その場”に居たら…?
タウン誌で働くジャスティン・ケンプは妻が出産間近。平凡な幸せを送っている。
ある日、陪審員の召喚状を受ける。辞退しようとしたが、陪審員に選ばれる。
務める事になったのは、世間で注目の裁判…。
ある雨の夜。バーで飲んでいたカップル。サイスとケンドル。
口論となり、店の外に出ても続く。多くの客の目撃証言あり。
ケンドルは雨の夜の中を歩いて帰る。
程なくサイスも車に乗って帰る。彼女の後を追ったかのように。
翌日、ケンドルが橋の下で無惨な死体となって発見される。
容疑者として逮捕されたサイス。彼女の後を追い、殺害に至ったか…?
場所はよく鹿との衝突も多く、雨の夜だと見渡しも悪い橋の上の道。そこで車を停めた男の姿を見たと言う近くの家に住む老人の証言もあり。
サイスは否認。そのまま家に帰ったと。
しょっちゅう口論はしていたが、自分は恋人を愛していた。誓って、殺したりなどしていない。
なら、口論したとは言え、何故雨の夜を一人で帰らした…?
サイスには麻薬の売人だった過去もあり。目撃証言や状況から、犯人である可能性が濃厚。
いや、犯人だ。それが世間や検察や陪審員のほとんどの見方。
そんな中、ケンプは激しく動揺する。
犯人を知っている。その犯人とは、自分だ…。
あの雨の夜、ケンプは同じバーにいた。
口論も目撃し…どころではなかった。悲しい事があり、周囲の事になど気にも留めず。
憂さ晴らしに酒でも飲もうとしたが、結局手を付けず、そのまま帰った。
その帰り道…。見渡しの悪い雨の夜のあの橋の道。
何かをはねた。
一旦車を停めて確認したが、何も見つからず。
鹿か…? 橋の下にでも落ちたか…?
ろくに確認せず、そのまま立ち去ったのだが…、
今この場ではっきり分かった。被告とされている男の恋人を轢いてしまったのだ、と…。
陪審員の一人が裁判中に自分が真犯人かもしれないと気付くトリッキーな展開。
だけど、本当にそんな事があり得るのか…?
陪審員って厳正な選考の上で選ばれる筈。
本作、微妙な矛盾点も多い。
警察は殴打などでサイスが恋人を殺したと断定したが、もし轢き逃げが本当だったら、現場検証の時そういう証拠が出てくるのでは…?
陪審員は裁判中、事件に関わる事に見聞してはならない。気が気ではないケンプは事件について調べ始めたり、J・K・シモンズ演じる陪審員の一人も事件について調べ始め、尚且つ自分が元刑事である事を漏らしたり…。その後陪審員から外されるが…。
疑念を持ち始めたトニ・コレット演じる検事も自分のフィールドを超えた行動したり…。
よく分からないが、実際にあり得る事なのか…?
本作は徹底的なリアルさ追求より、エンタメであると同時に、ストレートに訴える。
人が人を裁く難しさ。
善悪を迫られた時、人は…?
本作での“疑い”ははっきりとしたものではなく、“グレー”な部分が多い。
例えば、サイス。家に帰ったと言うが、その描写はない。かといって、彼が恋人を殺した描写もない。
ケンプも同様。彼がケンドルをはねた描写もない。そうかもしれないと確信はしているが…。
もし、サイスの言う事が偽りで、本当に恋人を殺していたら…?
もし、ケンプの確信が見当違いで、はねてなどいなかったら…?
どっちに傾いてもおかしくないし、だからこそ危うい。
真実とは…? 天秤に掛ける責任や事の重大さ。
だけど人は、重圧逃れや世の流れや思い込みで、時に見誤り、間違えてしまう。
そして冤罪が起きてしまう。
冤罪とは、人一人の人生を変えてしまう大罪。
今年国内でも再び大きく注目された冤罪。
司法が完全じゃない事の証し。
しかし法に携わる者たちは、出世や面目からそれを軽く見てしまう。
今一度問う。クロ間違いナシと思えても、ほんの一点でもグレーな点があったら、見直せ。疑え。考えろ。
それを怠り判断を間違ってしまったら、取り返しが付かないのだから。
サイスに関してもそうだ。
私はどうも男の姿を見たと言う近くの家の老人の証言が引っ掛かって仕方なかった。
“男の姿を見た”と言ってるだけで、“男の顔を見た”という事ではない。それは即ち、サイスの顔を見た訳でもない。
警察にサイスの顔写真を見せられて、そうかもしれないと思い込み。容疑者をサイスしか挙げなかった警察の怠慢でもある。
陪審員の中で唯一、サイスは犯人じゃないかもしれないと説いたケンプ。
自分が犯人かもしれないとの確信があったからではあるが、真犯人だとしても、大多数の意見が固まった中で勇気ある発言。自分が真犯人と知られるかもしれないのに…。
実際ケンプは、悪人ではない。自分の罪を激しく後悔し、名乗り出るべきかどうするべきかを知人に相談。
サイスを庇ったのは、彼なりの罪悪。もし彼が有罪となったら、彼の人生を奪う事になる。自分はのうのうと幸せに生きていいのか…?
だけど結局、名乗り出る事は出来ず。彼にも欲はある。守りたいものがある。
妻と間もなく産まれてくる子。
待望の子供なのだ。妻は以前も妊娠していたが、流産。その悲しみは両者にとって大きかった。ケンプがバーで悲しみに暮れていたのも、これ。それを乗り越え、ようやく生命を授かろうとしている…。
あの時バーでお酒を飲もうとして、飲まなかった。実はケンプは、アルコールで問題を起こした過去あり。その時出会い、支えになってくれたのが…。人は変われるとも教えてくれた。
ケンプも過去や悲しみから今の幸せを失いたくないのだ。
自分の幸せばかり考えて、相手の無罪を訴えるのは偽善ではないのか…?
本当に相手の事や人生を考えたら、真実を…。
それを隠し、罪を背負ったまま生きるのは幸せと言えるのか…?
自分は変わったのではないのか…?
陪審員の中には、人は変わらないと言う者もいる。サイスの麻薬の売人の過去と訳あり。
今一度、秤に掛ける。真実か、保身か…?
ケンプたった一人の無罪から、6対6に。
割れに割れ、評決は決まらず、異例の陪審員たちの現場検証。
納得いくまで自分たちの目で見、自分たちで話し合い、遂に至った。
評決は…。
これで良かったのだ。
これで良かったのだと信じたい。
裁判を終え、剣と天秤を持つ女神像の前で、ケンプと検事が話し合う。
お互い、サイスや事件に関して疑念を持った身。
これで良かったのか…?
これで良かったのだ。
各々通した“正義”でもある。
真実や真犯人は明かされないままか…?
それはフィクションの中だけでしかないのか…?
常に弱者の立場に立って正義を訴えてきたイーストウッド作品に於いて、意外な結末…かと思った。
子供も産まれ、自分の幸せの“正義”を選んだケンプの前に、思わぬ訪問者。
それはその訪問者にとって、やはり納得いかなかった事を正す“正義”である。
ケンプにとっては、あのラストシーンの後。彼の今後の人生や妻子の事を思うとバッドエンドのようにも思えるが、ただ後味が悪いだけではない。
真実と正義。今一度、人は変われると証明するチャンス。
今度こそ、真に秤に掛けて。
難しい役所に挑み、見事応えた、ニコラス・ホルトの複雑内面演技。
トニ・コレットもさすがの巧助演。
J・K・シモンズとキーファー・サザーランドはちょっと勿体なかったかな…。
派手な作風ではないが、2時間コンパクトに纏め、終始見る者を引き付け、離さない。
キャリア集大成は言い過ぎかもしれないが、じっくりと社会派とエンタメを融合させた円熟の手腕は一つの頂の域。
最後かもしれない作品でも、正義を訴え、人間を正面から真っ直ぐ見据える。
クリント・イーストウッドはブレない男であり続けた。
配信になったらすぐ見ようと思っていたが、今年のトリのお楽しみに。仕事が忙しくて見る時間も無かったけど。
やっと短い年末年始休み。今年のベスト級…とまではいかないが、締め括りに良し。
それでは皆様、良いお年を!
2024年ベスト級の法廷ドラマ
スクリーンで観たかった・・・。
基本的に映画館で観た作品しかレビューしないと決めてたんだけど、これは仕方ない。
「なんで?」という思いでいっぱいになりつつ、U-NEXTに加入した。
結局加入したんだから、映画会社の狙い通りってことなんだとは思うけど。
それにしても、イーストウッドが監督で、ニコラス・ホルトが主役で、トニ・コレット、JKシモンズ、キーファー・サザーランドが脇を固めてる作品をスクリーンで観ることができないのは、かなり悲しい。
名作「12人の怒れる男」をたどりながら、それを2ひねりくらいしたストーリーで、単なる法廷モノよりは、もう少し踏み込んで正義と裁きの問題を提示している。
ニコラス・ホルトは小心無垢な男を演じるのがホントに素晴らしい。
トニ・コレットは、シックスセンス、リトルミスサンシャイン、ヘリディタリーで「母さん」のイメージがついちゃってるので、ひっつめ髪の上昇志向検事ってのはちょっと違和感。
JK・シモンズの声を持っていればみんな説得できそうだとか、キーファーも年取ったなとか思いながら小さな画面に食いついてました。
このパターンが増えないことを祈ります。
映画は映画館で!
孤独な葛藤
荒唐無稽とまではいきませんが、かなり突飛な話だと思います。陪審員に召集されたジャスティン(ニコラスホルト)は事件の概要を聞きながら回想している間に、じぶんが車ではねて鹿だと思っていたのが人だったかもしれないと思い当たります。日時も場所も同じでそれが確信に変わるとJuror No. 2の孤独な葛藤がはじまります。映画のはじめからおわりまで真相を知っているのはジャスティンただひとりです。断酒会のスポンサーであるラリー(キーファーサザーランド)に打ち明ける場面はありますが、基本的にだれも真相を知りません。そりゃそうです。まさか陪審員が轢き殺した犯人だなんて想像もつきません。わりと勘の鋭いマーカス(Cedric Yarbrough)も、刑事なのに陪審員任命されていたハロルド(JKシモンズ)も解らず、車両から足がついてラストで検事補フェイス(トニコレット)がジャスティンの家のドアをノックする、ところで映画は終わっています。
映画「陪審員2番」が言いたいのは良心の呵責です。
検事補は地方検事選挙で勝つために楽勝案件をピックアップしたつもりでした。素行の悪いマイケル(Gabriel Basso)がやったにちがいないという確信をもって望み、大きな反証もなく陪審員の心象もつかんで即日結審する気がしていました。が、審議に入るとジャスティンただひとりが十二人の怒れる男のヘンリーフォンダのごとく有罪に反発します。ジャスティンにしてもそこで有罪にしておけば永遠に逃げにげおおせる話でした。でもかれは茨の道を選ぶのです。なぜか。良心の呵責というやつです。
かといって、ジャスティンは真相を暴露したいとか、じぶんが捕まればいいとは思っていません。妻アリソン(ゾーイドゥイッチ)は臨月だし、もし自白したならアルコール依存の過去をもつ彼には仮釈放なしの終身刑が下りラリーが言うように人生が終わるでしょう。
どうなるべきか、どうしたらいいか解らないまま、ひたすら良心がとがめて「もっと話し合うべきだ」と主張するのです。
他の陪審員らは十二人の怒れる男に出てくるような生活感ある人たちです。とっとと終わらせて子供らの世話をしなきゃならない主婦や、ドラッグディーラーでもある容疑者マイケルに敵意をもっている者もいます。ちなみにテラスハウス出演者の福山智可子が医学生という設定で単独セリフもあるけっこういい役でした。
熱心なジャスティンに触発され、ひとりまたひとりと無罪に与するものがふえていき、結果的にジャスティンはじぶんでじぶんの首を締めていくのです。良心の呵責がそうさせるのです。
おそらくジャスティンの願望は、気持ちが納得するところへたどり着きたい、ということでしょう。しかし、それは真相の解明=人生の終わりと同義なわけです。サスペンスフルな娯楽性を維持しながら、落ち着いたタッチで人間の深層心理を描いています。安定したクオリティに感嘆しました。
脆弱さと人の良さが同時にあらわれるニコラスホルトが上手でした。トニコレットとはAbout a Boy(2002)以来22年ぶりの共演だったそうです。
界隈ではこれが引退作になる可能性が示唆されていますがイーストウッドは明言していません。つくれるかぎりつくりつづけるのではないかと思いますしそうであってほしいと思います。
しっかしイーストウッドの作品群の高クオリティたるや・・・ペイルライダー、ミリオンダラー~、ミスティックリバー、硫黄島~、チェンジリング、グラントリノ、サリー、許されざる者、運び屋、リチャードジュエル。
いつもながら牽強付会かもしれませんが、日本の映画監督って一様に何をつくっても何本つくってもダメじゃないですか。上達もしなけりゃまぐれ当たりもない。基本的にみんな駄作製造機。黒沢清とか、あんだけ駄作連発している人が、巨匠とか持ち上げられている始末。
それに比べて、イーストウッドだけではなくあっちの監督は名前ある人ならそれなりにしっかりクオリティともなってきますよね。素朴なギモンですが、安定したクオリティで映画をつくるという日本の体制のなさに、どうなっているのか、と思うのです。これも牽強付会ですが、政治系のユーチューブで聞きかじった話ですが、NPO団体の映像産業振興機構(VIPO)というところに一年で750億円の補助金(税金)が支払われたという話を聞いて金がないってこともないのではないかと思いました。いいですか。7,500万円でも7.5億円でも75億円でもなく750億円です。なんなんですか。想像できますか、そんなお金。この映画Juror #2の制作費は推定で3,000万ドル(2024年時の換算で47億円)と言われています。300万円でつくったカメ止めなら、いったい何本できるんですか?
基本的にアニメ系に比べて映画をやる人の能力が低すぎる、ということをいつも思います。ほんとにばかは映画つくんないで、と思います。(ぜひ映像産業振興機構のHPをご覧になってください。日本語ですが何が書いてあるのかも何をしているのかも解りませんでした。)
ホントにこれで最後なの?
クリントイーストウッドらしさ全開!
主人公は善人なのか?悪人なのか?偽善者なのか?嘘つきなのか?
自分(と妻)の幸せと他人の無実の間で揺れる心…と見せながら、
最後には暗黒面に堕ちたのか?(そんなんだから酒におぼれるのだ)
堕ちた理由は見えづらかったけど、
そこを含め、
いつものように映画の中では答えを出さず
観る人に委ねるクリントイーストウッド。
最後のシーンも、それ。
ドアの外に立つ検事。複雑な顔の主人公。
罪を背負うのは、刑務所の中だけではない。
自分は彼は逮捕されなかったろうが、検事は検事としての矜持を見せ、
彼女なりの正義を示した…と思うのだが、どうだろうか。
これを観ないと勿体無いよマジで❤️🔥👍
偏見の怖さをリアルにみせつけてくるのよな🫣
まずネタバラシスタートってのが面白くて始まった瞬間に陪審員なのに自分が犯人だから被告が無罪なのにほぼ全員が有罪だよねあんなやつってところからスタートっていうツカミのスピーディーさが良いですね!
あと激しいシーンゼロなのも良し👌(普通裁判て淡々とやるもので落下の解剖学も同じテイストで良かったです!)あとキャスティングがいちいち良いし主人公がずーっとヤバイヤバイヤバイヤバイどうしよう🤮ってなっているのも良かったですねえ🥺(主人公が逃げたいのか自白したいのか自分は逃れつつも自分のせいで有罪になりそうなヤツを助けたいのかよくわからん展開が続くからそこは低評価になる要素でもありますね)
まあラストをあそこで終わらせたのが良くて あの後をわざわざ見せる必要無いしイーストウッドも余韻の作り方が上手いですね(クリスマスイブ🎄🤶にふさわしく最高に嫌ーな気分になれたしグッジョブ🤮👌)
しかしまあよく出来た法廷モノでみなさん絶対見た事あるとは思いますが特に日本🇯🇵の裁判モノにありがちな😡演出的に盛り上げたいからって無駄に裁判長〜って大声で叫ぶ超バカシーンとか無くて本当に良かったです(自分は裁判長って叫ぶシーンや裁判所で声張り上げて叫ぶシーンのある作品はその時点で生理的に無理なので見るのをマジで辞めますし劇場でもその時点で観るのを辞めて帰るくらい映画のシーンで一番あり得ない超絶バカシーンだと思ってますし叫ばなくても裁判映画は面白く作れると思いますよマジで😡)
良質の法廷スリラー
🇺🇸ではMAXでの配信予定を限定劇場公開に変更。🇫🇷🇬🇧等は通常公開。🇯🇵は劇場公開無し。U-NEXT独占見放題配信。吹替版無し。
日本では馴染みがない陪審員制度であるが、ストーリーは難しくなく、主人公と他の陪審員の心の変化が描かれる法廷スリラー映画です。
なお陪審員2番の2番は特に意味は有りません。主人公がたまたま振られた番号です。こんな邦題だと日本で公開されても余計に意味不明で遠ざいてしまう。
…………
バーで男女が口論の末、豪雨の中帰ってしまう。しかし、翌日遺体で発見される。容疑者はその彼氏。その裁判の陪審員に主人公ケンプが選ばれる。
ケンプはその日、豪雨での運転中に何か衝撃を感じる。回りを見回しても何も無い。有るのは鹿注意の看板。鹿がぶつかって逃げたのか?その1年後の裁判。
陪審員になって気づく、そして不安になる。弁護士に相談すると、過去に飲酒運転での逮捕歴があるから重罪も予想される。黙っておいた方が良い、と。
アメリカでの裁判は、一般から選ばれた12人の陪審員が原則全員一致で有罪か無罪かの評決を下す。有罪なら裁判員が刑期を決める。一致出来なければ別の陪審員が再選定される。
陪審員の1人。有罪だよね。早く帰りたい。他の陪審員も〜。有罪10対無罪2。
無責任だよね〜。他人の事だし。でもケンプは無罪側のひとり。事実知ってるしぃ〜。これで有罪になったら冤罪確定。もっと審議しようよ。
途中で6対6に。先入観で全く考えもせず有罪にする陪審員も。検察も初動捜査から決めつける。コレ どうしたらいいの〜。
…………
日本でも劇場公開して欲しいと署名運動も。私1人の陪審判断は〜〜。
公開しても良いかな。でも邦題は大きく変えてね。
C.イーストウッドらしい直球勝負
本作で引退とも言われているイーストウッド御大が僕らに託したもの
彼がいかにドラマと真摯に向き合い、それ描くことに長けているかということを再認識させられるような力作。さながら現代版『十二人の怒れる男』ならぬ"唯一人の悩める(秘密を抱えた)男"。
90年代まではよく作られていたものの、現代では(実話を基にした一部の黒人冤罪モノなど除いて)めっきり作られなくなったタイプの法廷スリラー(サスペンス、ミステリー)で、今最も目が離せない役者ニコラス・ホルトが道徳観や倫理観そのジレンマに苛まれ葛藤するさまを体現する、ポスタービジュアルのまま重苦しく鬱々とした作品。
大丈夫か?良心の呵責。自分が生きる上で大事にしている指標・行動原理に「後ろ暗いことはしない(後ろ髪を引かれることはしない)」という想いがあるけど、本作はそのよく描かれた脚本とストーリーテリングの巧みさも相俟って、息の詰まるような自分(私)事になっていく。正義と真実の天秤に揺れ動く圧巻の110分で、ひたすれ疲れる鑑賞体験。
共演にはこの裁判に自身の進退という政治的側面がかかっている検事トニ・コレットに、どうやらただ者ではなさそうなJ・K・シモンズ、そして主人公の妻ゾーイ・ドゥイッチなど。これだけ科学捜査など進んでいる現代でも様々な要素が絡み合って十分起こり得る冤罪に、"確証バイアス"確証がないのに協力的な目撃者の老人など司法制度の抜け穴も。
FAITH
ハイリスク妊婦
"Too many maybes are reasonable doubts."
LIFE ROSE ON(ライフ・ゴーズ・オンと掛けている)
司法制度に乾杯、完璧じゃないが無いよりマシ
「僕が家族を守る」
IN GOD WE TRUST
「疲れた顔ね」「嵐が去ったな」
揺れ動く良心の呵責
ニコラス・ホルト演じる主人公ジャスティン・ケンプを始めとする
登場人物それぞれの正義と家族愛で揺れ動く良心の呵責を描いた作品です。
ジャスティンは事件当時、鹿を車で轢いてしまった疑惑を自分自身にもっていて、
それが陪審員として選ばれた事件の轢き逃げだったのではないか?と
やや確信めいた判断をしているところが、すごく重要です。
おそらく轢いたのはジャスティンで間違いないものと思われますが、
直接的な表現は避けていて、ここも「そうだろう」的な見え方になっています。
容疑者は、普段の悪い素行が背景にあり、事件当時の様子からも
犯人と断定され、目撃情報も曖昧ながらも、冤罪となっていく様は
すごく恐ろしいなと思いました。
日本のドキュメンタリー作品でも、こういうことはあるんじゃないかと思う作品に
出会いますが、冤罪のつくられかたを見せられている気がして怖くなりましたね。
ジャスティンは自分が犯人だろうから、容疑者が犯人じゃないことはわかっていて、
そこで最終的には家族や自分の人生との天秤にかけていき、
正義が客観的なものではなく、主観的なものとして貫かれていく。
そんな会話を、ラスト近くで検事とする。ここが本作のクライマックスでしょう。
ラストは検事(検事長に昇進していますが)がジャスティンの玄関先に現れて終わるのですが、
検事は検事で自分の正義を貫くつもりなのでしょう。
おそらくジャスティンを容疑者として裁判が開かれるのでしょうね。
直接的にはそこまで描いていませんが、私はそう捉えました。
正義の脆さみたいなものを突きつけられた気がします。
何と奥深い作品なのでしょう。
クリント・イーストウッド監督の期待に応えているニコラス・ホルト、天晴れだと思います。
素晴らしい作品でした。
できれば劇場で鑑賞したかったです。
世知辛いのはわかるけど、もったいない
アメリカでも公開館数は少なく不当な扱いを受けたイーストウッドの最新作、邦題 陪審員2番
今のムービーシーン、スクリーミングがメインになっていく潮流からするとリスクヘッジは当たり前で、(前作、cry machoが大コケしたので)そりゃお前たちオーディエンスがこないから、当然の処置だってのもわかる。ただアメリカのレガシーつくっていくひとつはムービーじゃないの?あまり蔑ろにしないでほしいなとは思う
当然、日本でも劇場公開しない。ただ𝐔-𝐍𝐞𝐱𝐭で20日から観れます。陪審員に選出されたニコラス・ホルトの苦悩をとてもうまく描きだしていて、ラストの余韻がまあ素晴らしい。94歳、イーストウッドの妙手、まだこんなの撮れるのかと敬服しました。映画ファンと自認するのであれば𝐔-𝐍𝐞𝐱𝐭でどうぞ。あーもう少しスリムなサービスにできないかね、𝐔-𝐍𝐞𝐱𝐭さん
最高の引退作
クリントイーストウッド引退作。引退作としては惜しみたくなる傑作だった。
ニコラスホルトが演じる主人公は陪審員に選ばれる。殺人事件の裁判であり被告人が殺人の有罪か無罪かを問う裁判。
被告人は過去に反社会行動をし直前に加害者の女性と喧嘩もしている。しかし確固たる証拠はなく、状況証拠と陪審員の早く事を終わらせたい気持ちからさっさと有罪で終わらせたい者が多い。
そんな中ホルトは事件の本当の容疑者は自分じゃないかと疑う。
もちろんこちらも確固たる証拠はないのだが事件を追えば追うほど自分が加害者だったと確信に近づく。
罪悪感からなんとか被告人を無罪にしようとするも、前任一致でなければ次の陪審員達に委ねられることになり事件の真相を追われることを恐れる。最終的に自分が陪審員の立場で事件を終えることを望み被告人を有罪にする決断をしてしまう。
ホルトの罪悪感と自己保身の狭間をうまく描いた作品であっという間の120分だった。
自分がホルトの立場であったらどういう判断決断をするのか、それらを自分に置き換えながら見ると心苦しく見られる。もちろん悩んでる時点で自分も善良な人間ではないのだろう。
何が正しのかはもちろん分からない。ただ一つ言えることは真実を隠す事なく伝える事が正しいのであって、そこから逃げ隠れ、嘘をついてしまった時点でホルトが正義を語る資格は残念ながら失う。
そんな正しい判断ができない立場の人間でも人を裁く立場になりうる陪審制度の欠陥もまた実感させられ恐怖を覚える。
クリントの作品はこれまで何作も鑑賞し貴重な時間を過ごさせてもらった。引退作というのは寂しい限りだ。それ以上にこんな偉大な監督の引退作を日本では劇場公開スルーというのがあまりにも残念。
しかしながら配信でも傑作に変わりはない。1人でも多くの人に見て感じで欲しい作品だ。
クリントイーストウッドに改めて敬意を表したい。
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