ステラ ヒトラーにユダヤ人同胞を売った女のレビュー・感想・評価
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被害者か加害者か
ポスターに書かれたタイトルの言葉が心に突き刺さる映画でした。
オープニングはまだ平和だった頃のベルリン。
美貌に恵まれて、野望を持ち、少々自分勝手で他人への思いやりに欠けるように見える主人公ステラ。
やがてユダヤ人への迫害が激化する中、ユダヤ人であるばかりに理不尽な運命に翻弄されて、いくつもの選択を経てステラがたどり着いたところは…
中盤まではステラの保身と自己憐憫、身勝手さにイラッとするシーンが多々ありましたが、ユダヤ人迫害が益々激しさを増すうちに、彼女だけを責められないという思いが胸裏に満ちてきました。
自分が彼女と同じ境遇に陥ったら、彼女と同じ行動をとらないとは断言できないと。
ステラの内面の醜さと哀れさがミルフィーユのように重ねられた映像の構成は見事でした。
ステラに同情したとたんに、彼女を殴り倒したくなるようなシーンが挟まれて、やがてまた彼女なりの苦しみが観客の胸に迫る。
重ねられたシーンから人間が内面に持つ複雑さを重厚に描き出す手法は見事としか言えません。
仕方がなかった、こうするしかなかった。説明はいくらでもできるけれど、自分を欺くことだけはできなかった。
ホロコーストという重いテーマに乗せて極限状況下の人間性を鋭く描き出した作品でした。
性悪すぎる主人公
良心の呵責を覚えるような描写があるものの、断罪されると激昂して言い返す点や、裁判で自由を手に入れながらも晩年自殺するなど、主人公は精神的に不安定で自己中心的な人物として描かれている。
終盤、「主人公は被害者であると同時に加害者である」との字幕が表示されるが、ソビエトの収容所に捕らわれていた10年間を描写せず、裁判中のセリフのみで説明するなど、本作は視聴者が主人公に対してより嫌悪感を抱きやすいように作られているように感じる。
空爆シーンなど背景CGの質が悪いために違和感を覚える箇所や、画面が暗すぎて何が起きているのか分かりづらい箇所があるなど、映像面はいまひとつだと思う。
一方、主人公が保身ために多くの同胞を死に追いやりながらも、自身は綺麗に化粧をして自殺するシーンには強い苛立ちを覚えた。視聴者の感情を揺さぶることには成功した作品だと思う。
晩年はエクスキューズにはならないので、いっそのこと「悪魔」で終わらせた方が良かったのではないだろうか
2025.2.13 字幕 アップリンク京都
2023年のドイツ&オーストリア&スイス&イギリス合作の映画(121分、PG12)
実在の人物であるステラ・ゴルトシュラークを描いた伝記映画
監督はキリアン・リートホープ
脚本はマルク・ブルーバウム&キリアン・リートホーク
原題は『Stella. Ein Leben.』、英題は『Stella. A Life.』で、「ステラ、その生涯」という意味
物語の舞台は、1940年のドイツ・ベルリン
アメリカのブロードウェイに行くことを夢見ているジャズシンガーのステラ・ゴルトシュラーク(パウラ・ベーア、老齢期:Irene Rindje)は、バンドリーダーでギターのアーロン(べキム・ラティフィ)、恋人のトランペット奏者フレート(ダミアン・ハルトン)、ドラムのジョニー(ジョエル・バズマン)、トランペット奏者のテオ(コンスタンティン・グリエス)たちと一緒にショーを行っていた
バックコーラスには友人のリロ(ナディア・サベルスキー)、インゲ(メイブ・メテルカ)も加わり、コントラバス奏者フリッツ(Alexander Martschewski)らも名を連ねていた
時はナチスによるホロコースト初期で、じんわりと排斥運動が動き始めていたが、まだ身に危険が及ぶほどではなかった
それから3年後、ステラたちの夢は叶わないまま第二次世界大戦に突入し、彼女たちは鉄工所で働くことを余儀なくされていた
ステラの父ゲルト(ルーカス・ミコ)はこれまでに祖国に尽くしてきたことを誇りに思っていて、ユダヤ人とは言え、自国民を酷い目に遭わせるとは思っていなかった
母トニ(カーチャ・リーマン)は娘の奔放さに呆れていたが、家族を支えるために奮闘していた
ある日のこと、工場内のユダヤ人が外に呼び出されてしまう
知り合いのイリヤ(ヴィンセント・コッホ)の計らいで難を逃れたステラの家族たちは、安全な場所を求めて潜伏生活に入ることになった
だが、ステラは身分証を手に入れたいと考えていて、ジョニーの知り合いであるロルフ(ヤニス・ニーヴーナー)とコンタクトを取るために頻繁に危険な外出を繰り返していく
その後、ロルフとともに身分証を売り回る日々が募ったものの、友人のインゲの密告によって捕まってしまう
ステラは治療の隙に逃げ出すことに成功したが、いまだに家族の身分証まで手に入れるところまで至らず、そこで偽造請負としているツィオマ(Joshua Seelenbider)とミッキー(Max Schimmelpfenning)とコンタクトを取ること
そして、彼らとともに将校を誘惑したり襲ったりして、白紙の身分証を手に入れる生活を始めるのである
映画は、ステラのほぼ一生を描いていて、最後までしぶとく生き残る様子が描かれていく
彼女はゲシュタポのドッベルケ(Gerdy Zint)に引き取られ、そこでユダヤ人の潜伏先を吐かされるのだが、当初は命欲しさだったものが、徐々に自身の行為を正当化していく様子が描かれていた
自分自身を被害者だと思い込んで告発をしていく様子は狂気じみていて、金髪の悪魔などと呼ばれるようになっていく
そして、自身は終戦まで生き延びることができるものの、家族はアウシュヴィッツで殺され、子どもからも突き放された人生を送ることになってしまったのである
映画では、最初の夫フレート、2番目の強制婚まで描かれるものの、3番目の夫と子どもに関してはほとんど語られない
それでも、晩年の自殺未遂は描き、最後の死は字幕表記という微妙な構成になっていて、これならば自殺未遂のシーンから字幕で説明するか、最後の不審死まできちんと描いた方が良かったのではないだろうか
いずれにせよ、ステラが生き延びるために闇落ちをしていくという過程は良かったと思うので、終戦と同時に映画を終わらせても良かったと思う
最終的に川で溺死という奇妙な死に方をしているのだが、それはスルーで投身自殺だけをサラッと描くのは意味がわからない
晩年の彼女もどのように生きて来たのかとか、その苦悩というものはほとんど描かれないので、唐突な飛び降りも意味がわからない
終戦から30年もの間をスルーしているのは尺の都合だと思うのだが、この構成ならば「ステラは悪魔だった」で終わらせた方がスッキリしたのではないだろうか
生き残ってしまった女の悲哀
また今年もナチス、アウシュヴィッツ絡みの映画を見たわけだが、今度は密告者、実にあらゆる角度から回顧されるのがドイツ。日本の加害を描く映画はまだまだ少ない。すでにステラは色々な作品に描かれているらしく、日本の李香蘭のようにミュージカルにもなっているとパンフレットの解説で知った。自分の友だちまで売るのはさすがに引くが、拷問や死の恐怖に逢った人を平和な時代の我々から責められないことは言うまでもなく、それにしても極限まで追い込まれる人間を見るのは辛い。戦後の裁判でも怯まずに生きようとする姿勢は、実在の本人が戦後に何回か結婚を繰り返している(パンフレットの解説)ことからも分かる。酷い罪を犯した人だが、最後には見ているこちらが「それでも生きてくれ」と半分応援したくなるのも不思議。人間の運命を考えさせる良い映画。
悲しいですね。
私だったらステラと一緒と言うしかない
戦後80年、相変わらずハリウッドはもちろん、ドイツ本国においても反ナチズムの映画の多い事。それは至極当然でかつ必要なことですが、この80年間公開の数多の作品においても、ひとつのジャンルと言っても構わない程。もうすぐ公開のアカデミー賞有力な「ブルータリスト」、「リアル・ペイン~心の旅~」だってアウシュビッツがポイントで、昨年末には「ホワイトバード はじまりのワンダー」があったばかり。ナチに協力する密告者のお話も多数登場ですが、ユダヤでありながら密告する女の主人公ってのは、なかなか少ない。
戦争裁判の真実の記録からまとめあげた実話に基づく作品で、同胞を売る悪魔の所業に手を染めた女の悲劇を描く。自分の最も大切な人の命を人質にとられ、同胞を密告する事が出来るか否かが本作の要、無論、絶望的な極限状態において。この地獄に耐えかね自ら死を選んだら、当然に大切な人の命も無論ない。ならば歯を食いしばって抵抗を貫いても、自身も大切な人も確実に結局殺される。残る選択肢は一つだけ、泣く泣く密告を強要され、自身も大切な人の命も辛うじて保たれる。これをもって悪魔に魂を売ったと言えるだろうか? 圧倒的支配下において、何故か選ばれた捕虜が他の捕虜を殺すよう命じられるシチュエーションの映画作品も邦画・洋画問わず多く描かれてますよね。そんな場合は殆ど発狂状態で同胞を殺すように描写されます。だから悪魔は強要する側のみであることを、うっかり見落としがちなのです。そうするしかなかった。私だってそうするしかないと思う、悪魔にはならないけれど人間を捨てて。
強要されるのも人間なら強要しているのもまた人間。昨年の「関心領域」にも描かれたと同様に、本作に登場のナチスの高官とて、あそこまで狂暴になるしかなかった、でなければ確実に自身が処罰を受けるから。それが集団ヒステリーであり、戦争の本質なのですから。
ステラは密告の日常において、意外と派手で毛皮のマフラーなんぞ巻いて、反感買うような様相ですが、そうやって密告ネタを捕まえる必要があったから。まさに生きるか死ぬかの挙句なんですね。演ずる女優がちょいとハスッパに見えると言って、コトの本質を見誤らないで下さい。
結果、ソビエトの収容所に10年も入れられた後の裁判では、実質無罪の開放となる。けれど密告された側からすれば、その恨みは解消されることはない。そしてラストシーンは美しく着飾ったステラは飛び降り自殺を実行する。正にそれしか選択肢がなかったわけです。人間を捨てた段階でその先行きは必然でしかなかった。
ひとたび戦争となったら、悪魔の連鎖は避けようがない。だから絶対に戦争を起こしてはならないのです。そのためにはプーチンを引きずり降ろさなくてはなりません。独裁を許容してはなりません。ひしひしとそれがストレートに伝わる作品でした。
蛇足ですが、洋画の邦題にサブタイトルが近年確実にプラスされます。本作もまさにそうですが、全くもって馬鹿げた邦題と思います。が、これだけ洋画に客が入らない昨今、少しでも内容を伝えようと腐心する苦労の結果と思えば、理解するしかありませんね。
美しさゆえの複雑な人生
少し長く感じましたが普通に楽しめました
占領下の非道な状態で、毎日自分が生きることと密告を秤にかけたら、、
考えさせられるテーマでした
作品はカメラワークや場面の切替がすごくスピーディーで音も鮮明に迫力あって臨場感たっぷりでした。
近いテーマの「ブラックブック」や「戦場のピアニスト」などと比べてしまうのはいけないのですが、その分重厚感やストーリーのメリハリは少し弱い?と感じましたが、これはこれで普通なのかもしれません
主演の女優さんがすごく聡明で綺麗だったので見入ってしまうのですが、ユダヤ人でブロンドの青い瞳の人はいるのか?とか、話す相手と言語の使い分け、ナチス占領下の人々の暮らしなど、もう少し知識を得てからまた見たいと思いました
憎しみの連鎖は断ち切りましょう!
生きた時代と場所が違ったら
アーリア人の特徴である金髪碧眼を持つ美しいステラは、様々な辛い体験を経て生きるために同胞を裏切りナチスに売り、戦後、裁判では昔の仲間や恩人から責められるが、正当化し切り抜ける。その後も美しさを保ったまま歳を重ねるが、最後は自分が追い詰めたユダヤ人妻に目の前でされたように窓から投身自殺をする。
違う時代、例えば現代のドイツやここ日本だったら、歌手の夢を実現させていたか、そうでなくても仲間を裏切ることはなかっただろう。
そう思った時、もし私が彼女の立場だったら、あの時代のドイツにユダヤ人として生きていて、更に許されない行為をすることで生き残ることが可能とわかっていても、彼女と同じことは絶対しないと言い切れるか。
戦後の裁判で反省の色を見せなかったが、戦後、もし悪かった、やむを得なかった、許してほしい、と言っていたら、あそこまで辛い人生とならずに済んだかどうか。
A281 ありきたり
2025年公開
逃げて戻ってきて逃げて戻ってきて
捕まって殴られて
同胞を探して怒られて
ガンガン売りまくって...
とにかく視点が同じというか
本来変えてほしいところが
延々と続くというか。
5回くらい記憶が飛びました。
最後転落するところで目が覚めてエンドロール。
パウラ・ベーアって角度によっては年齢不詳に
見えるのでそそらなかったのもマイナス。
中途半端なドキュメンタリー風。
50点
鑑賞 2025年2月9日 アップリング京都2
配給 クロックワークス
ステラ ヒトラーにユダヤ人同胞を売った女
ステラは、極限状態の中で生き残るために同胞を密告するという選択をしました。彼女の行動は裏切りとされ、戦後も激しく非難されましたが、果たして自分が同じ立場に置かれたらどうしたのか――これは容易に答えが出せる問題ではありません。恐怖と絶望の中でどこまで「正しさ」を貫けるのか、私自身にも問いかけている様です。
目を覆うような残酷なシーンもありますが、それでも実際の歴史のほんの一部に過ぎません。多くの人が苦しみ、選択肢すら与えられなかった現実を思うと、改めて平和の大切さと、その真逆の負の遺産を語り継ぐことも戦争を知らない子どもたちの責任と感じます。
PS 題名が長過ぎます。「ステラ」だけの方がいいです。
今まで観た映画の中で一番嫌いな人かも
はなから"同胞を売った女"として見ているから、序盤から勝ち気でイヤな女だなぁとは思っていた。
最初のライブシーンは良かったんだけどなぁ。
潜伏中も、周りの心配をよそに身勝手な行動をしつつ、私はあなたたちとは違うの的なふてぶてしさが、どうにも好かん。
ユダヤ人男性は割礼があるからバレるけど、女性は身体的特徴でバレることはないのだろうか?
マイナスからのスタートだったから、ボコボコの酷い拷問をされて密告者にまわる場面では、誤差レベルの同情はしたものの、同胞どころか旧友まで密告するほど開き直ってからは、徐々に服装も下品で人相も悪くなり、嫌悪感がハンパない。
被害者であり加害者とはいえ、よくあれで生き延びていけたよなぁ、友人ゼロだろうに。
最期はあの出来事がトラウマであり、少なからず罪の意識は感じていたのかなぁと思う事にした。
場面転換のフェードアウトが少々荒いのが気になった。
人生の流れとタイミング
に翻弄されて数奇な人生を歩まざるを得なかった女性の物語。史実がベースなだけにシビアですが、物語がポツポツ切れる感じに違和感を感じるのと同様な展開の繰り返しに少し飽きるかな。彼女の晩年が少し出てきますが、あそこをもっと描いても良かったのでは?
「過ちを繰り返さないで」というメッセージ
ステラは被害者であると同時に加害者であり、フィルム(監督・脚本)の視点はステラ個人を非難するものではないように見えました。
原題"STELLA. Ein Leben"を直訳すると「ステラ、その人生」であり、18の少女が70代で自ら命を絶つまでの人生ダイジェストでした(邦題はやや批判に寄りすぎな気もしつつ)。
自分が処刑されるか、仲間を売るかの選択を、一人の市民に迫る世の中(=ナチとそれを支持した国民)が一番悪いのであり、「今を生きる人々に過ちを繰り返さないで欲しい」というメッセージを受け取ったような気がしました。
ありがちなテーマだけど、すごく大事なこと。
EUでは、ここ5~6年、各国でナチ的な極右政党の台頭が著しい。
ガザをはじめとする長期の内戦・紛争で移民が増加し、受け入れた欧州各国ではコロナやインフレで経済悪化したゆえ、移民に仕事が奪われると焦った国民が「元の国民=自分さえよければいい」と既得権益の確保のために排他的な考えへ傾いたからだろう。
特にフランス、ドイツ、ベルギー、オランダ、オーストリア、ギリシアなどで、極右政党が第二党になったり、連立の第一党に入っていたり。
そんな現状に対し、映画を作るような知識人層は危機を感じていることは容易に想像できます。
そんな焦燥感から、この映画を作るに至ったのかもしれないと思いました。
啓蒙意図が先に立っていて、面白いかどうかより、「考えさせられるように作っているな」という感想で終わりました。
余りにも痛たましく……
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