「女神の降臨シーンを端折ったら、映画を作る意味自体がなくなる」女神降臨 After プロポーズ編 Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
女神の降臨シーンを端折ったら、映画を作る意味自体がなくなる
2025.5.1 TOHOシネマズ二条
2025年の日本映画(99分、G)
原作は韓国のウェブ漫画『TOUCH/タッチ』
メイクによってなりたい自分になれた女子大生を巡る騒動を描いたラブコメ映画
監督は星野和成
脚本は鈴木すみれ
物語の舞台は、都内某所(世田谷ほか)
前作にて、学校一のイケメン王子こと俊(渡邉圭佑)と御曹司こと悠(綱啓永)と仲良くなった元いじめられっ子の麗奈(Koki,)は、無事に高校を卒業して、無難な大学生活を送っていた
親友の望帆(美山加恋)と藍里(深尾あむ)との友情もそのままだったが、メイクに関してはお金がかかりすぎるとのことで最低限のところで留まっていた
文化祭の騒動で歌った悠は、そのまま夢を追って歌手となり、「NO TIME」と言うバンドのボーカルになっていた
新進気鋭のバンドだったが、徐々に知名度が上がり、ファンもついてくるようになった
だが、そんな最中、悠はファンの前で「麗奈が彼女だ」と公言してしまうのである
一方その頃、アメリカに渡っていた俊は、母(片岡礼子)の看取りを終えて、父(津田健次郎)の仕事の関係で日本に戻ってきていた
俊は「人のために仕事をしたい」と考えていて、麗奈の大学の医学部に編入してきたのである
映画は、悠との恋愛発覚によって敵ができて、それによって「正体(すっぴん)」が拡散すると言う流れになっている
そして、表に出られなくなった麗奈のために悠と俊が動くのだが、それも大した動きをするわけではない
盗撮犯はあっさり捕まるし、謎の尾行も瞬殺だし、そのお仕置きも話せばわかるレベルで、次はもうしませんみたいな口約束で終わってしまう
この一連の流れの中に大人がいるようには思えず、学校の演劇部でももっとまともなシナリオを作るように思えた
大学生になったことで「イベント」と言うものがなくなり、恋愛におけるわかりやすい転換点が作りづらくなっている
恋愛に対する感覚も結婚願望が芽生え始めて、それがリアルになってくるし、最終的な進路というものが頭をよぎってくる頃だと思う
そんな中で、ノープランで大学に入った麗奈が「メイクどうしよう」と悩むのはナンセンスで、本気なら専門学校とかに入っていると思うし、メイクという技術をどの分野で高めるかという悩みは高校時代で終わっていないとおかしい
このあたりの現実感はどうでも良いのだが、俊と悠とは友達関係の方が良いというのは「両方のイケメンからチヤホヤされたい」みたいにも見えるし、悠が気持ちを切り替えたら、あっさりと俊に突き進むのも節操がないように思えた
映画は「プロポーズ編」と銘打っているだけに「プロポーズをさせる必要」があるのだが、決着がついてからの後日談で描くのは蛇足すぎるように思う
それならば、冷静な俊が付き合うを通り越してプロポーズをする方が面白くて、俊なりの気持ちの強さを表現できたように思う
悠がライブをするとしても、「楓(宮世琉弥)がそろそろ出てくる」というふりがあるのに出てくる前に歌うのも微妙で、彼の登場によって、さらにラブコメ要素が増すという展開でも良かった
物語として、何かが起きて連鎖して何かが起きるというのがなくて、一つのエピソードが終われば次、という感じに進んでいくので、時間の流れと出来事に対応した人物の心理描写の変化などが全く感じられなかったように思えた
いずれにせよ、前編を観ちゃった人か出演者のファンの人以外には需要がないので、観る層もかなり限られていると思う
ネームバリューで客を呼ぶのも弱いと思うので、いっそのこと「悠の父はキムタク」「大女優は工藤静香」ぐらいのことをしないと興収が伸びる要素はゼロだと思う
また、せっかく別荘があるのに水着のシーンとかもないし、メイク動画を作るにしても、麗奈が変身していく過程を見せないのは意味がないと思う
映画としては、麗奈がメイクによって女神になっていくというシーンが一番大事なので、他のキャラのメイク以上に「女神が降臨するシーン」を見せないと映画自体を作る意味がないのではないだろうか