風に立つ愛子さんのレビュー・感想・評価
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石巻の女性の、晩年の記録。 ご自宅が津波で "ぶん流され" (ご本...
石巻の女性の、晩年の記録。
ご自宅が津波で "ぶん流され" (ご本人の言葉) てしまったものの、
独り身のご婦人にとって、避難所で大勢で暮らしていた時期は、皆と心が通じ合う貴重な時期だったとか。
よく喋る、明るいお方だったことが、記録で観て取れます。
避難所は、仲間がたくさんできた、むしろ幸せを感じる年月だった、とか、
"様" をつけて、"津波様" とよんだり
長屋住まい楽しい!と何度も。
7年を経て、災害公営住宅に移り住んで、数か月で孤独なまま他界。
深く、痛く、遣り切れない感情がこみ上げてきます。
他所から目線では、被災者と一括りにしがちですが
現地の個々人は様々なんだよと、改めて確認する、貴重な記録映像でした。
私的なレクイエムとしての一作が持つ普遍性
今作は、避難所で出会った愛子さんの「生」を映画という形でこの世に残すことを目的とした、藤川監督の極々私的な作品であり、だからこそ、広く普遍性を持ち得た作品になったのだと思った。
<以下、内容に触れています>
この作品を観ている中で、肌で感じたのは、映像の中で愛子さんが語る言葉のすべてが、客観的な事実とは限らないということ。単純な思い違いもあるだろうし、カメラが自分を追ってくれていることへのサービス精神も少し垣間見える。でも、そこの部分こそがリアルだ。
彼女が、自分自身の生を、自分がこの世に生まれ体験してきた物事の意味を、全力で肯定しようとしているからこそ、そうした言葉の数々は生み出されるのだろうし、彼女の気持ちの中では、本当なんだろうと思う。
客観的事実という面から言うと、愛子さんが、学費の面倒までみようとしたという姪御さんは登場しない。避難所で、人一倍可愛がったゆきなさんも、20歳を過ぎているはずだが出てこない。孤独を抱えていたという彼女が、避難所で得た関係性のありがたさ、仮設住宅での長屋暮らしの温かさを口にしても、周囲の方々から語られる言葉や示される振る舞いは、必ずしもそれを肯定するものとは言えないニュアンスもにじむ。
けれど、客観的事実がどうであれ、大切なのは、愛子さん自身が「自分の人生をどう受け止めて納得し、“生”につなげているのか」なのだと思うし、今作はひたすらそれに寄り添っていた。
冒頭の留守電が、とにかく切ない。
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