「社会派映画というより青春映画の良作」「桐島です」 KaMiさんの映画レビュー(感想・評価)
社会派映画というより青春映画の良作
こういう言葉がある。若い時に社会運動に関わらない人は「心」が足りず、年をとって社会運動している人は「頭」が足りないと。
映画の主人公、桐島は「心」も「頭」も出来上がっていない段階で左翼運動に関わってしまったのではないか。年齢的にリーダーたちより下ということもあるだろうし、過激な事件を起こす割には寡黙で、態度が受動的すぎる。
若さゆえのエネルギーや「無限の可能性」というものを持て余したとき、周りと同じような遊びや就活にいそしむ気にもなれず、社会運動や宗教、または音楽や演劇に身を投じる。そうやって、手に負えない「若さ」が過ぎ去るのを待つという生き方があると思う。
正義感はあるけれど言葉にするのが苦手、誠実だけど自律性を欠いた桐島の人柄が毎熊克哉さんによく重なっていた。
東アジア反日武装戦線が起こした事件は、本当の人生の前のプロローグに過ぎない。工務店の労働者として世間の目を離れて生活し始めたときが、桐島の青春の始まりだったのではないか。祭りは終わり、脛に傷を抱え、でも地に足が付いた生活が始まったのだ。
同じように社会の周辺に追いやられた工務店の仲間や、一緒にボーリングをするライブバーの常連たち。繰り返される毎日を丁寧に過ごし、少しずつ世界が広がっていく様子はまるで映画『PERFECT DAYS』のようだ。
恋をしても相手を幸せにできない場面は、やっぱり切ない。
桐島は最後まで、過激派を続けるわけでも、運動を卒業して多数派に合流するわけでもない生き方を続けたのだろう。学歴の低い工務店の若者が外国人を蔑視することにもだえながら、彼本人に怒りをぶつけることはない様子に、それが表れている。
実際に負傷者を出した犯人なのだから、この態度を生ぬるいと思う人もいると思う。しかし、桐島は運動を一概に是とすることも非とすることもできず、葛藤し続けることを自分に課したようにも思える。
この映画が描いているのは逃走なのか、闘争なのか、償いなのか。明確な答えを与えるよりも、社会の周辺にこういう人が生きているという手ごたえを与えてくれる映画だったと思う。
