「ストーリーテリングへの一考察」ミッション:インポッシブル ファイナル・レコニング Ainamoto0217さんの映画レビュー(感想・評価)
ストーリーテリングへの一考察
先行公開初日に、『ミッション:インポッシブル/ファイナル・レコニング』を鑑賞しましたが、正直、伊上勝氏の爪の垢を煎じて飲んで欲しいと思いました。
以下、その理由を書きます。
伊上勝氏は、『仮面ライダー』や『仮面の忍者 赤影』といった日本の特撮テレビドラマにおいて、数多くの脚本を手がけたことで知られる脚本家です。彼の脚本は、複雑な背景説明よりも、視覚的なインパクトとスピーディーな展開を重視した「紙芝居的」とも評される独自のスタイルを確立していました。各エピソードが独立した面白さを持ち、視聴者を飽きさせないリズムと、アクションや変身シーンといった「見せ場」への巧みな繋ぎが特徴です。不要な説明を削ぎ落とし、観客の想像力に委ねる「省略の美学」も、彼の作品の重要な要素でした。
前作をNetflixで復習し、万全の態勢で臨んだ『ミッション:インポッシブル/ファイナル・レコニング』でしたが、正直なところ、期待とは異なる点がいくつか見受けられました。
本作は、見事なアクションやスタントシーンの連続で観る者を引きつけます。しかし、その一方で、物語の運びについては、伊上勝氏の洗練された「省略の美学」とは対照的に、やや説明過剰に感じられる場面がありました。複雑なプロットや世界征服を企むAI「エンティティ」の脅威に関する説明シーンに多くの時間が費やされているにも関わらず、それらが単に派手なスタントのための理由付けのように見えてしまう瞬間があり、物語全体の推進力よりも個々の見せ場が優先されているような印象を受けました。まあ、それは前作も同様だったのですが、ますます劣化しているように感じました。
原作のテレビシリーズ「スパイ大作戦」はもちろん、かつてのシリーズにあったような、巧妙な駆け引きやコンゲーム的な要素が希薄になり、まるでRPGのお使いゲームのように、決められたフラグを淡々とこなしていくような印象を受けたのは大変残念な点です。
また、登場する女性キャラクターたちの描写に一貫性が欠けるように感じられる場面があり、それぞれのキャラクターの行動や心情の変化が場当たり的に映ってしまうことも、感情移入を難しくする要因となりました。
時間制限が迫る緊迫した場面の演出も、前作から引き続き、何度も繰り返されましたが、キャラクターの緊迫感や悲劇感よりも技術的な描写が勝ってしまい、いまひとつ盛り上がりに欠けるように感じられました。
さらに、特殊な状況下での潜水シーン関連における描写など、リアリティラインがブレているように見える箇所もあり、「省略」と「ご都合主義的な出鱈目さ」を混同しているように感じられたのは否めません。
伊上勝氏の脚本なら、冒頭シーンはOPミュージックが終わったら場面転換して、サッと違うシーンに繋いで、観客の興味をリフレッシュさせるでしょう。それが、本作ではモタモタしています。もっと、やりようは十分にあった筈です。
もちろん、トム・クルーズをはじめとするキャスト陣の身体を張ったアクションは圧巻で、その迫力には目を見張るものがあります。
しかし、伊上勝氏が「見せ場の密度管理」と「観客への信頼」によって、たとえ荒唐無稽に見える展開であっても、観客を物語に引き込み熱中させた手腕と比較すると、本作はアクションの物理的な凄さに対して、物語やキャラクターへの感情的な繋がりが弱く感じられました。
総じて、『ミッション:インポッシブル/ファイナル・レコニング』は、個々のアクションシーンの完成度は高いものの、ストーリーテリングにおいては、かつての伊上勝氏が持っていたような「説明しない勇気」や「見せ場の純化」といった、観客の想像力を刺激し、物語世界に没入させる力が弱まっているように感じられた作品でした。
本作は、いわば前作の繰り返しで、やっていることは、ほぼ同じであり、観客の期待を良い意味で裏切るような斬新な驚きや感動がありません。4億ドルかけるなら、もっとストーリーラインに気を配って欲しい、と思うのはわがままでしょうか。せっかくの身体を張った決死のアクションシーンが、非常にもったいない気がしました。次回作に期待します。
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