映画ドラえもん のび太の絵世界物語のレビュー・感想・評価
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ドラえもん、ナメてました
ひょんな事から鑑賞してきました。
劇場版のドラえもんは20年振り。
大人でも楽しめると言うより大人になったからこその視点で大人にこそ観て欲しい。
そんな作品でした。
話の構成や設定はわかりやすく、作画も気合い入っていましたし、しっかり伏線回収もされる。
良作だと思います。
とても良いドラえもん映画でした!
子どもにもわかりやすく、大人も楽しめる物語で、とても面白かったです。
ドラえもんの仲間たちにも見せ場があり、問題を解決するのが、のび太とドラえもんの絆だったのも、ドラえもん映画らしくて良かったと思います。
最後はやや唐突な印象もありましたが、エンターテインメントとしては、この終わり方で良かったのではないでしょうか。総じて楽しめました。
近年のドラえもん映画では出色の出来栄え。
一日に3本観た日の一本目。
どこかの世界に入り込んでの冒険譚という王道の展開だが、なかなか魅せてくれる作品だ。
ジャイアンは映画でお馴染みの活躍をしてくれるし、意外としずかちゃんがいろいろと大活躍。
道具も伏線回収のように使われ、脳みそが活性化してくる。
現実から絵の世界を抜けてさらに現実世界という場面は、対象年齢の子供には俄に理解出来ないと思ったのか、図説付きで説明している。こういうフォローは嬉しい。
今後のドラえもん映画のターニングポイントとなりうる作品と感じた。
パパがいいこと言った
オープニングの絵と演出が素晴らしく、ムンクやピカソ、ゴッホはもちろん、北斎などまで使った名画コラボが楽しい。
若冲の犬と戯れるドラえもんは、反則級に愛おしかった。
物語も面白かった。
芝山監督・大山ドラ時代の名作たちに劣らぬ、夢と友情に溢れた内容で、涙腺が刺激されました。
ラスト、ちょっとだけご都合主義っぽかったけど、まぁドラえもんだし、よいかと納得。
活躍こそしないけど、のび太のパパ・のび助がすごくいい役回りとセリフでした。
絵を描くことの意味とか、いい絵の定義とかを、のび太に語る姿が素敵。
そういえば、原作にパパって若い頃は画家志望って設定あったっけと思い出す。
ちゃんとこういうFさんへのリスペクトを忘れてないのが偉いなとしみじみ。
映画ドラえもんの中でトップクラスの名作!
毎年映画ドラえもんは観に行っていますが、今回の絵世界物語はすごいです!
いつもと違う導入・OPの夢をかなえてドラえもん・伏線回収・キャラの感情表現・物語そのもの……etc.
どれをとっても最近のドラえもん映画の中でトップクラスに良かったと感じさせられるものでした。
また、過去のドラえもん映画の小ネタが少しずつ入っていたのも個人的には好きですね(*¨*)
(3/24追記)
2度目の鑑賞をしてきました。
今回の映画は、悪役以外のゲストキャラクターに嫌なところが無く、それを含めて嫌いになりそうなシーンも特に無かったというのも印象的に良かったのではないかなと感じます。
また、“鈴鹿央士さんの演技が〜”と最初は思ってしまいましたが、改めて観てパルのキャラクター性を考えてみるとピッタリ合っているのかも知れないと感じさせられましたね。
“タイムパトロールとしては頼りないのでは?”という感想もありますが、旧ドラ時代のタイムパトロールが有能すぎたので、メタ的に考えて物語の中に溶け込むという意味ではちょうど良いのかも知れません。
あっさり王道
子どもも理解しやすいストーリーでした
お決まりの小ネタ満載で、ドラえもんらしいいつものひみつ道具だし、あちこちに散りばめた伏線は見事回収
最後の展開は読めなかった、いやそう来たか
細かいところを言えば、あっさりしすぎて強く印象に残るシーンが少なかった、とか
もう少しハラハラドキドキする展開があってもいいかも?とか
ライトが壊れたら、、、ならそういう伏線的なものがあっても良かったのでは?とか
湖の水で1度失敗してるのに、城の水だけでどうにかなるとは思えない、とか
突っ込みたいところはありますが、全体的によくまとまったストーリーでした
「夢を見ていた。私はあなたを知っている」
傑作!大傑作!!
個人的には近年最高に面白かった。
久々に、こんなドラ映画で興奮した!
わさドラ以降の、オリジナル作品、最高傑作だと思う!
語ることが多すぎる。
一回しか観てないので、細かいことは違っているかもしれない。
それと、前提として、作品の面白さなんて、「全て主観でいい」と思っている。
作り手の意図より、観た人の主観。
近年YouTubeとかで流行っとるらしい「考察!監督の意図はこれ!」みたいな言い方は大嫌いだ。岡田斗司夫かよ。
感想は主観。
「おれにはこう感じられた!」
でいい。
だからもちろん、「ここが好き」も主観でいい。
「キャラ萌え」とか「声優がいい」とか「アクションこそ至高」とか「恋愛(カップリング)要素」とか、人それぞれ価値観、つまり好みってものがあるだろう。
おれの好みは、
「作品そのものがエンタメ映画として面白い上に、メタ的要素が比喩されている」
みたいな作品。
今回のドラ映画は、ドンズバだった。
全部書くと更にクソ長文になるので、「最高だったところ」以外の良かった点については以下、ピックアップする。
・オープニングが歌もアニメも最高
・細かい伏線までキチッと回収されていく気持ち良さ!
・ここはこうなるんだろな、と予想できちゃう点も「さらにそうくるか!」と上回ってくる展開の面白さ!
・アクションシーンのアニメがいい!ワクワクするしドキドキする!アニメが進化している力を十分活かしている。
・ギャグシーンがキチンと面白い!いい年こいて映画館で吹き出した。特にジャイアンからクレアへのパイルドライバー。
・ひみつ道具が楽しい!豊富に出てくる上に、使い方が上手い!一発で解決させてしまうホームラン級道具でなく、シングルヒット連発で打線をつないでいくような気持ちよさ!さすが「ひみつ道具博物館」の監督!王道ホームラン道具であるタイムマシン(※ドラえもんの)やどこでもドアすら出てこない!タイムマシンは名前だけ出てくるけどビジュアルはあえて出さない、そこに意志を感じる!
・でもタケコプターは、これぞひみつ道具代表だからか、むしろ印象強く使われる。やたら外れたりね。それがラスト「あの絵のドラえもんが出す道具」で出てくるからこそグッとくる。
・過去作のオマージュがそこかしこにありニヤリとさせられるが、あくまで今作の中で自然。上手い!
・TPぼんのアニメ化もあったし、TPキャラ出すのに、いいタイミング。
・のび太のパパがいい。原作でもいいキャラなんだよね実は。パパが画家を目指していた、という原作エピソードを知っていると、より震える。
・こども向け絵画指導の原則をきちんと押さえており矛盾がない。ここ素晴らしい!!
・AIでいくらでも上手い絵が描けてしまう時代に「絵を描くとは、絵の良さとは」を真正面からテーマにしている。いい。
・やたらエモく泣かせようとする押し付けがましい感動ではなく、自然に感動する。
・キャラ愛偏重ではないキャラの描かれ方。故の自然な人間関係。大長編ならではのジャイアンのカッコよさも、良い塩梅!くどくない!
・しずかちゃんの描かれ方がいい。ヒロイン的でもなく愛玩的でもなく、かといって反動的に自立しすぎになるでもなく、「同い年の異性の友だち」として、のび太たち仲間の一員として、ナチュラルな描かれ方に思えた。
・怖い!敵も怖いし、ドラえもんさえ石化(的に)されてしまう怖さ。少しずつ絶望的状況になっていく演出の怖さ!上手い!色が消えていく=世界が壊れていく、この怖さ!さらに「アニメから色と動きが消える=アニメの死」というメタ的怖さも。アニメならではの演出とも言える。
そして「最高だった点」については、後述。
冷静な視点で、あえて「個人的にはイマイチだった点」を書くと…ほとんどが「もっと尺があれば描ける」ことで、制作側も「んなことわかっとるわい」って範囲のことだと思うけども!
自分なりに「こうだったら良かったな」も書いてみた。
・4年間、次元の狭間を放浪は無理があるのでは…?
→どこかの世界で保護されていた、とか?
・13世紀のヨーロッパにあった国が記録ごと無くなるのは無理があるのでは…?&最終的に滅びるのがわかってるのにのび太たちがそれを知って何もしないのも不自然?
→火山噴火直前に、絵世界に国ごと入り込むことで、滅びを防ぎつつ歴史改変も防ぎ、絵世界で静かに暮らせるように、ひみつ道具の力で現実の人々の記憶から消す。これはやってほしかった。
・ソドロがよく転ぶ演出の意味。後々ころばし屋が出てきたので、なにか伏線かと思ったけど違った。
→無くす。か、「また転ぶのか~!」みたいなネタにするくらいか。
・イゼールが、色の派手なものを狙うのは「自分が白黒で描かれており、色のない存在だったから」なんだろうけど(作中でも取り込んだものを自分の能力にする表現あり)、そのあたりは掘り下げないためわかりにくい。ソドロが最初に狙われたのも、「その場で一番派手な色だったから」も、実に上手くできているが、演出としては伝わりにくかった。そこを踏まえていれば、ラストの「最も派手な色の絵を!」がもっと活きたような気がする。
・同じく、クレアが流しそうめんやお風呂を嫌う理由も「絵世界の住人で水が苦手だから」だろうけど、わかりにくい。でも、本人がそれを自覚してると、イゼールの弱点もあらかじめわかってることになっちゃうからなぁ…
・棒読み…
→大人の事情だから仕方ない…「タイムパトロール隊のアンドロイド」みたいな設定にしとけば「だから棒読みなのね」とフォローになったかもな…
あと、「冒頭、工事現場でクレアがピンチになる、トムとジェリーみたいなシーンはいらないのでは?」と言われそうだけど、全ての演出には意図がある…とするなら、あれは物語の導入部のひとつとして「この映画は、ハードSFやリアル志向のものではなく、ご都合主義的シーンもドタバタアクションもある、こども向けアニメなんだよ」という世界線の提示だと思う。
以上に挙げた、良かった点は、きっと他の方も言っているだろうし、詳しくは語らない。
いや、語れるし語りたいけども!長いから我慢する!
★一番好きなところ★
オープニングのアニメで、歴史上の名画と並列の並びで「線画(マンガ)のドラえもん」が出てくる。これはつまり、「絵=マンガとしての原作ドラえもん」が名画たちと並ぶ絵であると感じられて、震えた。シビレた。
それに色がついてアニメーションのキャラクターが飛び出してくる。
「今から、この名作をアニメにした物語が始まるよ!」
そう雄弁に語るようなオープニング。完璧である。
でも、これは、言わば、ひとつの罠だった。
終盤、ずっと登場していたクレアは絵世界の住人だったことがわかる。
そして、「はいりこみライト」の故障と共に、その存在は消えていく。
(絵の世界に戻る、と言ってもいい。なお、「じゃあ、そのひみつ道具の仕様さえドラえもんが知っていれば、はいりこみライト壊すことでイゼールもすぐ消せたんじゃない?」というツッコミもできるが、それは結果論なので重要ではない)
観客は「チャイはともかく、クレアまで絵世界の存在だとは思っていなかった!」となり、突如訪れたその別れに、悲しみを感じるシーンでもある。
これ自体が、「禁断のメタファー」なのだ。
つまり。
観客である我々にとっても「ドラえもんたち全てが、絵世界の住人なのだ」ということの、暗喩。
素晴らしいオープニングが、まさに示したように…ドラえもん、は、絵世界の物語。
我々の現実では、ない。
私たちは、コミック誌や、劇場スクリーンを通じ、「はいりこみライト」の力を借りるかのように
その世界に入り込み、楽しみ、その世界を、キャラクター達を、愛してきた。
しかし、コミック誌の最終ページを閉じれば、劇場の照明が灯れば、絵世界とは、断絶してしまい、キャラクター達も、消えていく。
この絵世界物語、という作品は、ドラえもんそのものが、本来、絵世界物語であるために、そういうメタ構造を持たざるを得ない。
それに気づくとき、私たちは、克服することのできないさみしさ、切なさをもつことになる。
「この世界に、ドラえもんは、いないのだ」
その悲しみにいる観客を、しかし、作品は、悲しみの中に置いてけぼりには、しない。
まもなく、連れてこられる「絵世界の住人ではない本物・現実世界のクレア」。
物語の冒頭とラストにしか登場しない彼女は、笑顔で語るのだ。
(セリフはうろ覚えである)
「ううん、でも、私はあなたたちを知っている。夢を見ていたの。その夢の中で、たしかに私はあなたたちと一緒に冒険したのよ」
悲しみからの、なんという、救いだろう。
そう、私たちは、知っているのだ。彼らを。
「夢の中で、ドラえもんたちと」
私たちは、いくらでも、共にあった。
私たち自身が、絵世界の中で。
この現実の地球には存在しなくても、絵世界の住人であるドラえもんたちと、いくらでも、時間を、共に。
これまでも、これから、ずっと。
その、全肯定。
メタ構造にある、フィクションと、現実に生きる我々が、「共にある」ことの、全肯定。
最高じゃないか。
ドラえもんという、多くの人にとって、幼少期からの思い入れのある作品だからこそ、それは、沁みいってくる。
なお、この映画を、冗談で「タイトル詐欺」と評した声を聞いた。
「絵世界物語ってタイトルなのに、ほとんど現実世界が舞台だったよね」
なるほど、言うことは確かだし、理解もできる。
おれは思う。
絵世界に戻っていったクレアがさみしくないように、と、マイロは絵を描き足す。
クレアの隣に、一緒に過ごした、のび太たちを。
そう、この映画は終わるけど、絵世界で始まるのだ。「のび太の絵世界物語」が。
終わりが、始まり。
むしろ完璧なタイトル、完璧なプロットじゃないか。
火山でアートリアが滅びても、絵世界の物語は、終わることがない、という救いでもある。
それは、藤子・F・不二雄先生が亡くなり、ドラえもんという作品が新たに生まれない時代が来たとしても、「その絵世界のキャラクター、物語は、永遠に終わることはない」というメタファーにもなっている。
私たちが思う限り、それを夢見ることができる。
そこでもう一度、あのオープニングに立ち返るのだ。
心の中 いつもいつも 描いてる
夢をのせた自分だけの 世界地図
大人になったら 忘れちゃうのかな?
そんな時には 思い出してみよう
Shalalalala 僕の心に
いつまでも かがやく夢
ドラえもん そのポケットで かなえさせてね
大人になっても きっと忘れない
大切な思い いつまでもずっと
Shalalalala 歌をうたおう
みんなでさあ手をつないで
ドラえもん 世界中に 夢を そうあふれさせて
「夢を見ていた、その中で私はあなたと共にいた」
クレアのセリフの続きが、そう、ここにも。
以上は、あくまでおれだけの主観。おれだけの個人的感想。
監督や脚本家はそんなこと、思ってもいないかもしれない。
でも、おれにはそう届いたのだ。
だから、これは、大人になってもドラえもんが大好きな、おれにとっての、大傑作。
素晴らしい映画を、素晴らしいドラえもんを、ありがとう。
この映画は、見どころが多すぎる。感じ入るところが多すぎる。
好きなところが、多すぎる。
ここまでの傑作だとは、想像以上の感動だった。
また観たいと思う。
何度も見ると、また違う良さを見つけそうだなと思う。
面白さ、素晴らしさが複層的になっていて、語りつくせぬくらいの、良さがある。
脚本の伊藤公志さんは、映画ドラえもんの脚本は初だという。
「ファーストアルバムが最高傑作」という、音楽界でよく言われる言葉があります。
今までの全部を、ここにブチ込むぞという気概!ドラえもんへの愛を、ドラえもんでやりたいことの全部を、ここでブチ込む!
感じました。素晴らしかったです。大満足です。
画家志望だったのび太パパの言葉
元々は別の映画を観に行く予定だったのですが
ミスって映画館を間違えてしまい、
代わりに近くでやっていた本作を鑑賞しました。
しかしこれが大当たり。
ドラえもんらしく子供が楽しめる
コメディパートはもちろんのこと、
単純に話の構成や展開がとても良くできていて
大人でも十分に楽しめます。
壮大な世界観の説明はキッズアニメにおいて
なかなかの関門だと思いますが
初期クレヨンしんちゃん映画での
パラレルワールドやSF要素の説明のように
絵と噛み砕いた言葉で分かりやすく解説出来ており、
子供はもちろん、小難しい設定が苦手な人にも
とても分かりやすくなっていたのではないでしょうか。
今作ではのび太のパパが
とても重要な役割を果たしています。
のび太のパパは若い頃、画家志望でした。
そんなパパだからこそ自分の絵に否定的だったのび太に
「あの言葉」をなげかけ、
それが作品のキーワードになっている。
実際の冒険には関わっていなくとも
今作最大の手柄はパパにあるのかもしれない。
強大な敵に相対する時の絶望感がすごく
敵にねじ伏せられる展開にはゾクゾクとさせられつつ、
そこからのバトルが素晴らしくカッコ良かったです。
ドラえもんやのび太はもちろん、
ジャイアン、スネ夫、しずかちゃん、
オリジナルキャラたちにも見せ場があって
とても胸アツ作品でした。
ゲスト声優として俳優の鈴鹿央士さん、
藤本美貴さん、サンドウィッチマンさんが
起用されていたのですが、
どなたも「大人の役」を演じており、
見ている子供たちが感情移入するであろう
クレア、マイロ、チャイなどには
プロの声優を起用していて
そこにもこだわりを感じました。
これは余談ですが
舞台挨拶をYouTubeで拝見しました。
会場には多くの子供たちがいたのですが
監督やゲスト声優は登壇しても
メインの声優たちはあえて登壇せず、
終始着ぐるみに声を当てていたのを見て
子供たちの夢を壊さない素敵な舞台挨拶だと感じました。
文句なしのストーリー。ドラえもん史上、最高級傑作。
毎年欠かさず見ているドラえもん映画。今年も見に行く前に、レビューを見てみると、衝撃の⭐︎4.2。おっ!これは期待できるなと思い、映画鑑賞。
結論、びっくりした。ここまでテーマに沿いながらも、完璧なストーリーを作れるのかと。
ネタバレになるので、詳しくは話さないが、全てのドラえもん映画の良いところだけを取った感じの映画であった。
例えば、去年には無かったラスボス戦の迫力もありつつ、去年で最も良かった無音の絶望感も、今回流に変えて残してくれていた。
一つ、挙げるとするなら、原作でのび太のパパが画家になる夢があったのだが、そのシーンを入れると、よりのび太の絵を褒めるシーンが感動的になると思う。
しかし、いつものドラ映画なら、あの部分を削って、このシーンを入れたら良いとなるが、今回は全てのシーンがとても完成度が高く、削る場所が無いため、このシーンを入れてしまうと、時間が長くなってしまう。
その他には、ゲスト声優が少し目立ってしまったかな?というのはあるが、それはどうしようもないことなので、評価には入れてない。
その為、今回の映画は本当に傑作なんだな、と感じた。
1秒たりとも退屈しない映画は久しぶりだった。是非、皆さんも映画館でご覧になっていただきたい作品である。
ドラえもん史上、最大の絶望感!
ドラえもんの映画を劇場で鑑賞するなんて、何年振りだろう?初めの「のび太の恐竜」から5作目の「魔界大冒険」迄は毎年観ていたけど、そこから随分空いて、評判の良かった「新鉄人兵団」を観て以来か?という事は2011年以来。もうそんなに経つんだ。え?「STAND BY ME ドラえもん」あんなもん!ドラえもんの皮を被った醜悪な糞映画…失礼しました…
元々ドラえもんは好きだったし、藤子不二雄先生は今でも読み返す。けど、亡くなられてからの作品は特に興味がわかなかった。今回もあいみょんが主題歌を歌ってるという、ある意味邪な思いからの鑑賞。
そして久々に観るドラえもん。
まず、アニメーションのレベルが高くて驚いた。こんなに綺麗で、よく動くなんて。
そして馴染みの浅い、水田わさびさんのドラえもん。大山さんとは違い、のび太との距離の近さを感じる。見守るというより、一緒に遊ぶという感じ。原作初期の雰囲気に近いか?日テレ版にも近い?今更そんな事を考えるのも、どれだけ水田わさびさんになってから観ていないか、と思う。
そして今回の映画、まず演出の良さを感じる。テーマに沿ったオープニング、個性を活かして跳ねまくるレギュラー陣。魅力的なゲスト。小道具の活かし方。テンポも良い。
また、脚本の面白さで引き込まれる。散りばめられた伏線が回収される巧みさ。まるで伏線とは思えなかった出来事まで伏線だったり!二転三転する物語。
そして「シン・ゴジラ」並の絶望感。ドラえもん史上最大か?
で、ラストであいみょん😁 作品に余りにも合っていて愛を感じる。
すごく良かった!
余談だけど、しずかちゃんとジャイアン、優秀過ぎないか?小学生だよね😁
#ドラえもん
#のび太の絵世界物語
#あいみょん
ドラえもん45周年なんだね。
子供たちへのメッセージは?
長編映画44作目で45周年記念作品。
数十億円の価値がある絵画が発見されたというニュースがテレビから流れる中、夏休みの宿題の絵を描いていたのび太の頭に、突然絵画の切れ端が落ちてきた。ドラえもんと一緒に、はいりこみライトを使い、その絵の中に入って探検をしていると、少女クレアに出会った。彼女の頼みを受けてアートリア公国を目指すドラえもんとのび太たちだったが、そこはニュースで話題になっていた絵画に描かれた、中世ヨーロッパの世界だった。その世界にはアートリアブルーという絵具の元になる幻の宝石があるとの事。その宝石を探すことになったドラえもんとのび太たちは・・・さてどうなる、という話。
興味深く観れたから良かったのかなぁ。
でも本作は子供達に何かメッセージを伝える、という観点からは、何も無かったかも。
絵画がテーマだったからか絵が綺麗だったのと、あいみょんの主題歌は良かった。
自分がドラえもん映画に求めるものがすべて詰まっていた。月面探査記以来の良作
【公式YouTubeのコメント欄にも投稿したものを自ら転記しています。】
かなり面白かった!!!
わさドラ映画の真骨頂という感じのハラハラドキドキ、目を離せないバトル展開。
とりあえずクレアがめっちゃかわいい。
とにかく脚本の作り込みが素晴らしかったな、という印象。
伏線の張り方と回収の方法まで。
とくにクレアの消滅シーンでは、「あ………そういうことだったのか……」となり驚きとともに思わず涙。
水もどしふりかけの件はまあだいたい多くの人がなんかあるな、と勘づいたと思うんだけど、一番すごいなと思ったのは、「クレア(絵の中ver)が風呂嫌い」という描写。
しずかちゃんのギャグ要素としてさりげなく入れられてたけど、
その風呂嫌い設定が偽クレアを見抜くためのいいエピソードづくりにもなってた上に、
「絵の中のクレアだから水浴びできなかったのか!!!」って気づいたときには目からウロコ。
あとはひみつ道具の使い方も絶妙で、水ビル建築機、かるがるつりざお、ほんものクレヨンの使われ方とストーリーへの活かされ方も実に秀逸。
ご都合主義の新しい道具とか生み出さないし。でもストーリーの根幹をなす道具(入りこみライト)だけは違和感なく新しいものをつくる、そのバランスが良い。
水ビル建築機が出てくるとかマニアック過ぎるw
あとOPの「夢をかなえてドラえもん」をちゃんと流してくれるとこ!!
あれがあることによって、「これはいつものドラえもんのお話が、ちょっとスケールが大きくなっただけだよ」と分かるので、
安心感があるし、いつものドラえもん世界なんだという親近感や
「すこしふしぎ」のワクワク感を感じさせてくれる。
OPなくしてなんか壮大な導入とドーンとタイトルが出る演出が何年か続いてて、
「ドラえもんという素材を使って自分の作りたい大作映画作ってる?」ってなってたので………
そのOP映像自体も、ものすごくこだわってて随所にネタや笑い要素もあり、ぐっと引き込まれた。
その話にもつながるけど、日常世界と非日常世界がだんだんと交じりあう描写がとても上手。
最近のオリジナル脚本の場合、一度非日常世界とつながったらずっとそっちに行きっぱなしで
あっさりと冒険世界に入ってしまうという流れが多い中、
今回はしっかりと「絵の中の世界(非日常世界)」に入り込んだり、日常世界に帰ってきたりしながら、
「クレア(非日常世界の人物)」と「遊ぶ」という、
すこしふしぎ(=日常と非日常が混じり合う)の世界をしっかり表現している。
このあたりは、TVシリーズの脚本経験が長い伊藤公志氏の手腕によるところだろうか?
また、ドラえもんとのび太の友情・絆の部分をしっかりと印象的に描いていたのも素晴らしい。
このあたりは寺本監督のこだわりが感じられた。
最後のパパのセリフにもほっこり。さすがは画家志望だったパパなだけある。
一方でいくつか気になる点も。
・ソドロの最後(色が戻った後)について一切描写がなかったのが中途半端感。
・はいりこみライトがイゼールの体内から排出された理由がハッキリしない。
・そもそもイゼールを倒せば失われた色が戻る、という理屈はどこから来たのか?
・アートリア公国がどうなったのかをちょっとでも匂わせてほしかった
(ソドロの言ってた通り火山で滅びてしまうのだとしたら救いがなさすぎる)
・バトルの絶体絶命感が強烈過ぎて、さすがにそうはならんやろ…となった感じが若干
(ex.イゼールは湖の水が襲ってきたのは蹴散らせたのに、水の城が水に戻ったやつくらいでやられるの?っていう)
おそらく、ラストの感動ポイント(クレアとの突然の別れ)に焦点を絞るために
決着部分は説明少なめの勢いで済ませた感があった。
バトルの結末とラスト(クレアの帰還と記憶の承継の部分)はご都合主義感は否めないものの、
鑑賞後の読後感(?)がとても良くすっきりと劇場を後にできた(アートリア公国のその後については気になりつつも)。
わさドラのオリジナル映画としては、月面探査記と1・2を争うくらい素晴らしい作品でした。
間違いなく何回か見に行きます。
今年も良かった
子供と一緒に観に行きました。息子はチャイの結末に納得が行かなかったようですが、藤子・F・不二雄先生の原作がある作品にも通じる描かれない行間を読ませるような演出が良かったです。ゲスト声優については、違和感がある人とない人がいました。ゲスト声優を採用するのはいいですが、きちんと声優の仕事ができる人にしてもらいたいです。ただ客引きパンダのようにして、人気俳優を採用するみたいなのはそろそろやめてもらいたいです。子供も少し大きくなると違和感を感じは始めているようです。
脚本としての出来の良さは、作品としての面白さを担保するか?
【イントロダクション】
『映画ドラえもん』シリーズ45周年記念作品。
絵の世界に入れる「はいりこみライト」で、様々な絵画の世界へ入って遊んでいたのび太達は、とある絵画から出てきた6歳の少女クレアと共に、13世紀のヨーロッパに存在したアートリア公国で冒険することになる。監督は、『のび太の新魔界大冒険 7人の魔法使い』(2007)や『新のび太と鉄人兵団〜はばたけ 天使たち〜』(2011)等の劇場版シリーズに参加してきた寺本幸代。脚本には、TVシリーズを手掛ける伊藤公志。
【ストーリー】
13世紀、ヨーロッパのとある地方に存在するアートリア城。宮廷画家の息子である6歳の少年マイロは、幼馴染のクレアの誘いも聞かず、夢中で絵を描いていた。クレアの瞳は、見る角度によって色が変わるという特殊な性質を持っていた。退屈して一人森へと出掛けたクレアは、突如出現した時空乱流に飲み込まれてしまう。
夏休み。絵の世界に入り込める秘密道具「はいりこみライト」で、スネ夫の自宅に飾られている様々な絵画の世界に入り込んで遊んでいたのび太達。スネ夫は、のび太とドラえもんが入っていた『ミノタウロスの迷宮』のモチーフであるクレタ島のクノッソス宮殿をはじめ、世界にはまだまだ未発見のかつて存在した伝説の場所があるのではないかとロマンを語る。
夏休みの宿題で、父の似顔絵を描いているのび太。しかし、絵が苦手なのび太は上手く描く事が出来ず、早々に宿題を投げ出してしまう。
何気なく点いていたテレビのワイドショーでは、先日発見された謎の絵画の特集が組まれていた。絵画には、王宮と周りを取り囲む湖が描かれており、湖の青には、見る角度によって発色が変化するという不思議な鉱石が用いられていた。専門家によると、その鉱石の価値は現代ではダイヤモンド以上で、発見されれば数億〜数十億は下らないという。
そんなニュースも他所に、不貞腐れ仰向けになっていたのび太の真上に、突如タイムホールが開き、不思議な形をした絵画が落ちてくる。
絵画には、森の中を彷徨う幼い少女の後ろ姿と、近くを羽ばたくコウモリが描かれていた。興味を持ったのび太とドラえもんは、「はいりこみライト」で絵の世界に入ってみる。しかし、2人が少女を探している内に、少女の方は絵の世界から飛び出して現実の世界へやって来てしまった。
現代社会の文明に圧倒され彷徨い歩いていた少女は、しずか、スネ夫、ジャイアンの3人に保護される。合流し、事情を知ったのび太達は、クレアと名乗る少女と共に、再び絵画の世界へ入り込む。出口のない森を彷徨い歩く中で、のび太達はチャイというコウモリ姿の小悪魔と出会い、行動を共にする。やがて、ドラえもんが偶然発見した「はいりこみライト」の別の出口から外の世界へ戻ってきたのび太達。すると、目の前には13世紀ヨーロッパのアートリア公国が広がっていた。
実は、のび太の元に降ってきた絵画は、一枚の絵画が何らかの事故によって2つに分かれたもので、「はいりこみライト」を照射した際に、もう片方の絵にもライトの効果が及び、意図せずして別の出入り口を作り出していたのだ。
こうして、のび太達は13世紀のヨーロッパにタイムスリップし、10歳となったマイロと出会う。マイロによると、クレアはアートリア公国の姫なのだそう。留守にしているクレアの両親の帰還を待つ間、のび太達は「水ビル建築機」で城を建て、マイロ達と友情を育んでいく。
真夜中、目を覚ましたのび太は、マイロの父が遺した工房を訪れる。遅くまで絵を描いているマイロ。傍には、目だけ色の入っていないクレアの肖像画があった。宮廷画家であった父の後を継ぎ、立派な絵師になる事を夢見るマイロは、いつかアートリアに伝わる伝説の鉱石、通称〈アートリアブルー〉を見つけ出し、クレアの肖像画の瞳を塗って、絵を完成させたいと思っていた。
そんなマイロの姿に、のび太は「どうしたら、絵が上手くなるの?」と尋ねる。しかし、マイロは「上手く描く必要なんてない。上手い絵が〈いい絵〉とは限らない」と答える。そして、「大事なのは、描く相手を大好きだと思う気持ち。それを絵に込めればいいんだよ」と、のび太に道具を手渡して描いてみるよう促す。
翌朝、真夜中まで夢中で絵を描いていた為に寝坊する2人。その傍には、不器用ながらにのび太が思いを込めて描いた『ドラえもん』の絵があった。
クレアに叩き起こされ、アートリア城へ向かったのび太達は、怪しげな美術商のパルやクレアの両親、宮廷道化師のソドロと出会う。城の画廊に案内されたのび太達は、アートリアに古くから伝わる、“光を奪う暗黒の騎士”イゼールと、“世界を滅ぼす”とされる赤き竜、そして“その羽ばたきが世界を救う”とされる青いコウモリが描かれた3枚の絵画を目にするのだが…。
【感想】
絵画をモチーフにしているだけあり、作中、特に冒頭ではゴッホの『星月夜』やモネの『散歩、日傘をさす女性』、葛飾北斎の『富嶽三十六景』といった、西洋画から日本画まで様々な絵画が登場する。
数年ぶりの使用となる『夢をかなえてドラえもん』に乗せて、西洋画から日本画まで様々な画風で表現されるドラえもん達の姿を堪能出来るオープニングが秀逸で、このオープニングが最も本作が扱う絵画というモチーフを存分に活かしていた。
ラスボスとなるイゼールの名称も、絵を描く際に用いる“イーゼル”から取っているのはオシャレ。
アニメーション表現も、流石45周年記念作品というだけあって、動きがなめらかで迫力ある。特に、冒頭の『ミノタウロスの迷宮』内での冒険は、逃げ惑うのび太とドラえもんの動きを追ったカメラワークや、崩壊する壁や土煙の表現まで「開始からいきなりクライマックス」と言わんばかり。
ただし、終盤のイーゼル・ドラゴン戦での表現には、息切れ感というか、冒頭程の迫力やカメラワークの面白さが感じられず、少々残念に思った。本当に「開始がクライマックス」になってしまっていたように思う。
脚本については、普段からTVシリーズに参加している伊藤公志氏が手掛けている(劇場版初参加なのは意外だった)だけあって、原作に登場している秘密道具の流用や、時空乱流(時空ホール)やタイムパトロールといった藤子・F・不二雄作品の要素を活かした話作りが成されており好印象。
特に、お馴染みの「タイムマシン」を用いず、ドラえもんが思いもよらなかった「はいりこみライト」の副作用によってタイムスリップを可能にするという展開には唸らされた。
しかし、そうした脚本的な「上手さ」が、必ずしも作品としての「面白さ」を担保するものではない事を証明してしまっているのは、何とも皮肉。作中でマイロが「上手い絵が良い絵ではない」と語るように、「上手い脚本が面白い話とは限らない」のだ。
そう感じさせる1番の要因は、要素の詰め込み過ぎによるものだろう。特に、クレアの不思議な瞳に関する設定に関しては、何かありそうだと思わせつつも、「そういう瞳の少女です」以上の設定はなく、単なる設定の域を出ていなかったのは非常に残念である。彼女の両親の瞳は、決してアートリアブルーと関連性のありそうな色の瞳ではない。であれば、観客は「クレアがアートリアブルーに関わる何らかの秘密を抱えているのでは?」と期待するのが普通だ。イゼールに襲われるしずかを助ける際に、彼女の瞳が違う色を放った瞬間など「キタ!」と思ったのだが…。
また、アートリア公国に伝わる怪物イゼールと赤き竜に纏わる伝説と、それに関する予言も、抽象的で説得力に欠ける印象だった。もっと言ってしまえば、「脚本上のクライマックスの盛り上げの演出の為に作られた」という製作上の都合の方が前に出て来てしまうのだ。それは恐らく、本作が架空の13世紀ヨーロッパを舞台としているとはいえ、あの世界では“実在した場所”と設定されているからだろう。大昔の人々は、疫病や天災をキャラクター化し、畏怖の念を抱いたが、イゼールの持つ〈色を奪う〉という能力が、人々の何に対する恐怖心から来るものなのかがイマイチ釈然としないのだ。これもまた、本作が「絵画をモチーフにしているから」というコンセプトありきで設定されたキャラであると強く感じさせるのだ。
ゲストキャラクターであるクレアとマイロは、特にクレアの表情が豊かで、喜怒哀楽を存分に表現していた。時空乱流の影響で時空間を彷徨っていた為に、1人だけ時間の流れが止まってしまっており、結果的にのび太やマイロ達より年下の状態で冒険に参加する事になるという仕掛けも面白い。
実は、のび太達と冒険を繰り広げた6歳の彼女は、あくまで絵画の中の人物であり、「はいりこみライト」が破損した事で、元居た絵画の世界に帰ってしまうという“泡沫の夢”といった儚さのある突然の別れには驚かされた。しかし、そこは子供向け作品。しっかりとパルが時空間を漂っていた本物の彼女(しかも、ちゃんと10歳の姿になっており、夢という形で絵画のクレアと冒険の記憶を共有している)を見つけ出し、ラストで本当の再会を果たすという演出は、若干のご都合主義を感じさせるものの、着地としては○だろう。
ただし、一つ苦言を呈するならば、そんなクレアの姿はどれも可愛らしく、魅力的ながら、その魅力は現代的な美少女アニメで表現されるそれであるという事だ。つまり、『ドラえもん』という作品のキャラクターデザインとは明らかに異なっており、異物感が目立つのだ。それが狙いによるものだとしても、F先生が御存命の時代ならば、まずお目にかからないタイプのキャラクターだろう。
【今作だからこそ出来る“究極の一手”】
物語のクライマックスでは、遂にドラえもんまでもがイゼール・ドラゴンのブレスによって色を奪われ、無力化されてしまう。倒れたドラえもんの体に付着していた「水もどしふりかけ」の粒子を目にしたのび太は、ドラえもんの意図を理解する。しかし、肝心のドラえもんは無力化され、道具も破壊されてしまった。
絶対絶対のピンチに、偶然にもイゼールの体から弾き出された「はいりこみライト」と、その光を浴びたドラえもんの似顔絵の中に落下するのび太。そこで出会ったのは、のび太が「大好き」という気持ちを込めて描いたドラえもんだった。姿は歪で、会話すら困難、絶えず「のび〜、のび〜」と口にする姿が何とも愛らしい。しかし、不出来ではあるが、それは間違いなく「ドラえもん」であり、ポケットから取り出した「タケコプター」も本物には及ばないがちゃんと空を飛べる。のび太は機転を効かし、ドラえもんに「水もどしふりかけ」を出してもらう。
現実に戻ったのび太は、マイロにパチンコの絵を描いてもらい、自分達の城に向けて射出。見事に城を水に戻す事に成功し、イゼールを飲み込む。イゼールを飲み込む寸前、水の塊の影の形が、アートリアの伝説にある青いコウモリというさり気ない演出がニクい。
無事にイゼールを倒し、世界を救ったのび太達。のび太の描いた『ドラえもん』の絵は、「世界を救った絵画」として、アートリア城の1番良い場所に展示されるのだそう。
この、「のび太の絵が世界を救う」という展開は、間違いなく、今作だからこそ出来る“究極の一手”だろう。のび太のドラえもんに対する愛情と、ドラえもんの秘密道具による究極の合わせ技。世界の崩壊すら防いでみせたこの勝ち方の論理的にも素晴らしい美しさは、まさに「夢をかなえてドラえもん」であり、拍手を贈りたい。
【総評】
45周年記念作品というだけあって、作り手の気合いの入り様が伝わってくる作品であり、ラスボスの倒し方の美しさは、シリーズの集大成とも言える。しかし、そんな気合いが入り過ぎたあまり、詰め込み過ぎや空回りしている部分もあり、個人的にはシリーズ最高傑作ではない。また、F先生の偉大さを改めて実感するに留まってしまっているのも間違いない。
ドラえもん映画の中でも神作の一つ
40代になるおじさんですが、子供のころのドラえもん映画はロードショウ及びレンタルビデオでほぼ見ました。小学校高学年辺りから大人になるまではほぼ見てませんでしたが、結婚して子供が出来てからは子供に付き合い、いくつか見てます。
ドラえもん映画は多くの作品があるので、そのなかでもやはりいまいちなものもあり、それも含めてドラえもん映画の面白い所ではありますが、今回の作品は過去作品と比べると数少ない神作の一つと言えると思います。
冒頭の伏線回収のような始まりから途中の笑いあり・終盤のスリリングで「あれ?ハッピーエンドで終わらない?」と思わせるような内容で、とても楽しませて頂きました。
子供が楽しめてしっかり理解できるように作られているので、比較的伏線回収は読みやすく、過去の私が感じる「いまいち」な作品から想像して、「国を守る青いコウモリはきっとドラえもんが何かしらで絡んでるんでしょ」と想像してしまったところが浅はかで、映画が終わった後反省しました。
絵師のマイロが言う、「絵にうまい下手なんて関係ない。大好きな人のことを思って描いてるのがいい絵なんだ」というセリフ、物語の最後、ニュースで流れてきたのび太が書いたドラえもんの絵を少し小ばかにするコメンテーターに向かって、「分かってないな~。いい絵じゃないか。書いた人の気持ちが伝わるいい絵だよ。」(セリフの詳細は曖昧です)というセリフ、繋がっていてとても微笑ましかったです。
取り残されたのび太とマイロの窮地を救ったのは、のび太が書いた大好きなドラえもんでした。大好きな人を思って絵を描くと、その絵には魂が宿り、ずっと繋がっている・守ってくれると言われているような内容でした。
わくわくドタバタ冒険活劇
大長編ガチ勢。ここ数年でダントツに良い
お話し自体もおもしろいし、歴史的な豆知識や善悪を考えさせるシーン、各キャラの性格を活かした見せ場などもふんだんにあり、かつゲストキャラに感情移入できるだけの交流や魅力的なシーンもあり、バランスが良くおもしろい。また怪奇シーンがしっかりあったことも良い。子供には少し怖いのでは?と思えるシーンの入れ込みは90年代ドラえもん映画を踏襲しているようにかんじました。
脚本家が大長編ドラえもん好きなことがよくわかる内容でした。
マイナス0.5の理由は、少し怖すぎるかな?というところ。ただ今までも散々処刑されそうになったり危険な目にあってるので、今更かもしれません。
子どもに配慮しずぎても過保護になってしまうので、難しいさじ加減です。
素晴らしいのでネタバレなしで見てください!
週末の日曜日に観てきました!
周りは家族連れで満席、さすがドラえもん。
というかもう45作目なのか、、感慨深いですね。
今までの映画全部見てるので心にくるものがあります。
早速レビューします!
あと新ドラで好きなのは新日本誕生と新恐竜、旧ドラはドラビアンナイトです!(余談)
結論めちゃくちゃ面白かったです!
前半と後半に分かれてて、
前半は国の話と時間犯罪者との戦い、
後半はがっつりファンタジーなドラゴンとの戦いでしたね。
前半はちょっと集中してないと難しいと思いましたが、多分小学生くらいならわかるんじゃないかな?
ラスト見た後にもう一度見たくなる魅力がありますね。
後半は胸熱展開!
結構ベタベタな伏線回収の嵐ですが、こういうのはOK!
ぽっと出の子供騙しで説明不足な伏線回収よりよっっぽど良いと思います!
良い点
・脚本家さんは本当にドラえもんのことをちゃんと知っていますね!
パパが絵のアドバイスをしてるし、ドラえもんが道具をポケットから探しまくるお約束もありました!ブラボーです!
・落書きのドラえもんがのび太を助けてくれるの素晴らしい脚本です!
のび太が気持ちを込めて描いたドラえもんはやっぱり優しいんですね。
ずっとドラえもんを見てるからこそ感動しました。
・伏線回収丁寧!
クレアが現れた時系列が少しおかしい気はしてましたが、ラストでわかりましたね、、!
記憶が残ってるのは御都合主義感はありますが(自分が伏線見逃してるかも)、いやそこはむしろ御都合主義で良かった!
というかあれで本人帰ってこない、帰ってきても記憶ないとかだったら後味悪すぎる、、笑
ハッピーエンドで良いんです!
気になった点
・災厄のドラゴンの話は前もってあったけど、絵から出てくるのは唐突感ありましたね。これは災厄のドラゴンが描かれた、恐ろしい絵なんだ、みたいな伏線あって良かったかも
(見逃してたらすみません)
・欲を言えばクレアと男の子の大人になって結婚した姿とかエンディングで見たかったな、、。
新日本誕生と新恐竜のエンディングがオシャレすぎましたね。
以上です!
キャラ崩壊ないし、ゲストキャラは良いし、話の展開に違和感ないしで素晴らしいですね!
ぜひまた脚本やってほしいです!
来年は海か、、海底ではなさそうだから新作かな?
楽しみですね!
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