「やりたいからやる、その自覚と責任」アマチュア つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
やりたいからやる、その自覚と責任
アマチュアとプロの1番の違いは、「やりたいからやっている」のか「やらなきゃいけないからやっているのか」の違いだ。
つまり映画「アマチュア」における最も重要なこととは、主人公・チャーリーの人を殺すという決断と行動に逃げ場がないことなのである。
銃を撃たないスパイ・アクションであることよりもチャーリー・ヘラーという1人の男の決意とその行方を追いかける、そんな物語だ。
妻を殺したテロリスト、それを追うチャーリー、チャーリーを始末したいムーア、ムーアの動きに不信を感じる長官、という具合に追跡が多重に展開していくのが面白い。
そこにCIAの訓練教官・ヘンダーソン大佐や情報提供者のインクワイラインも絡んでくる。
チャーリーが自分の意思で復讐することに起因して事件が起こることに影響されていくのか、ヘンダーソン大佐やインクワイラインの行動も「やりたいからやる」「やりたくないことはやらない」の方向に進んでいくのも興味深い。
「やりたいからやっている」という意味では、ムーアもある意味アマチュアかもしれない。彼の隠密作戦は非公式で非合法であり、多分そのせいで誤爆が起こったり、予定外の人質事件が発生したりしている。公式に予算がついての作戦なら、テロ組織を作戦部隊代わりに使わなくて済むし、バックアップも万全、状況分析だってもっと大掛かりにやれるはずだ。
チャーリー捜索を「内々で」済ませようとしたことそのものが、長年に渡るCIAの私的利用が原因であり、その考え方が染みついているせいなのだ。
チャーリーの復讐が超個人的な動機と認識しやすいのに対し、ムーアの動機は一見「国家を背負った大義」のように見えやすい。だが、本質は同じだ。決断したのは自分自身であり、「やりたいからやっている」ことなのだから。
スパイ・アクションのように見えて、実際はチャーリーを中心にした超ヒューマン・ドラマ。
そうなってくると、主人公・チャーリーのキャラクターにどれくらい説得力を感じられるかが重要で、ラミ・マレックから感じられる知的さやヘタレさはこの映画を成功させるための重要な要素だし、ラミ・マレックが演じている時点で映画は9割成功していると言えるだろう。
少しずつ成長しながら、「最も大切なこと」つまり「妻はどうして殺され、その責任は誰にあるのか」にたどり着いたチャーリー。
チャーリーをその結末に導いたのは、やっぱり愛する妻であるサラなのだ。セスナという翼を手にしたチャーリーを思って、「高く飛びすぎないで」というメッセージとともに計器のパーツを贈ったサラ。
進むべき方向を確認する時、いつもサラを想うことが出来るように。
それは復讐という暗い道でも、選択するべきものの指針となったはずだから。
人間的な魅力とちょっとした痛快さ、ホロ苦いセンチメンタルさを併せ持つ、新時代のスパイ映画として楽しめる作品だったと思う。