奇麗な、悪のレビュー・感想・評価
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瀧内公美の台詞の抑揚やちょっとした仕草の表現が見事。
先日鑑賞した『敵』とはまったく別種の(エロスではない)色気を見せ、声色の使い方も素晴らしい。
自分が感じた本作の魅力は、それだけ。
独白シーンをワンカットで撮るとか、館の中だけで完結してればまだマシだった。
中途半端な長回しを継ぎ接ぎし、屋外を歩く場面や微妙な演出を挟んだことで尖った作品にもなりきれていない。
髪の留め解きがカットで繋がってない意図も不明。
過去のカウンセリングの再現のように女が生涯を語るが、惹きつけられる内容でもない。
登場人物をTだのSだのにしてるせいかイメージも湧きづらく、ひたすら退屈で眠気を誘う時間が続いた。
終盤に「全部ウソ」とか言われても「え、どっち!?」ともならず、もはやどうでもいい。
普段は苛立つ観客のイビキも、今回ばかりは同情と共感が勝った。
もっと大仰な台詞回しや身振りをつけて、舞台でやった方がまだ映えるのでは。
中身はオーディオドラマで十分な話だし。
いや、むしろ音声だけの方が、集中できたしイマジネーションを刺激されたかもしれない。
瀧内公美を見せたいにしても、もっと凄味が伝わる演出があったのでは。
「実験的作品」というのは便利な言葉だが、せめて興味を惹く段階まで進めてから公開してほしい。
実験の実験を観させられるのは、正直苦行です。
脳みそが痺れています
大好きな女優の瀧内公美さん主演なので観ました。
不思議な映画でした。瀧内さんが演じていなければ、寝ているところでした。
主人公が語る物語は、事実なのか?空想の話なのか?
精神科クリニックが舞台ですが、そもそも、病気だったのか?もう、完治して病気のときの話をしているのか?話の相手の医師はどこにいるのか?やっぱり病気なのか?謎が謎のまま、医師が亡くなっていること以外明らかにならない。脳みそが痺れて、口笛のメロディだけが頭の中でグルグル今も回っています。
女は二度、髪を解く
2025.2.24 イオンシネマ京都桂川
2024年の日本映画(76分、G)
原作は中村文則の小説『火』
ある洋館を訪れた女の独白を描いたヒューマンドラマ
監督&脚本は奥山和由
英題は『Revael』で「明らかにする」と言う意味
物語の舞台は、日本のどこかにある古びた洋館
雑踏から抜けて住宅街に入り、キリスト教墓地の隣を歩く女(瀧内公美)は、その向かいにある洋館に足を運んだ
玄関は施錠されていたが、横にあった通用口はそのまま入ることができた
中にはオルゴール式の飲んだくれの人形と、ワインとグラスが置かれていて、机の上には手紙らしきもの、階段の踊り場には「画家と裸婦の絵画(後藤又兵衛『真実』)」が飾られていた
女は建物をくまなく眺めた後、中央にあった椅子に深く腰を落とした
そして、「火の話から始めましょうか」と言って、小学校時代に起きた事件のことを話し出した
映画は、この女がひたすら過去の話をすると言う内容で、登場するのは「不仲な両親」「高校時代に出会ったR」「知り合いの兄との結婚」「夫の両親との関係」「売春婦時代に出会った男たち」「恐ろしい客T」「いやらしい男S」という流れになっていた
女は8歳の時にカーテンに火をつけて両親を殺していて、そうなることがわかっていながら火をつけたと告白する
その後は施設に入ることになり、小学校でいじめられ、高校は2年で中退したと語っていく
その時にRと言う男と関係を持ち、彼はいつしか逮捕され、刑務所に行く事になったらしい
さらにRを待つ事なく同僚の知り合いの兄と結婚し、娘を出産するものの、その義父母との関係が悪く、それゆえに義父を嵌めたみたいな話も登場する
本題は、その後の売春婦生活で、恐ろしい男Tの話がメインで、いやらしい男Sとの関係なども語っていくのである
物語の後半では、女は「嘘ですよ」とこれまでの話を否定するのだが、どこまでが嘘かはわからない
この時に医師が患者に宛てて書いた手紙を読むことになっていて、それゆえに咄嗟に言葉になったのかもしれない
ヒントになるとすれば、女の髪型であり、Tの話になったあたりから「時系列を無視して髪の結い方が変わる」という演出になっていた
最初に髪を解いたのは、ライトが点滅し、書斎の机に座った後で、その後の話は「Tの暴力がひどくなる」というものだった
その後のシーンから「Tと娘を見かけて隠れた」ところは髪結に戻っていて、その後、ライトがついたあたりで解いているシーンに戻る
さらに「Sのマンションについてからの話」にて髪結に戻り、「悪の中の悪」の話で解いているシーンに変わり、「Sのとの会話にて一言ごとに髪型が変わる」と演出に変わっていく
そして、「包丁で刺した」という語りから、ラストの2階のベランダに移動するまでの一連のシーンはずっと髪結のままになっている
ベランダに出て墓地を眺めた女は、その後椅子に座って髪を解くのだが、そのシーンでは字幕で「わたしは生きていてもいいでしょうか」と表記されていたシーンだった
解いているのに結っているというところで語られるシーンが嘘なのか、髪を解いたところから最後に解くまでが嘘なのかはわからないのだが、何らかの区分はされているのだと思う
ちなみに映画には、後藤又兵衛の「真実」が何度も登場するのだが、これは「画家が自分の絵の中に取り込まれている」という構図になっていて、精神科医が患者の話の世界に取り込まれていることを暗示している
この裸婦は髪を後ろで結っていて、これは画家には見えない位置となっている
これを踏まえると、「髪を解いてからの話は先生には聞かせたことがない話」とも考えられる
そして、医師の机には「出せなかった患者宛の手紙」と言うものが残され、そこには「何度かお便りしたが返事がなく不安だった」「患者としてではなく、ひとりの女性として意識した」「診察の度に男性関係の話になって、いつしか貴女の話でしか感じなくなった」みたいなことが書かれていた
おそらくは、彼自身も女に魅力を感じ、心を取り込まれたのだと思う
この手紙を読んだ後から前述の髪型のシーンが交錯する事になっていて、「わたしはまだ終わっていない」というつぶやきが漏れてくる
精神科医は不在だが、あの不安定な時期の自分に囚われている異性がいたことは、彼女を肯定するに値するのだろう
それゆえに、最後は「わたしは生きていても良いでしょうか」という問いかけに繋がるのかな、と感じた
いずれにせよ、ずっと一人で喋っているだけの映画なので、その話にのめり込むことができるかどうかが肝のように思う
だが、のめりこみすぎると映画全体に仕掛けられたものが見えなくなってしまうので、巧妙な仕掛になっているなあと感じた
彼女の話にのめり込ませるためには、女を演じる女優の説得力が必要で、本作における瀧内公美というのは最適解だったと思う
訳あって2回鑑賞することになったが、髪型のことを知って観る2回目は多くの発見があったので、鑑賞済みの人もトライしてみてはいかがだろうか
一人の不幸な女性を覗き見る
他の作品に例えるのはアレですが、ジョーカーや、ドラマのMIUで、菅田将暉さんが演じた久住を思わず思い出しました。たぶんこの人改心することとかないんだろうなー、という、完全悪。
紐解かれることを嫌い、捕まったとしても情状酌量を求めないだろうに、ベラベラベラベラ自分のことをしゃべり続けるのは、まだだいけるというガッツなのか、相手をおちょくってるのか…
たぶんこの考察さえも、この女性からしたら余計なお世話なんでしょうね。
原作未読、heeも未履修の自分からすると、彼女の名前や生年月日、その洋館はなんて場所なのか、「先生」とは誰なのか、曖昧なまま話は進むけども。
観ていくうちに、「やってみたくてもできない」ような、踏み越えてはいけない一線を、彼女は悠々と踏み越え、その先の不幸も一身に背負ってくれてるのに気付き、たまに爽快な気分&彼女が哀れに思える瞬間がありました。
娘と天秤にかけて、どうなるかわかっているのに颯爽とアウトな方を選んて快楽に真っ逆さまなんて、なんかもう、違う生物見てるみたいでした。
この女性はこのあと、もっと狂うのか、改心するのか、警察に捕まりでもするのか、いくつかのパターンを想像するけど、どれも無視して、彼女は自分の正解の道を行く(階段のシーンは絞首台に登るように見えた)
何も変わらない。彼女の娘も救われないし、Tの性癖もきっとかわらないまま。
そうか、こんな女性もいるのか、と、心のなかで新しいフォルダを作って保存することにする。
文を書いてるうちに、「彼女の理解者はどこにもいない」のメタファーとして、一人芝居なのかとも思えてきました。だとしたらまるごとすげぇ…!
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