「桐島です」のレビュー・感想・評価
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逃亡の理由
本作は、死者を悼む映画だ。桐島氏は恐ろしい極悪犯やテロリストではないと、劇中で繰り返し歌われる「時代おくれ」をなぞるようにして、彼の半生がじっくりと描かれる。暴力的な役柄から生真面目、内向的な人物まで、作品ごとにガラリと印象を変える毎熊克哉さんが、20代から70歳までを見事に演じ切っており、目が離せなかった。
彼の寡黙な佇まいに加え、繰り返し描かれる部屋の様子と、朝のルーティンが印象的だ。(アーケード街や映画館などもとてもリアルで、往時に迷い込んだような錯覚をおぼえた。)年を重ねるにつれ、部屋の調度品は増え、変化していく。それは、彼の心の余裕の有無や、他者との繋がりをうかがわせる。追われる前の彼は、パフェを食べたりあんみつを食べたりと甘党の様子だったが、逃亡生活パートでは、朝のコーヒーに落とす角砂糖だけが甘味。酒を飲むシーンが増えていくが、時にはお菓子を口にしたのだろうか。(もし、キーナとギター練習の合間に板チョコを分け合って食べたりしていたら、彼らの人生は変わったかもしれない。)また、個人的には、マグカップだけは使い込んでいくのかと思っていたので、節目節目でカップが変わっていくのは意外だった。靴とバッグを常に手元に置いておくのと同じ、逃亡生活を送る上のルールなのだろうか。
一方で、なぜ彼が逃げ続けたのかが、私には合点がいかなかった。破壊活動に一般市民を巻き込んではいけないと発言し、逃亡生活中も周りに親切な人物であったならば、仲間が捕まるなかで、なぜひとり逃げ続けたのか。自分たちのしたことは犯罪でないというならば、単身でも次の「行動」に出たようにも思うが、とにかく彼は身をひそめ、(逃亡というより)隠遁生活をじっと続けていた。死人に口なしで分からない、と言えばそれまでだが、本作なりの答えが示されていたら、もっと芯がある作品になっていたのではと思う。ゆえに、老いていく後半は、彼と周りのずれや、彼が抱く違和感や焦燥が、加齢や時代の変化に片づけられてしまうようで、少し惜しい気がした。
高橋伴明監督・梶原阿貴脚本の前作「夜明けまでバス停で」が、コロナ禍の閉塞に風穴を開け放つ作品だとすれば、本作は、和紙がじわじわと水を吸い破れていくような、静かなる崩壊を描いた作品だと思う。いずれにせよ、対として味わうことで、「バス停」が、ようやく自分の中で腑に落ちた気がした。
時代遅れ
空白の時間に宿る現実
青春映画風にして逃げてる感じがした。
穏やかだがどこか寂しい約50年の逃亡生活
自分が子どもの時からいたるところに貼られていた手配書で名前と顔を知っていた桐島聡。逃亡中の彼が末期ガンで入院している病院で「桐島」を名乗ったことで報道されたことを覚えている。50年近くの逃亡生活はどんなものだったのか興味があって本作を観ることに。もう一つ観ることになった要素が脚本の梶原阿貴。テロ事件で指名手配され逃亡生活を送っていた父親と同居していた過去を持っている彼女の脚本に興味を持ったから。
日本の学生運動が徐々に過激化し、内ゲバやテロ行為に走っていったことはいろんなものを見聞きすることである程度知ってはいた。本作に登場するのは、あのあさま山荘事件の後の事件。どの爆破事件も知らなかったが、連合赤軍が起こした事件よりは思想的にまだ理解できる(犠牲者が出ていることには全く同意できないが)。本作でも一般の方が巻き込まれることを是としない考え方が色濃く出ていたのは興味深い。
さて、内田と名乗り逃亡生活を送る桐島の姿だが、予想以上に穏やかなものに見えた。いや、もちろん女性と深い関係を持つことはできないし、自らの罪に向きあっていたと思えるシーンもあったから、いろんな制限があったとは思う。でも、行きつけのバーでライブ演奏を楽しんだり、常連客たちとボーリングをする姿など、好きなものをそれなりに楽しんでいた生活に思える。また、部屋にあるものが歳を重ねるごとに徐々に変わっていったり増えていったりするのは、彼の生活の充実度を示すものだ。他にも、朝のルーティンであるコーヒーを飲むシーンも、使っているものが少しずつ変わっていっても同じことを繰り返す彼の几帳面なところを表現するうまい演出だった。
テロ事件の犯人の逃亡生活と考えると、その穏やかさは簡単には受け入れられない。でも、桐島聡という1人の人間の生きざまを描いた物語としては面白かった。死を目前に自分を偽りたくないと考えたところも。でも!と思う。50年近く逃亡する価値のある思想だったのかと。そんなに意義のあった活動・運動だったとは思えない。そんなことを考えるからこそ、彼の逃亡生活はどこか寂しいものに見えてしまうのだ。
最後に桐島を演じた毎熊克哉が本当に絶妙だったことも触れておきたい。彼の朴訥で優しさが溢れる、それでいて内なる熱さも秘めている演技は素晴らしかった。そして北香那の存在感。彼女の歌声で「時代遅れ」を久々に聴いてみようと思ってしまった。
桐島の人生の一端を知る作品
末期癌で入院して素性を明かした桐島。
それまでずっと小林工務店で内田洋として
うーやんの愛称で呼ばれて働きながら生活していたとは。
よくバレなかったなと率直に思う。
バレそうになったことは劇中同様あったとは思うが、
自分を目立たぬように、影のように潜伏し続けるのは相当な覚悟であったろう。
そのあたりは、キーナ(北香那)の告白を受け入れられない桐島に
その一端を感じた。
桐島が満たされていたであろう、若い時分の小林工務店時代の
キーナとの出会いやパブ?でのはしゃぐ姿、ボーリングを楽しむ姿など、
ここに時間を割き、桐島が普段何を考えて潜伏していたのかは
直接的には描かれず、ビル爆発で毎朝目覚め、安倍首相のスピーチ中に
テレビを壊す、外国人に対する姿勢など、、描き方で人格を表現していた。
客観的に桐島を知るきっかけとなり、学びとなる作品であった。
善良無垢な逃亡犯の話しは、毒にも薬にもならぬ。
目立たぬように、はしゃがぬように
東アジア反日武装戦線のメンバーとして指名手配を受けながら50年近く逃走を続け、昨年病院で亡くなる直前に本名を名乗り出た桐島聡氏を巡る物語です。同じテーマを扱い、今年3月に公開された足立正生監督の「逃走」と対を為す作品と言ってよいでしょうか。
劇中何度も歌われる河島英五さんの歌でお馴染みの「時代おくれ」の歌詞「目立たぬように、はしゃがぬように」こそ彼の望みだったんじゃなかったのかな。それは単に警察から逃れる為にでなく、本当にそんな風に生きたかったんだと思えました。一方で、これも本作で描かれる様に、安部晋三のスピーチに怒り、いつまでも変わらない外国人ヘイトに苛立ちを募らせていたのではなかったでしょうか。それもこれも誰にも分らぬ事であり、想像するしかないのですが。
「逃走」をも「闘争」と読み解く足立正生監督作(これはこれで足立監督らしくて良いのですが)より僕には人間の姿がはっきり見えました。「人の一生って何なんだろうね」と帰り道に考えてしまったと言う事は本作に力があったと言う事です。
名もなき人に名を与える
自首してればどうなってたのか
低予算ながら、長い歳月の描き方が秀逸
気になっていた高橋伴明監督の作品。
1970年代の連続企業爆破事件の指名手配犯、桐島聡が、約半世紀におよぶ逃亡生活の後、最期は本名で迎えたいと素性を明かし、その直後に他界。その知られざる生活を描く。
1970年代、反日武装戦線の活動に共鳴した大学生の桐島聡は、連続企業爆破事件の被疑者として全国指名手配となるまでの部分が前段で描かれるが、スクリーンの空気感は高橋伴明ワールド。
その後、偽名を使いながら逃亡生活を続け、内田洋として、藤沢にある工務店で長きにわたり真面目に勤め、質素な暮らしを送る中、音楽を愛する姿などとともに、「ウーヤン」と呼ばれ、周囲から信頼され好かれる存在となっていく。
その間の葛藤、その軌跡をフラッシュバックを交えながら、ストーリーとして展開していくが、その中で専ら善人として扱われているにも関わらず、結局自首するに至らなかった彼の人生には違和感を禁じ得なかった。
一方、他界するまで主役を演じた毎熊克哉が好演。インスタントコーヒーを飲むシーン、歯を磨くシーンといった日々のルーティンを描きながら、アパートの部屋に家財や本が増えて行くさまに、長い歳月をうまく感じさせる演出。
そのルーティンは、映画「パーフェクト・デイズ」と被るものもあり、低予算ながら映画としての造りは秀逸。
子どもの頃、丸の内に勤務していた父から、三菱重工爆破事件の惨状を聞かされており、長年貼られていた指名手配写真が頭に焼き付いていたこともあって、スクリーンに没入できた。
東アジア反日武装戦線の桐島です
心優しき青春映画
1974年の三菱重工爆破事件はリアルタイムでテレビ報道されてたので、悲惨な画像を見て、とんでもないことが起きたと身震いしたことを覚えている。
これは「東アジア反日武装戦線」の「狼」メンバーの大道寺将司ら4人の犯行である。「桐島聡」は「さそり」と称した方のメンバーであり、この犯行には加わっていない。大量の死傷者を出したことに意を唱えたものの、その後の企業爆破事件には実行犯として関わり、間組の作業所爆破事件で重症者を出してしまった。警察の捜査で次々とメンバーが逮捕される中、彼は別人になり逃亡を続けた。同じく逃亡し逮捕された盟友である宇賀神寿一が懲役17年だったことを考えると彼がもし自首をしていたら適切な医療も受けられもう少し長生きしたかもしれないし、何より「桐島聡」として別の第二の人生が過ごせたのかもしれない。
この映画化は学生運動の世代でもある高橋伴明監督によるものだが、「爆弾犯の娘」の著作でカミングアウトした梶原阿貴が脚本に参加したのが大きい。彼女が経験した逃亡生活のエピソードを加えながら約50年の中で関わった人々に取材し、彼が何を考え行動したかを想像し物語を作ったとのことである。(映画パンフの高橋監督によると)この映画は単なる逃亡の物語ではない。彼が逃げ続けたのは人間的優しさがあり、弱い立場の人に寄り添うことができる人だったからだ。一人の人間の青春の軌跡を描いたつもりである。と、。
主演の毎熊克哉は見事にこころ優しき「桐島聡」になりきっていた。彼の代表作になるでしょう。ラストに今も逃亡を続ける大道寺あや子と思われる役を高橋恵子が何処かの紛争地で「桐島くん、お疲れさま」と言っていたが、彼ら彼女らの闘いとは何だったのだろう、。
十字架を背負った男の半生
1970年代、企業に対する爆弾テロを実行し、指名手配されながらも逮捕されることなく半世紀にわたって逃亡を続け、2024年初頭、入院先の病院で「桐島です」と名乗り出た直後に息を引き取った桐島聡。その半生を描いた作品でした。
物語は、1970年代中盤、20~21歳だった桐島が爆弾テロを実行する場面から始まります。その後指名手配された彼は逃亡生活に入り、お話は1990年代に。この時代はほろ苦い恋愛経験が描かれ、2000年代には勤務する工務店での後輩との関係性、2010年代には安倍政権による解釈改憲と集団的自衛権容認に対する怒り、そして2020年代には病との闘いと死に至る姿が、情感豊かに、丁寧にドラマ化されていました。
本作は基本的に、テロリストである桐島を好意的に描いており、その点については賛否があると思われます。ただし、彼のテロ行為の動機には、戦前・戦中の日本企業による朝鮮人や中国人労働者の酷使と搾取、そして戦後に至っても同様の構造が大企業によって継続されているという現実への強い批判がありました。桐島らは、それらに掣肘を加えるという意志を持って行動しており、少なくとも“物語”としては一貫性と説得力を持っていました。
さらに、2000年代以降の桐島は、在日韓国人や在日クルド人といったマイノリティに対する差別に対して激しい憤りを感じており、共に暮らし、支える姿勢を貫いています。戦前から続く民族差別が、現在でも根強く、むしろ表面化しやすくなっている現実社会において、彼の姿勢は多分に今日的な意味合いを帯びており、そうした意味で物語全体に古さを感じさせませんでした。
映画としての最大の見どころは、主演の毎熊克哉が演じた桐島聡の存在感でしょう。実際の桐島聡の人物像を知る人はほとんどいませんが、指名手配写真と映画のチラシにある毎熊の姿は非常に似通っており、その再現度の高さだけでも一見の価値があります。
特に印象的だったのは、1990年代の“恋愛編”とも呼べるエピソード。若き歌手・キーナ(北香那)からアプローチを受けながらも、逃亡者として背負った十字架ゆえに彼女の気持ちを拒まざるを得ないという切なさが胸に迫ります。河島英五の名曲「時代おくれ」の「目立たぬように、はしゃがぬように、似合わぬことは、無理をせず」という一節を桐島が熱唱するシーンも、彼の孤独と信念を象徴しており、とても印象深い場面でした。また、爆破事件の夢に何度もうなされて目を覚ます描写も、彼の葛藤や後悔を静かに浮かび上がらせていたように感じられました。
そして、死を目前にした病室で「桐島です」と名乗り出る場面は、映画的にも、そして現実の出来事としても強い印象を残します。既に他界しているため真実を確かめる術はありませんが、半世紀にわたって偽名で生きてきた彼が、最期の瞬間だけでも本名を名乗りたいと願ったのだとすれば、それはごく自然な人間の感情であり、静かに胸を打つ場面でした。
そんな訳で、本作の評価は★4.0とします。
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