「ポル・ポト政権末期の必死さが伝わってくる」ポル・ポトとの会合 Tofuさんの映画レビュー(感想・評価)
ポル・ポト政権末期の必死さが伝わってくる
カンボジア国内で、トゥールスレン虐殺博物館やキリングフィールドを訪れた3日後に鑑賞。
前日にネットで予約を入れたときには自分以外二組くらいしか座席が指定されていなかったでガラガラかと思いきや、実際に行ったら満席に近い客の入り。西洋人とカンボジア人の両方の客が入っているのはとても良い傾向だと思う。
舞台は1978年の民主カンプチア(何月かは分からないが、川に結構水があったので雨季、日本で言えば秋頃か?)。ポル・ポトのフランス留学時代の友人だったというアラン、女性記者のリース、黒人カメラマンのポールという3人のフランス人ジャーナリストが、ポル・ポトと直接インタビューさせて貰えるということでやって来たところから始まる。ところが飛行機が降り立ったところは本来約束されていた場所とは違い、何処なのか明らかにされない。案内された宿泊施設の窓には鉄の格子があり、外から鍵がかかる。地元で労働をしている人々が口を開くことはまずなく、招待した側が見せたいものだけを見せ、聞かせたい話だけを聞かせる。不審に思ったポールが一人抜け出してジャングルの奥に入っていくと、見せたくない光景がそこにはあり……。
事前の知識として、1975年4月にロンノル政権を倒して権力を掌握したポル・ポト政権はベトナム軍の侵攻により1979年1月に民主カンプチアが崩壊し、クメール・ルージュによる虐殺も終了するという歴史的事実だけは把握しておいた方がよいかも知れない。それにより、1978年の秋(?)はポル・ポト政権の末期だということが読み取れる。であれば、そこまでは国を閉ざして関係を断ち切っていた西側のジャーナリストに自分たちに都合の良いことを書かせてでも、どうにか好転させたいという政権の必死さも透けて見えてくる。
本作は通常の劇映画のように役者が演じている部分と、当時の実際の白黒映像、そして当時の様子をジオラマのように表現する(粘土?の)人形が組み合わされた絵作りがされていて、実験的な映像にもなっている。その結果、あまり残虐な場面は直接には描写されることが少ないのだが、その一方で逆に想像力が掻き立てられるという効果もあるだろう。
完全なドキュメンタリーではないが、事実に基づいた話であり、アメリカ人女性ジャーナリストのエリザベス・ベッカー(Elizabeth Becker)による "When the War was Over" (1998) にインスピレーションを得て作られたとのこと。
基本的に全編フランス語(時々兵士が話す場面でクメール語)に英語の字幕。観客のカンボジア人たちは英語字幕を読んでいたのだろうか、それともフランス語が聴き取れるのだろうか?とか余計な心配をしてしまった。
日本でもサブスクやミニシアターでもいいから(フランス映画だし)上映されるといいなぁ。