「トム・クルーズの超絶アクションを観るためだけのシリーズになってしまったのが残念」ミッション:インポッシブル ファイナル・レコニング おきらくさんの映画レビュー(感想・評価)
トム・クルーズの超絶アクションを観るためだけのシリーズになってしまったのが残念
冒頭は引き込まれた。
トム・クルーズ演じるイーサン・ハントが敵に捕まり拘束され、「これはもうどうすることもできないのでは?」と観客に思わせてからの、イーサンが知恵を使って敵を欺き、危機を脱出する展開は、まさに『ミッション:インポッシブル』シリーズの醍醐味。
しかし、本作ではこのような知略で状況を打開する場面が、残念ながらこの一箇所だけだったように思う。
その後のピンチは、ほとんどが他の人物の助けによって解決してしまう。
『ミッション:インポッシブル』シリーズのもう一つの魅力である、トム・クルーズの超絶アクションは、映画の後半に集中している。
そのため、中盤の一時間ほどは、個人的には退屈に感じてしまった。
ネットの情報に踊らされ、狂信的な行動に走る民衆というテーマは非常に現代的であり、それを暴走したAIが生み出しているという構造は興味深かった。
しかし、物語はその方向へ深く掘り下げられることなく、AIによる「第三次世界大戦」や「核の乗っ取り」といった、大味なアクション映画によく見られるような、厨二病的陰謀論に終始してしまい、個人的には全く興味が持てなかった。
設定だけが複雑で、堅苦しい会話が延々と続き、演技や音楽も重々しいため、物語に入り込めない観客にとっては拷問に近かった。
英語音声では「エンティティ」と呼ばれているものを、日本語字幕でいちいち「それ」と表示させるのは、訳者のエゴが強すぎると感じ、イライラした。
トム・クルーズが体を張ったアクションを見せ始めてからは、眠気が一気に吹き飛んだ。
トム・クルーズが海溝に落下する巨大潜水艦から脱出する場面は、トム・クルーズの凄さはもちろんのこと、この壮大な舞台を用意した設営スタッフ(CGの可能性もあるが)の力量に感嘆。
ポスターにも使われている場面は、シリーズ5作目の『ミッション:インポッシブル ローグ・ネイション』冒頭のジェット機への張り付きシーンや、2015年公開の『007 スペクター』オープニングのヘリコプター内での格闘シーンを100倍凄くした感じ。
映画史に残るアクションシーンと言っても過言ではないだろう。
このシーンを観るためだけに映画館に足を運んでも後悔しないほどの迫力だった。
あまりにも危険なアクションの連続に、「いつ死んでもおかしくない」というよりも「なぜ無事なんだ?」と驚愕せずにはいられないレベルだった。
前半の退屈に耐えた甲斐があった。
もしこの場面がなければ、客席で暴れていたと思う。
ラストで、イーサンがなぜ助かったのかの理屈が個人的には理解できなかった。
また、超絶アクションが終わった後は、観たいものは見終わったので、物語を早めに切り上げてほしかったのだが、その後も説教臭い話が延々と続くのは残念だった。
本作の作り手たちは、アメリカ大統領選でまさかトランプが再選するとは思っていなかったのだろうな、と思わせるような大統領の描き方だった。
序盤で驚異的な変装技術を見せていたが、顔バレしている相手を探す場面でこそ変装するべきでは?と感じた。
一人の犠牲によって大勢の命が救われるという展開は、HBOドラマ『チェルノブイリ』を彷彿。
個人的には、本シリーズでは4作目の『ミッション:インポッシブル ゴースト・プロトコル』と5作目の『ミッション:インポッシブル ローグ・ネイション』が至高。
それ以降の作品は、トム・クルーズの超絶アクションを見せることが主眼となり、脚本はそれを盛り込むための後付けのように感じられ、物語そのものの魅力が薄れ、映画を観ている時間が苦痛に感じることが増えたのは非常に残念。
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