「桐島です」のレビュー・感想・評価
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あんたに謝る資格はないよ
ずるいのでは…?
主役の俳優さんを初めて知ったのですが、手配写真とそっくりに見えました。
逃亡生活、さぞ転々として逃げるのに苦労したんだろう…と思いきや、何と、一つの場所にずっといたなんて…
公安は一体何をしていたんだろう?
飲み仲間がいて、お店で楽しく踊ったり…え?自分より人生楽しんでる!?
でも、あんなふうに別人になって保険証もなく生きて行くより、逮捕されてしまった方が楽だと思ったけど…
甲本雅裕が演ずる、隣の男の存在が面白かったですけど……彼は桐島の正体に気づいてたのかな…?
職場の人はうっすら気づいてたのでは?
自分の罪についてどう考えていたのか、今となってはわからないし、隠れて生きて行くことを選んだこと、後悔してなかったのだろうか?…とか
わからないことが多いけど、真面目で人あたりのいい人であったことは間違いなさそうですね。
そして、彼なりの正義感は、一貫してたようです。
でも…
最後まで謝罪の言葉もなく、50年近くも周りを出し抜いておきながら、亡くなる直前に正体を明かした、なんて
ずるい気がするんですけど。
罪人だとしても、よく生きた
映画でしか撮れないテーマを、よく撮ったと思う。史実に基づくとはいえ、現在もある企業が爆破された事件をテレビドラマにはできない。もちろん彼ら活動家たちの犯罪を讃美するものではないが、あの時代が産んだ人間たちでもあり、そういう人間の生きざまを描くものがあってよい。健康保険証もなしに、よく40数年も生き延びたものだと思う。彼らの行ったことの方法論は間違っていたかもしれないが、彼らの時代認識、歴史や社会の解釈を全否定できるほど、この国は問題がないものではない。安倍首相のあの無理矢理の説明会見が使われていたのも、よく分かる。あの時代の雰囲気を知っている高橋伴明・惠子夫妻だからこそ、撮れた映画と思う。おそらく桐島の人生は詳しく知りようがないのだろうが、それをよく想像で埋めている。見てよかった。
逃亡者の日常
【”若さ故の大きな過ち。だが・・。”今作は、時代遅れの男の半世紀に亙る生き様を、淡々と、だが流れゆく時代を背景に描き出した作品。随所で高橋伴明監督らしいシニカルなシーンが盛り込まれた作品でもある。】
■鑑賞理由
・私が法律を学んだ大学は反権力の気風が横溢しており、それ故に革マル派の残党の”貴方、本当に大学生ですか?”みたいなオジサンが学内に数名居り、正門にはデカデカと“打倒、日帝‼”とか”寮費値上げ断固反対!”とか時代遅れの立て看板が置かれていたり、偶に授業に出ようとするとバリケードが築かれていて授業が中止になったり、学校に向かっている途中で、警察手帳を見せられ公安に色々と質問されたりした。(ご存じの通り、警察は大学には事件が無いと入れない。大学には自治権があるからである。)
一番嫌だったのは、数カ月に一回行われる学生側と大学側との団体交渉に強制的に出席させられた事である。学生側と言っても、前列に居るのはオジサンばかりで(7.8回生)団交時間は異様に長く、嫌になったモノである。
更に頭に来たのは,級友の数名がソッチ系の寮に入寮してしまったために、洗脳されて学校に来なくなった事であろうか。
故に、今作も”テロを起こし、多数の人を殺傷した組織と関係していた男の死に様を見てやろうじゃないの!”と言う感じだったのだが、イキナリ肩透かしを食らってしまった。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・桐島を演じた毎熊克哉さんの、冒頭から思想の”時代遅れ”をガールフレンドに告げられ、一方的に別れを言い渡されるシーンや、事件後に同じ”さそり”の宇賀神(奥野瑛太)達と工事現場で土方として働くときの、ひ弱な姿に可なり戸惑う。
・そして、桐島が内田という偽名を使いながら、アッサリと土建業に就職し、仲間達と日々過ごす姿が淡々と描かれるのである。
■彼が、行きつけのバーで出会ったキーナ(北香那)が歌う”時代遅れ”を聞き、涙し、アパートで独りギターを抱え練習する姿や、キーナ達と楽しくボーリングをした後に、彼女に告白された時には”私はそんな・・。”と言いながら後ずさりする姿など、何処にも政治思想犯の面影はないじゃないか、と思っていたら、
工事現場で若い同僚が、”クルドの連中に働かせればいいじゃないですか。”と言った後に、クルド人作業者から入国管理局の杜撰な対応を言われ”ごめんなさい、こんな日本で・・。”と頭を下げたり、外国人作業者蔑視の発言に激昂したり・・。
一番、印象的だったのはアパートのTVに故宰相が得意満面で特定機密保護法可決の際の自説を述べる姿を見て、桐島がTVを叩き壊すシーンである。
ここは、高橋伴明監督らしい皮肉が炸裂しているし、良く映倫を通ったモノである。
何故なら、ご存じの通り特定機密保護法には【テロ防止】も含まれているからである。
・桐島が仲良くなった隣人(甲本雅裕)が泥棒だったために警察に逮捕されても、彼は公安に捕まらないのも高橋伴明監督らしい皮肉が込められているのである。
<そして、桐島は末期がんを患い、健康保険も無いまま入院し、末期に半世紀ぶりに本名を名乗るのである。
その報を知った、アラブの何処かに居る超法規的措置で釈放されたAYA:大道寺あや子(高橋恵子)は、ムスリムの姿でライフルを抱えながら”お疲れ様・・。”と笑顔で呟くのである。
今作は、時代遅れの男の半世紀に亙る生き様を、淡々と、だが流れゆく時代を背景に描き出した作品であり、随所で高橋伴明監督らしいシニカルなシーンが盛り込まれた作品でもある。>
<2025年7月20日 刈谷日劇にて鑑賞>
意外とよく描けている作品
桐島ですを観たが、予想以上に良かった。事実をしっかり描いていて脚本、時間設定も分かりやすく見事。桐島は偽名で生きてきたが、心が優しい人物だった事をこの作品で知った。桐島が関わった事件は置いといて優しさを貫けば、人からも信頼されるとこの作品から教えてくれた。桐島の人物像の描き方も丁寧で素晴らしかった。
49年の逃亡の重みを感じなかった
行間や語らない桐島の姿から感じるべきなんだろうけど、葛藤しながら逃亡している49年(!)の重みがあまり伝わらなかった。
それでも桐島の人間性の明るさからか、生活の中で仲間もできて、そこそこ楽しんでる姿はよかった。
あの歌は時代と桐島にベストマッチだったけどキーナの歌うシーンだけでよかったな…
隣の部屋の謎の男がツボでした。
いい味出してます。
70年代から逃れようとしても逃れられない
死ぬときは本名
こういう映画はあとにも先にもなかなか作られないでしょうね。
毎熊克哉さんは実際、顔ちっちゃいし、これまでの出演作品の役柄に似合わず、非常におとなしそうにみえます。
若松組の止められるか俺たちをにも出てました。
新宿武蔵野館の喫煙ルームで元連合赤軍の足立正生監督に激似のおじいちゃんから、
「いい映画だったね〜、あなたみたいに若い人にはピンと来ないだろうけど、我々の世代はとても他人事ではなくてねぇ。主演俳優がよかった。20代から70代までね。ところで 国宝は観ました? 」
「えぇ、ちょうど昨晩観ました。」
「イマイチだったねぇ。役者は頑張ってたげとね。」
「そうですね····」
自分自身はなんの得にもならない闘争(逃走)の当事者。
いつの間にか見なくなった重要指名手配犯のポスター。愉快犯としか思えない笑顔のメガネ男。
高橋伴明監督作で北香那出演なので、期待したホニャララは不発だったけど、観てよかった。
北香那、来たかな〜
ストライク キタ〜
内田勘太郎(憂歌団)のドブロギター👍
板谷由夏主演の「夜明けまでバス停で」を観た人は観たほうがいい。
しかし、高橋惠子出すまで引き伸ばす引き伸ばす😎
覚悟されたし。
河島英五の時代おくれ
1日2杯で収まればいいんですがねぇ。
酔っ払うのも1年に一度ですめばいい😎
今夜は久しぶりに弾き語りましょうかねぇ
過激派リブズ
目立たぬように、はしゃがぬように、似合わぬことは無理をせず、時代遅れの男になりたい
死ぬ間際に実名を明かした、逃亡犯桐島聡。
いたるところでよく見かけた指名手配写真の容貌からは、優し気な印象さえ受けた。その彼がどんな行動をして、どう逃げて、どう最期を迎えたのか、たぶんにフィクションを交えた一部始終。監督は高橋伴明で、妻の高橋惠子も大物役でカメオ出演している。そこに夫婦の思想背景が見え隠れしているに思えた。脚本家が気になってみたら、彼女は実の父親が指名手配されて自らが14年間の逃亡生活を経験しているという。その生い立ちが今回の映画にリアリティを持たせているのだろう。工務店での実直な勤務態度、行きつけの飲み屋、ボーリング大会などの仲間との交流、、、実際の桐島は、まさにこんな日々を過ごしたのだろうか。そう懐疑的な視点で観ていたが、そうでもないと何十年も逃げおおせるわけはないのだろうな。そして、最期に名乗ったのは、警察への勝利宣言か。いや、自分はここにいる、捕まりたくはなかったけれど、自分を忘れてほしくはないという一抹の叫びのように思えた。その桐島を体現した毎熊克哉、適役であろう。
同志であった大道寺の句集の表題句「棺一基 四顧茫々と 霞みけり」もしみじみと沁みた。内田勘太郎の奏でる泣きの旋律もじんわりと沁みた。
なんとも微妙で絶妙
何ものにもなれなかった男の青春コメディ
連続企業爆破事件のころに小学生だったので、よく覚えている。桐島の手配写真は毎月行く近所の散髪屋に貼ってあったし、馴染みの顔に犯罪歴。この人が一体どんな人生だったのか興味を持って観た。客席は彼と同じ世代と思しき人が多かった。なし崩し的に巻き込まれていく桐島、逃亡続ける桐島、世代に取り残される桐島、真面目に働く桐島、ライブハウス通いする桐島、丁寧に描かれている。それだけに思想的にも活動にも全く共感出来ない自分には「青春コメディの良作」だった。最後に出てくる過激派のコメントすら時代錯誤と身勝手な自己正当化に吹き出しそうになった。おそらく〜だけど、桐島はそんな彼らを観てもしらけきった顔をするんじゃないだろうか。
謎しかない
この事件は
私が生まれる前のことなので、事件のことで
知らなかったことを知ることが出来るかも!と期待して、観ました。
結果、報道以上のことは何にもなかったです。
桐島さんは入院してから、どこまで話せたのかなぁ……
何も解明しないまま、「桐島くんの勝利だ」と無理やり終わりました。
そもそも最初の事件すら、途中からいきなり始まった。
桐島さんの学生時代を窺わせるのは、恋人との映画鑑賞後のデートくらい。
同志は、桐島さんが湘南を選んで潜伏していた理由は
仲間との約束の地だとか、仲間と同名の神社があったからだとか、
当時と繋げたがってたけど、私はそうは思わなかった。
故郷の雰囲気に似ていたんじゃないかな……
家族も友達も学友も未来すらも、何もかも捨てて
自分の考えを優先させて生きては見たものの、
やっぱり故郷が恋しかったんじゃないのかな。
自分が幸せじゃないと、相手を幸せにすることは出来ない、
どんなに良い人をやってても……
そんなこと、思いました。
その生涯をもって反面教師とした意味があったThere was meaning in a life that served as a warning to others.
そうか、あのニュースは去年か
と改めて思った。
主な駅で、
通勤の時によく見かけていた
あの顔をした人物のお話だ。
55歳になった身としては、
当時の爆破事件の経緯は
あまりにもガキ臭いという印象を持ってしまった。
20代、30代、40代で印象は違っていたかも知れない。
ただ、目指したいことと
それに向けての手段が、
本当にそれしかなかった?
本当にその方法しかなかった?
力を持ち、行使するとは?
という観点があまりにも欠けていて
清濁合わせ飲むことができない連中が、
世の中を変えるぞ!と息巻いている様子が見えて
うすら寒くなった。
描かれる逃亡生活は
あまりにも平凡で、
違いはいつでも逃げ出せる用意があることくらい。
世の中を変えるということは
たくさんの人と交わることとイコールだと思う。
なんかそういうのが苦手な頭でっかちの
エリートだと思い込んだ若者が
どれだけ集まっても、
よほどの天才でない限り、
何もできないというのを
示した意味くらいしかないように感じた。
彼らの方法は、上手くいかないと
その生涯を持って広く知らしめたことは
意味があったか。
その意味で、この失敗は広く知られるべきだし、
同じ方法はやめておけとはっきり言える。
別の方法を考えろと。
これ、本当の意味での反面教師だと
映画を見終わって、そう思った。
So that news was just last year—
I thought again.
It’s about the man whose face I used to see often during my daily commute at major stations.
Now that I’m 55,
the whole story of the bombings from back then feels overwhelmingly juvenile.
Maybe I would’ve felt differently in my 20s, 30s, or 40s.
But still—
Was that really the only way to pursue what they wanted?
Was there truly no other path?
What does it mean to have power, and to exercise it?
They seemed completely lacking in that perspective.
What I saw was a group of people unable to accept complexity,
riling each other up, shouting, “We’re going to change the world!”
And frankly, it gave me chills.
The fugitive life portrayed in the film was
so ordinary it was almost mundane,
the only difference being that they were always prepared to run.
To change the world, I believe,
is to engage with many people.
But no matter how many so-called elite young people—
awkward with human connection yet convinced of their own brilliance—
gather together,
unless they’re extraordinary geniuses,
they won’t accomplish anything.
That, at best, is what their lives came to represent.
And maybe there was meaning in that.
In that sense, their failure should be widely known.
We should say it clearly:
Don’t choose that path.
Find another way.
That’s what I truly felt after watching the film—
that this was a genuine lesson in what not to do.
やはり美談にするには無理がある
顔は手配書で多くの人が知っているが、どこで何をしているか本人が死の床で名乗り出るまでは全く分からなかった謎の人物「桐島聡」の物語。
自ら「逃亡」という選択をしたため、その生い立ちは学歴はわかっても、大学入学までのエピソードはほぼ紹介されない。遺族は全ての関わりを拒否し(当然と言えば当然だが)取材が出来なかったと思われる。その一方で、同志であったU氏は取材協力者として名を連ねている。なので爆破事件にいたる経緯については非常に詳しく描写されている。取材協力者によって大きくストーリーは変わってくるのかなと思う。長い長い逃亡中のエピソードは日記など記録に残るものを残さなかった故、乏しく創作や、多少盛って行かざるを得なかったと思う。いい人エピソードも幾つか紹介されているものの、実際の桐島氏は基本的には厳しい生活だったと容易に想像出来る。
エピソードの中で私が刺さった事を一つネタバレにならない範囲で紹介すると、それは前述のU氏が10年以上前に刑務所を出所したことを知った時の桐島氏の衝撃かなと思う。まともに取材できたのが、U氏だけと思うので(私の勝手な思い込みです。)この映画はU氏による桐島氏への鎮魂の意味が入っていると思う。そう考えると悪い映画ではないが、やはり美談にするには無理があると思う。
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