異端者の家のレビュー・感想・評価
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異端者論破バトル
ヒューグラントが愛嬌を封じて(時折片鱗は見えますが)、話し出すと止まらないヤバいおじさんを演じています。口角と眉毛の角度だけで、こうも狂気を滲みだせるものなのかと、驚きました。
予告編からは、SAWシリーズのような脱出スリラーを想像していたのですが、実際にはジグソウで言うところの『ゲームをしよう』が、冒頭かなりの時間を占めます。
そして、そのほとんどが宗教論にまつわる話であり、Mr.リードは結構ぶしつけに、相手の信仰をバキバキに折り曲げようとします。
これが退屈かというと全く逆で、Mr.リードを演じるヒューグラントの妙にテンポの良い語りに、対峙するバーンズとパクストンも、それぞれソフィーサッチャーのしっかり者感とクロエイーストのなよなよ感との掛け合わせで、独特な緊張感がありました。
特にMr.リードが音楽になぞらえて解説するくだりは、なるほどと小膝を何度も打ちました。
私自身は何の宗教も信じておらず、冬になればクリスマスツリーを崇め、正月になれば賽銭を投げに行く無節操な人間なので、いよいよ話が本格的にヤバい方向に進みだしてからは、特にMr.リードの考える宗教の本質が語られる「支配」のくだりで、小膝をパァンと打っていました。それはやはり、自分の中に『何かを信仰すること』に対する忌避感があるからなのかもしれません。
そして、そういう醒めた目線が、少なからず自分自身を救ってきたという自負もあります。
しかし終盤、パクストンが腹部を刺された後、何とか脱出してエンドロールを迎えた後に、ふと思いました。
腹部をまっすぐ刺されて、止血もせずに脱出できるわけがない。それに、首を切られてしばらく経つバーンズが急に立ち上がって、釘付きの角材でMr.リードを叩きのめせるはずがない。
映画で描写されたことが本当に起きたとは、到底思えない。
間違いなく、地下で全員が死んだはずだ。
でも、脱出したのが本当であってほしい。
映画館から出てエスカレーターを下る間、気づくと、いつの間にかパクストンの無事を祈っていました。現実には全く作用しない、スクリーンの中で描写された俳優の演技なのに。一緒に観た友人と駅で別れて家に帰ってからも、まだそのようなことを考えていました。
パクストンの言っていた「他者のために祈る」ことの意味を、観客にちゃんと体験させて、それが功を奏するのも、冒頭の『おじさん独演会とかわいそうな聞き役女子2名』いう土台があるからこそ。
エンドロールが終わった後に、「祈り」という言葉の持つ重みが、フルスイングで効いてきます。
宣伝と本編との乖離に注意すべし
宣伝ではまるでSAWシリーズの様なソリッドホラー映画(ある意味そうではあるが)であるかの様に謳っているが本質は宗教をテーマとした対話形式のサスペンスである。必要最低限の登場人物と場面しか用意されておらずA24の映画でもかなり地味な部類に入ると思うしSAWを期待している人は多いに肩透かしを喰らう事になる。漫画でいうと「チ。地球の運動について」の魚豊や「ひとでなしのエチカ」のピエール手塚等によく見られる作風だ。自分は宗教に対して浅学であると同時に複雑な情念を抱いているタチであの男があんな思想に辿り着いてしまった事が一部は理解できてしまう。思うにあの男と彼女は同じ山を登ったがあの男はただ孤独に頂上だけを目指して彼女は後から登ってくる人達の為に見下ろした事が最大の違いだったのだろう。派手さはほとんど無いが始まりから最後の意味深な終わり方まで「あなたの信じる物はなんですか?」という作り手から観客への問いかけに徹したストイックな一作です。
偏った思想の中に閉じ込められる・・・
映画館へ足を運ぶ映画は、アクションやSFなど画面がハデな映画をよく選びます。やっぱり大画面で迫力に酔いしれたいって気持ちが強いかな。
雑誌や映画館の予告編で、次はこれ観ようって決めることが多かったのですが、最近はテレビCMの影響が大きいです。
本作品も全く情報がなかったのですが、何度もテレビCMで見かけているうちに、洗脳された感じで今回の鑑賞です。
ホンっと面白そうだったんだけどな〜。
ファンの人、ごめんなさい。自分には合いませんでした。
家に閉じ込められるシスターが2人とも魅力的で、それは良かった。ヒュー・グラントの如何にも人が良さそうなんだけど、実は怪しいオジさんにも惹きつけられた。
この3人がメインだから、最初の方は結構見入ってたんだけど、会話劇になったら長い瞬きをしてしまった。宗教絡みの話がチンプンカンプンで、ユーモア交じりの会話に、ついていけなかった。
死について、偏見ともとれる考え方を持つオヤジ(ヒュー・グラント)の怪演は面白かったけど、なんか中途半端な気がした。
【ネタバレになるかも】
平気で人を殺めるかと思えば、オリに閉じ込めてただ生かしておく。シスターを探しに来た教会の人も殺めるのかと思ったら、そのまま帰してしまった。やっぱり彼なりの考え方なんだとは思うけど、なんか腑に落ちない。
悪魔崇拝みたいなオカルト的な雰囲気も醸し出してたんだけど、それっぽい直接的な表現もない。
挙句の果てに、首を切られて死んだと思っていた彼女が、オヤジを倒す。奇跡?
ホラーにしては物足りない。語られる内容は興味がない。思ったほどにドキドキも無い。
ホンっとごめんなさい。自分はこの作品、魅力は感じませんでした。
ホラーぢゃん‼️
サスペンス好きの私はワクワクしながら仕事終わりで映画館へ。
キャンドルのラベルの” Blueberry pie”を見た時には、来たよ来たよーっとゾクゾク感。私まで香りを嗅いだ気分になった。
ヒューの宗教の歴史的変化をモノポリーの変化に例えたあたりは、ウザい教授の長い講義を聞いてるようでイラッとしつつも、ヒューの抑揚のある説明がうますぎて、ホントかよと思いつつも聞き入ってしまった。しかし、ヒューが終始長いセリフで喋りまくっていたのには感心。あんなうんちくをよくも覚えられたな… 更にトーンの強弱、間の開け方、顔の表情に目つき。決して好みの俳優ではなかったが、やっぱ凄い俳優だなと認めざるを得ない。
終盤は、なんだっけ、”Wolf Creek”だったかな、閉じ込められてじわじわ攻める系… を思い出した。もー、怖かったw
腕をほじくって取り出した針でシスターを騙そうとしたが、私は職業柄分かってたので、まさか騙されちゃう?と思ったが、シスターがちゃんと知ってて安心。厳しいモルモン教信者だって、人間だもの。
パイに顔をうっつぶした時は、やっぱりなとニヤけてしまった。カップに” Hubby(旦那さん)”の文字、昔のモノポリーといい、ちょっとコメディ要素があるのも憎い。
選曲もいい。私好み。ディランは効果的。
“祈りに効果がないが、誰かを思って祈ることはいい事”。これは私の心に響いたセリフ。祈らないにしても、誰かを思う事っていいよね。ふと思い出す、亡くなったおばあちゃん、叔父さんや叔母さん、そして友人。
めちゃくちゃ楽しめたが、終わった後に、あれ?結局Mr.Reedって何者?ってなったので、星ひとつ減らした。
エンドロールの最後まで” Blueberry Pie”。食べたくなったような食べたくないような。やけにPieが記憶に残った。
皆さんの感想は如何に…
レビュー読むのが楽しみ。
異端者はどっち?
予告編からは、布教に行った先がたまたまサイコパス男だった、くらいのお話かと思っていましたが、もっとヘビーなやつでした。
あらゆる宗教に疑問を抱く男、Mr.リード(ヒュー・グラント)が、自分が信じる「唯一神」を証明するため、他宗教を布教してくる輩を論破してやろうと待ち構えており、モルモン教の布教に訪れた若いシスター2人に宗教観の揺さぶりをこれでもかとかけていきます。
否が応でも、観客も自分にとって「宗教」とは何か?という問題と向き合わさせられる羽目に。
※モルモン教はキリスト教を源流とする新興宗教で、立ち位置的には日本でいうところの統一○会、エ○バの証人、みたいなものですね(教義は全く違いますが)。劇中に出てくる「魔法の下着」はモルモン教徒が身につける特殊な下着です。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は劇中では「ビッグ3」と揶揄されていますが、どれも同じ「神」(ヤハウェ、父なる神、アッラーなど、それぞれ呼び名は違いますが)を崇める一神教です。同じ神様を祀るなら仲良くすればいいのに、互いに「他宗教の神は神にあらず」と異教徒を敵視しているのが傲慢だなーと常々思っていました。
Mr.リードのやり方は過激ですが、自分の意に沿わない出来事に対して「神様の与えた試練」「全ては神の御心のまま」などとこじつけのようなことを言って思考停止しているように見える人々をネチネチいたぶりたくなる気持ちも…わかる。
(私は中高6年間たまたまミッションスクールに通っていましたが、キリスト教について知れば知るほど偽善的な部分が目につき、絶対に信者にはならん!と固く誓ったひねくれ者です)
ちなみに、キリスト教の「神」とは「三位一体」の「父なる神、イエス・キリスト、精霊」があわさったものです。
イエス・キリストは、人間の原罪を贖わせるために「父なる神」が地上につかわせた「神の独り子」で、奇跡を起こし、十字架にかけられて死に、40日目に復活しました。イエス・キリストの復活を信じること=神の御業信じること、ひいては「父なる神」を信じることに他ならぬことで、この映画でもリード氏が「復活」にこだわっていたのはそのあたりの感覚が染み付いているのかなと。
キリスト教圏の人間にとって、復活の奇跡を信じることは信仰の証明につながるんでしょうね。
終盤になって判明するリード氏の信じる唯一神に私は妙に納得してしまいました。
宗教って言ってしまえばそのためにあるものでは、と前々から思っていたので。
(その文脈でいえば、仏教は宗教ではなく哲学ですね)
異端者なのは彼とシスターたちのどちらなのか?という目線で見ておりましたが、原題は「HERETIC」(異端者)、かつ、ラストに出てくるタイトルがぼやけていて見えない…ということは?
…と、色々と考えさせられる映画でした。
映画的な側面に目を留めると、ヒュー・グラントの巧みな話術を交えた悪魔的な演技がすばらしく、恐怖演出も相まって本当に怖かったです。
モノポリーの話の最中に、ボブ・ロス版のモノポリーが出てきて、くすっと笑ってしまいました。
「ボブの絵画教室」、懐かしすぎる。
あんなのあるんですね〜。
他のミームに関してはわからない物もあり、かつとても情報量の多い映画で一度では理解できず。
これから、ネタバレサイトやここのレビューで勉強させていただきます。
信仰者から観る「Heretic(異端者)」
予告編からは、何か脱出ゲームのような物語を想像していましたが、実際には宗教色が非常に強く、予想とは大きく異なっていたが、タイトルである「異端者」のテーマに非常に的を射ており、エンタメとしても宗教の観点からも興味深かったです。物語は大きく分けて、前半の会話中心のパートと、後半のホラー気味のミステリーパートという二部構成になっていて、それぞれ異なる面白さがありました。
人によっては前半の会話パートが退屈に感じるかもしれませんが、信仰を持つ者として、普段から似たような感じで他人と語り合ったり議論したりしているので、3人の会話は非常に面白く感じました。途中で男性は「これは不快に思わせるかも」「怖い話になるかも」と、世の中の宗教に対して挑戦的な姿勢が出てきますが、信仰心が強い者にとっては、日頃から学び続けているので、そうした問いに対し説明する機会を与えられるから、むしろ歓迎すべきだと感じます。正直、議論をしたいだけでしたら、扉が開く朝まで全然付き合いますよ(笑)。もちろん、あんな不気味な状況でなければ、ですが。
後半からは、本当の恐怖が始まります。途中まではスピリチュアルな物語なのか、それとも何か仕掛けがあるのか分からないように物語が発展し、3人の対峙を通して少しずつ真相が明らかになり、ややグロテスクな描写もありますが、巧妙な洗脳の過程と心理戦は非常に興味深く感じました。最終的に全員を救うことはできませんでしたが、1人だけでも救えたことにより、監禁されていた女性たちの救いに繋がったと、完全にバッドエンドではなかったのが救いです。
個人的な考察になりますが、異端者として描かれた男性は、「人間の傲慢」の象徴だと思います。彼は非常に頭の切れる人物であり、同じ手法で人を洗脳するたびに「自分こそが正しい」と確信し、それを繰り返すことで自分の欲望を満たしていました。ただ、彼が狙ったのは信仰心がまだ確立されていない、そして布教経験が浅い若い女性ばかり。本当は、自分と同等かそれ以上の相手に挑む勇気は持ち合わせていないのに、弱い者に勝つことで「自分は他人より優れている」と思い込む――まさにそれこそが「傲慢」であり、タイトルの『Heretic(異端者)』が示す意味だと感じました。実際、こうした極端な手段を使うわけではないにせよ、宗教者にわざと難解な質問を投げかけて、うまく答えられなかったことを理由に、自分の正しさを証明しようとする傲慢な“異端者”は、世の中に少なからず存在しています。
本作は最終的にスピリチュアル系の話ではありませんが、確かに「奇跡」が起きたと感じさせる展開でした。しかし、その奇跡を過剰に神聖化せず、控えめに描いている点は、個人的には好感を持てるポイントです。
PS:祈りには効果があります。しかし、それが人間の欲望を満たすためのものであれば、効果はありません。だからこそ、作中に登場する「祈りの実験」には本質的な意味はないです。
異端 vs 異常
「脱出サイコスリラー」って書いてあったけど、メインは宗教論争じゃないですか…
シスターが猥談を繰り広げる導入にまず驚いた。
リードとの対話は背景説明や伏線なども入っているので有意義ではあるが、なんだか冗長。
自分が無学で、何がどれだけ異端か分からないってのもあるんだけど。
このテの作品ってなんで最初から不穏な空気出すんだろ。
粗筋で分かってるとはいえ、朗らかな雰囲気から豹変って方が個人的には楽しめるのだが。
その後も期待した脱出ゲーム的な展開にはならず。
モノポリーやパクり問題の喩えは面白かったが、語ってる内容としては別に新しくもない。
結局は、宗教すべてを信じられなくなった男が、マンスプレイニングからの支配を試みる話。
でも、そんなことのためにここまでやるかね。
“復活”の(有り触れた)トリックも“仕込み”が大変なもので、更に一件につき一人“使い捨て”るんでしょ。
その“処分”も含めると、難易度高過ぎでは。
パクストンが急にしっかりしだすのはまだしも、バーンズ復活はあまりにご都合主義。
直前に開閉があった“床下収納扉”が隠れてるのもおかしい。
「祈りは無意味だが、誰かを想って祈ることは尊い」という、宗教を否定も肯定もしない結論はよかった。
主役2人が正教から異端扱いされてるモルモン教、という構図も興味深い。
でもこの設定との食い合わせは好みではなかった。
てふてふ
久々に途中退館したくなった
安心して下さい、最後まで気が抜けません
多神教(≒無神教!?、笑)の日本人としてはヒュー・グラントの言っている派生した一神教については個人的に元々そう思っていたこともあり、頷くしかありませんでした。最初はマトモなのかとも勘違いしてしまいます。最後まで怖かった…
最後のアレにはちゃんと意味がある
ネタバレ無しで感想を書くつもりだったが、最後に出てきた蝶を見て理解していない人が多いのでビックリした。バタフライ効果ではない。この映画は信仰と否定の戦いのものだ。途中でシスター・パクストン(金髪)が「私は蝶に生まれ変わって指先に止まる。それが私の証だと分かるように」と言っていた。つまり最後の現れた蝶はそれを連想させるものであり、もしかしたらそれを一緒に聞いていたバーンズ(黒髪)が真似(信仰)したのかもしれないし、幻かのような表現があったので未来の自分自身かもしれない(信仰を否定しかけたのにコレを切欠に本心から信仰に目覚めた可能性)、そういう奇跡の誕生だったという話しだ。またバーンズが復活したのもキリストの信仰(恨み、支配、憎しみ)そのものであった、という話しで、犯人は幸せの中で死んだのだろうし、何度でも深読みしようと思ったら見返すことができる構成になっている。これは明らかにソウのように意図的に考えられた物しか写っていない。お客とはいえ、なぜ偉そうに映画を見下そうとするのだろうか……。
脱出迷路ではなく、討論と推理ゲーム
予告を見る限りだと複雑な仕掛けがある家からの脱出を目指すような内容だと思っていましたが、蓋を開けてみれば全然違う内容であった。宗教布教のためにある男の家に訪れた女二人と宗教についての会話が繰り広げられるが、なんだろう、この常にまとわりつく恐怖感は。。。その恐怖感の正体は男のちらつく独自の思想か。。。予想と違った内容であったが、2時間退屈する事はなく楽しむ事ができた。支配こそ絶対の宗教と考えていた男であるが、死への恐怖から結局、女に祈りを捧げることを求めていたいたのがなんとも人間らしいなと感じた。
ヒュー・グラント怪演
宗教バトルしようぜ!お前モルモン教代表な!
俺?俺は「支配」教!👐
宗教について研究し尽くした結果こじりに拗らせた感じですか?
色々知りすぎたり勉強しすぎたりした結果、うがった見方しか出来ない人は研究職向いてませんよ。
素直にまっすぐ見ようという姿勢も必要なのに斜め方向からしか見れてないってことじゃないですか。
常に第三者視点、俯瞰して見れない人は止めといた方がいいですよ。
こうなりますから。
って教訓ですかね?
いやまあ深いこと考えずとにかく祈れよってことかも。
序盤の論争というか講義、面白かったですよ。
有識者ならすごく白熱するんでしょうね。
宗教講義を2時間聞いてたらいつの間にかスリラーになってたという映画でした。
その内助けが来るってわかってるなら地下に降りるなや地上で粘れよとか無粋な突っ込みはなしで…
まあまあスリルとちょいグロと女の子頑張れ💪を楽しめましたよ!
まあ、別に、特筆すべき箇所もありませんけどね…
よくできたエンターテイメントだった
カルト!カルト!カルト!
トークバトル・ホラー
Go to sleepな世界の始まり。
宗教オタクの預言者ごっこ。
自らの意思で彼の箱庭に迷い込んだ、若く熱心なモルモン教徒2人もここでは異端者である。
偏屈な年寄りvs今時珍しい若者。
オモテナシも早々に、照明ギミック発動後はウラアリ説教地獄の反復なのだが、若者も稚拙ながら強気に反論していく。
これは割と健全な「世代間ギャップ解消策」だ。
トム・ヨークのモノマネで滑っても我慢。私も、オセロと言ったら、リバーシですね?と返された事がある。
肝心なオチはあっけないもの。
すり鉢状に積み重なったノンストップ宗教蘊蓄合戦が効果的だったとは思えないが、
信仰心が、コンドーム談義に花を咲かせていた乙女2人の魂を救えなかった事だけは事実。
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