「【”シオニズムの壁は越えられないのか!”ヨルダン川西岸のパレスチナ人居住地区の青年が、イスラエル人青年と共にイスラエル軍により破壊されて行く故郷の姿を4年に渡り記録した値千金のドキュメンタリー作品。】」ノー・アザー・ランド 故郷は他にない NOBUさんの映画レビュー(感想・評価)
【”シオニズムの壁は越えられないのか!”ヨルダン川西岸のパレスチナ人居住地区の青年が、イスラエル人青年と共にイスラエル軍により破壊されて行く故郷の姿を4年に渡り記録した値千金のドキュメンタリー作品。】
■2019年。バゼルが暮らすヨルダン川西岸のパレスチナ人民居住区に、イスラエル軍が軍事訓練施設建設を口実に、パレスチナ人私有地をブルドーザーで破壊し始める。
激しく抵抗するパレスチナ人達だが、銃を持つイスラエル軍に家を壊され、洞窟に家財一式を持って避難する。
バゼルはその様子をスマホで撮影し、ネットで配信する。その状況を知りイスラエル人ジャーナリスト、ユーバールがやって来て、取材や編集に協力するのである。パレスチナ人の一部から非難されつつも。
彼らの抗議の声やイスラエル軍の非人道的な行為は世界に発信されるが、イスラエル軍の破壊行動は過激になって行き、家だけではなく学校を壊し、ナント生命線の井戸までコンクリートで塗り固めるのである。人道違反である事は、明らかである。
◆感想
・このドキュメンタリー映画の価値は、イスラエル軍の非人道的な蛮行を世界に知らしめた事と、制作にイスラエル人が加わっている事である事は、論を待たない。
彼らの行為は、正に命懸けで世界にパレスチナ人居住区で何が起きているのかを伝えたモノであり、そこにはシオニズム、反シオニズムの壁はない。微かなる希望がそこから感じられるのである。
・それにしても、イスラエルのネタニエフ達政治家は且つて、ユダヤの民がナチスドイツにされた非道なることを忘れたのであろうか。この映画で描かれている事は、且つてユダヤの民がナチスドイツにされた事を、そのままアラブの民にしている事だからである。
現代社会に蔓延る全体主義、自国ファースト思想の浸透であろうか。住民一人に発砲するイスラエル軍の姿と、息子を銃撃され下半身不随になった事を嘆く母の姿が哀しい。
・映画の中では、バゼルとユーバールの会話も映される。バゼルは”法学の学位を取ったのに、イスラエルの建設現場の仕事しかない。”と嘆く。又、ユーバールは”パレスチナ人の自由なしに我々の安全はない。”と言う名言をさり気無く口にするシーンも映される。先見性の或るユーバールや、登場しないが共同監督をしたラヘル・ショールの様な思想を持つ政治家を、イスラエル政府の要衝ポストに置いてくれないかな。良識あるイスラエル人に是非とも行動を起こして貰いたいモノである。ご存じのように、イスラエル人の中には、ネタ二エフの行為を批判している人が多数居る事は、信用できる新聞が報じている。
それで思い出したが、共同監督のハムダン・パラルが暴行され、イスラエル軍に一時拘束されたニュースが流れた時はイスラエルもそこまで堕ちたか、と思ったが解放されて良かったよ。
・けれども、ユーバールの”パレスチナ人の自由なしに我々の安全はない。”という言葉が現実になった23年10月のイスラム組織ハマスによるイスラエル攻撃には、暗澹たる気持ちになった事を想い出す。
序に言えば、自分に有利な情報のみ真に受けて、衝動的に発言、行動するアメリカのオレンジ色の顔の、頭が空っぽの男は少し黙っていて欲しいのだけどな。事態を悪化させているだけなのだから。
<千年以上続く宗教問題が根底にあるので、そう簡単には解決しなだろう事は十二分に分かってはいるのだが、ユダヤの民もアラブの民も、シオニズム、反シオニズムの壁を越えての融和を模索する気はないのだろうか。
”怒りは怒りを来す。”と言う言葉を知っているのだろうか、と思ってしまった作品である。
だが、この作品は、命の危険がある中で製作、公開した若い世代の4人の映像作家兼活動家の存在に微かなる希望を感じさせてくれる作品でもあると私は思うのであり、そこにこの作品の値千金の価値があると思うのである。
何時か、全てのユダヤの民とアラブの民が、今作のバゼルとユーバールのような関係になる事を望むモノである。>
<2025年4月6日 刈谷日劇にて観賞>