「ピアニッシモとフォルテッシモの間のどこか。」ピアノフォルテ あんちゃんさんの映画レビュー(感想・評価)
ピアニッシモとフォルテッシモの間のどこか。
ちょうど一昨日に第19回ショパン国際ピアノコンクールが終わった。入賞者ならびにファイナリストは下記の通り。
1位 エリック・ルー(アメリカ)
2位 ケヴィン・チェン(カナダ)
3位 ワン・ズトン(中国)
4位 桑原志織(日本)
4位 ティエンヤオ・リュー(中国)
5位 ヴィンセント・オン(マレーシア)
5位 ピョートル・アレクセヴィッチ(ポーランド)
6位 ウィリアム・ヤン(アメリカ)
F 遠藤美優(日本)
F デヴィッド・フリクリ(ジョージア)
F ティエンヨウ・リ(中国)
2回連続のファイナリストはいなかったわけである。遠藤さんは前回は本選には進めず、でも今回はファイナリストになった。立派である(この映画でも予選のポスターにちらりと顔が出ている)
映画の話をすると、ショパンコンクールのドキュメンタリーというと審査員側や運営側も取り上げて、と考えがちだが、本作品は出場者だけ。清々しいほどシンプルな作りである。
ただ、早く脱落する人、本戦手前まで進む人、本戦に行く人、それぞれを取材できていて映画が成り立つわけで、全員本戦に行けませんでしたでは困る。トータル何人追いかけていたのか分からないけど、うち4人は本戦に進んだわけで、なかなかの目利きといっても良いかもしれない。(マルティンが棄権したのは想定外だったみたいだけど)
もちろん、ドキュメンタリーなのであまり意図的な筋はつくっていないけど、なんとなく、エヴァとラオを対比するような構造になっているような気はする。
この二人は17歳で同い年。かたやモスクワ音楽院所属のばちばちロシアピアニズムの継承者という感じなのに対して、一方はごく普通の高校生で団地の台所の脇に置いてあるアップライトピアノで練習していたりする。
ロシアピアニズムのメソッドでいうと、正しい音というものはピアニッシモとフォルテッシモの間の何処かに「必ず」存在する。それを厳しいマンツーマンのコーチングで身につければ表現だの情念だのもついてくる。ところが、今や、YouTubeなんかで良い演奏は共有される時代となった。それがこの映画でいうとラオ・ハオの善戦に表れているということなのだろう。
ちなみに先行レビューにある「ピアノフォルテ」というタイトルは勝者を表す、という解釈だが少し違う。fとPには別に上下関係はない(技術的には全く違うものだか)ピアノフォルテは大きな音を出せるようになった近代ピアノをそれまでのピアノと区別するため付いた名称である。わざわざこの名称をタイトルにしたのは1台でオーケストラに匹敵するデカい音を出せるこの楽器を弾きこなし、たくさんの聴衆(YouTubeで12万人!)を魅了する全能感がタイトルに込められているから。
作品の時点から五年たった。今回のコンクールではファイナリストは2名を除きすべて東洋系が占める結果となった。中国でのピアノ人口は3000万人という。時代は変わったということなのだろう。
