「桐島です」のレビュー・感想・評価
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毎熊さんのルックスで煙に巻かれがち
令和の時代の、つい昨年まで桐島が潜伏できていたことに驚き。
意外と現代の日本にもエアポケットのようなところがあって、それなら現在逃亡中の過激派も日本のどこかに潜伏しているかもしれない。
もっとも、手配されたのが50年も前だから、可能だったんだろうとは思う。
今なら顔写真付き映像付きで手配されたとたんにスマホで撮られSNSで追い詰められてそこまで逃走できない。「正体」の主人公のようになるでしょう。
職場に昔、三菱重工のすぐそばの職場にいて爆破事件に遭遇した人がおり、時々その惨状を話していたのを思い出した。
桐島はこの事件に関わってはいないが、その後の一連の爆破事件には関わり重傷者を出している。
「過激派」と呼ばれる人たちは、元々は社会正義について真摯に考えているまじめで純粋な人たちなんだろう。劇中の「さそり」の黒川が国家や資本家を糾弾する理屈はわかるしその通りと思うが、目的と手段となると理解を超える。彼らの目的は虐げた人たちへの償いでも搾取構造の是正要求でもなく、暴力と破壊行為によるただの報復と制裁に見える。実りがない。なぜ多くの人が賛同すると思ったんだろうか。
どんな素晴らしい思想でも、ちゃんと聴いて貰えなければ意味がない。過激な破壊行為に訴えて良いことなんかまるでない。むしろ優れた思想が、訴求手段のせいで悪しきものと認定されてしまうこともある、最低の悪手だ。
活動に身を投じた彼らはおおむね高学歴のインテリ、そして世間知らずで若い。
彼らの中には、もしかすると、びっくりするほど幼い「美しい戦士願望」があったかも。
かつて日本中を戦慄させた某宗教団体の幹部が、「宇宙戦艦ヤマト」にインスパイアされていた事実もある。
人って案外そんなものだったりする。
すべてが若気の至りだが、笑って思い出にできないほどの大事を引き起こしてしまったのが彼らだったりしないか。
逮捕された者は刑務所で現実と向き合い、刑期を終えたら出所して社会で市民として歩くことも出来たが、逃亡を続けるものは若気の至りから脱却できずにその延長線上を走り続けて拗らせてしまったかも。
以上は彼らと同時代性もなく、特に詳しい訳でもない自分のただの感想なので、もしかするとものすごく稚拙なものかもしれません。
演じた毎熊克哉が細身の穏やかで優しげで感じの良いインテリ風ワカモノなこともあり、本作の桐島は、一見、凶悪な過激派というよりあまり主体性がなく、まじめで誠実(なインテリ)であるがゆえに活動に参加、実直に破壊行為の役割を果たし、追われる身になった、不運な流転の人に見える。
朝目覚ましが鳴ると、おそらくトラウマになっているビル爆破のシーンを一瞬脳裏によみがえらせ、歯を磨きお湯を沸かし、インスタントコーヒーを飲む。長年にわたるルーチンに、少しづつ変化があることで、平穏な長い年月を表していて、この表現はうまいと思う。
そして、インスタントコーヒーの瓶の淵のシールがきれいに剝がされていたり、角砂糖をわざわざポットに入れていたり、インスタントコーヒーの詰め替えを律儀に瓶にいれかえたりする、桐島の几帳面な性格もこのシーンで良くわかる。
実直に仕事をし、人に優しく、壊れたアパートの階段を黙って修理してしまうような人。周囲の人望も厚く、なじみのライブハウスで仲間も作って、つつましく、だが豊かな日常を送っている桐島は、よくいわれるように「パーフェクトデイズ」を生きているように見える。
若い同僚が遅刻癖を注意されて逆切れして「俺が在日だからって差別してるんでしょう」と言い放つシーンと、不法と知りながら日本で働きたい外国人を出して、桐島が自分の物事の見方が浅く一元的であったことや、時代の移り変わりを思い知らされるところをさくっと描いている。
それでも桐島の思想を根っこから覆すには至っていないよう。
「時代遅れ」が刺さるのは、時代についていけない自分を投影して、そのままで良いと肯定されているようだから。
この桐島には、自分の人生に対する悔恨はあるけれど、しでかしたこと、多くの人を傷つけ恐怖に陥れたことに対する悔恨は見えない。反省も贖罪の意識も持っていないようだ。
メタボ検診を、「国と製薬会社の癒着」と吐き捨てるところ、当初の志がぶれていないのを感じた。
この映画を見たら、実在の桐島が最期に「桐島です」と名乗ったのも、もしかすると公安を欺ききった自分、公安に勝った自分を世間に誇りたかった気持ちが大きかったんじゃないかと思いました。
毎熊さんの風貌と雰囲気で大分煙に巻かれるが、実は若気の至りを、根本から修正することなく温存している、結構ヤバ目の人物として描かれているような気がする。
最後にAyaが出てきて、実はまだ生き残りがいるのを思い知った。「桐島くん、お疲れ様でした」と銃口を向けるAyaが、事件はまだ終わっていないと知らしめて、不穏を醸し出して終わる。
関根恵子さん、今でも匂い立つような美人です。
あや子は実は桐島のように日本に潜伏してたりして。
ただひとり桐島に気づいた多分空巣の、隣の甲本雅裕が良い味で面白かった。
そして、「桐島」が世の中で話題になった、今でしか作れなかったであろう映画と思いました。
社会派映画というより青春映画の良作
こういう言葉がある。若い時に社会運動に関わらない人は「心」が足りず、年をとって社会運動している人は「頭」が足りないと。
映画の主人公、桐島は「心」も「頭」も出来上がっていない段階で左翼運動に関わってしまったのではないか。年齢的にリーダーたちより下ということもあるだろうし、過激な事件を起こす割には寡黙で、態度が受動的すぎる。
若さゆえのエネルギーや「無限の可能性」というものを持て余したとき、周りと同じような遊びや就活にいそしむ気にもなれず、社会運動や宗教、または音楽や演劇に身を投じる。そうやって、手に負えない「若さ」が過ぎ去るのを待つという生き方があると思う。
正義感はあるけれど言葉にするのが苦手、誠実だけど自律性を欠いた桐島の人柄が毎熊克哉さんによく重なっていた。
東アジア反日武装戦線が起こした事件は、本当の人生の前のプロローグに過ぎない。工務店の労働者として世間の目を離れて生活し始めたときが、桐島の青春の始まりだったのではないか。祭りは終わり、脛に傷を抱え、でも地に足が付いた生活が始まったのだ。
同じように社会の周辺に追いやられた工務店の仲間や、一緒にボーリングをするライブバーの常連たち。繰り返される毎日を丁寧に過ごし、少しずつ世界が広がっていく様子はまるで映画『PERFECT DAYS』のようだ。
恋をしても相手を幸せにできない場面は、やっぱり切ない。
桐島は最後まで、過激派を続けるわけでも、運動を卒業して多数派に合流するわけでもない生き方を続けたのだろう。学歴の低い工務店の若者が外国人を蔑視することにもだえながら、彼本人に怒りをぶつけることはない様子に、それが表れている。
実際に負傷者を出した犯人なのだから、この態度を生ぬるいと思う人もいると思う。しかし、桐島は運動を一概に是とすることも非とすることもできず、葛藤し続けることを自分に課したようにも思える。
この映画が描いているのは逃走なのか、闘争なのか、償いなのか。明確な答えを与えるよりも、社会の周辺にこういう人が生きているという手ごたえを与えてくれる映画だったと思う。
事実に基づく物語
❶相性:上。
★冒頭に「事実に基づく物語」。
❷時代(登場する文書やテロップや会話等の日付から):
1974年~2024年。
❸舞台:東京&神奈川。
❹主な登場人物
★主な人物名がテロップで示されるので分かり易い。
①桐島聡(きりしま・さとし)/内田洋〔実在〕(毎熊克哉):主人公。1954年生れ。東アジア反日武装戦線「さそり」のメンバー。1974~75年にかけて起きた連続企業爆破事件で指名手配されながら、名前を内田に変え、別人として逃げ続け、49年にわたる逃亡生活の末に2024年に70歳で病死する。
②宇賀神寿一(うがじん・ひさいち)〔実在〕(奥野瑛太):桐島の大学の先輩で「さそり」のメンバー。1952年生れ。桐島と共に逃走するが1982年に逮捕され、懲役18年となる。2003年出所。2024年、霧島の死を知り、追悼文を書く。「桐島のやさしさが多くの人に親しまれていたのだろう。あるがままに生きた桐島に公安警察は負けたのだ、ということを多くの人が知ってしまった。桐島は警察に勝ったのだ」。
③大道寺将司〔実在〕(宇乃徹):東アジア反日武装戦線「狼」のリーダー。爆破事件で1975年に逮捕。2017年獄中で病死。
④斎藤和〔実在〕(長村航希):東アジア反日武装戦線「大地の牙」のリーダー。爆破事件で1975年に逮捕。自殺。
⑤黒川芳正〔実在〕(伊藤佳載):東アジア反日武装戦線「さそり」のリーダー。爆破事件で1975年に逮捕。無期懲役。
⑥小林(山中聡):逃亡中の桐島を雇い入れる工務店の社長。
⑦美恵子(影山祐子):小林工務店の事務員。
⑧金田(テイ龍進):小林工務店の先輩社員。
⑨新井(嶺豪一):小林工務店の後輩社員、在日。
⑩たけし(和田庵):小林工務店の後輩社員、中卒
⑪隣の男(甲本雅裕):桐山が住むアパートの隣人。いかがわしい仕事がバレて逮捕される。
⑫番台のおばあちゃん(白川和子):桐山が通う銭湯の番台。
⑬キーナ(北香那 きた・かな):桐山が通うライブハウスの歌手。持ち歌は河島英五の「時代おくれ」。桐山にギターを教えて相思相愛となる。
⑭ケンタ(原田喧太):桐山が通うライブハウスの店主。
⑮AYA(高橋惠子):ラストに登場する、中東でゲリラ活動をしている日本人女性。「桐島君、お疲れ様」とつぶやく。
⑯その他
ⓐヨーコ(海空):桐島の大学時代の恋人。バーブラ・ストライサンドとロバート・レッドフォードの『追憶(1973)』を一緒に観て、霧島が学生運動を熱弁したのに対し、ヨーコは「桐島君、時代遅れだよ」といなす。
ⓑ刑事(下元史朗):隣人を逮捕する刑事。
ⓒラマザン(秋庭賢二):建設現場のクルド人労働者。
ⓓ大倉(安藤瞳):湘南総合病院の看護師。
❺考察1:全般
①2024年1月、末期がんで緊急入院した桐島聡は、本名以外、何も明らかにせずに亡くなったので、犯行動機や逃亡理由は不明のままになっている。
②冒頭に「事実に基づく物語」とあるが、正確には逃亡中の49年間の出来事は、作り手の推定である。しかし、クレジットの最後に多数の文献リストが示されていることから、「事実に近いフィクション」になっていると思われる。
★本作では、2017年9月に桐島と宇賀神が個別に宇賀神社訪れ、橋ですれ違うが、お互い気付かないまま終わるシーンがある。これはフィクションと思われる。1975年、指名手配された桐島と宇賀神は、宇賀神社で9月に会おうと約束したが、爆弾事件の為、この約束は守られず、その後2人は生涯会うことはなかった。宇賀神は2003年に出所したが、霧島はその事実を2017年に大道寺の著作を読んで初めて知った。
❻考察2:足立正生による解釈
①3月に公開された『逃走(2025)』(監督・脚本:足立正生、主演:古舘寛治、杉田雷麟)【以下A作と言う】は、入院中の霧島が、もうろうとした意識の中で、これまでの自分の行動を回顧する形式で構成されている。それは、重信房子と共に日本赤軍を創設した経歴を持つ足立正生監督が、霧島の立場を推定した内容になっている。
②足立正生による解釈は次の2点に要約される。
ⓐ桐島が49年間も逃亡し続けたのは、「逃亡することが彼の闘いである」と考えていたことによる。
ⓑそして、最後に身元を明かしたのは、それが、「自決したり、投獄されたり、生き残ったりした仲間たち」に向けてのメッセージであり、勝利宣言だったのだ。霧島は、自分の信念に忠実に従い、自分に勝利したのだ。
❼考察3:高橋伴明と梶原阿貴による解釈
①本作【以下B作と言う】では、霧島の行動が時系列に従って描かれる。中でも20代~30代が重点になっている。
ⓐ1960年代までの高度経済成長が終わり、1970年代には社会不安が増大した。オイルショックによる狂乱物価、不況、健康・公害問題、反戦運動、赤軍派によるハイジャック事件等々。
ⓑ大学生だった桐島は、労働者を搾取する巨大企業を憎み、武力闘争で打ち砕こうする「東アジア反日武装戦線」の活動に共鳴し、「さそり」の一員として行動する。
ⓒしかし、一連の連続企業爆破事件で犠牲者を出したことで、深い葛藤を抱える。
ⓓ組織は警察当局によって壊滅状態になり、指名手配された桐島は偽名を使って単身逃亡する。
ⓔやがて工務店での住み込みの職を得る。
ⓕようやく手にした穏やかな生活の中で、行きつけのライブハウスで知り合った歌手キーナの歌、河島英五の「時代おくれ」に心を動かされ相思相愛となる。しかし、キーナから愛を告白されると、霧島は、自分ではキーナを幸せに出来ないと、自ら身を引いて涙するのだった。
ⓖ時は流れて、2024年、体調不良で倒れた霧島は、病院に運ばれる。余命いくばくもない桐島がそこで名乗ったのがタイトルの「桐島です」。
ⓗそれから3日後、霧島は何も語らずに死去した。享年70歳。
②監督と共同脚本を担った高橋伴明と梶原阿貴による解釈では、桐島は、不正を憎み、弱者を守る、正義感が強く、思いやりのある人だった。
ⓐアパートの階段が壊れていれば、自発的に修理する。
ⓑ外国人労働者を差別視する後輩を、注意出来ない自分にやり場のない怒りをぶつける。
ⓒ安部首相が集団的自衛権の行使を語るTVを見て、画面にコップを投げつける。
ⓓ相思相愛となったキーナとは、自分では幸せに出来ないと、自ら身を引く。
ⓔメタボ検診を相談された社員に、「政府と企業の金儲けのためのもの」と忠告する。
③工務店で定職を得てからは、穏やかで規則正しい生活をし、友だちも恋人も出来た。なかったのは、住民票、保険証、免許証だけである。
④写真入りの指名手配ポスターが出回っている中で、人目をはばかり、ひっそり暮らすのではなく、都会の社会に溶け込んで、何十年も普通の生活が出来たのは、霧島の優しく穏やかな人間性によるものと思われる。そんな桐島でも、いつでも逃げられるように部屋の窓際には靴と身の回り品を置いていた。
⑤桐島の逃亡理由
ⓐ桐島が「49年間も逃亡し続けた理由」は、「コミュニティに溶け込んで共存出来た」ことが最大の理由だと思う。
彼を雇ってくれた工務店の社長と社員たち、行きつけのライブハウスの店主やバンドマンたち、銭湯の番台のお婆ちゃん、こういった人たちと良好な人間関係を築くことが出来ていたのだ。
★河島英五の「時代おくれ」の歌詞は、霧島の生き様と重なっている。
「昔の友には やさしくて 変わらぬ友と 信じ込み あれこれ仕事も あるくせに 自分のことは後にする ねたまぬように あせらぬように 飾った世界に流されず 好きな誰かを思いつづける 時代おくれの男になりたい 目立たぬように はしゃがぬように 似合わぬことは無理をせず 人の心を見つめつづける 時代おくれの男になりたい」
ⓑもう一つの、「最後に身元を明かした理由」は、盟友の宇賀神が追悼文で述べているように、「桐島が警察に勝ったという自負があった」ためだと思う。病気さえなければ、霧島の逃亡生活は、誰にも邪魔されなかっただろう。桐島に後悔はなかったと思う。
ⓒ最後にAYAが行った「桐島君、お疲れ様」は、霧島への勲章だと思う。
⑥A作とB作とでは、A作の方が事実に近いと思う。
❽まとめ
本作は、自分の信念を貫いた霧島の青春物語である。
日本を平等な社会に変えようと武力闘争に走った霧島の夢はかなわなかったが、志を受け止めた人は少なくないと思う。
霧島の行動は決して容認出来ないが、その志には共感する面がある。
昔あったようなシーン
女友達に時代おくれと言われた時「ん?」という主人公の戸惑ったような優しい表情に
気付いたでし ょうか。毎熊さんが演じた男のやさしさは、変わらない高橋監督のやさし
さだと感じた。
映画の終盤で大道寺あや子風の人物の「お疲れ様でした」は、時に爆発しそうになりながらこの時代を生きて高齢になった人達(監督も含めて)への労いのメッセージに聞こえた。
みんなよく頑張ったと。
ごまかしの無い、少しぎこちない、若者が作ったような新鮮な、良い映画でした。
4日鑑賞後の舞台挨拶もよかった。監督の誠実さも感じた。
何もわからないが、ただ目が離せない。
想像と創作でよく撮ったなと思う。同世代の監督からの鎮魂歌だろうか。桐島はまじめな優しい男として描かれる。
爆破事件の逃走犯と優しい男が共存している。なぜ不自由をおして逃げたままなのか、拘束されたくないからか、思想を曲げたくないからか、反省しているのか、いないのか、全くわからない。ただ端々で国を信じていないことは表現されていた。
これだけわからない中で見ているのに、全く退屈しなかった。なぜだろう。
桐島も最初は靴を履いたまま、窓際で寝ていたが、見る側は捕まらないことがわかっているので、サスペンスにはならない。
警戒はするものの、顔は隠さないし、一箇所に長くとどまる。
銭湯のおかみさんや、まともでなさそうな隣人は、彼が桐島とわかっただろう。でも言わなかった。
もし私だったら言うだろうか。言わないかもしれない。警察に連絡する煩わしさを差し引いても。国民の義務には違いない。ただ、よくわからない政治犯を自分が告発する権利、のようなものがあるのか。
昭和の空気感がそれを後押しする。戦争で多くの人が死んだ昭和。同世代ではないものの、同じ昭和に青春を送ったから、どこか切ない、それでいて骨太な、確実に今とは違う何かを感じて、懐かしさがあふれた。
平成、令和、時が止まっているのに身体は老いて病に倒れる桐島。時代遅れを自覚しながら生きた50年もの逃亡人生。同じ職場の令和の若者が、内田さんが死んだら嫌だなあと言う。よかったね、うーやん、と思った。
「桐島」も「うっちゃん」も人物像は浮かび上がらず
「フロントライン」「でっちあげ」と事実に基づいた秀作を観たあとだったからか、古舘寛治さんの「逃走」を見逃してしまって同じ人物を扱った作品だからか、はたまたTVドラマで印象に残る演技をする毎熊さん主演への期待感もあったか、前売り券を買っていた本作。いずれにしても、105分の尺を持て余していると感じるほど内容が薄くて少し期待外れだった。
本人は死の淵に立って本名を名乗って、それから数日で亡くなっているし、取材相手は長いこと勤めていた会社の人たちや常連だったライブハウスの店主と客たちなんだろうけど、深い話は聞き出せていないんじゃないだろうか。
長く働いていて関係も良好そうな職場。だからこそ免許も取れない、健康保険加入の固辞など事情を察するような何かはあったと思うのに、そのあたりは描かれない。会社側も何かはあると思いながら雇っていた後ろめたさでもあるのか、問題を起こさない限りは匿ってやりたかった的な感覚でもあったのか、そんなことは話せるはずもなく、映画でも当然描かれることはない。
結果、あまりに薄くてよくわからないので映画.comにあった監督インタビューを読んでみたら、“うっちゃん”の心を捉えたあの歌は、事実(取材)に基づいたものじゃないとのことでのけぞってしまった(若いときに恋人と観た映画もね)。
素晴らしかった北香那さんの歌もフィクションなんかーーい!長尺だった“うっちゃん”のギターの練習と歌のシーンって、いったい何を見せられていたの?という感覚になってさらにがっかり。
全体的に真実味が感じられなかった理由も、非常に重要な役割だったはずの歌すら、監督の想像上の“うっちゃん”こと桐島の心情でしかなく、事実に基づいてはいなかったからなのね、と妙に納得。今は古舘寛治さんの「逃走」の配信スタートを待ちたい気持ち。
あ、毎熊克哉さんは監督の意図のもとで、一人の人物の50年をよく演じられていたと思う。ライブハウスの最初のダンスのシーンは絶妙なリズム感のなさが巧みで笑わせてもらいました。
「正義」のために不器用に生きた人
若い頃は、誰しも「正義でありたい」と願うものだ。
だが、そのやり方は本当に正しかったのだろうか。
桐島が払った代償はあまりにも大きい。
がんを患い倒れるまで、偽名で肉体労働を続け、実家に連絡したくてもできず、また恋愛もできず、社会の中に存在しながら存在しない者として「逃亡」という名の不自由を生きてきた。
しかも、長年にわたって爆破事件の悪夢にうなされ続けていたという。
かつて交際していた女性は、大手企業に就職するために彼と別れた。
賢明なのは彼女の方であり、多くの人がその道を選ぶだろう。
それでも、桐島は晩年に至ってもなお、
イラク戦争を主導したアメリカに追従する後方支援の方針を掲げた安倍晋三に、
あるいはクルド人や在日外国人への差別発言を見過ごす社会に、
怒りを燃やし続けた「正義の人」だった。
──不器用にもほどがある!
彼が共感していた河島英五の「時代遅れ」の歌詞は、確かに深く胸に刺さる。
私自身にも、「なぜこの作詞者は俺の気持ちがわかるんだ…!」と心を掴まれた曲がある。
苦しかった時期、寄り添ってくれたその一曲は、いまも人生の一部だ。
「日本がこんな国でごめんね」──
その言葉が、今も忘れられない。
補足
①ノンフィクションのていで感想を書いてしまいましたが、本作はフィクションです。
②全編で流れる内田勘太郎のスライドギターも良かった。ブルースファンにも観て欲しい。
③どーでも良いですが、良く行く三ノ輪商店街の場面があり、嬉しかった。笑
④もっとどーでも良いけど、桐島のルックスが友人にソックリで、言おうか少し迷う。笑笑
⑤同じく桐島聡を主人公にした足立正生監督の映画「逃走」も観てみたかった。(気づいた時には、残念ながら終映していた。)泣
焦点が絞り切れていない
テーマの焦点が絞り切れていなくて平板なメロドラマ風になってしまっている。また、全体的に説明的なショット・シークエンスが多かった一方、コーヒーを淹れる場面、歌唱の場面等必然性が感じられない場面もあり全体的に単調な感じがした(一貫して流れている同じ調子のギターのBGMも単調さを後押ししている)。
監督のロマンティシズム・センチメンタリズムは反映されているのかもしれないが、“桐島のリアル”は見えてこなかった。
彼の生き様は海を超えたけど、いずれ再び、日本に戻ってくるのかもしれません
2025.7.9 イオンシネマ久御山
2025年の日本映画(105分、G)
実在の人物、東アジア反日武装戦線「さそり」のメンバー・桐島聡の逃亡生活を描いたヒューマンドラマ
監督は高橋伴明
脚本は梶原阿貴&高橋伴明
物語の舞台は、1970年代の東京
東アジア反日武装戦線のメンバー・桐島聡(毎熊克哉)は、ボスの黒川芳正(伊藤佳範)、同胞の宇賀神寿一(奥野瑛太)とともに、労働環境を改善しない企業に対して、爆破テロ行為を続けていた
世間を震撼させた三菱重工の爆破テロ事件以来、公安は目を光らせていたが、桐島たちはその目を掻い潜って、爆破事件を繰り返していた
ある日のこと、黒川が逮捕されたことをきっかけに逃亡生活に入った桐島と宇賀神は別行動をすることになった
安いアパートを借りて、日雇いなどで生計を立てていたが、桐島は東京を離れることに決めた
湘南の海辺の街に辿りついた桐島は、そこにあった小林工務店に転がり込む
この頃から内田洋と名乗るようになった桐島は、小林社長(山中聡)の信頼を得て、同僚の金田(テイ龍進)たちと佐官などの仕事を行なっていく
会社が借りているアパートで生活を始めることになった桐島は、奇妙な隣人(甲本雅裕)などに警戒をしながら、日々を積み重ねていくことになった
だが、爆破の悪夢を繰り返し見るようになり、穏やかな日は訪れようもなかったのである
映画は、2024年に桐島が病院で名乗ったことをきっかけにして、偽名を使いながら47年間も続けた逃亡生活がフォーカスされるようになっていた
本作はドキュメンタリーではなく、あくまでも架空の話になっていて、このような生活を送っていたのではないかというものを、様々な資料や証言などから構成している
だが、当時を知る人が「=桐島だった」と認識はしておらず、死亡のニュースが流れても、使われたのは20代の頃の写真だっただろう
なので、どこまでの人が「あの時の彼が桐島だったのか」と思ったのかはわからず、同胞だった宇賀神たちの持っているイメージというものが色濃く出ているように感じた
物語は、企業による労働搾取問題に抵抗する様子が描かれていて、それに対抗する手段が爆破テロだった、という時代になっている
学生運動が盛んな時期で、日本赤軍なども活動していた時期なのだが、今の若い世代はほとんど知らないと思う
私の世代でも、生まれた頃に起きた事件で、しかも関東圏のことだから身近に感じることはなかった
全国的に指名手配されているものの、取り立てて興味を持った覚えもなかった
今の時代も労働者の搾取問題は取り沙汰されるが、もっと巧妙で、当時以上に法律の目を潜り抜けているものが多い
現在進行形で様々な問題が報道されているのだが、映画の中の時点でもすでにクルド人の不法滞在問題なども登場しているので、2014年くらいからのパートに関しては聞き覚えのあることも増えてきていた
桐島は、安倍総理の演説にブチ切れたり、新入りのたけし(和田庵)の差別的な発言にキレることもあった
根底にある労働者の搾取構造に対して、どんな運動を行なっても変わらず、ますます悪化していることを肌で感じていたと思う
失われた30年の中で逃亡生活を続けていて、自分の近くに来る人たちも変化してきたと思うのだが、そう言った部分はあまりふれられていないように感じた
ラストでは、中東地域のどこかの武装勢力が描かれ、AYA(高橋惠子)の元にメッセージが届いていた
そのメッセージに字幕がついていないのはアレだが、アラビア語で「神の御加護がありますように。桐島聡氏は亡くなりました」と書かれていた
彼の思想や生き方が現代にも根付いていることを意味し、その行動は国内を飛び出しているということになるのだが、この状況を桐島が望んでいたのかは何とも言えない
それでも、色んな国が辿る道でもあり、未来の日本も転落して高度成長前まで戻ってしまうのなら、同じことが繰り返されるのかな、と感じた
いずれにせよ、かなり訴求する層が少ない映画で、劇中の桐島たちの思想に共感する若者もほとんどいないと思う
人に怪我をさせないと言っても、どこかの工場を爆破させたツケは現場の底辺に押し付けられるだけで、企業の体質が変わるということはない
社会構造が変わっても、企業はどんどん巧妙になっていくだけなので、そう言った時代の中でどう生きていくかというのは二極化していくのかもしれない
どのレイヤーで生きていくかを選ぶ時代になっていて、そう言った構造を根本から覆すよりは、構造の中に新しく自由な構造を作る以外にはない
その方法はたくさんあると思うが、とりあえずは世の中の仕組みを理解して、自分なりの角度で築き上げるしかないのかな、と思った
計算した演技なんだか素なんだか境目が分からない
楽しみにしていた映画。
私としては、結構面白かった。
49年間に渡って逃亡を続けた桐島聡という人物とその思想を、物語の表面的には肯定的に描いているように見えて、実は人生の本質的な部分で、大きな疑問を投げ掛けているように私には思えました。
主役は毎熊克哉さん。
今回の映画でも、計算した演技なんだか素なんだか、いつもの境目が分からないような演技が良かったです。
毎熊さんの相手役に北香那さん。
何にでもなりきってしまう演技が好きです。今回の役はとてもキュートでした
ただし、毎熊さんに60歳を超えてからの演技を求めるのは、ちょっと無理があったのではないかな。
足立vs髙橋夫妻
部活を辞めた謎の人物が登場する作品ではない!笑。
さて、促成された「逃走」(足立正生監督)から遅れること4カ月。高橋伴明監督版の満を持した〈指名手配犯・桐島〉である。足立版はアヴァンギャルドな舞台演劇的な演出やアジテーションシーンがめだった。本作は、映画的な文法で粛々と『内田ヒロシ』として生き続ける桐島を描写していく。しかし映画後半の近年部分になると、安倍内閣の安保法制や、クルドや朝鮮半島へのヘイトといった、果たして桐島のエピソードにあったのか?という製作者の主張のような、興醒めしてしまう要素が目立つ。その点において、髙橋版は〈潔く無い〉と思う。最終シーンで髙橋惠子が大道寺あや子らしき役柄で桐島の冥福を祈る。まあ、そうなるよね。
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