「常に自分のフィールドで戦う」アマチュア talkieさんの映画レビュー(感想・評価)
常に自分のフィールドで戦う
いかに最愛の妻・サラを理不尽に亡き者にされたからと言って、情報機関に職を得ているとは言え、デスクワーカー(分析官)で、それ故に銃器の取り回しにも不慣れな素人が(その道ではプロともいうべき)テロリスト相手に復讐を企てるというのは、ある意味、荒唐無稽ともいえるのですけれども。
ただ、チャーリーが成功した「秘訣」を一つだけ指摘するなら、それは、彼が常に自分の得意分野で勝負を挑んできたことではないでしょうか。
強い執念は言うまでもなく、常に「自分のフィールド」=得意分野で闘ったことが勝因だったことには、異論がないことと思います。
顧みれば、日常の仕事など、ライバルとの競い合いの場面では、自分のフィールドに相手を引き込めた者が、最後の勝利者になることは、経験的にも知られていることと思います。
その意味では、ふだんの日常での指針(心がけ)にも、相(あい)通じそうです。
そう受け止めてみると、「ズブの素人がやって、こんなに上手くいくのか?」というツッコミはさておき、これはこれで、なかなかの佳作だったと、評論子としては、言えたとも思います。
(追記)
多くのレビュアーのレビューを読ませてもらうと「展開がご都合主義(で面白みに欠ける)」という評が散見されます。
確かにそういう気配もないわけではないのですけれども。
しかし、派手なアクション・シーンやカーチェイスなどが満載の従来のエスピオナージ(スパイもの)とは一線を画し、「もっぱら頭脳戦に方向を転換した」というふうには評せないでしょうか。
銃器によるドンパチに代わって、I.Q170とかいう設定の主人公の能力を活かして、パッキングなどの手法が多用されるのも、令和の今の
電脳時代(コンピューター社会)を暗示しているともいえそうです。
ある意味、電脳時代=コンピューター社会の脆(もろ)さが暗示されているとも、いえるとも思います。
その点で、評論子的には、スピオナージ映画として、新境地を切り拓いたとも受け止めることができるでしょう。
佳作だったとも思います。