「ビートルズはノアの方舟」ビートルズ ‘64 蛇足軒妖瀬布さんの映画レビュー(感想・評価)
ビートルズはノアの方舟
単なる過去の追想ではなく、
ファンとその文化の深層に迫る作品だ。
ファンが当時の熱狂をどのように感じ、
そしてその後どのように現在の自分として語り直しているのかを追うことで、
ビートルズがもたらした影響がどれほど時代を超えて強く残っているのかが浮かび上がってくる。
映像に登場するファンたちの表情は、
ムンクの『叫び』のように切実で、
狂気を孕んだ喜びに満ちている。
彼女らはその時代の熱狂を、
今や小説家やライターとして冷静に語りなおすことができる立場にある。
そこで語られるエピソードは、
単なる回顧にとどまらず、
言葉を紡ぎ出す者としての深い洞察を伴っており、
その知的なアプローチがさらに映画を魅力的にしている。
4人が宿泊していたホテルのスタッフが、
ジョンやポールが使用したタオルを売る、
それもハサミで切った切れ端を1ドル2ドル程度で、
当事者ならではのエピソードだ。
リンチやスモーキー・ロビンソンの登場は驚かないが、
バーンスタインやマクルーハンには驚いた。
彼らはビートルズが与えた影響を体現する重要な文化的アイコンであり、その存在感はそのまま映像に落とし込まれている。
(もちろん、逆にビートルズに与えた影響も小さくないだろう。)
特に、マクルーハンの登場は、
彼が提唱したメディア論の視点からビートルズの音楽やその社会的影響を再評価する手がかりとなり、
観る者に新たな視点を提供してくれる。
ウディ・アレンが「アニー・ホール」でマクルーハンを引っ張り出したのと、同義なのかもしれない。
終盤、ジョンのシーン、彼の個人的な発展とともに、
ビートルズが象徴する「大陸発見」のような新しい時代の到来を超えて、
むしろ「ノアの方舟」のようなメタファーとして捉え直すことができる。
ビートルズという現象が、ただの音楽の枠を越え、
ある種の救済的な意味を帯びていたことに気づかされる瞬間であり、
ファンのインタビューの言葉にも循環し再興が繰り返されていることが、
現在進行形で気づかされる。
一方で、
オープニングの「オール・マイ・ラヴィング」を誰が唄っているのかという疑問は、映画全体を通しての謎の一端を成している。
調べればわかるのだろうが、
誰が唄っていようとも、
そのメロディーが放つ普遍的な愛のメッセージは変わらず、
映画のテーマでもある「ビートルズとファンの不可分な関係」を象徴するものとして機能している。
総じて、『ビートルズ`64』は、音楽の歴史を辿るだけでなく、
ビートルズがもたらした文化的影響を深く掘り下げることで、
現代の視点からも十分に楽しめる作品となっている。
ビートルズの音楽が時代を超えて愛され続ける理由を、
視覚と音楽、そして言葉を通して再認識させてくれる、
まさに知的で感動的なドキュメンタリーだ。