「現代的なリメイク。そして、群像劇に見る支柱の重要性」新幹線大爆破 緋里阿 純さんの映画レビュー(感想・評価)
現代的なリメイク。そして、群像劇に見る支柱の重要性
【イントロダクション】
高倉健主演、佐藤純彌監督による1975年の和製パニック映画(以下、オリジナル版)を、草彅剛主演により現代版にリメイク。また、リメイク版だがオリジナル版と関連した要素もあり、単なるリメイク作品に留まらず、続編としての側面も持つ。
監督は『日本沈没』(2006)、『シン・ウルトラマン』(2022)の樋口真嗣。脚本は中川和博、大庭功睦。
【ストーリー】
5月23日、盛岡新幹線車両センター青森派出所。盛岡新幹線車掌の高市(草彅剛)は、修学旅行の高校生達に新幹線の説明や質疑応答に答えていた。
高市は後輩の藤井(細田佳央太)と共に、15時17分発新青森発東京行きの「はやぶさ60号」に常務する。ほどなくして、東京のJR東日本センターに「はやぶさ60号に爆弾を仕掛けた。時速100kmを切ると爆発する」という謎の電話が入る。電話の内容が嘘ではないという証拠として、犯人は青ヱ森鉄道線の貨物列車を爆破してみせた。
事実を知った統括本部長・吉村(大場泰正)、統括司令長・笠置(斎藤工)は、直ちにはやぶさ60号以外の全ての新幹線の運休と退避を命じる。はやぶさ60号の運転手・松本(のん)に、「時速120kmを維持して走行する」ように指示が入り、停車駅であった八戸駅を通過させる。列車が八戸駅を通過した頃、指令所には犯人からの身代金の要求電話が入った。その額は1,000億円。国民1人当たり1,000円を徴収すれば用意出来る額だとして、集金方法は政府に一任された。
指令所には、警視庁捜査一課の警部補・川越(岩谷健司)、総理補佐官の佐々木(田村健太郎)らも合流し、様々な政治的判断が組み交わされる事になる。川越ら警察は、事件がかつて1975年に起きた「ひかり109号事案(オリジナル版の事件)」と酷似している事に疑問を抱き、当時の捜査資料を手配する。
一方、佐々木の指示によって爆弾の事実を知らされたはやぶさ60号では、人気動画配信者の等々力(要潤)のライブ配信とクラウドファンディングによる身代金の集金、不倫疑惑のある衆議院議員・加賀美(尾野真千子)と秘書・林(黒田大輔)によるトラブル。人目を忍んで乗車していたヘリサービス業の元社長・後藤(松尾諭)が起こした自社のヘリの墜落事故への避難と、混乱を極めていた。
指令所は、はやぶさ60号の救出作戦を立案。はやぶさ60号の乗客の協力も得ながら、決死の救出作戦が開始される。
【感想】
オリジナル版鑑賞済み(あちらの評点は4.0点)。
オリジナル版では、犯人グループの人間関係や犯行動機、事件開始後の立ち回りをメインに描かれていたが、リメイク版ではオリジナル版では得られなかったJR東日本の監修・協力が得られた事により(尚、オリジナル版もリメイク版も国鉄からの協力は得られていない)、新幹線内部の乗組員や乗客の姿にフォーカスが当てられ、群像劇と所謂“お仕事ムービー”としての側面が強くなった。また、鉄道周りの描写にもかなりのリアリティが得られた事は、本作の大きな特徴となっている。
テロリストには屈しないという政府の方針に対して、身代金の要求額を人気動画配信者のライブ配信によるクラウドファンディングサイトへの寄付誘導という形で確保しようとする(乗客自らが確保しようと行動する)展開は現代ならではだろう。情報の拡散にInstagram等のSNSが使用されるというのもリアル。
事件の真犯人にオリジナル版の登場人物の関係者を持ってくるというのは、読める展開としてベタではあるがアリ。オリジナル版を未鑑賞の人でも理解しやすいよう、古賀勝利(ピエール瀧)の素性については必要最低限だけ描いて深掘りせず、必要な情報は作品内で提示されている設計も親切。
また、勝利という協力者を得ながらも、もう1人の真犯人が女子高生の柚月(豊嶋花)というのはインパクトがあった。犯行動機に虐待する父親への復讐、世間への絶望があるというのも、情報化社会によって個人の“嘘の生活”が可視化され、画面越しの繋がりが強化されながらも現実の他者との関わりには距離が生まれ、一人一人の孤独が強まっている現代ならでは。
オリジナル版とは違い、爆弾の解除を諦め、脱線による車両の計画的な爆破と脱出による解決を図る展開は外連味たっぷりで楽しめた。
ラストで柚月に提示される「世の中まだ捨てたもんじゃない」というメッセージが、等々力の集金支援サイトの目標額達成画面という“見えない誰かからの善意の結晶”というのが良い。ともすれば、クラスメートからのメッセージ等の偽善的感覚を覚えるような物にもなり得た要素を、キチンと現実的かつ脚本として提示していた要素の回収に着地させた点は非常に好ましかった。
はやぶさ60号の乗客の無事を確認して事態の終息が宣言された途端、すぐさま運休再開に乗り出す笠置ら鉄道職員の姿に、世界から見た「働キ過ギ、日本人!」な姿勢を見て笑った。
【支柱なき群像劇に見る、メインキャラクターの重要性】
オリジナル版は、高倉健演じる沖田哲男をメインに、彼と関わりのあるキャラクターの過去回想、犯行の行方を追っていく作品だった。爆弾を仕掛けられた「ひかり109号」の運転手や乗客は沖田とは関わらないが、運転司令局長の倉持(宇津井健)はテレビ放送で沖田の良心に訴え掛けるという間接的な関わりがあった。
私の持論に、「良い物語とは、キャラクター同士の立ち位置に関係性があり、またはそれが出来、物語への興味や推進力が齎される」というものがある。それが全てとまでは言わないが、多くの物語においては、この理論は「面白さ」に直結する大事な要素のはずだ。
だからこそ、オリジナル版は群像劇の様相を呈しつつも沖田というキャラクターを支柱に構成されており、物語の舵は常に沖田が握っていたのだ。加えて、高倉健という日本を代表する俳優の観客の興味を惹き続ける吸引力があった。153分という長尺にも拘らず、最後まで目が離せない一級のエンターテインメントとして成立したのだ。
ところが、リメイク版の本作は、草彅剛演じる高市というキャラクターをメインに据えつつも、彼が現場で乗客と関わる場面が少なく、それ故に中盤で中弛みを起こしているのだ。
例えば、相手が真犯人の柚月ともなれば、仕事への誇りに対する問いや「新幹線を止める為に殺す・殺さない」の選択で関わりが描かれているが、等々力や加賀美&林ペア、後藤、市川とは業務上最低限の関わりしか持たないのだ。本来、最後に新幹線に取り残された彼らは運命共同体であり、それぞれが密接に関わりあって、互いに作用し合って物語が進んでいくべきなのだ。
後藤のヘリサービス業の経験が事態の解決の糸口を掴む要因になったり、議員である加賀美らの地方巡業の経験が東京駅での線路拡張に繋がったり、市川が柚月を探しに戻った際に彼女の過去について高市に語って観客への柚月への疑いを確証に変えたりだ。等々力に関しては、序盤のふざけたテンションの配信から打って変わった、鬼気迫った本気のライブ配信による“権力の関わっていないリアルな報道”という役割を与えても良かっただろう。
もし、本作をあくまでお仕事ムービーに徹した群像劇として描くのなら、新幹線に取り残される人数はもっと少なくて良いし、尺も2時間の枠に収まるようエッジを効かせたものにすべきだったのだ。それこそ、オリジナル版が海外興行の際に沖田達犯人グループの動機を省略して2時間の枠に収まる娯楽パニック映画としての側面を強めて成功を収め、それがキアヌ・リーブス主演の『スピード』(1994)に繋がったようにである。
【総評】
オリジナル版との関連性を盛り込みつつ、現代的なアップデートを果たした本作は、リメイクする意義を感じさせられた。オリジナル版とは対照的に、新幹線内部や乗客の姿にフォーカスが当てられているのも良い。しかし、群像劇としての演出の弱さは中盤の中弛みを招いてもおり、よりコンパクトでスリリングなエンタメに昇華させる事も出来たであろう点は残念に思う。
とはいえ、邦画でこれだけのエンタメ作品が作られる事は素直に喜ばしく思うし、配信限定に留めておくのは勿体無い作品だ。樋口監督の呼び掛けが身を結び、是非とも劇場公開が実現するよう願っている。劇場公開化が実現した際には、改めて劇場の大スクリーンで再鑑賞したいと思う。