「福山雅治の演技の新たな扉が開いた」ブラック・ショーマン しゅうへいさんの映画レビュー(感想・評価)
福山雅治の演技の新たな扉が開いた
通常スクリーンで鑑賞。
原作は読了済み。
原作を読んだ際、映像化するなら映画ではなくテレビドラマだろうなと思っていた。スクリーンに映えるスケールのストーリーでは無いし、東野圭吾の持ち味のひとつである、悲しくて壮絶な人間ドラマが控え目の比較的明るい作風で、テレビで観るのが適しているのではないかと云うのが理由だ。
なので、映画化されると知った時は驚いた。主演は福山雅治で、製作はフジテレビである。しかも新シリーズ開幕と云う触れ込みで、もう「ガリレオ」はつくらないのかなと残念に思った。地味な原作をどうスクリーン映えさせているのか気になっていたが、結果、危惧は現実となっていた。
映画的なカタルシスは無い。唯一スクリーン映えしていると言える部分は、画面を彩る紅葉した美しい山間の景色であろうか。だが総じてドラマスペシャルで充分であろうと言うしかなかった。
私は福山雅治のファンで、ファンクラブに入っているほどの熱心なファンなのだが、ファンの贔屓目をもってしても、本作の「映画」としての魅力不足は補うことは出来なかったのである。
とは言え、原作は東野圭吾だ。ストーリーが面白くないわけではない。名もなき町で起こった教師殺人事件の謎は原作を読了済みであっても大変興味深く、引きつけられるものだった。
小さな町の群像劇とするにはいささか不充分な点も見られるが、ロジックを駆使して容疑者を絞り込むプロセスと、点と点が線になっていく快感はミステリの面白さを喚起してくれた。
閉鎖的な町の人間関係を巧みな話術と心理戦で解きほぐし、嘘を華麗に暴いていく神尾武史のダークヒーローっぷりが最高である。
イカサマばかりかまし、親戚だろうと金をたかろうとするのに、家族愛には嘘偽りの一切無いところが人物に深みを齎していた。
有村架純演じる真世との掛け合いもシリアスとコミカルの緩急が息ぴったりであった。叔父と姪のバディのリアリティを醸し出す。
時折武史が披露するマジックは、福山雅治自身が実際に行っているとのこと。その手際は惚れ惚れするほどであり、流石である。
武史の口調や仕草、皮肉たっぷりな笑みは「SCOOP!」とは違う種類のやさぐれ演技で魅せてくれた。普段のイメージを払拭し、福山雅治の演技バリエーションの新たな扉が開かれたように思う。
先行作の「ガリレオ」のように、テレビドラマで地盤を固めてから映画化するわけにはいかなかったのだろうか。新シリーズのスタートと云うことだが果たしてヒットするかどうかとても心配だ。不安が杞憂に終わって欲しいと願うばかりである。
[以降の鑑賞記録]
2025/09/23:TOHOシネマズなんば(舞台挨拶中継)
*修正(2025/10/21)
共感ありがとうございます!
おっしゃる通り、原作からするとドラマ化の線が予想できましたが、フジテレビは色々と問題を起こしたのでテレビでの展開を捨てたのだと思います。監督もコンフィデンスマンjpの田中亮を使っているので、劇場版に大きく展開しても観るに堪える作品にはなっていたと思います。
東野圭吾ファンからすると新シリーズへの劇場版からの展開は心配ですが、温かい目で見守ってあげようと思いました。
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