「良い言い方をすれば... "慎重" に物事が進む作品と言えるかも?」アンデッド 愛しき者の不在 Paula Smithyさんの映画レビュー(感想・評価)
良い言い方をすれば... "慎重" に物事が進む作品と言えるかも?
“Handling The Undead” is one of the best novels that I have read over
the better part of the last decade, so I was quite excited for this movie.
To say I was disappointed is an understatement. Not to mention, I was
so confused about it that I was compelled to skim back through the
book to reassure myself that I was correctly remembering what I had
read.
ある国の動画サイトで既にデジタルプラットフォームで配信が始まっている。一視聴者の鑑賞後のレビューの一部を載せてみました。
最後には、"It was not “Handling The Undead.” You have been warned." と言い切るほど失望を隠せないファンのコメント... 正直なところ、この人何かを勘違いしている。というのも本作の脚本はヴィスタンダル監督ともう一人、原作者ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィストが共同執筆をしている。それに彼ら二人して仲良く動画サイトで本作について終始笑顔を絶やさずに抱負を語っていた。"Bookophile" とペンネームで用いるほどの愛読者なのに、そんな事を知らないはずは、ないのだけれど?いつものように話が長くなるので本編に戻ると...
Dr. Pinelli:Her heart rate is very slow, and her oxygen level
is so low that we can't understand how she's still
alive.
・・・・・・・・・・(省略)
David:She's alive, though?
ピネリ医師は続ける...
Dr. Pinelli:Yes, but we've never seen this before.
この映画は、確かに原作とは異なる設定になっている。愛する人を亡くした家族と数千人にのぼる蘇生した人々の事件を解決しようと対処するスウェーデン当局と家族とのアツレキを一切省き、その代わり、残された家族の喪失感から生まれた悲しみや蘇生者(undead)に対しての思慕であり、先行きの不安感、そして誰もが敬意を払う "人への尊厳" などに重点をシフトしている。特に個々の出演者を挙げるとフローラの性格が原作とはかなり異なり、原作ではメインキャラで、しかも本編のように利己的でわがまま娘ではなく、180度違い、賢く、強く、勇敢な十代の理想像として描かれている。
Mom is dead. (※娘フローラによる蘇生者に対する思いであり、ある意味、映画の大まかな包括的メタファーとなっている。)
そして何よりこれより...
個人的には、会話に対してミニマリストとしてアプローチを試み、ストーリーテリングを視覚的に考えると絶妙で微妙なレンズに映し出されるのは、季節の明るさはほとんどなく、すべてが枯れ果てたカーキ色とホワイト・グレーの重圧を感じさせるモノトーンの光に包まれた世界であって、そこには甲高い弦楽器と不協和音のピアノによる苦悩を表現するフィルム・スコアによって時間が存在しないようにゆっくりと進む。それらの効果でも、このような受動的で中間的な生き物に対してできることは限られている。魂のないこれらの体が何らかの生命の模倣に向けて養われ、育てられている間も、家族らには圧倒的な悲しみの感覚が続く。だから、各々のシーンを見ている者がおろそかにできないし、それに応えるように登場する人たちの心理描写が細かく描かれ卓越している。それらの印象が薄ければ "慎重" という言葉ではなく "緩慢" にすり替えられ中身のない、意味に深みのないと捉える人もいるのは許せるのかもしれない。
本作にははっきりとした分水嶺となるシーンがある。
街中に不気味な雰囲気が漂い、突然の停電。群がる鳥。そして終末を告げる車の警報音が静まり返ったオスロの夜の街に響き渡り、生と死の境界が突然この世に現れたのではないかという不安が、より鮮明になる。
繰り返して
Mom is dead. この言葉が本作のトリガー警告となっている。
蘇生者が帰還して以来、彼らの存在の不安定さ... 呼吸や心拍数はあるけども通常では生きていけない程のレベルで、始めから終わり近くになるまでメランコリックな恐怖に満ちていて見ている者としては、出口の見えない不安感にかられ続けられた。
この警告のおかげで、蘇生者が "undead" と位置付けられゾンビ映画として成立したことであたし自身、その事で蘇生者の「どうなってしまうのか?」という本編中、ずうっと続いていた不安感が一掃されたと同時に解放され安どした。
この映画には、もう一つのテーマがある。それは生き返ったパートナーと老婦人がダンスをするシーンにある。その時、流れていたのが、史上最高の歌手ニーナ・シモンによる ♪Ne Me Quitte Pas この歌は「行かないでくれ 忘れるべきだ」という歌詞から始まる。元々はジャック・ブレルという人が女性と別れた後に書いたもので、彼自身「ラブソング」ではなく、「男性の臆病さへ向けた賛美歌 」であると語っている。
この事は、ラストシーンで主人公アナのとった行動に比喩的暗示として反映されている。