美晴に傘をのレビュー・感想・評価
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オノマトペによって紡がれる美しい言葉の世界
息子との確執から抜け出せず素直になりたいのになれない父、美晴を守ることに精いっぱいで自分自身を縛りつけてしまっている母、姉の世話をすることで周りに気を使ってばかりのヤングケアラーになっている妹、不快な音の世界から逃げ出しているがそこにもどかしさをも感じている美晴。
登場人物たちは一様に何かに縛られているが決してそのままでいいとは思っていない、そんなアンビバレントな感情は、美晴のイヤーパフによって音が遮られる世界と町内の騒々しい人々の生活の対比にも象徴されているように思える。そして、騒音の雨から身を守る傘を美晴が手放して一つ一つの音に耳を傾け始めると、ようやく周りの人々も自分に素直になり始める。
父親の三雄が残した絵本のように、美晴の心情は彼女が紡ぎ出すオノマトペで表現されていく。そこに俳句や書道といった日本の言語表現がちりばめられることで「ことばの世界」が構成されていく。
希薄な人間関係の中でことばの重みが薄れ、SNSにはことばの暴力があふれている現代において、人の気持ちを前向きに動かしていく「ことばの力」を改めて信じさせてくれ、気持ちを温かくしてくれる美しい作品だ。上映館数が増えてより多くの人に届いて欲しい。
美晴の言葉。言葉の大切さ。言葉の持つ力。 言葉にしない人、余計な言葉の人。 言葉がリズムを繋ぎ、青い空に父の傘が羽ばたく。
言葉の大切さを感じる映画。
話す言葉は少ないがとてもユニークで温かい表現をする美晴。
詩人だった父親からの贈り物に違いない。
観てから時間を置くと色々考えさせられる。
言葉にしないと伝わらない。
けれど、説明しない人たち。
美晴の母は、義父や町の周囲の人々に対して、この子は、こういう症状だからなど一切説明しない。
恐らく何十年間、最初は説明していたけれど、あの性格だから、悪いことは何もないのになぜ説明して頭下げないといけないのかと思うようになって、それからは無視するようになったのかもしれない。
普通なら必ず入れるだろうシーン、こんな場面なのにヘッドホンするなと注意されてしまうとか、他人のお墓の花を勝手し差し替えて母がいちいちやめさせるとかも一切ない。
葬式の派手なワンピースも、ふつうなら皆の前で思い出を語って泣かせる場面がありそうだが、一切説明しない。
わかってもらおうと思っていない。
その性格もまた、義父との軋轢を生んでいる。
義父も、美晴の父も、言葉に出して話さない。
少ない言葉から誤解を生んで、すれ違う。
その反面、いらない言葉で、うるさい人々も多い。
観客がそう感じるのは、美晴が日常感じているうるささに通じるかもしれない。
美晴にあてられる言葉の暴力もある。
美晴の祖父の友人は、昔のHな表現の俳句で観客を引かせる。
居酒屋出禁の常連は、美人女性だと臆面もなく露骨に言い寄る。
昔は普通だったかもしれないけれど、今となっては聞くに堪えない言葉や態度になった。
皆、本人に悪気はないけれど、そうなら許されるのか。
過剰な対応で家にまで押しかけてくる書道の先生もうるさい。
けれど、そういううるさいおせっかいな人によって、無理やり心を開かせられることもある。
そうして物語の終盤では、それぞれが皆、現状から一歩踏み出すところが前向きでいい。
春の父や母が交互に話し、やがて言葉がリズムを繋ぐシーンが心地良い。
活き活きとした美晴を演じた日高麻鈴、姉に対してどこまでも優しい妹・宮本凛音、二度目の映画主演という升毅、母親の強さと弱さ表現した田中美里、父親の優しさを表した和田聰宏ら俳優陣が素晴らしかった。
印象に残る「傘」で表現したシーンが美しい。
美晴を守る父遺した傘。
カラフルな「傘」が美しい。
澄み切った青い空が美しい。
日髙さん宮本さん◎ ×は展開をになう掲載俳句がひどすぎる
まず、美晴役の日髙麻鈴さん、妹、凛役の宮本凛音さん、お二人の演技は素晴らしかったです。
特に日髙さんは発達障害を持つ女性のちょっと風変わりな感じを、実に上手に演じておられました。最初は「やりすぎじゃないか」とも思ったのですが、演技が一面的ではなく、そのエキセントリックな表現の中から、その時々の喜怒哀楽を見事に表現されていて舌を巻きました。そして時々に見せてくれる日髙さんの美しさに目を見張りました。
宮本さんもぶっきら棒でありながらも素直な演技が、周りの俳優さんの個性を引き立てる良い演技で、わかっていて役割に徹していた感じがして感心しました。
気になった部分は、升さん役の祖父は、そんなに狷介じゃないし悪い人でもなかったですよ。友人も多いし。ただちょっと自分の考えにこだわりすぎてる頑固な爺さんってだけです。世の中そんな人一杯います。だから熱くなりすぎることも、冷たくなることもなく、全体的にぬるいです。でも日本人はそういうホームドラマとか好きですので、大した問題ではありません。
ひどいのは、祖父が心を開くきっかけとなる自作の俳句で、これは俳句雑誌にのる優秀なものという設定です。
「たらればや冷酒(さけ)で飲み込むあの言葉」
これ俳句ではないです。
季語は? なんで「たられば」に「や」をつけるの? 「や」がついたら俳句になるとおもってるの? あの言葉って、安っぽい演歌の歌詞ですよ。下手すぎるんです。
※冷酒が、夏の季語、とおっしゃる方もおられましたが、その場合「ひや」と読まなければ季語になりません。芭蕉以前からのならわしです。
日髙さんとか宮本さんすごく細かなシーンまで考えて演技してたと思うんですが、この俳句のぞろっぺえこととんでもないです。だって言葉がテーマの映画なんでしょ。
言葉にすることで思いを伝えて、再生するんでしょ。それが「たらればや」だもん。伏線までいれてアピールしてるのがこれなもんで、映画見ながら頭が痛くなるくらい「これで全部だめになった」と思いました。
シナリオを書いた方が、自分で書いた「詩」や「俳句」を素晴らしいって自分で判断して良い作品ということにしちゃったの?
脇の俳優さんたちも演技が一面的であったとしても、それは一つの手法かもしれないし、一生懸命なのは伝わるんですよ。でもあの詩と俳句で柱がゆがんでしまった感じです。それでもう天井が落ちてきた。
採点は、若手二人の演技☆5、シナリオ☆1 、他☆3でその合計です。
残念なこと
自閉症の娘を守るための様々な種類の傘を生前に描いた父親の絵本は納得だけれど、母親は、終盤に過保護な態度を取り、舅や下の娘から窘められる。それだけ自閉症の娘を守りたいなら、無知な舅に対して序盤から丁寧な説明をして理解を求めるべきだったろうに、あまりにも一方的な姿勢だったのが残念。揺れ動く舅の姿勢の方が好感がもてた。
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